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イイね!
2013年04月08日

男の魅力

男の魅力 完全に体調を崩しました。
相性が悪いのかな、このイベント。
途中で中座することさえ考えつかず、
わがままな私も最近は気弱な一老人予備軍。

結果から言うと、表彰されることない表彰式に、
最後迄いたことで、後になって体調を崩し
ボロボロの夜になりました。



中座してクルマに戻ることができなかった
私の判断ミスでしょう。



私は、我が儘が強く、それが個性的な性格の特徴でもありました。

短所のようで、実は武器であった我が儘と判断力が衰えたことに、
このままでは先が無いなと、昨夜は布団の中で苦しんでいました。



非体育会系な考え方をすることは、悪く言えば“中二病”であり、
苦労は尽きません。
それでも負け惜しみを、それ以上に昇華させながら、僕はこれまで
生きてきました。
就職でも苦労しましたが、拾ってくれる会社があった。



家族に、子供が出来たことも、この性格から言うと奇蹟だったのかも。
それでも若くて元気な頃は、補ってあり余るくらいの、男の魅力と
いうヤツが、あったのかもしれません。



このような状態で終わったイベントでしたが、老舗の企画ということもあり、
昨日は悪天候に関わらず、多くの車交の方との交誼に、久闊を叙しました。


行きのR173細工所付近のコンビニで休憩中には、黄色いミジェットのPさんに
追い付かれて合流し、会場までの道程を一緒しました。



会場で真っ先に声を掛けてくださったのは、セリカのTさんに、もちろん先着の
ローバーP6で登場の紺の豚さん。
そして米国から戻って来られる時に、赤いジャガーEクーペを颯爽と連れて
初参加のパパンダさんにも、初対面のご挨拶と、愛車を拝見させてもらいました。



少し遅れて3輪ホイール・バークレーのNさんが到着し、小雨と言え大変だったよう。
駐車場で積車で登場の戦前型アルビスに見とれていたら、追って同じく戦前型
アストンで、亀岡のM先生登場。さっそくアルビスの構造に付いて質問します。



駐車場組では、豊能からリトモで関西凱旋参加のR君、高雄ではミジェットなどの
オープンカーで来ていることの多い駄洒落仲間のN君は、昨日は“偽”カントリーマンで
来場していました。



私の隣には奈良からお越しの白い850スパイダーの元NHKの池上解説員ならぬ
Iさんが並びます。



一段上がった国産車勢の並ぶワイン工場の高さには、12月にシトロエンクラブ
ミーティングで滋賀でお会いしたキャルルック風のカルマンギアの男性氏と、
むかし春日町(現丹波市)の中兵庫CCFで知り合った、ボルボ122“アマゾン”に
乗られる年下の男性君と再会。この彼の愛車も濃い金属光沢を持つグリーンメタリック
かつ、プレーンなホイルキャップと白い内装がキャルっぽいテーストになっており、
カルマン氏と共通する雰囲気には、米国帰りなのか、50年代アメリカンに対する
オマージュが流れていると思いました。



さて、天候に恵まれず、無理して春から夏にかけての明るい服装で
お出かけした私の心と裏腹に、冷え込んで行った残念な4月の第一日曜日でしたが、
一つだけ面白いシーンに遭遇できました。



それは、フェラーリ車中でも人気のあまり出なかったディーノ308gt4に
最近、乗るようになったIさんが、会場に現れて、その車を皆で見に行こうと
いうことになりました。



おっさんゾロゾロくっついて、ですが、気分は若い頃のままのようです。
広い駐車場の一番外れの方に、フェラーリ勢は居ました。ただしチョいっと古い
ヤツらです。



フェラーリという車も価値観のキャパシティの広いクルマで、最新の599XXとか、
六本木ヒルズに並ぶ壮観もあるのでしょうし、反対にデイトナ以前のヴィンテージ
フェラーリ、私の好きな275あたりの天文学的なお値段のコレクションを、密かに
抱える人もいるでしょう。

しかし自営業と言え、それほど贅沢な車に乗ることも無く、車に関する苦楽を
長年知っているIさんというよりI君の彼がついに、Fバッジは付いてないと言え、
ディーノ308gt4に乗り出したと聞いた時には、ほうっと、思いました。



