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kotaroのブログ一覧

2013年08月28日 イイね!

8月は暑かったけど、最後は涼しく

8月は暑かったけど、最後は涼しく今年の夏は誰にも、苛斂誅求な暑さでした。
そんな夏ももう暦上では終わろうとしています。

私は、17年前の夏から、滋賀県のびわ湖バレイ
と言う場所でなんとなくの、自動車の集まりを
開いています。
しきりは8月最後の日曜日。
そのこゝろは、「いかないで夏休み」といった
気持ちで行く夏を惜しもうというものでした。


このハマり文句はオリジナルでなく、実は1982年のことに溯ります。
当時新進のミュージシャンだった、杉真理(まさみち)と、女性歌手の
須藤薫、それにこの二人にとり同い年であり、繋がりの深いユーミンこと
松任谷由実が、3人プロジェクトで、8月の最終週に、渋谷の公会堂で
数日間のコンサートをやりました。

題して「ワンダフルムーン」、その時のポスター(週刊誌の広告は切り取って
今も保管しています)によくコンビを組んだ、杉、須藤の二人が写っており
「行かないで夏休み」がキャッチコピーでした。

私は杉真理も好きですが、とにかく彼の歌を歌う時の須藤薫の伸びる声が
好きで、数少ない関西のコンサートの時は、欠かさずに通ったものです。
1980年デビュー。これはアルバムでシングルは1979年の「やさしい都会」
という平山三紀の歌のリメイクでした。これを作詞したのが結婚する以前の
荒井由実だったと記憶します。



これは「恋のビーチドライバー」というシングルだけの曲ですが、
彼、彼女ら1954年生まれの5才上の世代は、クルマを取り上げた曲が多く
この年からクルマに乗り始めた私には、須藤薫ナンバーはドライブの必需品
でした。



これは杉サンの「素敵なサマーデイズ」というご機嫌なナンバー。
まあランサーも2ドアの方でしたから「ガタの来たクーペ」に乗り続ける
ことはサイコーじゃないかと、その後も、セリカ、フィアット850ときて、
未だに私は、キープコンセプトを30年以上続けているわけです。



そんな私の「行かないで夏休み企画」も、もう17年目。
クーペもわたしも、大分ガタが来ていますが、今年も悪天候をついて
開催いたしました。昨年は自分を含めて、参加台数は3台。
飽きられもせずに、今年は雨の中、私以外の4台がよく来て頂きました。

話は前半に戻ります。

近年はコンサートに行くこともなかったけど、相変わらずにお気に入りだった
須藤薫さんが今年の3月3日のひな祭りの日に、この世から突然旅立たれました。
58才と言う年齢で、急病のためでした。
しかたないと言えば、それだけですが、私も今年で54才。
行かないで夏休み企画は、最初の始めた年が、私は37才。

二人の子どもの親であり、密かに心の底に、1982年夏へのオマージュと
須藤薫さんの歌に元気づけられて、20代を走り切って、30代は家庭を持ちました。
ああそれなのに、あのシンガーはもう、この世にいない寂しさは
お分かりでしょうか。




それで今年は最後の夏にしようかと、この場所に、また来てしまいました。

連日の猛暑と、今のよるべなき気持ちと、私を必要としている人はいるのだろうか。
そんな無聊な気持ちも、直前に修理からアルファが帰って来たので、今年は板金中の
850でなくニューカマーで参戦いたしました。
僅か1ヶ月前の状況なら、代役の2000円ミラだったでしょう。





山から下りる頃は、霧も晴れて来て、ご覧のような琵琶湖の眺望が広がり
ロープウエイ車内でも歓声が広がりました。







さあ、遅れて参加のもう1台を見に行きます。



大阪からのMさんは、なんとダイムラーダブルシックスのダークブルーを
足に使われる自営の青年です。



これが変速機レバーまわり。



これがジャングルの奥に隠れた12本足のディストリビューター。
(爆)



最初の頃はこんなに電装品がついてなくて、英国の工場でも整備出来たのに
長命ゆえ、最後の頃は、こんなぐっちゃぐちゃのエンジンルーム。
うーん、無理。

しかし長く続くことは、嬉しいサプライズもあるのです。



このルノーRC−Zに乗られる男性は、以前はスープラ似の3代目ソアラを
乗っていて、2度ほど、びわ湖バレイミーティングに来ていただきました。

今年は、ご家族、二人の可愛いお嬢さんと奥様が2次に分かれて、最初は
RC−Z(父+二女)、第二次がステップワゴン(奥様+長女)と元気一杯の
ご参加をいただきました。そうかあの時の彼が、今はお父さんなんだ。

