その4 からの続きです。
通洞駅で下車後、まずは「足尾銅山観光」に向かいます。
かつて、国内トップの銅の産出量だった足尾銅山、一帯に掘られた坑道は大きく本山抗、通洞抗、小滝抗の3つに分けられ、その総延長は約1200㎞。閉山後は、通洞坑の一部が観光用で公開されています。
銅山とは切っても切り離せない足尾の街を訪れたなら、こちらは外せないでしょう。

歩くこと10分程度で到着。
横の駐車場は混雑、多くの観光客が訪れているようです。

入場券(入坑券)売り場。
その奥にトロッコ乗り場があります。これに乗って坑内までいきます。
乗り場に着くと同時にトロッコが発車していったので、少し待つことに。

乗り場の端にさりげなく人形が…最初気づかず、ちょっとびっくりしました(笑)

トロッコ列車が到着。
入場口側の乗り場から、坑道の入口に向かうには急こう配の下りなので、その間だけは軌道の真ん中に設けられた歯車を使って機関車が押していきます。(ラック式と呼ばれる方式です)
その頃にはすでに何人かの観光客も並んでいて、乗車したところで発車。

トロッコの客車は、黄色い機関車に連結されていますが、客車内にも運転席が設けられています。

発車するとゆっくりと進みます。下りこう配なので先頭の機関車は牽引するというより、速度を抑える役目という感じでしょうか。数分後、こう配がなくなり、平坦になった先に抗口が見えてきたところで停止、機関車が切り離されていきます。
切り離した機関車の運転席は無人ですが、ポイントを過ぎたところで停まり、逆方向に走ってポイントで別の軌道に進むと、そこに留置していた客車を連結、そのまま入場口側の乗り場に戻っていきます。
(無人なのはその時は気かず、後で他の動画を見てわかりました)
無線で操縦しているようですが、進んで停まって逆方向に動き出して客車を連結して、と、なかなか複雑な動きをしています。しかも、切り離して進んだ先の軌道は普通に一般客も歩いています。
で、私たちが乗っている客車はどうなるのか?
機関車が隣の軌道に入った後に、係員さんが客車の運転席に乗り込んで、すぐに発車します。

そのまま坑道に乗り入れていきます。
行き止まりになった所で停車、乗客はここで降ります。

全員降りた後、客車は元の場所へ引き返していきました。
さきほどの機関車の動かし方といい、こちらのトロッコ、よく考えると結構 すごいメカニズムで運行されています。予備知識が全くなく乗ったのですが、そうとわかっていれば現地でもう少しじっくり見ておくべきでした。
これだけでも、一見の価値がある、と思います。

トロッコの軌道の先には、その先へと続く坑道。今は立ち入り禁止になっていて、ここから見るくらいしかできません。
明るくなっているのは、備え付けのボタンを押すとスポットライトが点灯するしくみになっているからです。
ちなみに、足尾銅山の坑道の総延長は前述の通り約1200㎞。ゆうに東京博多間の距離以上だそう。
トロッコを降りた観光客たちは、ひとしきりここで見学した後、標識に従って軌道沿いに一旦戻り、途中から横に分かれる坑道に入っていきます。
外と違って坑道の中は天然のクーラーで涼しく、むしろ少し肌寒いくらい。身長が高いと少し腰をかがめないといけないくらいの高さの中、歩いていきます。


突如現れる人形に少々驚きしながら進んでいきます。

見学通路は、採掘がはじまった江戸時代から、戦後閉山されるまでの時系列で分かれ、採掘する作業者や係員の人形や、使用した道具や設備が展示されています。また、音声でその当時の会話なども聞くことができて、非常にわかりやすく作られていました。
約300mほどの観光ルートを見学後、外に出ます。
坑道内の涼しい空気の中から蒸し暑い外に出ると、余計に暑く感じられました。

右側には、かつて採掘時に使用されていたトロッコも展示されています。左側の線路は先ほどトロッコに乗って通った軌道。
その先、見学通路は軌道を横切るのですが、トロッコの入れ替え時には、無人の機関車がそのすぐ手前まで来て停車していました。
江戸時代には、足尾に鋳銭座があって、ここで寛永通宝などの通貨も鋳造されていました。その資料館も見学します。(トップ写真の建物) 今でいう造幣局といった感じでしょうか。ここで採掘した銅から通貨が造られるのですが、その時の詳しい過程や使用された工具などが展示されていました。
行きはトロッコに乗ったのですが、それは片道のみで、戻りは徒歩で階段を登ることになります。
すでにお昼時ですので、もし軽くでも食事ができたら、と思っていたのですが登る途中のレストハウス内の「大食堂」は今はもう営業していませんでした。


旧き良き昭和時代の雰囲気が色濃く残るレストハウスなのが印象的。
ちなみに、大食堂は閉鎖されていますが、ハウス内の喫茶店とお土産屋さんは、今もちゃんと営業しています。私が子供のころに訪れた観光施設を思い起こさせる、昭和の雰囲気一杯の懐かしい雰囲気もまた、一見の価値あり、です。
足尾銅山を辞します。ここからは通洞駅周辺を街歩き
足尾銅山の採掘量と街の盛衰は見事に比例しています。最盛期にはこのあたりは一大中心地で多くのお店が立ち並び、また多くの人が行き交っていたと言われています。
短い時間でしたが、そんな名残を求めて歩くことに。
案内板によると、昔はよくお金のことを「おあし」と呼んだのはこの足字銭から来ているとのことです。
さすがに空腹を感じるようになりました。街中で食事をとれるお店を探します。
さきほど、駅前の1軒のお店の前に車が停まり、お客さんが何か買っているのが目にとまりました。その時は素通りしたのですが、再び戻ってよく見ると・・・

コロッケやメンチカツなどが売られているようです。 大きな看板もなく、店構えもおよそ小売店には見えないのですが、その後も他県ナンバーのクルマで買いに来る人もいたりと、客足がとまりません。
私もここで買い求めることにします。
買い求めたのは、コロッケとメンチカツ。
軒先にベンチがあるので、お店の人に断った上でそこでいただくことにします。
コロッケ
やや柔らかめの衣の中にはホクホクのジャガイモが。味付けも濃すぎず薄過ぎず丁度いい塩梅で、しっかりとお肉も入っていて美味しいです。
コロッケも美味しかったのですが、こちらのメンチカツも美味しかった!
いわゆる一般のメンチカツとは少し違い、お肉はあっさり目ですが、それでいてジューシーで旨味もしっかりとあるのは何故? 普通のメンチカツですと、1個目2個目は美味しくてもだんだんと重くなってきて、そこまで多く食べることはできませんが、こちらのメンチカツはいくつでも食べられそうです。
袋ソースが添えられていますが、なくても十分、美味しいです。
後で調べたところ、こちらの「ますや肉店」、有名なお店だったそうです。
ということで、足尾ならではのグルメもしっかりと味わうことができました!
日本最初の公害事件としても有名になった足尾銅山、私が小学校か中学校だった時の教科書にも、詳しく取り上げられていて、私にとっては「足尾」は子供のころからよく知っている地名でした。
それから数十年を経て、ようやくこの地を訪れることができ、実際に現地を見て感じたのは非常に有意義でした。
さて、ここからどこに向かうのか?
ということで、 その6 に続きます。
Posted at 2024/08/25 11:50:36 | |
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