まちあるきもぼちぼちお昼を迎える頃になってきました。
昼食はやっぱり海軍カレー。
舞鶴では「海自カレー」の名で売り出していますが、私は海上自衛隊より旧海軍に興味があるので、ラインナップのお店から選ぶのは、旧海軍のレシピを使ったところ。
唯一の選択肢が西舞鶴駅前にある「カフェレスト 駅カフェ」です。
しかし…

おやすみでしたorz
仕方なく近辺を歩いていると小さな蕎麦屋が。
店頭のメニューを見ると肉じゃがを出しているとのこと。
肉じゃがは舞鶴鎮守府の初代長官となった東郷平八郎元帥がイギリスで食べたビーフシチューをいたく気に入り、そこからヒントを得て開発したものなのだとか。(諸説ありそうですが)
厨房にはこんなポスターも。

そこにはレシピの表示もあります。
この店では基本的にはこのレシピ通りに作っているそうですが、少し板前さんのアレンジが入っているとか。
女将に聞くと、まちおこしで肉じゃがを売り出すようになったのはここ15年くらいではないかとのことでした。意外と最近ですね。
さて、此処から先はスタンプラリーとは関係ないディープな世界へ行くことにしましょう。
行き先は旧舞鶴要塞。
明治時代、ロシアからの侵攻を想定した日本は、舞鶴を軍港として開発し、その防備として湾口に大砲などを並べて要塞化しました。
その跡が残っているようなので、行ってみます。
道の駅「とれとれセンター」の信号交差点を北進し、海沿いの道を30分くらい走ると「槙山公園」と書いた小さな看板のある角があるので、そこを山へ向かってさらに走ります。
クルマ一台分しかない狭い道を30分くらい進むと、突然現れます。
おー!
これが槙山砲台跡。日本遺産にも指定されています。
草木に覆われつつあるとは言え、とても100年前に建設されたものとは思えないほどしっかりした状態。
内部もきれいな状態を保っています。
道沿いに進むと同様のものがいくつも。

3連式のものまでありました。
いずれも蔦などに覆われ土が崩れ落ちつつある状態で、高い「ラピュタ感」が得られます。
脇に作られている階段を登って向こう側に進んでみると…

パラグライダーなどの出発地点があり、そこから見下ろす舞鶴湾の美しいこと…
少し不謹慎かもしれませんが、砲台跡でそんなことを思ってしまいました。
実は槙山砲台跡のすぐ近くに金岬砲台跡というのもあるらしく、むしろそちらのほうがかなりの遺構が残されているとの情報を得ました。
槙山砲台跡を出て、来た道を引き返し、途中にある↓のようなヘアピンカーブで車を停めます。

↑の左端に写っている倒木を乗り越えていくと、奥に向かって獣道が続いています。

倒れかかっている木の下をくぐり、垂れ下がっている蔦などをかき分けながら進みます。
途中にはこんな場所も↓

足の幅ほどしかない場所を、左端に写っているロープを掴みながら進む。さながら探検です。
こうして20分ほど歩くと…

入り口らしき場所に着きました。

激しいラピュタ感…
さらに進むと…

出ました、金岬砲台跡の掩蔽壕。
確かに槙山砲台跡よりも様々な遺構が残されているようです。
内部も大変綺麗な状態で保たれています。
さらに奥へ進むと5連掩蔽壕も。

内部では横でつながっているようです。
近くには烹炊所跡と思われる場所もあります。

キャンプ魂を揺さぶられますね。
掩蔽壕の上に登ってみると…

円形の構造物があります。この中心に大砲を置いてあったのでしょう。
さらにはこんな作りのところも。

3本の石柱の上には測距儀などを置いたのでしょうか。
また、半地下式の掩蔽壕もありました。

いずれも激しいラピュタ感…
こうした山の奥深くに施設を作り、侵攻してくる敵を眼下に確認しながら砲撃を加える。
その瞬間のために明治から大正にかけて、ここまで資材と労働者を運び、しっかりとした施設を作って、完成した後には兵隊や弾薬などを運び、いつ来るか分からない敵に備えてじっと待つ。
建設労働者の中には大陸から強制的に連れてこられた人もいたかもしれません。
現地までは狭く険しい道のりが続いているので、資材や弾薬などの運搬も自動車などではなく牛車などだったかもしれません。
そんなことを考えながらこれらの施設を見ると、改めて戦争の愚かさ、争うことの無意味さを感じざるを得ません。
スタンプラリー目的で訪れた舞鶴でしたが、美しい景色に感動し、勇壮な軍艦の姿にワクワクし、そしていろいろと考えさせられる、非常に中身の濃い旅となりました。
今回の旅で撮影した約200枚の画像は、以下のアルバムに収めました。
・
舞鶴のまち
・
舞鶴の自衛艦見学
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Posted at
2019/05/23 06:57:48