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Black_Airのブログ一覧

2014年08月16日 イイね!

三菱名車館 2007 LANCER EVOLUTION Ⅹ

三菱名車館 2007 LANCER EVOLUTION Ⅹ2014年7月10日、三菱自動車はランサーエボリューションⅩに一部改良を施し発売した。同時にそのニュースリリースでは、「TC-SST車について2014年度内に生産を終了する予定である」ことも公表している。5速マニュアル車については、販売を継続するとしているが、一つの時代が終焉を迎えつつあるのだろうか・・・

2004年夏、次期ランサーエボリューションのコンセプトメイキングの真っ只中において、開発の指揮を執っていたのは、プロダクトエグゼクティブのK氏であった。K氏は専門誌のインタビューに応えて当時の様子を伝えている・・・

「次期ランサーエボリューションでは、三菱がWRCなど様々なモータースポーツで勝つために磨きあげて来た技術を全て盛り込もうと云う機運にありました。
確かに1992年に出現した初代ランエボから12年、高速フルタイム4WDセダンと云う意味では1987年のギャランVR4に遡りますから17年の歳月を費やして三菱が追求してきたオールホイールコントロールも玉成の域にありましたし、開発陣のこの車にかける熱気も凄いものがありました。

問題は、次期ランサーエボリューションをどのようなコンセプトで世に問うのかということでした。勿論、それまでのランエボは一言でいえば、走ること、そして勝つことを徹底的に追求した戦闘機のようなコンセプトでしたし、多くのファンに支えられてきたのも、その明快なコンセプトの商品だったからと云うことも承知していました。社内では次期車もそうあるべしと云う声も多かったですね。

しかし、私はもう少し別の視点で、一言でいえば、従来のファン層から輪を広げ、もっと多くの人達に三菱のオールホイールコントロール技術を使って欲しい・・・三菱の技術開発の基本である<走る・曲がる・止まる>を徹底的に追求した果てにあったのは、誰よりも速く走りゴールに辿り着くことが、実は誰よりも安全に走れることと同義だったと云うことですし、それをより多くの方<若者から熟年層まで、日本から海外まで>に提供するのが我々の目指す道だと考えていました。

その結果、ランサーエボリューションⅩでは、ランエボの集大成とも言うべきS-AWCやボデー/サスペンション技術と新たにTC-SSTや4B11-MIVECターボなど三菱の全ての先進技術を搭載すると共に、外観/内装は従来通りの迫力あるスポーティなものに大人の雰囲気も加味したデザインでまとめる事ができました」

それから7年、K氏の意図したとおり、ランサーエボリューションⅩは、国内で10,000台、海外でも20,000台の販売実績(7/10三菱自動車公表値)を残し、S-AWCは、新型アウトランダーPHEVにも搭載されるなど、三菱車を支える技術に進化している。

今後、三菱自動車が、PHEVなど環境対応技術の開発にリソースを集中して行くのは、2020年や2030年を考えた時、三菱自動車が生き残るための必要条件として正しい道だと思う。だが、ファンとしては寂しい。様々な機械の中で自動車だけが、人間の感性に訴えかけ、ワクワク・ドキドキさせてくれる不思議な存在だと思う。いつの日か、環境対応技術をまとったランサーエボリューションⅪが出現し、再び私をワクワク・ドキドキさせてくれることを願ってやまない。

三菱技術陣の誇り、そして三菱ファンの喜びを永年に亘って担ってきたランエボ。その集大成とも言うべき “ランサーエボリューションⅩ” は、正に三菱自動車史に輝く比類なき名車と言えるでしょう。







Posted at 2014/08/16 11:08:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 名車の思い出 | クルマ
2013年09月22日 イイね!

三菱名車館 1962 MINICA

三菱名車館 1962 MINICA1962年 岡山県倉敷市水島の新三菱重工から、初の軽四輪乗用車「初代三菱ミニカ」が発売されました。
終戦後に三菱水島航空機製作所(後の三菱自動車 水島製作所)では、それまでの航空機生産から、航空機材料を転用した鍋釜の生産を経て、みずしま号などのオート三輪の生産が事業主体となっていましたが、1961年に三菱360シリーズ(商用車でボンネットトラック、ボンネットバン車型がラインナップ)を発売し四輪車事業へ転換を図っていたのです。

初代ミニカは、この三菱360商用車をベースに、Bピラーから後方を完全に新作し、軽自動車ながら3ボックスセダンのデザインを創出しています。現代であれば、バンと同車型でリヤシートを後方へ設置して後席居住性を高めてセダンとする手法が一般的ですが、三菱は敢えて投資と時間の掛かる開発手法を選択したのです。そして、ペットネームに「ミニカ」と云う特別な愛称を与えたのです。

今から50年以上も昔の話ですので、定かなことは分かりませんが、当時は自動車設計部の社員でさえ自動車の免許証を持っている方が珍しかったと言われています。その中で、社外デザイナーの金子徳次郎氏をコンサルタントとして招きながら、本格的な軽乗用車としてのデザイン・車型・ペットネームまで与えての取り組みは、四輪事業で水島製作所の身を立てて行くと云う三菱の並々ならぬ決意の表れを感じさせます。

