
話題になっているね,映画『ダ・ヴィンチ・コード』
カトリック教会が映画の内容に反発しているが,それも拍車をかける要因のひとつのようだ。
観たい気もするが,劇場に行ってまで観ようという気にはならない。
もうずいぶん,劇場に映画を観に行っていない。
最後に観たのは何かすら,憶えていない。
かすかに記憶にあるのは,有楽町で観た『ライト・スタッフ』だったか。
何年前だろう。失恋して独りで観た。
高校時代は,3本立て150円の映画館に毎週通い,朝から晩まで映画を観ていたほどの映画好きだった。
そしてそれより前からの読書好きであったので,しばしば映画が原作と違う描かれ方をすることに憤りを感じていた。今では,原作と映画は違うもので,それぞれの楽しみ方があると思うようになった。
本を読むときは,細かいプロット、微妙な布石、登場人物の心理描写、時代背景などをじっくり読む。
映画では,実際的なイメージ、テンポ、迫力、雰囲気を楽しむ。
真剣に映画のストーリーにのめり込みたいときは,日本語吹き替えのものがいいが,雰囲気を楽しむのなら字幕のものでもいい。
字幕スーパーは真剣に読まないかも知れないけど,雰囲気は楽しめる。
何年も前の映画だが,『ハンニバル』シリーズ第一作の『羊たちの沈黙』を観たときは,「原作に忠実に作っているなぁ」という感想を持った。
だがシリーズ最終作の『ハンニバル』は原作とは全く違う結末となっている。
原作の結末はショックだった。
しばしどちらがいいのか,真剣に考えた。何故映画は原作と変えたか,とかを想像した。
こんな楽しみ方もあるんだね,面白かったよ。
古い映画だから結末書いちゃうけど,『ジャッカルの日』
以前どっかにも書いたけど,超一流のスナイパーが狙撃に失敗する理由が分からなかったので憤慨したものだ。
映画のクライマックスだぞ,超一流のスナイパーが狙撃に失敗するなら、それなりの理由が必要だろう。
原作を読むと理由が判明した。アングロサクソン系のスナイパーが,ラテン系の標的の仕草を読みきれなかったことが原因であったのだ。
ちゃんと標的の頭に狙いを定めて引き金を引いた直後に,標的が男同士で抱き合い頬にキスするという行為に出たために弾は外れたのだ。
これは映像で表現は出来ないだろう。
原作を先に読んでから,映画を観れば楽しめたと思うと残念だ。
映画の場合,社会的な影響を受けることもある。
これもかなり前の映画だから結末書いちゃうけど,『ゲッタウェイ』
主人公が銀行強盗をやり,メキシコに逃げるというストーリーだ。
本当の悪は,主人公に銀行強盗をするように仕向けたギャングのボスで,観客は主人公とその妻に感情移入して「逃げ切ってくれ」と思うはずだ。
タイトルのGet awayも意味している通り,逃亡劇が映画のテーマだ。
だからこそ,主人公が逃げ切るという結末に大きな意味があると思うのだが。
しかしアメリカの州によっては,「犯罪者が逃げきってしまうのはイカン」というクレームがついた。
配給会社としては,上映するために映画のラストに,「この後主人公は捕まった」旨のキャプションをつけてお茶を濁したという。
先の『ハンニバル』も社会的影響を考慮したのか?とも思う。FBI捜査官が(ry
『ゲッタウェイ』は原作では理知的な主人公だったが,映画は「バイオレンスの巨匠」サム・ペキンパー監督だったため,かなり暴力的な映画になった。
映画『アメリカン・グラフィティ』が好きだ。
アメリカの,とある田舎街のハイスクール,卒業式後のうたかたのような一夜を描いた傑作。
自分の学生時代とは,全然ラップする部分は無いが,何故かノスタルジーを感じる。
中で描かれている,様々なエピソードも大変面白い。
例えばその一つ。
未成年の男女が酒屋で酒を購入したいが,身分証を提示しないと売ってもらえない。
そこで,たまたま入店する見知らぬ男に金を渡し,IWハーパーを買ってくれるように頼む。
男は金を受け取り,入店するがほどなく店内で発砲音がする。
走り出してきた男は,約束通りIWハーパーのボトルを投げてよこすと,一目散に逃げ去る。
一瞬遅れて怒った店主が走り出してくる。
男は強盗だったのだ。
店主の怒り方で,誰も怪我を負ってないことが分かる。(笑うシーンだから)
これは,文章を読むより,映像を観た方がはるかに面白いと思う。
だから『アメリカン・グラフィティ』の原作を読もうとは思わない。
あの味は映画だからこそ出せたものだ。
Posted at 2006/05/30 20:11:37 | |
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