つづきです。
←クララ15歳 カワイイ
クララは生まれた時から日記を付けており(赤ん坊の頃は父ヴィークが書き😅物心ついてから本人が引き継ぎました)、音楽史上貴重な資料になっています。ヨハネスとクララの間にかわされた書簡もかなり残っています。
それらを検証すると・・・ふたりの間に男女の関係は無かったと思われます。
厳格な父ヴィークに育てられ、クララ自身も真面目で几帳面な性格でした。何よりもロベルトを心から愛し、尊敬していました。ピアノ演奏に真摯に取り組み、子供たちを育てるために必死で働きました。
いくらヨハネスがアプローチしても、
彼が入り込める隙間は無かったと思われます。

旧ドイツ100マルク紙幣
ロベルトの死後、クララが子供たちに書いた手紙が残っています。
「真の友のごとく、彼は私の悲しみのすべてを分担してくれました。精一杯努力して、私の心を明るくしてくれたのです。つまり
彼はあらゆる意味で私の友でした」
ヨハネスの音楽的才能を愛し、尊敬し、支援に感謝しつつも、良き友人としてのスタンスは生涯変わりませんでした。
ヨハネスも、求愛が受け入れられなくとも、クララから離れることはありませんでした。クララとその子供たちを支援し続けました。
クララのプライベートは多くの試練がありました。
ロベルトとの結婚は長い間父に妨害され、そのロベルトとも死別。
4男4女の子だくさんでしたが、クララは5人の子供たちを見送ることになります😢
長女
マリーエ 音楽教師となり、独身を通す。ロベルト亡き後、演奏旅行のため家を空けがちなクララにかわり、幼い弟妹達の母代わりをこなした。クララを支え88歳の天寿を全うした。
次女
エリーゼ 若くしてピアノの教授となったが実業家ゾンマーホフと結婚、一時アメリカで暮らす。晩年はフランクフルトにもどりクララを支えた。85歳の長寿。
三女
ユーリエ イタリア貴族マリモット伯と結婚しましたが第3子妊娠中に結核にかかり27歳で早世。
長男
エミール 1歳で夭折。
次男
ルートヴィヒ やや発達障害があり、22歳で精神を病んで入院、そのまま51歳で生涯を終える。
三男
フェルディナント 丈夫な子だったが、普仏戦争に従軍中リウマチになり、治療のためモルヒネ中毒になった。妻子6人を残し42歳で早世。
四女
オイゲーニエ ヨハネスにレッスンを受け、ピアニスト、音楽教師として活躍しのちにイギリスで暮らす。文才もあり父ロベルトの伝記や自身の回想録を記す。独身を通し87歳の長寿。
四男
フェリックス ヴァイオリンや詩作などに多彩な才能を発揮し、ヨハネスが彼の詩に曲を付け歌曲として世に出した。が、結核のため25歳で他界。
女の子ひとりと男の子は4人みな、クララより先に亡くなっています。
演奏旅行で多忙を極めるクララでしたが、それは彼女にとっての生きがいでもありました。
が、クララも齢を重ね、
リウマチに悩まされ、手がだんだん動かなくなります。
ヨハネスとも相談し、教職に就くことになりました。
59歳で
フランクフルト音楽院の教授に就任し、後進を育てる事に情熱を注ぎます(のちにはマリーエとオイゲーニエも講師に加わります)。
クララの名声は欧州に轟いていたので、優秀な生徒が多数集まり、クララに新たな生きがいを与えました。
このまま安らかな晩年を・・・と願いたいですが、クララとヨハネスの間に
隙間風が吹きます。
つづく<(_ _;)>
参考HP
Wikipedia:クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス
良好な男女関係を築く方法 〜シューマンの妻クララの場合〜
ニューノーマル後の趣味ピアノ日記
クララ・シューマンの生涯と感動
ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか
クラシック音楽奇譚
”恋する作曲家”ブラームスのロマンティシズム
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Posted at
2025/06/04 19:52:37