車は70年代調のええかんじのスーパーカースタイル。その白に近いベージュの
交じった直線的なボディに、よく似合ったパステルトーンの布製の内装が、時代の
雰囲気をかき立てます。
この車は直接の伝授ではなく、ランチアテーマ832もお好きな「池上さん」が元の
オーナーで、何代かの持ち主の手を経て、Iさんの所有に変わったのでした。



その間、“サーキット仕様”になり、内装もシートも、ハンドルもオリジナルが
失われていたとのこと。
しかし昨日の、この車を入れ替えている時のIさんの表情の、嬉しそうなはにかんだ
顔が、とても良かったです。

何となく、齢をとった最近の近藤マッチに似ている、丸顔ハンサムなIさん。
いつの間にか池上解説員も、嬉しそうに、元愛車のコクピットに座り、復元された
車の出来映えと、一時は諦めていた状態からの、路上復帰に喜んでおられます。

池上さんからマッチへと、オーナーの受け継がれた308は、いま嬉しそうに
40年近い時を経て、路上に春を迎えています。

その瞬間、生憎の冴えない一日でしたが、この場所だけ一筋の光が射したように
僕は思えました。スーパーカーの好きな世代って、いつまでも夢が有るのだなあと。
表題は、私から捧げたい、オトコの元気にです。



最近は全くブログ記事を更新されなくなった、スーパーカー世代の方のこととか、
いろいろなことを想起しながら、みんカラを続けては、書いています。
B級スーパーカーだって、いいじゃん。僕は今いろんなことが重なって
襤褸ぼろに草臥れてしまいました。でも、こういうのも有りだなあ。変な仕事に
就いて、変に人目を気にして、その間心が傷ついてばかりの3年間が終わり、
今の私には、軽自動車は妥協もいい所で、残っているのは1台のクーペだけです。



こんな嵐のような爆弾低気圧の日に、強行したイベントで、参加した方も
無理を強行したので、最悪の体調での週明けになってしまいました。
「私が遅刻せずに来た」というだけで軽いニュースになったくらい。
分かると思いますが、今の私は弱い羊のような生き物です。

反骨心の牙も力も無くなってしまいましたが、今日の記事をきっかけに
少し立ち直りたいと思います。隣の赤い500の女性は可愛かったなあ。

それでは!


ブログ一覧 | オンザカー | クルマ
Posted at 2013/04/08 12:29:46

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この記事へのコメント

2013年4月8日 19:22
体調を崩されましたか。 昨日は寒さと雨で4月とは名ばかりの冬でしたね。

色々なお話ありがとうございました。

また機会があればどうぞよろしく。

コメントへの返答
2013年4月8日 19:37
お早いコメント有り難うございます。
気温は10℃を切るどころか、6℃くらいまで下がっていましたね。

最後に私の方もご挨拶を忘れて、失礼いたしました。

もう少し気持ちの綻ぶような日のイベントも有るかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

2013年4月8日 20:46
ドーフィンってまだ見たことがないんです・・・
コメントへの返答
2013年4月9日 10:36
近年、日本には多分ヴィンテージ価格物件で、数台が入ってきています。
多分、ゴルディーニ仕様が殆どで、素のルノーの方が少ないと思います。
2013年4月8日 21:02
こんばんは。

この集まりは、何処でやったのでしょうか?

細工所という地名に覚えがありましたので、お聞きします。

コメントへの返答
2013年4月9日 10:56
イベント会場は京都府船井郡の旧和知町でしょう。
丹波ワインの工場で、黒井電気の工場用地が余って、1980年代から神戸ワインと同時期に、ワイン製造を始めました。
味は良いのですが、日本国内製造は、少し高い気がします。

