今日は
トラック野郎 マドンナ編5~7で書いた日航機の話です。
1985年8月12日(昭和60年)に事故発生。
←事故を起こした日航123便
写真は
-JAL123便墜落事故29年目の記録-から。
日航機墜落事故 米軍幻の救出劇 (米軍パイロットの証言)
ニュースステーションですね。
日航機墜落事故 米軍幻の救出劇
今年8月、日航機墜落事故の真相を語る手記がカリフォルニア州サクラメントの地元紙に掲載された。
手記を発表したのは雑誌編集長のマイケル・アントヌーチ氏。
元空軍パイロットとして10年前、日本の横田基地に駐屯。
大型輸送機C130のナビゲーター、航空手を勤めていた。
123便の機影がレーダーから消えると、米軍横田基地司令部はアントヌーチ氏が乗るC130輸送機に日航機の捜索を命じた。
米軍による墜落地点発見の第一報は、日本の航空関係者に大きな衝撃を与えた。
生存者、落合由美さんは墜落直後に人の声やヘリコプターの音を聞いたと証言している。
(吉岡忍著「墜落の夏」新潮社より)落合由美さん(日本航空のアシスタントパーサー)の証言。抜粋
墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。私は座ったまま、いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。
どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。
突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。
私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。
やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。
このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。
ココまで落合由美さんの証言。
墜落直後は大勢の人が生存していたことが分かります。
実際は、
紫色の座席の4名だけ生き延びました。
横田基地からは帰還命令が下る。
外務省は在日米軍が日本国内で捜査・救難活動を行うことは安保条約上なんら違法ではないとの見解を示しているが、アントヌーチ氏が基地に戻ると上官から「何もマスコミにはしゃべるな」と口止めされた。
航空自衛隊は米軍ヘリが現場上空にいた、ほぼ同じ時刻に救難ヘリを発進させている。
百里空港は茨城空港です。19:54離陸。
現場上空に到着したのは20:42。
米軍が墜落現場を確認したのは19:15。
基地から帰還命令が下ったとしても、日本側に墜落現場を知らせないとは考えられない。
にもかかわらず、
第1報 20:00頃
長野県境 ぶどう峠付近
第2報 22:00頃
長野県北相木村
第3報 翌1:30頃
長野県南相木村
現場発見は5:10
何のために偽の情報を流し続けたのか?
20:42に自衛隊の救難ヘリが現場上空に到着しているのに変ですよね?
救出開始は8:49。
もっと早く救出を開始してれば、多くの命を救えたかと思うと残念で仕方ありません。
元航空自衛隊 中部航空方面隊の松永貞昭氏によると夜間の救出は出来ないってことですが、それも納得できない。
米陸軍准尉エドワード・ガーザー氏
「夜間など問題でありません。救難隊なら誰でもできますよ」
防衛庁は米軍ヘリの存在を認めていない。
アメリカ国防総省は当時の記録が無いのでノーコメント。
当時の在日米軍最高幹部に取材したところ、匿名を条件に以下の回答を得ることが出来た。
それは、事故当日かなり早い段階で日本の自衛隊が米軍の救難援助を断ったと言うものだ。
軍事評論家 小川和久氏
自衛隊が断ったと言うより、日本政府がそう判断したんだと言う問題だと思います。
当時の日本政府の中枢にいた人から直接聞いた話なんですが、事故が起きてから約2時間の間、首相官邸の中で警察が担当すべきか防衛庁或いは自衛隊が担当すべきかと言うことで延々と議論が続いていた。
これは主導権をめぐる話でもあったわけですね。
その間にですねキャンプ座間のアメリカ陸軍のヘリは1時間以上前に御巣鷹山の上空にいたわけですから、そこで救助活動が行われたりすれば、全く警察・自衛隊・共に立つ瀬がなかった。
だから、断らざるを得なかった。
そんなクダラナイことで大勢の命を犠牲にすることがあって良いのだろうか?
ザ・ノンフィクション 日本航空123便墜落事故 15年目の検証
運輸省事故調査委員会 武田峻委員長(当時)
昭和53年大阪国際空港の事故による損傷の修理の際に行われた後部圧力隔壁の不適切な修理に起因しており、また、亀裂が隔壁の損傷に至るまで進展したことは、それが点検整備で発見されなかったことも関与していると推定いたしました。
圧力隔壁
離陸から12分後の午後6:24異常事態発生。
フライトエンジニアの「オールエンジン」の部分ですが、5:24あたり何度聞いても「オレンジエア」って聞こえる。
気圧の低い上空を飛ぶ飛行機は地上と同じ気圧を保つために機内の圧力を高くしなければならない。
1986年2月24日に起きた貨物ドアが吹き飛んだ事故
その生還者の証言
いろんなものが飛び回っていたわ。
123便の機内の様子
圧力隔壁が破損して急減圧が起こったとしたら、機内はメチャクチャになってるはず。
急減圧とは。
東大名誉教授・航空力学 加藤寛一郎氏
24000ftおよそ7300mもの上空で機体の一部が破壊すると一体何が起こるのか?
