さて2日目。この日は朝早く起きて島へ渡ります。
まずは倉橋島。
音戸大橋を渡るとそこには渡船場が。

わずか数分で向こう岸まで付いてしまうほどの距離で、しかも橋もかかっていながら、いまだ現役で渡し船が運営されていました。
この昭和の雰囲気、たまりません!
そして道中には牡蠣を取り扱っていると思われる工場や港がいくつも見られます。

これぞ呉、といった印象を受けました。
そして到着したのが三ッ子島。

この島の手前側に空母天城が大破着底したという、正にその現場です。
そう思うと感慨深いものがありますね。
(現在では工業塩を輸入し貯蔵するための場所となっていますが、なんとここだけで日本の工業塩の75%を担っているのだそうです。)
さらにドライブを続け、江田島に渡り、利根公園に行きました。

ここは重巡洋艦・利根が大破着底した場所↓です。

公園内には小さな建物がぽつんとあり、その中には利根から引き揚げた貴重な品々が展示されていました。
公園は道路から少し離れた場所にありますが、案内看板などは一切設置されていません。せっかく素晴らしい展示がされているのに勿体無いですね。
きびすを返して呉市へ戻り、昨夜立ち寄ったアレイからすこじまを再び訪れます。
道を挟んだ反対側には、赤レンガ倉庫群も。

小さな子供を連れた家族連れが記念写真を撮っていたり、私同様、物思いにふけりながら佇むおじさんがいたりするなど、様々な愛され方をしていました。
夜の姿とはまた違った味がありますね。
いよいよスタンプラリー最終地点・入船山記念館です。

ここには旧呉鎮守府司令長官官舎、郷土館、歴史民俗資料館等があります。
特に長官官舎は極力当時の姿を再現しており、一見の価値ありと思いました。
ただ残念だったのは、敗戦後に呉の町に駐留したイギリス軍が、官舎をイギリス風に改修してしまったこと。
もともとは金唐紙が貼られていた壁は、白い壁紙が上から貼られてしまいました。金唐紙を作る技術はその後廃れてしまい、当時を再現する術はなくなったかに思われましたが、関係者の努力により再現されています。
この他、当時の時計台や東郷平八郎が使用した離れ座敷などがありました。
詳細はフォトアルバムを御覧ください。
呉まちあるきもぼちぼちおしまい。
最後はランチをいただきます。

左上の肉じゃが、左下のじゃこ飯、右上のがんすはいずれも呉名物です。
特にがんすは美味しかった!
思わず日本酒がほしくなるような味でした♪
帰りも高速を走りましたが、強めの雨が降っていたことと旅の疲れもあったので慎重な運転に心がけ、自宅へ着いたのは午後9時過ぎでした。
2日間で1100キロという長旅と現地での徒歩移動は、さすがに老体に堪えますね…。
でもARIAーRさんとのオフも含めて、本当に楽しい旅でした(^^)/
【呉のまちについて】
昔は呉浦と呼ばれる小さな漁村だったそうです。
それが明治時代に海軍の鎮守府(根拠地)が置かれ、太平洋戦争までは4つある軍港中、最大規模を誇るまでに至り、人口も40万人を超える大都市になりました。
しかし太平洋戦争では米軍から執拗な爆撃を受けて焦土と化し、その後の造船業の伸び悩みとともに人口も減少して、現在では約22万人にまで減りました。
海上自衛隊での位置づけも4軍港中、横須賀、佐世保、舞鶴に次いで4番目となっています。
ある意味、歴史に翻弄された都市であるとも言える気がします。
今回のスタンプラリーでは4つの港をまわると「4都市コンプリート」賞がもらえるのは、4つの軍港が概ね同様の状況に置かれている証左ではないかというのは考えすぎでしょうか(^_^;)
日本全体に目を転じてみると、大都市への人口集中の流れは加速し、中小都市は人口減少に頭を悩ませ、生き残り策に奔走しています。
呉市の場合、「観光」がその答えの一つだとすると、2005年に開設された大和ミュージアムはその切り札的存在。
実際、たくさんの観光客が集まっていますし、隣接する商業施設のお土産売り場にも多くの来店があります。そう思うと海上自衛隊や戦艦大和などの資源を持つ呉市は、大都市・広島市に近いという地理的優位もあって、生き残りに成功する可能性が十分あるように感じました。
ただ。
先に訪れた浜松城のガイドボランティアさんが言っていました。浜松市は艦砲射撃を受けたことに加え、人々が歴史的遺産を大切にする心を持っていなかったので、そうしたものはことごとく破壊されてしまった、と。
大和の大屋根が改変された話を聞いた時、その話を思い出してしまいました。
また横須賀のカレー屋の店主は、昔から住んでいる人からすると「横須賀はいつからカレーのまちになったんだ」と思っていると言っていました。
呉市民が観光を売りにしていくことをどう受け止めているか分かりませんが、造船を含めた軍需産業では生き延びていけない(今や自衛艦もアメリカから買う時代)可能性も考えると、「みんなで考え、みんなで進めるまちづくり」が大切になるのではないかという気がしました。
まちあるきをしながらもう一つ感じたのは、「広島弁(呉弁)の優しい響き」。
ARIAーRさん曰く、きついイメージがあるとのことでしたが、映画「この世界の片隅に」で私が感じたのは「なんと優しい言葉なんだろう」と。
実際、町中で聞かれた言葉はそのイメージ通りでした。
私の住む尾張地方は名古屋弁ですが、「~だがや」に代表される下町言葉であり、そこに誇りを持っている人は少ないと感じています。
それに比べれば呉弁は遥かにいいイメージがあります。
その土地の言葉が聞こえてくると、あぁこの土地に来たのだなという感慨も深まるので、方言はなくならないといいなと思います。
そんなまち・呉がこれからも発展していくことを望んでやみません。
本ブログにかかる画像は、以下のフォトアルバムに収めました。
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呉まちあるき(倉橋島、江田島)
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アレイからすこじま&入船山記念館