このミニカは、2サイクル強制空冷2気筒エンジンを縦置きFR搭載し、T/Mはコラム4速を採用、何と高速道路の無い時代に最高速89km/hをカタログに謳っています。ドアが後ヒンジを採用しているのも面白いです。

先日、岡山県のあるメーカーさんを訪問した時に、この初代ミニカの実車に初めて対面しました(下の写真です)。外観が極めて美しく手入れされているだけでなく、エンジンも掛かり、しっかりと実走行できる状態で車検も通しておられ、とても生産後50年も経っているクルマとは思えない素晴らしいものでした。

その後、ミニカシリーズは8代目までサクセッサーを生み、水島製作所を三菱自動車の主力工場へ成長させて行く原動力となったのです。
そのミニカも2011年6月に8代目の生産終了を以って、50年に亘る長い歴史に終止符を打ちましたが、今もポロポロと云う愛らしい排気音を残して走って行く姿は、小さな体ながら三菱水島の人々の夢を叶えた名車と言えるでしょう。

<参考>
1962年から続いたペットネーム「ミニカ」は国産車では、ダイハツハイゼット、スバルサンバーに続いて第3位の長寿です(Wikipediaより)。外国車では、1959年生まれの「ミニ」がありますが、ミニと云う名前は長い間愛されるようです。





Posted at 2013/09/22 14:31:41 | コメント(4) | トラックバック(0) | 名車の思い出 | クルマ
2013年05月26日 イイね!

三菱名車館 2008 COLT RALLIART Version-R Special

三菱名車館 2008 COLT RALLIART Version-R Special2008年5月 コルト・ラリーアート・バージョンRをベースに更に走りの質向上を図り、筑波サーキーットでLAPタイムマイナス2秒に拘った限定車が登場しました。グレードネームとしてストレートに「Special」を冠した開発陣の拘りとは何だったのでしょうか。

コルトは2002年11月に国内工場で生産開始された車種ですが、2000年のダイムラー・クライスラーの資本参加と共にオランダ工場で「現地生産コルト」や車台を共通化した「スマート・フォー・フォー」まで生産する本格的なグローバル車種として開発が進められたのです。
当初の国内向コルトは、質感の高い内装や外装が好評だったものの、エンジンは1.3Lと1.5LのNAのみでした。その後、2004年10月にはRALLIART1.5Lターボが追加され、2006年には欧州生産コルトの足廻りを移植し、ボデースポットの増し打ち、ゲトラグ社製5M/T搭載などを施した“RALLIART Version-R”を投入し、三菱車らしい走りの魅力を上げてきたのです。

しかし、Version-Rで終わりでは無かったのです。発売開始から、5年半も経過し既に車両改良もやり尽くした時期に、三菱は、この“Special”を投入して来たのです。
専門誌によれば、当時コルト・ラリーアート・バージョンR開発グループの要になっていたのは、エアトレック・ターボRの開発プロジェクトの取り纏め役も務めたT氏でした。T氏は語ります「VRはエボとは違い絶対的な超高性能を狙った訳ではない。むしろ欧州車のような走りの質感を追求し、ドライバーが公道上で意図する高いレベルの操縦イメージに何事も無くしっかり追随するようなクルマに仕上げたい」

そのために、通常、量産車では見る事のない「連続シーム溶接ボディー」が採用されたのです。メインボディーの閉断面化によりボディー剛性アップ(曲げ剛性10%向上)が図られるため、高性能サスやタイヤの性能を余すことなく発揮出来、腕のあるドライバーの操縦にリニアに反応してくれる素晴らしい技術です。
しかし、その反面、シーム溶接は手作り作業となるため、著しく生産性が低く採否には賛否両論が社内で巻き起こったのです。しかし、最後は営業・生産部門なども一致で「生産台数は限られるが、三菱の情熱を込めた究極のバージョンRとして世に送り出そう」と決心が纏まったと言います。

フロアコンソールには「シリアルナンバープレート」が三菱エンジニアの情熱が込められた証として輝いています。 “COLT RALLIART Version-R Special” 正に名車と呼ぶに相応しい1台でしょう。









Posted at 2013/05/26 04:04:07 | コメント(6) | トラックバック(0) | 名車の思い出 | クルマ
2013年01月02日 イイね!

