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2020/06/11

F1日本GPの歴史 Vol.27【2011年編】

過去のF1日本グランプリを振り返るシリーズ『F1日本GPの歴史』は第27弾・・・前回はベッテル&レッドブルの強さ以上に小林可夢偉のオーバーテイクショーで沸きに沸いた2010年のレースを振り返りました(^.^)
現在もWECでは速さを見せる可夢偉ですがこの頃はホント速かった・・・彼のオーバーテイクは単なる速さだけでなく巧さを見せつけてくれますね!





<これまでの日本グランプリ>
76&77年(in JAPAN)   1987年   1988年   1989年   1990年   1991年   1992年   93年   94年Pacific   94年鈴鹿   95年Pacific   95年鈴鹿   1996年   1997年   1998年   1999年   2000年   2001年   2002年   2003年   2004年   2005年   2006年   2007年   2008年   2009年   2010年








2011年シーズンは初戦のバーレーンが政情不安のため中止となる波乱の幕開け・・・その後はレッドブル&ベッテルが圧倒的な強さを見せ、ベッテルが19戦中11勝、韓国GP以外は全てレッドブルがポールポジションを獲得といった状況でした(#^.^#)
この速さはルノーと共同開発したオフスロットル・ブローイングというダウンフォースを得るシステムが大きく貢献・・・またこの年から可変リアウイング(DRS)が搭載され、オーバーテイクが急増しました!









2011年は3月11日の東日本大震災の影響で開催が危ぶまれた日本GP・・・FOM会長のエクレストンや小林可夢偉らドライバーの尽力もあって無事に開催!
中でもS・ベッテルがヘルメット頭頂部にの文字を入れての激走は忘れられないシーンでした(#^.^#)








迎えた金曜日のフリー走行2回目で小林可夢偉(ザウバー)が130Rの全開走行(305km)でまさかのスピン・・・全くどこにも当たらず無事だったのは可夢偉が巧いのか?幸運だったのか?は不明ですが今でも『世紀の命拾い』と語られています(^-^;








好天で迎えた予選はベッテルがバトンと僅か0.009秒差でポールポジション・・・以下3位ハミルトン、4位マッサ、5位アロンソでQ1でなんとトップタイムをたたき出した小林可夢偉は7位という結果でした( ̄▽ ̄)








決勝のスタートではバトンが好ダッシュを見せベッテルと並びかけるもディフェンスに合いハミルトンに抜かれ3位に後退・・・アンチストールモードが作動してしまった可夢偉は12位まで後退してしまいました((+_+))








レース序盤はベッテルが好ペースでトップを行き、その後方ではタイヤに苦しむハミルトンをパスしたバトンが追い上げる展開・・・DRSを効果的に使うアロンソが3位まで上がります!








19周目にピットインしたベッテルに対し、好調なバトンが20周目のピットインで見事にトップに躍り出る・・・21周目にマッサとハミルトンの接触があり、レースは27周目までセーフティカー先導となりました!








レース終盤はペースを上げたアロンソが2位に上がる・・・やや追い上げられたバトンはファステットラップを記録し、そのままアロンソに1.160秒差でトップチェッカー・・・3位ベッテル、4位ウェバー、5位ハミルトン、2ストップで入賞を目指した可夢偉は終盤タイヤが持たず13位という結果でした(^-^;








3位となったベッテルは2年連続チャンピオンが確定・・・喜びを第一コーナーのエスケープゾーンで派手なドーナツターンで派手に表現したのでした(^_-)-☆
Posted at 2020/06/11 08:45:29

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