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miyaken.1967のブログ一覧

2022年12月11日 イイね!

那珂川 橋巡り-15

那珂川 橋巡り-1544 晩翠橋 ばんすいきょう 128.5m
訪問日 令和4年5月4日
完成 昭和7年(1932)7月



昭和7年完成という、現存する那珂川に架かる橋の中で、最も長い歴史をもつ橋です。太平洋戦争以前に架けられた橋で、現存するのは古い順に「晩翠橋(昭和7年)」「那珂橋(昭和8年)」「境橋(昭和12年)」の3本です。旧国道4号線に架けられていて、首都圏と東北地方を結ぶ重要な橋だったようです。河川敷に降りて見上げる美しいアーチが印象に残る橋です。現在の橋は5代目となり、初代は明治17年(1884)10月に架けられていたそうです。また、平成14年(2002)には、歴史的土木施設として土木学会推奨遺産に認定されたとのことです。

以下の7枚の写真は、10月下旬の紅葉が始まった時期に再訪して、河川敷に降りて撮影した写真です。

全体の姿


個人的に、一つ一つの鋲が美しいと思うのですが、いかかでしょうか。


橋の近くに、この橋の歴史を紹介する案内板がありました。


初代の橋 明治17年(1884)10月 木橋


2代目 明治27年(1894)7月 木橋
日清戦争が始まった年ですね。


3代目 明治41年(1908)11月 木橋
日露戦争が終わった3年後です。


4代目 大正12年(1923)7月 木橋
この年の9月1日には、関東大震災がありました。
4代目までの橋は、現在の橋よりも約70m上流に架けられていたそうです。(詳細は後述)








袂には、土木学会推奨土木遺産のプレートもありました。


橋の上からは、比較的近い距離にJRの橋梁が見えます。

とても美しいこの橋は、ライトアップされる時期もあるようです。水戸からでは、なかなか夜に訪問することは難しそうです。


・旧晩翠橋 ばんすいきょう跡
訪問日 令和4年8月16日

現在の橋の約70m上流、南側になります。

5代目の橋が見えます。


河川敷から見上げたり


橋の上から眺めたり


近くから見たりと、いろいろな角度で見てみました。


残念ながら、北側の遺構は見つけられませんでした。

現在の橋が完成する以前は、黒磯市街からこの道を通って東北に向かっていたことがうかがえました。


45 那珂川橋なかがわばし138.2m
訪問日 令和4年5月4日
完成 昭和49年(1974)

東北自動車道の橋ですが、近くに行ける道路が見つからず、袂の写真を撮影するのがやっとでした。近くの道路脇にCBを停めて、藪漕ぎのように歩いてやっと近づいたという感じです。
常磐自動車道に架けられている橋も同じ名称です。

薮の向こうに自動車道が見えます。

緑色の看板には「那須 黒磯 出口500m」と記されているポイントです。


46 りんどう大橋 りんどうおおはし 462.0m
訪問日 令和4年5月4日
完成 平成14年(2002)3月



下流側の晩翠橋と、上流側の那須高原大橋との間は約9kmあり、その区間の往来の利便性を高めるために架けられたという背景がある橋です。名称が一般公募で決められたということからも、地元の方々の歓迎ぶりもうかがえます。

明るい緑色で塗られ、二つのV字の橋脚で結ばれています。この形式の橋としては、国内最大級とのことです。

遠くに見えていた那須連峰の山々。いよいよ、ゴールの深山ダムが近づいてきたようです。

次回は「那須高原大橋」「恒明橋」「阿油沢橋」「那珂川橋(跡)」です。
Posted at 2022/12/11 10:48:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 日記
2022年11月06日 イイね!

