
2 湊大橋 みなとおおはし 401m
訪問日 令和3年(2021)10月24日
完成 平成24年(2012)5月

この橋は、湊大橋としては、2代目の橋となります。
写真は、2021年に訪問した際に撮影したもので、まだ上流側だけが完成している状態で、下流側に残り2車線分の工事をしていました。現在は、片側2車線の立派な橋が完成しています。
初代の湊大橋は、昭和27年(1952)に架けられました。私の記憶では、赤く塗られた「ランガートラス橋」という構造の橋でした。
湊大橋という名前の由来は、当時の那珂湊地区と水戸市大野地区とを結ぶ橋であることから、両地区の文字を一文字ずつ用いて名付けたと聞きました。

ひたちなか市側から撮影。この頃は、完成後、ひたちなか市方面に向かう橋を片側1車線で使用していました。水戸市方面に向かう橋は、工事中でした。

水戸市側の橋のたもとの下にスクーピーを停めて記録撮影。

平成24年(2012)5月竣工となっています。
奥に見える橋は、自動車専用道路である東水戸道路上に架けられている「新那珂川大橋」です。詳しくは、次回紹介させてください。
また、この橋の150m上流側には、昭和13年(1938)まで「関戸橋」が架けられていたそうです。
後日、80年以上前に流失してしまった橋跡を探しに行ってみました。
3 関戸橋(跡)
訪問日2022年5月22日

ひたちなか市側から関戸橋に接続していたと思われる道路跡。周囲よりも、わずかに高く土が盛られていることだけが、道路であったことの痕跡でした。
奥に写っている赤い橋が現在の2代目港大橋です。関戸橋は、湊大橋のすぐ近くに架けられていたことが分かります。

水戸市側の接続道路跡
今でも、どこに橋が架けられていたのか、はっきりと分かります。

川岸まで道路の跡

関戸橋の接続部も残っています。
たまたま、地元の方がいらっしゃったので、お話を伺いました。
①戦争のころ、この場所に橋が架けられていた。
②少し前までは、ひたちなか市側にも橋跡が残されていたが、撤去されてしまった。
とのことでした。
関戸橋について
昭和4年(1929)完成。
昭和13年(1938)、4代目海門橋と同じく、大雨により流失。
昭和25年(1950)12月11日、関戸橋と海門橋を合わせて1本の橋とする計画で起工式が行われた。この時点での橋の名称は「海門橋」となっていた。しかし工事期間中に、那珂川の河口に5代目となる「海門橋」が架けれる計画が立ち上がったため、完成時には「湊大橋」(初代)となった。
以上のような経緯から、関戸橋の後継者が湊大橋となって現在に至っているんだなと思いました。
関戸橋について調べたことは、かつては多くの人々が往来していた橋跡を調べるきっかけとなりました。
次回は「新那珂川大橋」「勝田橋」「常磐線 那珂川橋梁」です。
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那珂川 橋巡り | 旅行/地域
Posted at
2022/09/13 23:42:38