- 車・自動車SNSみんカラ
- まとめ
- その他
- 荒井由実
まとめ記事

-
最近、プリウスの中で聞いているのは1974年に発売された荒井由実のセカンドアルバム「MISSLIM」です。学生時代に浴びるように聞いていたアルバムです。今聞いても飽きません。というか今でも泣けてきます。「海を見ていた午後 」(作詞/作曲:荒井由実)はA面の4曲目です。 山本潤子(ハイ・ファイ・セット)も歌っています。ユーミンそして潤子さんが歌う舞台であるドルフィンを初めて訪れたのは一昨年のことです。もう2年も経ってしまったのですね。 あの時、ユーミンの「海を見ていた午後」をブログで思い入れたっぷりに紹介しました。そのブログも削除されてしまいました。みん友さんのコメントも恋のように消えてしまったのです。 あらためて悲しい気分になってしまいました。出典:ツゥさん
-
荒井由実
-
明日は十五夜、お月見ですね。 兼好法師は「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」と徒然草第百三十何段に書いています。なるほど今日の月だって十分にきれいです。さらに兼好は「男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。」とも書いています。そう言われてもやっぱり逢いたんです。あなたの心が変わってしまったなどと思いたくありません…。 「14番目の月」(作詞/作曲:荒井由実)1976年に発売されたユーミンの4枚目のアルバム『14番目の月』に収録されています。荒井由実としては最後のアルバムです。 「朝陽の中で微笑んで」「中央フリーウェイ」「グッド・ラック・アンド・グッド・バイ」といった私の好きな曲も入っています。 大学生の頃、西千葉駅前の「ベル・エポック」という喫茶店で泣きながらこの歌を口ずさんでいたことがあります。失恋の時ではなかったのにどうしてだったのでしょう…。 明日は台風の影響で中秋の名月は見られそうもありません。満月よりも14番目の月が好きなんです。あなたを思いながら酒でも飲むとしましょう。出典:ツゥさん
-
今日は栃木の県立高校の卒業式です。今年も多くの若人が新しい人生のステージへと旅立っていきます。 卒業の歌はたくさんありますが、私にとってはやはりこの歌です。高校は男子校だったので卒業式の思い出は何もありませんが、ユーミンと潤子さんは私の青春そのものですからね。 「卒業写真」(作詞/作曲:荒井由実)は1975(昭和50)年に発売された荒井由実(ユーミン)の3枚目のアルバム『COBALT HOUR』に収録されています。ユーミンの初期のアルバムは現在に至るまで聴き続けています。 ハイ・ファイ・セット (Hi-Fi Set)としてのレコード・デビュー曲でもあります。同じく1975年に発売されたのですが、今回あらためて調べてみるとユーミン盤が6月20日、ハイ・ファイ・セット盤が2月5日なのです。ユーミンの方がセルフカバーになるのですね。2番の「ゆれる柳の下を」の部分の歌い方が違います。 3月の初日の今日は昨日以上に暖かい日になりそうです。関東地方では春一番が吹くかもしれません。このまま春になってくれたらいいのになぁ…。出典:ツゥさん
-
松任谷由実さんが紫綬褒章を受賞しました。こうした賞には全く縁もなく興味もない私ですが、大ファンであるユーミンが受賞したのですからこれは素直に喜びましょう。本当におめでとうございます。 「ルージュの伝言」(作詞/作曲:荒井由実)は1975(昭和50)年に発売された荒井由実(ユーミン) 5枚目のシングルです。私が荒井由実を初めて知った曲です。ラジオから流れてきたこの曲の最初の印象はあまり良いものではありませんでした。田舎の高校生にはルージュの意味がピンとこなかったですし、歌手の途中に出てくる「Ding-Dong」もわかりませんでいた。でもよく歌っていた記憶があるので、それまでになかった曲の軽快さは気に入っていたのでしょうね。 次のシングル「あの日にかえりたい」を聴いてユーミンに心酔しました。アルバムも買いました。「MISSLIM (ミスリム)」は学生時代に一番聴いたアルバムです。あの頃に戻りたいなぁ…。出典:ツゥさん
-
