
以前、筆者は、日本のものづくりが中国化している、といった類のことを書いた。そのときには、中国が日本化しているとは思わなかった。韓国、台湾は、かつて日本がそうしたように前を走る日本に追いつき、追い越せと発展してきた。発展のスピードは加速度的に速くなったが、日本と同様のプロセスで発展してきていると理解している。「しかし、中国は違う。まったく日本や韓国、台湾と異なる発展のプロセスを経る。」それが筆者の認識だった。広大な国土(国内の多様性)、何よりも共産党一党独裁、社会体制が異なるからだ。ところが、最近の中国を見ていると、「あれ、筆者の20代の頃と似ているな!」と感じることが、多々あった。今回は、そのような観点の話を書いてみたい。
筆者は、日本の工場を訪問したとき、何点かチェックする項目がある。その中のひとつが従業員駐車場のクルマをチェックすることだ。訪問する工場は、多くの場合、地方にあるので、従業員の大半は自家用車で通勤している。停まっているクルマを数えれば、だいたい何人ぐらいの従業員が出勤しているのかがわかる、軽トラックが目立つようならば兼業で農業をしている従業員が多いことが想像でき、農繁期になると休日出勤などで追い込みが効かなくなることも想定しなくてはならない。しかし、中国の工場では、従業員の駐車場を見る必要もなかったし、そもそも従業員駐車場などない(代わりに駐輪場がある)。経営幹部のクルマを見て、やけに豪勢なクルマだなぁ、と感じる程度だった。
ところが、最近、そうでない工場が増えてきた。空いたところに、やたらとクルマが駐車している工場もあれば、新たに従業員駐車場を確保したところもあった。従業員1000人ほどで、クルマ通勤者が200人もいるという(現場の班長クラスは、クルマ通勤。比較的給与水準の高い旋盤工の中には、一般作業員でもクルマ通勤の者もいる)。そう説明してくれた営業部長は、以前からクルマ通勤であったが、脇にいた検査員のOさんは、最近、クルマを買ったと言って、3列シートのミニバンを得意気に見せてくれた。
Oさん曰く、工場のある郊外の工業団地に市内から通勤するには、会社の送迎バスの発着点までバスで行き、そこから会社のバスに乗り継ぐと通勤時間は1時間以上。市内のマンションは、借りるにしても、買うにしても高く、Oさんのような地方出身者にとって住宅費の負担は重くなる。郊外のマンションならば、市内に比べて半値以下。しかし、買い物や子供の通学などを考えるとクルマが必要になる(以前なら、自転車で30キロ超の遠距離通勤を迷わずしていたはずだが・・・・)。市内に住宅を買うのはあきらめ、郊外に住み、まずはクルマだという。住宅費を倹約した分、クルマには、ちょっとお金を掛けて、休日は家族で、ちょっとリッチな気分に浸るのだと言う。
ちょっと待て、これって、筆者の20代の頃のバブル期の日本にもなかったか。あの当時は、不動産価格が、大げさでなく日々上昇していた。いくら貯金をしても、貯まる前に不動産価格が上昇して貯めてからでは永遠に買えない、という時代だった。とは言っても、頭金ゼロでは、借り入れが多すぎる。新入社員には、頭金さえ工面できない。どんなに頑張ったって、東京に家は買えない、といった気持ちになった同僚が少なからずいた。幸い筆者の会社では、郊外の駐車場つきの社宅を退職するまでタダ同然で借りることができたので、分不相応な高級車(当時はハイソカーと呼ばれていた)に収入のかなりの額をつぎ込む者があらわれた。事情がちょっと違うが、根底にあるものは同じだろう。郊外に住めば、かつての中国と違いクルマは贅沢品から必需品になる。住宅費を倹約している訳であるし、クルマは人目に触れるのでちょっと高いものを、できれば外資系ブランドにしたいということになる。こんなクルマの話を、昼休みに現場の若者たちが話すようになれば、かつての日本そのものじゃないだろうか。
もうひとつの話は、子弟の大学進学だ。久しぶりに、食事をいっしょにしたドライバーのUさんに「娘さんは元気かい?」と何気なく訊ねると、いつもにこやかなUさんが、これ以上ないという満面の笑みで、「昨年、大学に進学しました」と教えてくれた。「へぇ~、そんな歳になったのか」と驚いてみせたが、本心は、年齢のことではなく、民工であるUさんの娘さんが、大学に進学したことだった。脇にいた総経理が、Uさんの親戚のなかで初の大学生だと、説明してくれた。これで、満面の笑みの意味がわかった。Uさんの故郷の農村部での大学進学率は10%にも満たないから、依然としてエリートなのかもしれないが、上海市の大学進学率は、30%に達するとも言われている。筆者が大学を卒業した1990年前後の日本の大学進学率は、25%程度であった。正直なところ、大学を卒業したというだけでは、エリートと呼ばれる時代では、すでになかった。自分自身がエリートであるという意識はなかった。感覚的には、上位5%から10%以上でないと、自他ともにエリートとは考えないのではないだろうか。そういった意味で、Uさんの娘さんは、故郷ではエリートかもしれないが、上海にいれば普通の女子大生でしかない。
Uさんが席をはずした時、総経理がポツリと漏らした。中国で大学卒の数が増えたのは、大学の数が増えただけで、優秀な人材が増えたのとは違う。単に大学に入学するだけならば、本人の学力ではなく、親の資金力で決まる。それが証拠に重点大学から外れた、失礼な表現だが、三流大学卒では、就職もままならない。就職できずに派遣社員のような職に就くなら、旋盤や溶接の技能を身につけたブルーカラーの方が、現場で汗を流す肉体労働であるが、給料は間違いなく多くもらえる。大学を卒業したばかりの通訳の女性が、親と同じ年齢ほどのドライバーより給料を貰っているなど、かつての中国ではあたりまえだったが、これからは違うだろう。大卒(ホワイト)と高卒(ブルー)の差が縮まること(大卒内での分級)が中国社会にとって良いことなのか、悪いことなのかを筆者は判断できないが、ブルーとホワイトの壁がなくなることは、ものづくりにとって間違いなく良いことだと思う。(執筆者:岩城真 編集担当:サーチナ・メディア事業部)(イメージ写真提供:123RF):サーチナ2016-08-11 06:32
Posted at 2016/09/24 06:23:07 | |
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