先日の【あさらかん】は盛況で、ロータス・ヨーロッパ225、ロータスtype23Bというレア車が参加され盛り上がりました。
その後、ヨーロッパ225のオーナー、
take0106さんのブログ記事から、
type23Bが
第一回日本グランプリ優勝マシンであることを知りました(;´∀`)
早速ネットで検索けんさくぅ d(*・ω・*)b
以下Wikipediaより引用・抜粋
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1963年の日本グランプリは、前年開業した鈴鹿サーキットにて1963年5月3日と4日に行われた。正式名称は「第1回日本グランプリ自動車レース大会」。日本における本格的な自動車レースのはじまりとされる。
車種と排気量ごとに10クラスに分けて行われた。
国産乗用車中心のツーリングカーレースが6クラス、輸入車中心のスポーツカーレースが3クラス。さらにメインイベントとして、海外招待選手による国際スポーツカークラスが2レース行われた。
当時の日本では「自動車レース」という競技の存在自体ほとんど知られていなかったが、物珍しさもあり2日間に20万人以上もの大観衆を集めた。
出場者は計148人。招待選手を除けばもっぱらアマチュアの自動車愛好家であり、講習会と練習走行でレース旗の意味や「アウト・イン・アウト」「スローイン・ファストアウト」などの基礎知識を教わった。彼らは愛車を運転して鈴鹿に到着し、ナンバープレートをつけたままレースに出場して、終了後はそのまま帰路に着いた。
国内自動車メーカーにとってもサーキットレースは経験のない分野だった。日本自動車工業会加盟企業は「日本グランプリには積極的に関与しない」との紳士協定を結んだが、「隠れワークスチーム」で臨んだメーカーもあり、出場3クラスを制したトヨタは新聞広告などで「グランプリ優勝キャンペーン」を展開し、該当車種の販売成績を伸ばした。
レースの成績が宣伝材料になることが証明され、以後、自動車メーカーは自社製品の優秀さをPRする目的でレースに積極的に取り組むようになった。
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のちのちのF1日本GPとは異なる、かなり
のどかな大会だったようです。
そこでの国際スポーツカークラスのリザルトが↓
2日ともトップは
ピーター・ウォー!驚きました。C.チャップマン亡き後の1982年から89年までチームロータスを率いて、A.セナ、中嶋 悟とも縁の深い人物です。
調べれば調べるほど、type23Bは由緒正しいマシンでした。
もっとビックリしたのはリザルトの2位。
マイケル・ナイト
こんなところに
ナイトライダーが・・・ ∵・゚ゞ(゜ε゜o)ブッ
こちらはもちろん実在のレーサーです(^_^;)
画像はネット上から取得したものです。問題があれば削除します。
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Posted at
2015/10/06 17:59:27