10月も中旬になろうというのに30度近い気温の日が続いています。長そでシャツに変えたはずでしたが、今日は半そでのシャツで出勤しました。季節が1か月前に戻ってしまいました。秋はどこに行ってしまったのでしょうか。 「旅立つ秋」(作詞/作曲:荒井由実)は1974(昭和49)年に発売されたユーミンのセカンドアルバム『MISSLIM』(ミスリム)の最後に収録されています。前年に発売された今話題の『ひこうき雲』がファーストアルバムなのですが、私は『MISSLIM』の方を先に買い浴びるように聴いていました。 さあて、飲酒の時間です。冷酒でも呑んで夢の世界に旅立つとしましょうか。今晩は夢の中で誰と逢えるでしょうか。あなたと逢いたいなぁ。出典:ツゥさん
-
今日は、女子高校生のバレーボールの試合を見てきました。レシーブ、トス、スパイク、ワンツーワンツーアタック♪飛び跳ねる若い娘たちは眩しかったです。 自分で言うのもなんですが、僕はスポーツマンでした。小学校では学童野球をやりました。中学生では体操部でした。高校。大学では運動部に所属していませんでしたが、スポーツを見るのは好きでした。大学ラグビーは早稲田を応援していました。サッカーはJリーグが始まる前からテレビ観戦をしていました。「三菱ダイヤモンド・サッカー」などという番組も見ていました。 社会人になってからはテニスやバレーボールをよくやりました。職場の大会では主力として活躍したものです。 「あの日にかえりたい」(作詞/作曲:荒井由実)は、1975(昭和50)年に発売されたユーミンの6枚目のシングルです。同年に発売された4枚目のシングル「ルージュの伝言」でユーミンを知った僕でしたが、この曲で大ファンになりました。シングルは「あの日にかえりたい」と「翳りゆく部屋」しか買いませんでしたが、アルバムはほとんど手に入れました。 かつてのようには体が動かなくなりました。バク転、バク ...出典:ツゥさん
-
おはようございます。足利は曇りの朝を迎えました。夜のうちに雨が降ったようで地面は濡れています。予報ではこの後また雨になるようです。 画像は昨日織姫山から撮った朝日です。昨日は秋晴れの一日でしたが、今日は一日中お日様が見えないかもしれないです。ちょっと残念です。それでも温泉ドライブにはいこうと思っています。 さて、みゆきソングシリーズのあとは通常運転に戻ろうと思ったのですが、やっぱりライバルのユーミンを特集しなければいけません。しかし、もうすでに多くのユーミンソングを紹介しているのですよね。 振り返ってみましょう。アグネス・チャンの「白いくつ下は似合わない」、三木聖子と石川ひとみの「まちぶせ」、ブレッド&バターの「あの頃のまま」、聖子ちゃんの「Rock'n Rouge (ロックン・ルージュ)」、そしてバンバンの 「『いちご白書』をもう一度」、みんな名曲ばかりです。やっぱりユーミンは天才です。 でもユーミンソングと言えばなんといっても山本潤子ですね。ハイ・ファイ・セットの時代は曲の提供を受ける側というよりは共同制作者のような感じでした。「海を見ていた午後」「卒業写真」「ス ...出典:ツゥさん
-
足利市内の女子高校の合唱部・管弦楽部の定期演奏会に行ってきました。ここ数年おじゃましています。若い娘達の元気をもらわなくてはポンコツじじいはこの暑さを梅雨を乗り切れません。 この合唱部は昨年は全国大会に出場しているそうです。レベルが高いです。発表は「愛をこめて花束を」(作詞:越智志帆+多保孝一+いしわたり淳治 作曲:多保孝一)という曲から始まりました。私は知らなかったのですがSuperflyの曲だそうです。聴いてみようという気になりました。次の曲が私がよく知っているこの曲でした嬉しくなってしまいました。 「やさしさに包まれたなら」(作詞/作曲:荒井由実)は、1974(昭和49)年に発売された荒井由実の3枚目のシングルです。同年にリリースされたユーミンの2枚目のオリジナルアルバム『MISSLIM』にも収録されています。『MISSLIM』は若い頃、浴びるように聴いていました。1989(平成元)年の映画『魔女の宅急便』のエンディングテーマソングで使われました。ついこの間映画と思っていたのですがもう25年以上も経っているのです。この娘達はまだ生まれていないのですね。いやいや ...出典:ツゥさん
-
おはようございます。足利は雨の朝を迎えました。雨の音は聞こえませんのでそれほど強くは降ってはいないようです。それとももう雨は止んだのでしょうか…。 今日から12月です。師走ですね。今年もあと一月なんですね。月日が経つのは早いです。時はいつに日でも親切な友達だと思いたいのですが…。 「12月の雨」(作詞/作曲:荒井由実)は、1974(昭和49)年に発売された荒井由実の 2枚目のアルバム『MISSLIM』のA面の5曲目に収録されています。『MISSLIM』は学生時代に浴びるほど聞きました。私の体に染みついています。「やさしさに包まれたなら」「海を見ていた午後」「旅立つ秋」などを聴いていると涙が出てきます。出典:ツゥさん