那珂川 橋巡り-14

那珂川 橋巡り-1440 昭明橋 しょうめいばし 115.0m
訪問日 令和4年5月4日
完成 平成元年(1989)10月





残念ながら、訪問時には整備のために通行止めとなっていましたが、すぐ上流側に古い歩行者用の橋が架けられている橋です。橋の袂には、この橋の名前の由来が記されています。

昭和9年(1934)2月20日に初代の昭明橋が架けられる際、昭和の新しい時代が明るい時代になるよう、地元の方々の願いが込められてつけられた名前だそうです。初代の橋は木橋で、現在の橋は昭和から平成にかけて作られた4代目の橋です。



袂には記念碑が建立されています。碑文によると、3代目の橋の幅員が狭く渋滞ポイントとなってしまっていたため、昭和56年(1986)から用地買収が始まり昭和63年(1988)10月に着工、平成2年(1990)8月竣工となっていました。平成元年(1989)10月に完成という記載がある資料もあるので、橋の完成と供用開始の時期のズレなのかなと思います。ちなみに費用は5億5千5百万円。

上流側にある、現在は歩行者や自転車用として使われている橋の袂です。昭和26年(1951)完成というプレートがあることから、おそらくこの橋が3代目の昭明橋なのでしょう。



この幅では、大型車がすれ違うことは難しいでしょうから、渋滞ポイントになっていたという話も納得です。古い橋が、歩行者専用として保存されていることは、土木遺産を継承していくためにも良い方法だなと思います。

41 あじさい橋 あじさいばし 135.0m
訪問日 令和4年5月4日
完成 平成16年(2004)



新しい橋だなあ、という印象を抱く綺麗な橋です。片側には十分な幅の歩道も整備されています。那須塩原市の市道に架けられていますが、詳しい資料を見付けることができませんでした。



袂に橋や川の名前が記されている岩の形が次の新晩翠橋と似ているので、同年代に架けられたのかなと思いましたが、約30年も離れていました。

42 新晩翠橋 しんばんすいきょう 174.1m
訪問 令和4年5月4日
完成 昭和53年(1978)3月



国道4号線という東北地方の大動脈に架けられている橋です。“新”という字が使われていることからも分かりますが、この橋は昭和55年(1980)頃の黒磯バイパス整備に伴ってかけられた橋です。“旧”晩翠橋はR4の旧道に架けられている、土木遺産にもなっている美しい橋ですが、この新しい橋は、普通の橋という印象です。

袂の石の形が、あじさい橋に似ていると思うのです。

植栽で見にくくなっていますが、「しんばんすいばし」と記されています。

橋上からの那珂川の流れです。水面が澄んでいて上流に来たなあ、という感じです。

奥には、JRの橋梁も見えます。

43 那珂川橋梁 なかがわきょうりょう
(東北本線 119.0m / 東北新幹線 136.2m)
訪問 令和4年5月4日
完成 東北本線 昭和39年(1964) / 東北新幹線 昭和52年(1977)

現在、那珂川には、下流側から常磐線、水郡線、東北本線、東北新幹線の4本のJRの橋梁が架けられていて、全て「○○線 那珂川橋梁」となっているようです。

この場所には、3本の橋梁がありました。

左側の赤い橋梁と、中央の白い橋梁が東北本線。

右側の太い橋梁が東北新幹線の橋梁です。
すぐ近くまで歩いて近づくことができました。すぐ下から見上げる東北本線の赤く塗られらた橋と新緑とのコントラストが美しかったです。

次回は「晩翠橋」「旧晩翠橋(跡)」「那珂川橋」「りんどう大橋」です。
Posted at 2022/11/06 11:42:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 日記
2022年10月29日 イイね!

那珂川 橋巡り−13

那珂川 橋巡り−1337 黒羽橋 くろばねばし 124.8m
訪問日 令和4年4月10日
完成 昭和50年(1975)



近くに「観光やな」があります。河原まで行って橋を見上げると、橋梁の下部が赤く塗られていて、青空とのコントラストがとても美しかったです。









なお、この橋は平成25年(2013)の2月下旬から4月30日まで、安全確保のために全面通行止めになっていたそうです。(広報おおたわら より)損傷が発見されたことが原因となっていますが、この年の2月25日に発生した栃木県北部地震による被害があったようです。

38 那須黒羽大橋 なすくろばねおおはし 182.5m
訪問日 令和4年4月10日
完成 平成17年(2005)