三菱名車館 1992 LANCER Evolution Ⅰ

三菱名車館 1992 LANCER Evolution Ⅰ1992年10月、三菱を世界ラリー選手権の頂点へ導く立役者が登場しました。 “LANCER Evolution Ⅰ”(正式呼称はLANCER GSR Evolution)です。
勝つために生まれた戦闘機とも言える“ランサーエボリューション”・・・ストリートからWRCまで幅広いステージで多くのドライバーに愛された「ランエボ」誕生の背景には・・・

1987年11月下旬、英国ウェールズ地方の冷たい湿気に包まれた森林地帯で、'87WRC最終ラウンドRACラリーを見つめる男がいました。

この年のWRCは、グループBが急遽廃止され、当時、生産台数5000台以上の規定があったグループAに選手権が掛けられましたが、第1戦のモンテカルロから、最終戦のRACまで、“LANCIA Delta HF 4WD”の一人舞台となっていたのです。
コンパクトで軽い「全長3.9mx全幅1.6mx車両重量1,100kg」のファミリーカーボディーに、高出力を発揮する「2.0Lターボ(240~260馬力)」を搭載し、四輪で路面を蹴る「フルタイム4WDシステム」を介して走り抜けて行く姿は、ニュートンの法則に適った韋駄天に見えたと男は語っています。

当時、三菱は'87RACへアドバン・タスカチームからスタリオン2WDターボ(グループA)を投入したものの、トップクラスを争うことは叶うべくもなく、むしろ同年発売したギャランVR-4でのグループAカー開発を急いでいたのです。
しかし、ランチアが'87年シーズンで示したことは、大柄なギャランをチャンピオンカーにまで持ち上げる事が極めて難しいと云うことだったのです。

男は決意します。「WRCに出る以上、絶対にWRCチャンピオンに輝かねばならない。そのためには、これからギャランVR-4でとことん磨き上げる技術を次期ランサーに移植し、世界一を獲るマシンを開発するしかない」
それから5年、LANCER Evolution は世に放たれ、1996年トミーマキネンがWRCチャンピオン4連覇の口火を切り、1998年にはマニファクチャラーズチャンピオンも獲得、現在までその進化は止むことなく続き、Ⅹ(テン)を数えるに至っています。

EVO-Ⅰカタログの中で、当時のWRC三菱ワークスチーム総監督の木全巌氏は語っています「我々が目標にしたのは、他のライバル車ではない。我々自身の走りに対する情熱と、26年間とぎれずにラリーにかかわってきた三菱の歴史の重みを、すべてこのクルマの中に注ぎ込むことだった」

世界チャンピオンと云う嘗て到達したことのない高い目標を掲げ、およそ10年の歳月を掛けて実現した “LANCER Evolution”。初代出現から既に20年が経っていますが、今も多くのファンに支持されるその姿は、正に三菱史に燦然と輝く珠玉の名車と言えるでしょう。









Posted at 2013/01/02 15:02:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | 名車の思い出 | クルマ
2012年08月25日 イイね!

三菱名車館 1982 PAJERO

三菱名車館 1982 PAJERO1982年5月、登場以来、数々のラリーを制し世界の4x4シーンをリードする車が誕生しました。初代三菱「PAJERO」です。

三菱は、PAJEROを発売するまでの10年ほどの間に、何度も東京モーターショーへJEEPをベースとしたコンセプトモデルの展示をしていましたが、なかなか発売の声が聞こえて来なかったのです。三菱が40年前に試行錯誤し目指していたコンセプトとは、一体何だったのでしょう。

三菱の4X4と云えばJEEP。JEEPと云えば、その生い立ちが示すとおり、極めて高い悪路走破性を持つものの、操縦安定性、快適性・居住性などは、乗用車と大きな格差があり、正に悪路走行のために特化した車両だったのです。

当時の自動車専門誌によれば、三菱は何度もコンセプトカーを作り反応を調査し、次の3点にコンセプトを定めたとされています。
①乗用車感覚で使いこなせ、乗用車並みの快適性を有する4x4
②抜群の悪路走破性と共に信頼性を持つ新しい4x4
③乗用車ユーザーにも受け入れられるスタイリッシュで機能的なデザインを持つ4x4
三菱PAJEROの使命は、従来の悪路走行車と云う4x4の枠を飛び出し、新しいマルチパーパスに活躍し楽しめる新4x4需要の開拓だったのです。

10年と云う長い開発期間を経て発売されたPAJEROは、発売以降、そのコンセプトが内外の幅広い顧客層に受け入れられ、アウトドアレジャーブームの巻き起こしや、モータースポーツでの大活躍もあり、三菱史上最大と言っても過言ではない大ヒット商品となったのです。
そして、そのPAJEROが先駆となり、T社をはじめ多くの自動車メーカーの4x4造りにさえ影響を与え、4x4の歴史を変えて行ったのです。

1985年に4x4専門誌の著名な発行人の方が語っています。「・・・近頃、この車に乗っていて気付いたことだが、街で走っている時、四輪駆動車であることをすっかり忘れてしまっていることがある。この猫の人気はこんなところにあるのかも知れない」

PAJEROは、三菱開発陣の狙いどおり、自動車の新需要を開拓したのみならず、日本自動車史の一時代さえ築いたと言っても良い、正に日本を代表する名車と言えるでしょう。







Posted at 2012/08/25 02:46:35 | コメント(5) | トラックバック(0) | 名車の思い出 | クルマ

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Black_Airです。よろしくお願いします。 1980年購入のLancerEX 1800GSR以来、三菱一筋に乗り継いで来ました。直前には2002年初期...
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