細工所は、篠山の外れです。173号線が、兵庫県川西市から北上して行き、篠山から京都に向かう道と交差する、福住の交差点(1970年頃まで国鉄篠山線の終点が在った)の少し先と言う所になります。
2013年4月8日 21:42
寒い中お疲れ様でした。
でも、帰りの423号亀岡からの上りの850の速かったこと!
家族が居ないので全速でチェイスしたのに、完全に負けました。悔しい!
あの意気と集中力があれば、大丈夫です。きっと。
コメントへの返答
2013年4月9日 11:04
お疲れ様でした。その上ご迷惑なことになり済みません。
院長先生も意見される立場とは。それだから、率直な耳もお持ちなのでしょう。
坂道の件、チギろうとは思っていませんでしたが、3.5Lを1/4の排気量でひょいと交わすのは、まるで牛若丸の遊びです。
でもよく追い上げて来られましたね。チューニングが進んでいることを実感しました。昔のATであれだけヘアピンを曲がっても、着いて来られたら、こちらは驚いていたのですよ。
しかし木部に着いた頃には、眠くてダウンしていました。今日は大分良くなりましたが。

2013年4月8日 21:55
寒かったですね〜!
お体の方 お大事に?

いや〜〜!お恥ずかしいです。
しかし、Iさん池上さんに、僕が乗るように成って良かったと言ってもらえて嬉しいです。
gt4も路上復帰を喜んでいることでしょう!

kotaroさん、今度は立ち飲み屋で一杯おごります!(立ち飲み屋?もっとエエとこないの?て声が聞こえてきます。)
コメントへの返答
2013年4月9日 11:28
ありがとうございます。
よく似合っていましたよ。あのくらいの古いフェラーリ系イタ車って、気張って乗るもので成し。あの会場と、いい感じでマッチしていました。
僕も人生のやり直しと、クルマ人生の再生中ですが、ヒントを頂いたような気がします。
一回助手席に乗せてね。今年のフィアットフェスタでも思い切って行きますか?

立ち飲み、いいっすよ。西宮でも電車で行きますよ。
5月3日に神戸まで行きますので、その帰りでもお会いしませんか。
2013年4月8日 23:04
ディーノ308GT4、ふと気になって調べてみたら全幅が1800mmもあるんですね。 ホイールベースが長めでフロントオーバーハングがあまり長くないところも併せて、21世紀の今では均整がとれて見えます。 ・・・小学生の頃は鼻先が長いほどカッコよく思えたものですが(笑)

後ろ姿のMR2はバイザーやストライプがあってオリジナルの姿をとどめているようで好ましいです。

紺の豚さんの発言から察するに、羊の皮を着ていても走りはまだまだ狼のようですね♪
コメントへの返答
2013年4月9日 11:37
シロさんらしい理系な分析、ありがとうございます。
プロポーションは、思い切り幅広で、当時は採用する理由は、4人乗りにしたゆえの、窮屈さ解消に、一役買っている訳です。

対照的なのが、70年代まで作られていた、ジャガーEのロングクーペが来ていましたが、全く同じ上級スポーツカーでも、個性が違うものですね。

このMR2は「おおっ」でしょう。日本の大トヨタもMRSが中途半端に出して、短い期間でやめたけど、X1/9や124スパイダーのようにメーカーからスピンアウトして、モデリスタにやらせるべきでしたね。

紺の豚さんは亀岡ー豊能の峠路で、走る猪の様にローバーで追っかけて来られました。
旧車同士の、ランデブー走行は面白いですよ。行きはミジェットでした。
2013年4月9日 1:16
ディノ308
サイコーです、
(笑)

アノ狭そうな後席で・・・?
(苦笑)
コメントへの返答
2013年4月9日 11:42
こんにちは。70年代生れの若い方には、スーパーカーって、藤岡弘(仮面ライダー)とか、矢沢永吉のように、個性が「被り物」で、無理矢理“ビッグ”な服を着て歩いているようで、面白いでしょ。

あれが時代の背伸び感なのです。
その狭い後席で、アモーレな雰囲気になれたことは、四畳半よりラブホテルの方が、良かった訳ですよ(苦笑)。
2013年4月9日 14:25
今日は。

いろいろ説明させて、済みません。

私は酒類を嗜みませんので、お値段はわかりません。
本家が、醸造元で、私の生家も醸造元だったせいか、お酒が身近に有り過ぎまして、手を出さなく成った様です。(ビールのミニ缶一本で、充分酔えます。)

丹波細工所と地図で見ました。
わざわざ丹波と付けて有るのは、兵庫県加古川市に細工所と言う地名が有るからでしょう。
実は、生家の隣集落が細工所という所で、県道高砂~北条線と山陽道が交わる少し南に有ります。
山陽自動車道の、加古川北インターを出て高砂市方面に向かった直ぐ先が、細工所です。
地名がそっくりだったので、もしやと思いましたが違ってましたね。