航空力学の権威であり、東京大学名誉教授でもある加藤寛一郎氏を訪ねた。
飛行機の外側は凄く気圧が低いので人間死んでしまうから、飛行機の中の気圧が地上と同じまで高めてあるんですね。
その客室内の気圧が一気に飛行機の外側の気圧まで下がることを急減圧と言います。
元日本航空パイロット 藤田日出男氏
元日本航空のパイロットで飛行時間8000時間の経験を持つ藤田日出男氏。
早くから事故調査委員会のまとめた事故報告書に疑念を抱いていた。
パイロットが酸素マスク付けていないんですよ。
ずっと最後まで。
酸素マスク付けてますとコモッタ声になりますね。
24000ftって言ったら地上の気圧の半分以下です。
40%近いですね。
これは物理的に酸素が足らないですよ。
パイロットの養成機関でもあるアメリカノースダコタ大学航空学部。
低酸素症実験
24000ftの酸素濃度で酸素マスクを付けずにいると人体にどのような影響が現れるのか?を実験する。
5~6分で意識が朦朧とした。
東立川駐屯地
報告書作成のための低酸素症実験は、事故からおよそ1年後の86年7月、立川市にある航空医学実験隊で行われている。
日本航空機関士会は航空医学実験隊の見学会を行っている。
会報には、そこで聞いた123便を想定した実験の話が綴られている。
日航事故を想定して、客室高度650FTを7~8秒かけて24200FTに急減圧にした実験で、今まで経験した事がないほど肺から空気が吸出され、すぐにまわりが暗くなり(低酸素症)思わず酸素を吸ったという話でした。
元日本航空機関士 藤川秀男氏
急減圧実験について→随分事実と違う報告書になってんだなぁって、その時思いましたけども。
航空医学実験隊 小原甲一郎第四部長(当時)
当時の担当者、小原氏に取材を申し込んだ。
だから…専門家に聞いてくださいよ。
いま専門家いっぱいいるから。
航空医学やってるヤツが。
私は15年前の記憶はもう薄れていますから、いま改めては掘り起こす気がありません。
報告書の通りです。
それしか答えようがありません。
逆ギレしています。
これらの話を総合すると、事故報告書に書かれていた「圧力隔壁」の損壊はしただろうけど、「急減圧」は無かったと考えるのが妥当です。
この番組でも取り上げている「オールエンジン」
23:18あたり「オレンジエア」
事故調査委員会メンバーの一人で、
当時、123便のボイスレコーダーの音声を担当したのは、航空医学実験隊で主に音声と心理の関係を研究していた宇津木成介氏である。
36:42うん…オレンジエアってオレンジギアって言うんすかね?
何かギヤって言ってような感じには今聞こえたんですけど。
37:32 今一回これ聞いた感じでは、オレ…オレ…オレンはオレンみたいな感じだけど…あの…ギ…ジ、ジ…ジ、その後ギヤって言ってるような感じが強いですね。
オレンジエアって言いそうになって口ごもってます。
遺族からは再調査の要望があるのに、
運輸省の回答は「再調査を行う予定はありません。」
もし、「オールエンジン」が「オレンジエア」だとすると、ファイヤー・ビーとチャカ2かもしれません。
オレンジエア
無人標的機のファイア・ビーと、誘導ミサイルのチャカ2
遺族が公開した写真にファイヤー・ビーが映り込んでいる
「日本航空123便墜落事故の不自然さ」より。
墜落現場がやっと判明し、救助隊が御巣鷹山の嶺を登って来た際に何故か『下山してきた自衛隊員』が目撃されていた。
救助隊よりも先に墜落現場に到着し、証拠隠滅を謀ったようだ。
それが…また惨い
数少ない生存者をできるだけ消す事
毒ガスの使用
アーミーナイフでの殺傷
火炎放射器での『二度焼き』
[閲覧注意]遺体等のグロ画像あり
JAL123便墜落事故のご遺体
以上引用。
当時、フライデーやフォーカスなどの写真週刊誌で写真を見ましたが、樹木が全然焼けてないのに、遺体だけ焼け焦げてるって不思議な感じがしました。
事故当日、待機命令に背いて救助に向かおうとした自衛官が射殺されたり、自殺に見せかけて殺害されたり。
不自然なことが多すぎます。
オイラには真相は分かりませんが、
早く救出を開始してれば多くの命を救えたのは間違いありません。
20年目の誓い~天国にいる我が子へ~
美谷島邦子さん役は原田美枝子さんです。
part-1
part-2
part-3
いくつか日航機事故の記事をリンクしておきます。
日本航空123便に衝突したのはファイヤー・ビーとチャカ2 ⇒
コチラ
日本航空123便墜落事故の不自然さ ⇒
コチラ
「JAL123便」の調査報告書はなぜ廃棄されたのか? ⇒
コチラ
日本航空123便墜落事故を検証する ⇒
コチラ
色々と陰謀説などがあるようですが、
信じるか?信じないか?は、あなた次第です。
このままウヤムヤにしてしまったら亡くなった方や遺族も浮かばれないですよね。
二度と同じような過ちが起きないよう、国は徹底的な解明に取り組むべきじゃないですかね?
改めまして、亡くなった方のご冥福をお祈りします
今日の曲は、事故で亡くなった坂本九さんで「上を向いて歩こう」
今日は重たい内容でしたが、事故を風化させないようにブログにしてみました。
( ´∀`)/~~ おしまい。