
中国にも数多のファンが存在する、日本のサブカルチャー。今や世界に誇る日本の一大産業となっており、世界に数え切れないほどの「オタク」を生み出している。しかし、もはやもともとの「オタク」とは性質が異なるものとの見方もある。中国メディア・人民日報海外版は20日「『オタク』はもう死んだのか?」とする記事を掲載した。
記事は、ACG(アニメ・マンガ・ゲーム)産業の、日本の国内総生産に占める割合が農業・林業・水産業をはるかに超えており、2013年までに国内のアニメ市場の総生産額が2428億円に達したと紹介した。また、ACG文化の発展は1970年代以降の「虚構の時代」を背景としており、物資不足を経験していない新世代の台頭で消費主義が盛り上がり、社会のムードが退廃的になっていったことが影響しているとも説明した。
そのうえで、「オタク界の教祖」とされる岡田斗司夫氏の「オタク論」を紹介。日本には児童に対する自由で寛大な文化的伝統があったために、マンガやアニメが社会から容認されるとともに、大人もこれらを愛好する文化ができたとし、児童に対する管理や教育を重視する米国のような社会では「児童化」された文化の発展は難しかったとの論理を伝えた。
さらに、「オタク」の文化にはしばしば日本文化の特徴とされる「職人の精神」が存在しており、彼らの創造性、楽しみ方などの極め方が「過剰、さらには常人と比べて異常なほど」になるのだと論じていることを紹介した。その一方で、この文化が世界各国で人気を集めているものの、極致を追求する「オタクの精神」を継承することはもはや難しくなっていると指摘、「何日間か家にいて、アニメ作品をいくつか見て『自分はオタクだ』と言う人がいる昨今、『オタクはすでに死んでいる』」との結論を出したと説明している。
その分野の文化が広く認知される、あるいは、何らかの理由で敷居が低くなることにより、「にわか」、「なまかじり」といったレベルの愛好者が増えるのは致し方ない部分もあるように思える。それが、その文化の退廃とみなされるのか、それとも大衆化、成熟とみなされるのかは、立場によって異なるのだろう。マイナーな頃からその文化に親しみ、極致を目指してきた愛好者たちにとっては、その大衆化の状況は往々にして受け入れがたいものとなる。一部には「この程度の知識や経験で、この文化を語るな」と憤る人も出てくるかもしれない。
確かに、時として「変態」呼ばわりされる、極致を目指そうとする姿勢は、いかにも日本人らしいものであり、外国ではそこまではなかなか理解されないかもしれない。ただ、「オタクはすでに死んでいる」という見方はあくまで「オタク論」の1つに過ぎず、「オタク」の定義次第では「オタクは進化した」という見方もできるのではないだろうか。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
:サーチナ 2016-06-24 11:33
Posted at 2017/01/24 19:48:39 | |
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