-
足利で生まれ育って半世紀以上が経ちます。このブログを「足利発」と名付けていることでわかると思いますが、生まれた街であるこの足利が好きです。 学生時代は千葉市で過ごしました。わずか4年という短い期間でしたが、多くの想い出が残っています。今では千葉は私の第二の故郷だと思っています。 千葉では仲間とバンドを組み、ライブハウスなどでフォークソングを歌っていました。しかし、下宿で一人寂しく聴いていたのはユーミンの曲だったのです。 「生まれた街で」(作詞/作曲:荒井由実)は1974(昭和49)年に発売されたユーミンの2枚目のアルバム『MISSLIM』のA面の1曲目に収録されています。このアルバムは千葉に住み始めた最初の年は毎日のように聴いていました。ホームシックにでもかかっていたのでしょうか。まだ失恋はしていませんでしたが…。 このブログでは「やさしさに包まれたなら」「海を見ていた午後」「旅立つ秋」「12月の雨」を紹介しています。 当時はユーミンの歌詞、メロディ、歌声が好きで聴いていたのですが、参加ミュージシャンも凄かったのですよね。演奏は松任谷正隆、細野晴臣、鈴木茂、林立夫 ...出典:ツゥさん
-
青春時代に浴びるように聴いたアーティストは、男では拓郎、陽水です。女性では中島みゆき、そして荒井由実です。 ユーミンは荒井由実時代の『ひこうき雲』『MISSLIM (ミスリム)』『COBALT HOUR』『The 14th Moon(14番目の月)』といった3枚のアルバムは学生時代に聴きまくりました。ユーミンの印象は何といっても都会的だと言うことです。北関東の田舎に生まれ育った私には華やかな都会の女性というイメージが強かったのです。 「返事はいらない」(作詞/作曲:荒井由実)は、1972(昭和47)年に発売されたユーミンのデビュー曲です。ムッシュかまやつがプロデュースしました。記念すべきデビューシングルでしたが全く売れませんでした。翌年にリリースされたファーストアルバム『ひこうき雲』にも収録されています。このアルバムによって注目される存在となりました。 私がユーミンを知ったのは「ルージュの伝言」(1975年)からです。そして心酔するようになったのは「あの日にかえりたい」(1975年)によってです。それからずっとユーミンを聞き続けています。 先日、八王子にあるユーミン ...出典:ツゥさん
-
人生最後の卒業式を無事終えることが出来ました。いろいろな思いが交錯して涙腺が緩みっぱなしになるのではと心配しましたが、どちらかというと清々しい感じでした。でも、マキの答辞には泣かされました。卒業生達も涙、涙でした。それでも校歌斉唱では最後と言うこともあってか、涙を流しながらもしっかりと歌っていました。体育館中に素晴らしい歌声が響き渡りました。 娘達は最後は笑顔で学び舎を巣立っていきました。これからの人生に多くの幸あれと祈りながら見送りました。残された私の頭の中には多くの卒業ソングが流れていましたが、最後に口ずさんでいたのはこの歌でした。 「卒業写真」(作詞/作曲:荒井由実)は1975(昭和50)年に発売された荒井由実(ユーミン)の3枚目のアルバム『COBALT HOUR』に収録されています。ユーミンの初期のアルバムは現在に至るまで聴き続けています。 こちらのブログでは一度紹介した曲は原則として紹介しないと言うことでやってきたのですが、今回はその原則を破ります。「卒業写真」は2013年3月1日にアップしています。卒業ソングを紹介した最初になります。一番思い入れのある曲な ...出典:ツゥさん
-
8月30日です。いよいよ明日で8月も終わってしまいます。 昨日は暑かったですが、日に日に秋の気配が強く感じられるようになりました。数日前までは蝉の鳴き声が喧しかったのですが、昨晩は秋の虫の音が多く聞こえていました。秋なんだなとあらためて思いました。 最近は一人で家にいることが多いです。ネットを見たり、AbemaTVで将棋を観たりしています。それでも良いのですが読書でもしようかなとも考えています。ギターの練習もしたいなと思っています。もちろん音楽も聴きます。今日はこの曲が聴きたくなりました。 「晩夏(ひとりの季節)」(作詞/作曲:荒井由実)は、1976(昭和51)年に発売された荒井由実の4枚目のアルバム『14番目の月』に収録されています。『14番目の月』は荒井由実としては最後のアルバムです。『ひこうき雲』『MISSLIM』『COBALT HOUR』『14番目の月』という初期のアルバムは学生時代に一人だけの淋しい下宿で浴びるように聴いていました。もう40年以上も前のことです。 9月になると完全に秋と言えると思うのですが、8月中はまだ夏という言葉を使いたいですね。となる ...出典:ツゥさん