R249に架けられている新しくて立派な橋です。この近辺のR249は、平成19年(2007)に拡張工事が完了していますが、その工事に伴って架けられたのでしょう。南側のセブンイレブン前の線形から、拡張工事前のR249の姿をうかがい知ることができます。

那珂川は、この橋と次の那珂川橋との間で、余笹川と合流しています。R249の旧道にある那珂川橋との距離は300m程しか離れていないため、どちらの橋からも、相互に橋を見ることができます。

39 那珂川橋 なかがわはし 81.1m
訪問日 令和4年4月10日
完成 昭和35年(1960)6月





センターラインがない、小さな橋です。しかし、道路の線形から判断すると、この橋が平成17年(2005)に那須黒羽大橋が架けられるまでは、国道の橋として重要な役目を果たしていたのではないでしょうか。1桁や2桁の国道では考えにくい幅ですが、これぞ3桁国道の橋という橋だったのではないかと思います。

300m程下流側に、立派な那須黒羽大橋が見えます。

この橋に近くにも、観光やながありました。

大田原市側に向かう道路です。おそらく旧R249でしょう。

逆の方向を見ると、こんな感じです。現在は、橋を渡ると右に曲がる線形ですが、左側に曲がる狭い道も残されていました。

次回は「昭明橋」「あじさい橋」「新晩翠橋」「東北本線/東北新幹線 那珂川橋梁」です。
Posted at 2022/10/29 14:40:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域
2022年10月09日 イイね!

那珂川 橋巡り-12

那珂川 橋巡り-1233 永昌橋 えいしょうばし 161.1m
訪問日 令和4年4月10日
完成 平成14年(2002)



幅員3.0mで、センターラインがない小さな橋です。



橋上ですれ違うための退避スペースがあります。4.0トンの重量制限もかけられていまする。地元の方々のために架けられている橋という雰囲気でいっぱいです。

県道から曲がる交差点にも、特別な案内や信号もありません。橋の袂に記されていることが多い、橋や河川の名称、竣工年月日もありませんでした。

この橋が架けられる以前には、昭和55年(1980)に架けられた橋長105mの木橋があったそうです。平成11年度(1999)の那珂川河川改修工事での河川敷の幅員拡張に伴い、現在の橋に架け替えられましたが、木橋と同じ幅員で架けられたため、狭い橋になっているようです。

橋上から下流方向を見ると、釣りを楽しんでいる方の奥に、湯殿大橋を見ることができます。

34 那珂橋 なかばし 166.8m
訪問日 令和4年(2022)4月10日
完成 昭和8年(1933)8月





昭和8年(1933)完成という長い歴史と、4連トラスという趣を併せ持つ橋です。現存する那珂川の橋の中では、晩翠橋に続いて2番目に古い橋となっています。下流側には、昭和46年(1971)に自転車と歩行者用の橋も架けられました。

桜の季節ということで、川沿いには沢山の人がいました。

橋の東側の袂には、塔型の立派な御影石の柱が構えています。この橋の重要性、完成当時の地元の方々の熱い想いが伝わってきます。


江戸時代、この地は黒羽城の城下町で、那珂川の東側は武家屋敷、西側は町人町があり、往来の渡し船があったそうです。
町誌によると、天保7年(1836)ころ、両岸を鉄の鎖1本、舟8艘でつなぎ、その上に橋板を並べた舟橋が試橋として架けられのが橋の始まりのようです。その4年後の天保11年(1840)に橋が再建され、この時は陰徳橋と命名されたそうです。
明治32年(1899)には木橋が架けられ、その時に那珂橋と命名されましたが、数度の洪水時の流失を経て、昭和8年(1933)8月に現在の永久橋が完成し、盛大な開通式が催されたということです。

町誌には、まるで関所のようなこの橋の袂で撮影された開通式の写真には、沢山の人々が写っていました。

35 那珂川歩道橋 なかがわほどうきょう 206.9m
訪問日 令和4年(2022)4月10日
完成 平成14年(2002)



