2018年03月21日
AIについて考える
少し前に将棋の藤井君が六段に昇格したというニュースがありました。
彼はその後も快進撃を続けています。
彼の強さはどこにあるのか?
とある論評では「AIの指し手に極めて近い手を指す」とのこと。
それってつまり、自分の手ではないということ?
そのような勝ち方で彼は満足する?
という話をとある友達と以前にしたことは、ブログにも書きました。
なので、再びその話をここで論じる気はありません。
私が感じるのは、「AIが人間の力を超えつつある」ということ。
昨年5月にはアルファ碁が中国の9段・柯潔(かけつ)氏に勝利しました。
この結果を受けて開発チームは「囲碁から引退させる」と発言しています。
同時にこうも言っています。
今後、AlphaGoの開発チームは「次のレベル」のための開発に注力することとなります。
つまり、囲碁で人間に勝つのは到達点ではなく通過点であると。
また、別の事例でこんな話もあります。
Sを横に倒した図形を描き、谷の部分にトロッコを、山の頂上に旗を立てます。
この絵をAIに見せるとどうなるか。
AIは旗が目標地点と考え、そこにどうしたらトロッコを到達させられるかを考え、そしてトロッコを左右に揺らせて坂道を利用した反動を作り、ついには旗までトロッコを到達させます。
以前なら、「この条件ならこうせよ」というパターンを無限に覚えさせ、どのパターンに当てはまるかを選択するというのがコンピュータの作業でした。
先程のトロッコの例だと、「谷底にトロッコがあったら、反動をつけて頂上の旗まで到達させなさい」というパターンを覚えさせておく必要がありました。
しかし近年ではディープラーニングの技術が進歩したことなどにより、「自ら考え、行動する」ということが可能になってきています。
その行動には「創造活動」も含まれつつあるようです。
囲碁や将棋をAIにさせることによって、新たな定石が生まれつつあるのがその好例だと思います。
こうしたAI技術の進歩はこの5年位で飛躍的な進歩を遂げているようです。
わずか5年。
その背景として、コンピュータのハードとしての技術が上がっているという側面も大きいようですが、それにしても急速な進歩です。
この先10年、いや5年でどれだけのさらなる進歩があるのでしょうか。
少なくとも技術者達は流通や製造、そして医療分野などにまでAIを導入していきたい、むしろそうすべきだと考えているようです。
そうなれば、人口減少社会における労働力不足が解決されるだろう、と。
自動運転技術によって、高齢ドライバーによる交通事故の危険性が大幅に減少する、というのと似たような発想ではないでしょうか。
そういう時代が来た時、我々人間の活躍する場はどこにあるのか…。
基本的に人間の行動は過去に見聞きしたパターンの蓄積によって導き出されるケースが極めて多いでしょう。
全くゼロから創造するというのは、稀な気がします。
そうなると5感の部分が人間の強み?
いや、既に味覚さえ数値化されて、AIの対象になりつつあるそうです。
では、文化芸術分野?
これとて例えば「どこの国の人達が美しいと思う絵画の傾向は…」などと分析されて、それに合う絵画をAIが描いてしまうかもしれません。
では、人間は…
私はあと約10年で定年を迎えます。
その間に保守的な我が社の労働環境がAIによって劇的に変わることはまずないでしょうから、個人としての生活にAIが直接的な影響を与えることは少ないと思いますが、さてどうなることやら…
古くは映画「2001年宇宙の旅」のHAL9000、もう少し最近だと「ターミネーター」などでは、人間対AIという描かれ方をしています。
こうした話がいよいよ現実になる日が、もうそこまで来ているのでしょうか。
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Posted at
2018/03/22 06:56:28
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