
平和への祈りと天国への道
今回の沖縄Touringで訪ねてみたかったのは、世界遺産と平和です。世界遺産を見た後は平和を感じに行きます。
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2019年5月3日(金)晴れ!
首里城と玉陵の見学を終えて、次なる目的地へ行きましょw
沖縄の鯉のぼりはカラフルっすね・・・っていうか、ちょこっと見たけどココくらいだったかな(^_^;)
自動車・二輪を除くって書いてあるんだけど、何を除かれているんだろう?!σ(^_^;)
MANKO・・・カタカナでは書けません(笑)
次なる目的地へ到着!沖縄唯一の一宮!
モノレールが走っておりますが、私は夜酒飲む時に利用させて頂きました(笑)
イカリ
展望台まで上がり・・・
今は平和な街並みですが・・・あの時はどうだったんだろうと思うと・・・
海軍壕公園ビジターセンター
慰霊の塔
千羽鶴の横には写真が展示されており、戦争の悲惨さを物語っておりました。
この女の子が白旗を掲げてる写真は、終戦記念日で沖縄のことを取り上げられた時に何度となく使われており、記憶深く残っております
少将旗
米国軍の集中砲火・・・このような中で逃げ惑うことを考えると・・・心が痛みますね。
旧海軍司令部壕
昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われて います。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵が収容されていました。~HPより~
こんな武器で戦わざるをえなかったなんて・・・
それでは見学させて頂きます。。。
砲撃に耐えた・・・壕
地上から12.5m
信号室
当時のものも一部残っております。。。
更に険しいトンネル
幕僚室には・・・
自決された時の手榴弾のあとが
司令官室
このような参謀会議を開き、自決を決めたんですね
ここは医療室だったようです。
当時の様子
太田少将から海軍次官へ送られた書状
当時のつるはしが残されていたようです。。。
横に寝ることも出来ず、たったまま休息してたようです
ここから戦いに出たんですね・・・
平和な中にいると、この国が戦争で多くの国民が失われたことを忘れてしまいそうになります。時折このような施設を訪ね、再び戦争が起こらないことを祈るばかりです。
お次も平和がテーマです。
ひめゆりの塔
1945年3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍した。しかしその後激しい戦闘が続き、日本軍の防衛戦が前田高地附近に撤退した4月24日頃には山容が変わるほどの激しい砲撃にさらされるようになったため、5月25日には陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜んだ。この際患者を収容する壕が確保できなかったために負傷兵は原隊への復帰が命じられ、病院としての機能は失われていたという。
戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられる(看護婦採用試験合格者を除く)。しかし、既に沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配しており、また周辺も既に激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味した。
最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊である。第三外科壕は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡した。さらに壕の生存者8名のうち教師1名(玉代勢秀文)と生徒2名(仲田ヨシ、又吉キヨ)は壕脱出後に銃撃され死亡したとみられる。従って、第三外科壕にいた人々のうち沖縄戦終結まで生き残ったのはわずかに5名(ひめゆり学徒隊の生徒が4名、軍医が1名)のみである。
第一外科壕、第二外科壕は、アメリカ軍の攻撃を事前に察知し、19日未明までに地下壕から脱出した(そのうちの一部は第三へ避難)。しかしこれらの学徒隊もその後の激しい戦闘で多くが死亡した。職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名で全体の86%にものぼり、さらに判明しているだけでも全体の35%にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっている。
戦後、戦死した生徒の親である金城和信らによって壕が発見される。その後、アメリカ軍によってこの地に住むことを命じられて住んでいた真和志村の人らによって遺骨が集められ、4月に慰霊碑が建てられた。~Wikipediaより~
数多くの千羽鶴が・・
この壕の下で・・・
大きな鯉のぼり
沖縄平和祈念公園
親子連れの微笑ましい姿が・・・癒されます。。。
お次はこちら!
国道507
何でこんな写真を撮ったかというと、解説はこちら!
沖縄本島の南端に位置する糸満市の市街地にある糸満ロータリーから、島の南部を反時計回りに描くように半周して、那覇市楚辺の国道330号交点(古波蔵交差点)とを結ぶ延長約28 kmの一般国道の路線で、主な通過地は、島尻郡八重瀬町、南風原町である。路線延長の約半分にあたる、起点の糸満ロータリー - 八重瀬町・具志頭交差点間は、国道331号との重用区間で、具志頭 - 終点の那覇・古波蔵間が単独の実延長区間である。
日本の国道の中で、もっとも大きな番号を持つ国道である。沖縄の本土復帰前は、琉球政府道46号線として現在の沖縄県道46号線と合わせ、那覇市安里から八重瀬町(当時は具志頭村)具志頭までを結んでいた。復帰後は県道を経て、1993年に国道に昇格された。〜Wikipediaより〜
新垣菓子店
店名:ちんすこう本舗 新垣菓子店 たまぐすく店
食べログの記事はこちら(
ちんすこう本舗 新垣菓子店 たまぐすく店)
お土産でちんすこうお買い上げ!
お次は気になっていたあそこへ行きます。。。
ニラカナイへの道
施設名:ニラカナイへの道
住所:沖縄県南城市知念字知念
沖縄の絶景ポイントと検索すると必ずヒットするSPOTです。本当に綺麗でした。。。
実際走ってみると・・・
やっぱ高台から見るに限りますね(笑)
さてさて、最後に世界遺産へ行くことにします。。。
最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。m(_ _)m
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Posted at 2019/06/05 06:00:33 | |
九州・沖縄ツーリング | 旅行/地域