
S師匠に頂いた
ロータスF1ミニカーシリーズ、第九弾です d(*・ω・*)b
17個のうち残り7個です。ランダムに選ぶので何が出るかはそのときのお楽しみ。
さて、第九回目は・・・
ロータス101でした。カーナンバー
12,中嶋 悟のマシン。
Wikipediaより抜粋
ロータス101は、チーム・ロータスが1989年のF1世界選手権参戦用に開発した。開幕戦から最終戦まで実戦投入された。
この年からターボエンジンが禁止となりジャッドV8エンジンを搭載した。ドゥカルージュに代わり、ウィリアムズで空力設計を担当していたフランク・ダーニー、チーフデザイナーにはマイク・コフランが就任し、この体制で101は開発された。
1989年シーズン
ジャッドエンジンは前年の型落ちで、ホンダV10エンジンに比べて100ps以上出力が低かったと言われた。第3戦モナコGPでは、予選セッション中の抜き打ち車検にて中嶋車のリアウィング寸法違反が判明し、予選通過できなかった。
第8戦イギリスGPの後、チェアマンのフレッド・ブッシェルがデロリアン疑惑で逮捕され、チームマネージャーのピーター・ウォーがチームを去った。第9戦ドイツGP以降は新たな体制で臨んだものの、第11戦ベルギーGPでは、ピケ、中嶋とも予選不通過となった。1958年のF1参戦以来、エントリーしたマシンがすべて予選不通過となるのはチーム史上初であった。
成績は、N.ピケと中嶋悟のドライブにより、それぞれ4位が最高位であった。最終戦オーストラリアGPでは中嶋が豪雨の中で唯一のファステストラップを記録した。
チームのパフォーマンス低下に失望したピケと中嶋は、いずれも同年限りでチームを去った。
ジャッドV8エンジンとなり、ロータスはさらに競争力を失いました。中嶋は「後半戦は結構マシンがまとまってきた印象があった」と述べていて、豪雨のオーストラリアGPでのファステストラップと4位は印象に残ります。しかし、チーム態勢のごたごたもあって、マシンの熟成に時間がかかりすぎました。
このマシンもJLD2011で見ました。
1990年にはピケも中島も離脱し、Camelのスポンサードも終了。資金難に陥り
1994年を最後にF1からチームロータスは消滅しました。
ネットで拾った画像も掲載しています。問題があれば削除します。
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ノスタルジー | クルマ
Posted at
2016/02/29 20:46:51