ジオラマファクトリーでは最低1時間、最長2時間くらいの滞在時間を想定していましたが、その変貌ぶりに少し落胆し、30分程度しか時間がかかりませんでした。
でもこのまま直帰するのも…
ということで、すぐ近くにある浜松城へ立ち寄ることにしました。
城は浜松市役所のすぐ裏手にあり、一帯が公園になっています。
この城は日本城郭協会による「続日本百名城」の一つに選定されています。
なお、城ごとの選定理由は明らかにされていませんが、選定基準としては
(1)優れた文化財・史跡であること
(2)著名な歴史の舞台であること
(3)時代・地域の代表であること
の3点です。
浜松城は、一時期、徳川家康が本城としており、その期間中に武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍が戦った「三方ヶ原の戦い」が起こっています。
その戦いで連合軍は大敗し、浜松城に戻り「空城の計」により武田軍の追撃を逃れます。その際、この大敗を忘れまいとして戒めのために描かせたと言われているのが、こちらの有名な肖像画です↓
※ただしその由来には諸説あり、近年では三方原説は否定的なようです。
こうした点に加え、城が政令指定都市・浜松の中心部に位置し、支城である掛川城・高天神城と合わせて防衛ラインを構成していたことなどから、選定基準に該当すると考えられたものと思われます。
ただ、城の縄張りはかなり広範囲に及ぶものの、そのほとんどが既に市街化されており、二の丸などのあったあたりには浜松市役所が建てられているなど、その遺構はほとんど残っておらず、天守閣付近の石垣がその姿を留める程度です。
城内にはガイドボランティアさんがいらっしゃったのでお話を聴きました。
お城の一般的な説明を受けた後、その方はこうも話されていました。
浜松市は以前は産業の街だった。でも今ではそれも元気がなくなっていて、町に活気がなくなってきている。
そうした中でどうやったら人を集められるだろうかと考えると、「歴史」という切り口があるのではないかという話になった。
でも太平洋戦争末期に度重なる空襲や艦砲射撃を受けたことに加え、産業育成を優先して歴史的文化的な遺産を次々と壊してきた経過があるので、貴重な資産がほとんど残っていない。
ん~、なんとも寂しい話ですね。
確かに浜松にはホンダやヤマハ、河合楽器、浜松ホトニクスなどの大企業が数多く立地し、まちづくりにも積極的だったイメージがありました。
すぐ近くの大国でも一時同様のことがありましたが、成長優先で貴重な遺産を破壊してしまう。とても残念でとてももったいないことです。
歴史的な遺産を残すことへの賛否があることは分かりますが、個人的には「歴史に学ぶ」部分は必ずあると思っています。
閑話休題。
この城の一番の見所はやはり石垣でしょう。
野面積みと呼ばれる工法で積まれた石垣は大変立派なもので、長年の風雪にも耐え続けています。門の脇には、城主の威光を知らしめるが如く、巨大な石が配置されています。
天守閣は3層4階建てとして再建されていますが、1510年前後の築城時にどのような天守があったかは不明だそうです。

画像でも分かるように、石垣の大きさに比べて天守が小さく作られています。恐らくもっと大きな天守があったのでしょう。
実は浜松城、もともとはすぐ近くにある曳馬城を前身にしています。
ついでなのでそちらも訪問。

残念ながら遺構はまったく残っておらず、わずかに画像にある碑が建てられているだけ。
敷地内には東照宮が建てられています。東照宮と言えば日光か久能山だと思っていましたが、浜松にもあるんですね~。
また、こんな像もありました。

中央に立って写真を撮ってもらうと、秀吉や家康のように出世するかも?
そんなこんなで浜松城と曳馬城の攻略は、少しあっけなく終了しました。
現地の写真はフォトアルバムに収めました。
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浜松城&曳馬城
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Posted at
2019/01/19 10:13:39