>その狭い後席で、アモーレな雰囲気になれたことは、四畳半よりラブホテルの方が、良かった訳ですよ(苦笑)。
     ↑
なかなか、巧いたとえですねぇ~♪ 座布団5枚です。

コメントへの返答
2013年4月10日 0:20
諏訪でしたら「真澄」とか、思い出しています。

細工所は、北条線の法華口から1里くらいでしょうか。この近くにも「冨久錦」があります。

醸造元の方は、酒に対する好奇心がかえって減退するのかもしれませんですね。

1年前に850スパイダーを屋内で預かってもらっていた工場が三口に近い場所でした。

秋の田の中を、法華口から30分以上かけて歩いて行くのが楽しかった思い出があります。

細工所という地名、何の仕事を昔していたのでしょうかね?
2013年4月9日 14:34
追伸

おかげん、良くなられましたか?

お大事に。
コメントへの返答
2013年4月10日 0:21
今夜も大きな銭湯の風呂にゆっくりつかり、大分悪い寒気が抜けてきたように思います。

ありがとうございます。
2013年4月10日 6:24
お早う御座います。

夜なべで、車の装備品更新用パーツを作っていました。

三口は、私の祖父が出た所です。(婿殿ですから)
加西市の一番南端の集落ですね。
ひょっとしたら、そこの生まれかも知れません。(聴いた事有る様な?)

家の本家も、醸造を辞めてしまいました。
銘冠酒造と言います。
加古川市志方町大沢という所なので、加西ではないです
酒蔵は、車が入らないと米の搬入や、アルコールの搬入に困りますので、車が入れるのですね。
車の置き場には最適ですが、暫く置くと避けの匂いが染み付く可能性が有ります。
その場合、飲酒の検問を突破するのが厄介になりますけれど・・・・・

JR加古川線の粟生駅から北条線が有りましたが、第三セクターに成った様ですが、まだ有るのですかね?

真澄は、宮坂醸造です。

私の生家は、酢の醸造元でした。

コメントへの返答
2013年4月11日 9:17
加古川線の3支線のうち、今も残っているのは、北条線―北条鉄道だけです。

女性運転士が車掌もやりながら、懸命に鉄道を維持しています。

法華口の駅は、播丹鉄道開業時のままで、駅舎、駅前の植樹も残っており、すごく雰囲気が、有ります。

今回のピックアップ話題の308gt4に乗る友人の、奥様がこの辺りのご出身で、披露宴の銘酒は「富久錦」を使われたと、聞いたことがあります。

彼らやNYMに常連で来られるアルフェッタGTの方など、沢山の方は、神戸・御影の「Veloce」というレストランに、80年代くらいから集まっていた、メンバーです。

「銘冠」は2年前までは、付近のスーパーで売っていました。買い求めた記憶が、有りますが、もう無いのですね。(T_T)

酢の醸造は、天日が肝で、晴れる日の多い播州平野ならではの、産業の一つだったのかもしれません。
知多半島の中埜酢店(ミツカン)が有名ですが、大切な仕事の一つだと思います。
2013年4月11日 22:18
こんばんは。

何だか、故郷の近辺にやたら詳しいので、驚きです。

銘冠は、だいぶ前に醸造を止めていますので、どこかのOEMで出しているかも?

私は、粟生の一つ西脇よりの河合西という駅から小野の高校に通っていました。
加古川線河合西>粟生>神戸電鉄小野というルートです。
加西方面からの通学する同級生も居ましたので、ほぼ毎日粟生で別れに手を振った事を思い出しました。

何故か私の家系は、醸造をしくじる系統みたいです。
歳をとると、私が再建するべきだったなーなんて思いますが、気付くのが遅かりしでした。
コメントへの返答
2013年4月12日 2:31
私は兵庫県に1987年から2007年まで20年間住みました。

