
「童夢-”ゆめ”を”かたち”に」展においてパネル展示のみであった
”童夢 零 RL”(ドーム ゼロ アールエル)
”RL”は、”Racing Le Mans”(レーシング ル・マン)の略
レーシングカー・コンストラクターの童夢が初めてル・マン24時間耐久レースに挑戦したクルマ
私が生まれて初めて見て触れたレーシングカーが、このRLであり、特別の思い入れがある
中学生だった私は、スーパーカーブームが去ったこともさして気にせず、クルマ大好き少年だった
『スーパーカーも凄いが、レーシングカーはさらに凄いクルマだ』という文脈でレーシングカーにも興味を持っていた
ちょっとワル目の級友は、「何で今でもクルマなんだ。ガキじゃねぇーんだからバイクに興味を持て!」と言ったものだ
だから、約600名の同級生の中でも山口県西部の下関から展示されている県中央部の山口市まで鉄道を乗り継いで、なおかつ何kmも歩いて見に行ったのは、ひとりで興奮していた私だけである
店名は失敬にも忘れてしまったが、自動車ディーラーにRLは展示されていた
このクルマを見るためだけにわざわざ遠方から来たと言う私に、店長もRLに付き添って来られていた童夢の社員の方2名も少々驚かれたようだった
だから、特別にバックミラー・カバー(規則上そういう名称にしたルーフ)を開けてコックピットに座らせてもらい、写真まで撮っていただくことになった
座って見たものの、元々体躯が小さい私は前が見えなかったので、シートバックの途中にお尻を押し付けて精一杯顔を出した
撮影が終わって、ストンと座面まで滑り落ちると武骨な車内があらためて見えた
中学生の私にとってレーシングカーの室内は無造作に荒々しすぎて、ロマンティックな気分にはならなかったが、今となっては笑い話である
そろそろとコックピットから這い出た私は、食い入るようにあちらこちらを見回した
ダンロップ製のタイヤに溶けて固まったタイヤカスがついていた
「これをもらっても良いですか?」
童夢の方は、『何故そんなものを欲しがるのだろう?』と笑っておられたが、私にとっては、ルマンを走ったRLの生々しい記憶に思えた
そのタイヤカスを剥がして持ち帰り、中学校を卒業するまで生徒手帳に挟んでいた
今でも実家の引き出しの奥にしまってある
スーパーカー少年の宝物
そのタイヤカスこそ、まさに私の”童夢”を掻き立てる宝物になったのである
山口市で見て以来、童夢 零 RLにはお目にかかっていない
あのRLは、今はどうしているのであろうか
そして、あの童夢の社員の方とディーラーの店長という”大人”たちは・・・
Posted at 2016/12/30 15:13:43 | |
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