
■ 概 要
1924年(大正13年)、上信線が改軌・電化した際に、3両(デキ1・デキ2・デキ3)をドイツのシーメンスシュケルト社から購入した。小型の凸型機で、機械(車体)部分の製造者はM.A.N社。価格は当時の金額で36,990円。
■ 構造・車体
全長9.180mmの凸型車体を持つ。 多くの凸型機とは異なり、車体下部に露出した側梁は妻面も側面も同一の太さであり、横幅を狭められたデザインが多い機械室(前後ボンネット)部分も運転室部分と同様の幅であるため側面は基本的に平坦なデザインとなっている。 屋根は単一の曲線を描いており、これも他社の凸型機と異なる。これらの特徴は当時のシーメンス社製の電気機関車に共通のものとされ、本機と同じく1924年製で、より小型のB型機である尾西鉄道(名古屋鉄道尾西線の前身事業者)が導入したEL1形電気機関車にも通じる。 また、左右片方の側面には6枚の機器点検蓋を備えるが、デキ1とデキ2・デキ3では付いている面が逆になっている。
■ 主要機器 電装品にはいずれも同時に導入した旅客用電車のデハ1形と同一のものを用いている。
主電動機にはシーメンス製DJ11B電動機を4基搭載する。主制御器は総括制御が可能で間接式のシーメンス製CIB10064Aである。ブレーキ装置は空気ブレーキと手ブレーキを備え、ドイツのクノールブレムゼ社製である。台車は電車とは異なり、シーメンス製の板台枠のものを採用し、車輪径は電車用のものよりも大きい900mmとされた。 集電装置もやはりシーメンス製で一枚のカーボンスライダーを用いた大型のパンタグラフを採用した。
■ 運 用
当初より貨物列車の牽引に使用されたほか、1950年(昭和25年)からは日本国有鉄道(国鉄)高崎線から旧型客車を用いた臨時列車の直通運転が開始され、1961年(昭和36年)に国鉄80系電車によって置き換えられるまでこの列車の上信線内の牽引にも使用された。貨物輸送全盛期には、石炭や薪炭、木材、繭、こんにゃく等々の輸送に用いられた。これらの列車は昼時に運行することが多く、沿線住民からは「オメシレッシャ」と呼ばれて親しまれていたが、1994年(平成6年)9月23日の貨物輸送廃止に伴いデキ2が廃車された。デキ1とデキ3は貨物輸送廃止後、2017年現在も車籍を有するが、定期運用はなく、工事列車や臨時列車などに使用されることがある。
砂箱の撤去と前照灯位置の変更、パンタグラフの交換、およびATS関連装備の搭載がなされているが、外観に関しては大正年間の輸入当時と比べても大きな改変はほとんどない。
2007年(平成19年)3月12日、下仁田 - 赤津信号所間で線路沈下が原因と見られる脱線事故が発生し、その際に受けた損傷が原因でながらく補修待ちとなっていたが、2011年度の群馬デスティネーションキャンペーンに向けた修復が2010年末から行われ、2011年4月に完了した。
1986年(昭和61年)にはエバーグリーン賞(鉄道友の会)を受賞、鉄道ファンの間では「上州のシーラカンス」の異名をとる。 ■









Posted at 2018/09/21 05:06:59 | |
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