-
1月8日9日は、今年初めての甲府詣ででした。車の中の音楽は中島みゆき、竹内まりや、ユーミン、吉田拓郎などです。私にとっては定番の歌手です。もちろん知っている曲ばかりなのですが、最近は物忘れが激しくなったのか、曲の題名が出てきません。ひどい時にはサビまで聴かないとわからない曲もありました。 この曲は前奏では誰の何の曲かわかりませんでした。歌い始めるとすぐにわかりました。私の青春時代の思い出の曲です。とても新鮮に感じられました。歌っていたのはユーミンでした。 「『いちご白書』をもう一度」(作詞/作曲:荒井由実)は、1975(昭和50)年にバンバンが歌うことによって大ヒットしました。高校生だった私は深夜放送で聴き、すぐに好きになりました。 今回聴いたこの曲は、2003(平成15)年発売されたユーミンのセルフカバーアルバム『Yuming Compositions: FACES』に収録されています。ブレッド&バターの「あの頃のまま」や、薬師丸ひろ子の「Woman "Wの悲劇"より」などもセルフカバーしています。 1979(昭和54)年に就職が決まった時にも、バンバンの「『い ...出典:ツゥさん
-
高校時代は深夜放送に夢中になっていました。「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」「パックインミュージック」などがあったのですが、私は「セイ!ヤング」を主に聴いていました。パーソナリティでは何と言っても谷村新司です。ばんばんとの『天才・秀才・バカ』には大笑いさせられました。 『パックインミュージック』はあまり聞きませんでしたが、名物パーソナリティである林美雄さんの名前は知っていました。『フォークソングの東京』を読んであらためて素晴らしいアナウンサーであることを知りました。林さんはパックの中でまだ無名だったユーミンを紹介したのです。さらに石川セリや山崎ハコも林さんによってメジャーになったのでした。 石川セリといえば井上陽水の奥さんです。お二人が知り合ったのは石川セリと荒井由実が出演している番組に吉田拓郎と井上陽水が乱入したことがきっかけですが、それが林美雄パックだったのですね。 「空と海の輝きに向けて」(作詞/作曲:荒井由実)は、1972(昭和47)年に発売された荒井由実のデビュー曲「返事はいらない」のB面です。このシングルは全く売れませんでした。300枚とも800枚 ...出典:ツゥさん
-
ユーミンは1972年にデビューしましたが、その頃のことについては全く知りません。私がユーミンを知ったのは1975年に発売された「ルージュの伝言」からです。林美雄パックを聴いていなかったのでデビュー後の3年間は存在も知らなかったのです。 1975年は高校3年生でした。深夜放送でユーミンの曲を何度も聴くようになりました。「ルージュの伝言」や「あの日にかえりたい」でユーミンの虜になったのですが、「『いちご白書』をもう一度」や「白いくつ下は似合わない」といった他の歌手への提供曲がラジオで流れていたのが1975年でした。 「雨のステーション」(作詞/作曲:荒井由実)は、1975(昭和50)年に発売された荒井由実の3枚目のアルバム『COBALT HOUR(コバルト・アワー)』に収録されています。このステーションとは西立川駅です。発車メロディは「雨のステーション」で、駅前には歌碑が建っているそうです。 ユーミンのアルバムをいつ買ったのかは記憶にありません。しかし千葉で初めて独り暮らしを始めたときに毎晩のように聴いていたのがユーミンでした。『ひこうき雲』『MISSLIM』『COBAL ...出典:ツゥさん
イイね!0件
オススメ関連まとめ
-
2025/04/19
-
2022/09/20
-
2019/03/02
タグ
関連コンテンツ( 流行歌研究会 の関連コンテンツ )
オフコース / ツゥ 流行歌研究会 歌手別索引 わ行 / ツゥ 流行歌研究会 歌手別索引 / ツゥ 氷の世界☆井上陽水 / ツゥ