今日のブログは何も楽しくない文がつらつらと書かれていますので・・・・
1学年、2歳年上の友人がいます。
高校時代、実家のそばの別住所の所に住んでいたころ、
お互い泊りに行ったり来たりしてました。
高校の頃は学校近くのアパートに家族と住んでいましたが、
卒業後、少し遠くなったものの、全然行き来出来るところに家を建てたので引っ越し。引っ越し当日は友人たちと手伝いに行きました。
高校を出て専門学校に行きながら夜間、倉庫仕分けのバイトしてました。
高校を出て最初に手に入れたのは中古の黒のファミリア。
サンルーフが、電動が壊れた時用か元々手動か忘れましたが、
脱着式のクルクルハンドルがありました
それからS13シルビア前期の黒を新車購入し、
その伝手でまだ高校生だったころ、日産に連れて行ってもらい、
後期レパードのカタログを貰いました。
そしてホンダの初代レジェンドクーペの白銀ツートンの新車を買ってました。
もうじき就職だからそれまで何とか払えば、もう少し楽に払えるようになると。
無事卒業の見込みも立ち、就職先も決まっていました。
自分の住んでたところは電話が無かったのですが、ある日の早朝、
その友人のお母さんから電話があったと呼び出され、
電話を掛け直しました。
友人は多かったのですが、家族が連絡先を知っているのは私だけだったらしく、
私からみんなに伝えてくれとの電話でした。
色々とあり、私と、その友人の彼女しか見なかったのですが、
あの薄いボディがターセルか何かのようでした。
その後、ご両親は我々友人たちが来やすいようにとまた元の市に再度家を建てて引っ越し。
ただ団地内の奥まったところで車を止められる場所が無いため、それほど頻繁にはいけず。
そして自分を皮切りにだんだんと大学の卒業や結婚などみんな自分の生活に追われ、足が遠のいていました。
そして福岡早良区の方にアパートを借りて引っ越したとの手紙が来ましたが、
まだ仕事が暴力的に忙しく遠出もできず、その後はコロナの影響で伺うことが憚られ。。。
そして数年越しにやっと訪問してきました。
当然ながらすっかりお年を召され、お父さんは御年87、お母さんも明日で83歳になると。。。
お父さんは(元々大工だったことも有り)アスベストの影響らしく片肺のみとなり、週3日の透析や常時酸素吸入しながらの生活となっておられました。
それでも、公共機関の便が良くなく、まだ車を運転するしかない状態との事でした。
お母さんは、まだ受け答えもしっかりしていましたが、
「もう○○(友人の名)に早く迎えに来てと言ってるけどなかなか来てくれない。」といっていました。。。
あまり長居するのもきつかろうと、30分ほど話して帰ることに。。。
「また顔見に来ます」と言っても首を縦には振ってもらえず、
ただ「わざわざありがとう。」を何度も何度も。
お父さんも、窓越しに一生懸命に手を振ってくれて。。。
・・・なんか、ね。。。
Posted at 2025/05/25 23:45:09 | |
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