つづきです。
写真はボンにある
シューマン夫妻の墓です。
ロベルトのレリーフを見上げているのは芸術の女神ミューズ。
ロベルト、クララ、ヨハネスが鬼籍に入り、20世紀になってから
1921年、ある
暴露本が匿名で発刊されました。
「フェリックス・シューマンの父親としてのヨハネス・ブラームス、ある愛の不思議」
シューマン夫妻の末子・
フェリックスの父親が実はヨハネスだというものです。
暴露本はオイゲーニエの書いた回想録を下敷きに、クララを中傷する内容に書き換えていました。
これを書いたのは
アルフレート・シューマン。
アルフレートはシューマン夫妻の三男フェルディナントの子、つまり
クララの孫です。
なぜこのような事態になったのか。
前に書いたとおり、フェルディナントは戦争で傷付いてモルヒネ中毒になり、妻子6人を残して早くに亡くなりました。
残された家族を、当然のようにクララが面倒を見ます。
どうやらこの時に、
嫁姑の関係が悪化したらしい😓
真面目で几帳面なクララ、おそらく孫たちの養育について母親に意見したのでしょう。でも演奏旅行で不在の期間も長い。間を取り持つべき父親はいない。
母がクララを嫌えば、祖母と孫たちの関係も悪くなったでしょう。
フェリックスの父親がヨハネスというのは
明白な嘘です。いや、真っ赤な嘘か。
ロベルトの日記から、クララの妊娠が明らかになったのは、ヨハネスと初めて会った3日後のことでした😅サスガニムリ
ロベルトの最後の言葉 ”Meine... Ich kenne...”についても、
「私は知ってるぞ・・・」と解釈し、何を知ってたのか?クララとヨハネスの不倫だ!としています。
クララの日記に記されていたこの言葉、もしクララにやましいことがあったなら、そもそも日記に書かないでしょう。

ロベルトとクララの墓碑
若きヨハネスがクララに好意を寄せたのは確かだし、しばらくはクララ一家と同じアパートに住んで家族のように子供たちの面倒を見ていたのも事実ですから、根も葉もない、とは言いきれない。
世間に醜聞は広まってしまいました。
なので、いまだにクララとヨハネスの関係についての話題が取り沙汰されるのです(このブログも含め)😅
しかし、残された書簡や回想録、当時の資料を研究すれば、クララは節度を持ってヨハネスや子供達に接していたことは明らかです。
逆に、現代まで残るクラシック名曲の背景には
数々の人間ドラマがあったことにあらためて気付かされます。

ウィーンにある
ヨハネスの墓
最後に、来月N響がプログラムに揚げている、ブラームスの交響曲第1番、シューマンのピアノ協奏曲についてその背景を見ていきたいと思います。
最終回へつづく<(_ _)>
参考HP
Wikipedia:クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス
ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか
クラシック音楽奇譚
”恋する作曲家”ブラームスのロマンティシズム
Posted at 2025/06/15 19:20:32 | |
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