播州平野のドライブは、好みの道が多くて、元々鉄道も好きなこともあり、加古川線は非電化時代から、度々訪問しています。

粟生は、神鉄粟生線と、北条線の二つの分岐線を出す駅で、加古川から野村(現西脇市)までの旅の間で、のんびりした加古川線中で一番賑やかな駅でした。

AL-5さんの高校通学時代って、昭和40年代の後半でしょう。加古川機関区のC12の煙が、廃止になるやならないか、丁度くらいの頃ですね。

加古川水系の舟運は、大昔の交通機関で、鉄道もそれに沿って伸びました。
途中、唯一の難所が、滝付近にある闘竜灘で、ここには水が綺麗だった頃、鮎掛けの料理旅館が、沢山作られ賑わいました。

ポンテペルレの頃は、ここらも舞台になり、久しぶりに、賑わったと思います。

河口に近い山陽本線との接続付近には、ニッケの大きな工場が、延々と車窓を占めて、長い煉瓦塀が、印象的でした。

加古川線沿線から、沢山の人が働きに来て、日本のマンチェスターと呼ばれたのも、遠い昔です。
加古川駅の周りも田舎くさいけど、独特の地方都市の熱気に、包まれていたことを、思い出します。
2013年4月12日 11:26
今日は。

そうですね、加古川機関区は蒸気機関車が廃止された後です。

瀧野の橋の袂にアパートを借りていまして、風邪で寝込んでいる時彼女が来てくれたのを尾も出します。
その当時は、鮎掛けをやってました。(詳しいですね!)

まだニッ毛の工場は有ったと思います。
加古川駅も高架駅となって、駅前の雰囲気も変わりましたね。
昔は、映画館も幾つか有って、日曜日には女工さんがワンサカと繰り出していました。
それを狙い、近隣の田舎者男子は軟派に勤しんでいたものです。(私は若すぎて・・・・・)
加古川の花火大会も、盛況で凄かった・・・・・・・・・・

繊維関係の女工さんは、四国と九州の人が多かったです。←何で知っているのかは、聴かないで!
あと北海道の人も居ました。

加古川沿線では、瀧野の先の西脇市も繊維関係の工場が多く、此方も女工さんが多かった。
この頃は、医療関係の仕事をしていて西脇市に勤めていましたので、そこそこ事情は知っています。

本当に、播州方面に詳しいですね。
高砂線、三木線、も有りましたね

高砂ー北条線を走る機会が有れば、細工所と加古川北インター(札馬)の間で西方向に煙突が一本見えます。
そこが銘冠の醸造蔵で、その手前が私の生家です。(現在建屋は有りません)
私の植えた柿木が、毎年美味しい実を付けるのが残念です。(勝手に取って良いですよ)
コメントへの返答
2013年4月12日 13:34
おはようございます。
私は以前の中学校時代の筑豊訪問記に
書いたことがあるのですが、その時のインプレッション、落差感から、ジャーナリズムの道を歩もうと思いました。
一応まあまあの大きさの新聞社に27年居たので、このくらいの物知りは珍しくも何ともないと、思っていますが、ALー5さんとのやりとりを通じて、昔の播州のことを書いてみたいという、気持ちになりました。

父の最終勤務が、高砂の山九の支店で、古い木造の事務所に校長先生の椅子の様に白いカバーを掛けた椅子が在り、日曜日に送ってあげた時に苦笑したことがありました。
約3時間その間に、野口から出ていた別府鉄道の写真を撮りに行ったり、帰り道は250号線を飛ばしながら、百姓さんが危なっかしく歩いているのに、父が変なことを言うので、苦笑したことがあります。その時には中古のA73ランサー1600が愛車でした。

私はやはり「土地と歴史のジャーナリスト」を
めざしてみようと、今回のやり取りを通じて、思い直しました。
まだ風邪がこじれていて、大変しんどいのですが、自信を取り戻しつつあります。
AL−5さんが、これだけ毎日のようにコメントをつけてきても、普通の人なら、どう思うのか分かりませんが、私は大変楽しかったです。
ジャーナリスト魂の中にも、巨悪を追うとか、皆の知らないことを出し抜いてスクープするとか、ありますが、私は柳田国男を読み、司馬遼の「街道を行く」に刺激されて、全国を旅するようになりました。
こういうやり取りが心から楽しい人間です。
またいろいろなコメント付けてください。
私はコメント欄も財産だと思います。
どうもありがとうございました。

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
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車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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