那珂橋の上流約400mの場所に架けられた歩行者/自転車専用の橋です。

もちろん橋上から那珂橋の4連トラスの容姿を眺めることができます。

桜が満開でした。そして、那珂川の奥には、源流の那須連峰の残雪がはっきりと見える距離になってきました。

多くの方が、満開の桜を楽しんでいました。


36 高岩大橋 たかいわおおはし 206.5m
訪問日 令和4年(2022)4月10日
完成 平成21年(2009)7月





高台にある黒羽城址の下に架かる、緩いカーブを描いた線形が美しい橋です。河口から遡上してきましたが、自動車や人が渡れる橋で、大きな弧を描いている橋は初めてです(鉄道では、水郡線の那珂川橋梁がありました)。





下流には、那珂川歩道橋が見えます。
西岸には、高岩神社や高岩公園があり、高岩園と言われているそうです。舟運が盛んだった頃、船頭さんの無事と近郊の五穀豊穣を願ってきたとのことです。那須与一の扇の的にもゆかりがあるらしいです。

次回は「黒羽橋」「那須黒羽大橋」「那珂川橋」です。
Posted at 2022/10/16 08:57:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域
2022年10月09日 イイね!

那珂川 橋巡り−11

那珂川 橋巡り−1130 若鮎大橋 わかあゆおおはし 352.0m
訪問日 令和4年(2022)3月20日
完成 平成6年(1994)6月





R293の橋です。近くには「道の駅ばとう」があります。馬頭町史によると、この地は、江戸時代から、水戸方面と那須方面とを結ぶ交通の要所であったそうです。現代のこの橋も、両側に自転車が余裕を持ってすれ違える幅の歩道が備えられている立派な橋です。



どの橋にも、袂の堤防に橋の名前が書かれるようになりました。洪水などの災害時、上空から場所を確認しやすくするための表示でしょうか。
この橋の約800m上流には、新那珂橋という橋が架けられていました。次項に記します。

・新那珂橋(跡) しんなかはし 302.0m
訪問日 令和4年(2022)6月19日
完成 昭和10年(1935)3月
撤去解体工事 平成24年(2012)1月〜平成25年(2013)3月

新那珂橋が架けられていた場所から撮影した写真です。遠くに、前述の若鮎大橋が見えます。
馬頭町史と小川町史によると、新那珂橋のやや上流部には那珂橋が架けられていたそうです。

大正8年(1919)那珂橋 完成。
馬頭町史に、木造の那珂橋の写真がありました。
昭和10年(1935)3月 新那珂橋 完成。
幅5.5mのコンクリート製の橋でした。老朽化が問題となっていましたが、若鮎大橋完成後も併用されていました。
平成23年(2011)3月 東日本大震災による被災。
30ヶ所以上の損傷が発見され、撤去されました。

馬頭側の交差点。通行止と表示されていますが、ここを直進した所に橋がありました。

橋へのアプローチ。

ほぼ同じ地点を逆から見ると、橋を渡ってきて大きく右にカーブしていた線形が残っています。

そして、袂であった場所の様子。

小川側の袂の跡。

逆に、小川側から見た馬頭側の袂の跡。

旧小川町側からの橋へのアプローチ道路も、綺麗に線形が残っています。

看板には「小川町」の表記が残っていました。

31 水遊園大橋 すいゆうえんおおはし 249.5m
訪問日 令和4年(2022)3月20日
完成 平成13年(2001)10月



袂にある「なかがわ水遊園」の開園に備えて架けられた橋です。比較的新しい橋で、街路灯も現代風な印象です。





片側だけですが、十分な広さを持った歩道も備わっています。

32 湯殿大橋 ゆどのおおはし 299.6m
訪問日 令和4年(2022)3月20日
完成 昭和58年(1983)



袂に「ポッポ農園」という大田原市の自然体験施設がある橋です。

橋の名称は、旧湯津上村からとった1文字が使われていると予想できますが、「殿」の文字の由来が分からず残念です。

歩道は片側のみです。

次回は「永昌橋」「那珂橋」「那珂川歩道橋」「高岩大橋」です。
Posted at 2022/10/09 22:53:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 那珂川 橋巡り | 旅行/地域

プロフィール

「那珂川 橋巡り⑥ http://cvw.jp/b/1482932/46407996/
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