高齢者による自動車の操作ミスや判断ミスに起因する事故が頻発している
私自身はどうするのか?
『一晩思い悩んだ末、私は決断した
「老いて運転がおぼつかなくなってきた時、私は、私自身の意思でクルマを降りよう」・・・と
大好きなクルマで人をあやめてしまえば、
クルマそのものが一生思い出したくもないモノになる』
その自問自答の様はブログに記した(
『私がクルマを永遠に降りる時』)
それから1年
高齢者の自動車事故はその深刻さの度合いを増し、社会問題化している
アクセルとブレーキの踏み間違えによる暴走
認識違いによる高速道路の逆走
果ては認知症に起因する無意識暴走
人命が奪われ続けており
その数は看過できない
しかし、
高齢者講習やその
予備検査(認知機能)を受けなければならないと知った時
高齢者は言うのである
「齢をとったら運転が下手になったと馬鹿にして!」・・・と
これは恥ずかしながら、我が父の言でもある
運転免許証の更新時に実技と学科と認知機能の試験を課す必要があるのではないか?・・・と、思う
それは、高齢者だけでなく免許を更新しようとするすべての人についてである
路上では、高齢者に限らず「交通法規を忘れているのではないか?」と疑うようなドライバーにしばしば出くわす
例えば、黄色信号は「止まれ」である
「注意して進め」とか「急いで交差点を通過せよ」と勘違いしている人が多くないだろうか?
例えば、黄色の点滅信号と赤の点滅信号が交差する交差点で、どちらが優先かわからずに「お見合い」状態になることはないだろうか?
例を挙げれば枚挙にいとまがない(実技と認知機能に関しては言うまでもないので省略させて頂く)
よって年齢にかかわらず等しく免許更新時に実技と学科と認知機能の試験を課すのである
そうすれば、交通事故も減少するであろうし、
イコールコンディションでの試験であるから高齢者のプライドを傷つけることもないだろう
「運転免許証の更新時に実技と学科と認知機能の試験を課す」
これは、「交通事故の減少」という目的にかなっている方策であることは間違いない
だが、実現はしないであろう・・・
そういう「面倒くさい手続き」が必要となれば、クルマに乗る人が減るからである
「クルマに乗る人が減れば、更に交通事故が減少する。良いことではないか!」
そう言われる御仁もおられるであろう
ただそれは、「交通事故の減少」という目的においてのみ正論である
しかし・・・
ここで多くは語るまい
父の運転するクルマの助手席で私は思った
『親父、運転下手になったな・・・』
できるだけ早く両親のもとへ帰り
父に運転させるまでもなく
私が運転して両親をあちらこちらに連れて行くようにならなければ・・・
だが、現在の仕事を終わりにして故郷に還るには、まだしばらくの年月が必要である
Posted at 2016/11/26 18:21:55 | |
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