最初参加した時は、妻はGFの結婚以前で、一緒に連れて来たのですよと、
ちょいコワの顔でにっこりされると、私も頬が緩みます。



2才と5才くらいのお嬢ちゃんたちは、元気一杯で、楽しんでいかれました。
そういえば、私にもそんな時間がありました。

僕らにとり、クルマはただの道具でなく、ライフスタイルの一端でもあり、
このW6を乗り回される方のように、クルマ好きが高じて、商売の道に進まれる
人もおられます。

彼のW6と私の75の乗り比べも、やってみました。
今年は残念ながら来られませんでしたが、盟友紺の豚氏も大好きな、
夏の日の思い出作りです。

そうやって考えると、クルマ社会はどんどん変わって行っても、最初のきっかけは
子ども時代に自動車好きであったことから、来ているのではないか。
それが学生時代くらいに後ろ倒しになることがあっても。

最後に須藤薫の思い出として、彼女がアルバムデビューするきっかけになった
ユーミンの名作「サーフ天国・スキー天国」を間に挟む。
この合間に綺麗なファルセットでコーラスしていたのが須藤薫で、その後
松任谷正隆のラジオ番組で、紹介された放送を私は聴いていた。
彼女はほんとうに、天国にいっちゃったけど。



今年もびわ湖バレイミーティングが終わり、暑いぐったりとした季節が
去りました。

今回たくさん仲間を連れて来てくれたスマートクーペに乗る、滋賀のK島さんは、
昔はずっとA112で来てくれた。この間のジャガーオフと言い、いつの間にか、
遊びで乗れるクルマも、すっかりサマが変わったなと思います。

僕らも次の世代が、そろそろ大人になりかけている。
このミーティングは、来年も続くだろうか。
その前に、近年衰えを感じる私が、元気にならねばいけないでしょう。



去りゆく夏の日の終わりに、私はそんなことを考えながら、今年から乗るように
なったアルファセダンのハンドルを握り、ひとり家路を戻って行ったのでした。

Posted at 2013/08/28 11:43:50 | コメント(5) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年08月19日 イイね!

岡山に豹狩りに行ったお話。

岡山に豹狩りに行ったお話。金曜日から、先祖の墓参りと高校の同窓会で、
山口と福岡県に行って来た。

後者の方があんまり盛会と、人的繋がりに
プラスになりそうもなかったので、旅先に届いた
1本のメールに最後は賭けることにして
最終の上りの新幹線に飛び乗り、途中駅で降りて
宿を取った。

朝早く電話があり、9時に岡山に着くという。

ワタシも起きて身仕度をする。今日も暑くなりそうな予感だ。


9時ちょうどにホテルを出て、ペパーミントグリーンメタリックの、
冷房の効いた友人のクルマに乗りこみ、豹紋ならぬ虎の皮のパンツは
履いていないが、いざ鬼退治に出かけるとする。


最終の信号で珍しく同じジャガー同士が偶然並ぶ。向こうは女性が
運転するSタイプだ。
なんとなく、今日は楽しくなりそうな、予感♪



ふと、中年の女性が運転して、サマになる高級車って何があるかと
考えてみる。

ボルボだと780くらいしか思いつかないし、普通のワゴンだとトラック
みたいなオバさんの印象になる。

BMWは、Z3に一時期人気が集中したが、時節がらキャバクラなどの
お水関係に、ウケ過ぎてしまった。だからZ4でがらりと変えて、男っぽく
硬派にイメチェンしたのだろう。
このあたりのマーケティングは、さすがと思うが、ビーエム=メーカー自身
狡猾な印象はぬぐえない。

MBはCクラスとMクラスを運転する女性は、よく見かける。ただ、あまり
美人が運転しているのは、見たことが無い。他意は無いが、ただそれだけ
である。

あとは、アウディか。まあまあ賢いプロモートは認める。
良妻賢母型なのだろう。




市内に出ると、道の構造が広島と同じく路面交通に電車が加わった町なのだが、
ここは古い時代の記憶が残っているので、ナビがくるくる「捕捉中です」を繰り返す。



おや、赤のXJ−Sだ、と思ったら、今回のホスト役の方のクーペだった。
ワインレッドか。

方向が逆なので、何か所用を足してから、集合場所に向かわれるのだろう。
しかし、良い色だな。

ジャガーというとXJ6が好物だが、昔ひと夏だけ、GFだった女性が、シリーズ3
のオーナーになられて、横に乗せてもらったことを思い出す。

でも大型のクーペも好いなと思った



市内から郊外に抜ける国道をしばらく行くと、風景が山あいになり、目的地についたと
乾いた女性の声が、案内を終了した。

この会場はオールドボーイと言うカーショップがメインで、あとは敷地内に
豚の蒲焼き丼が名物のごはん屋とか、喫茶店も有り、真ん中の池には鯉もいる
池水庭園型の、美観が保たれている。




ジャガーのような、日常からほんのわずかだけ、非日常に入り込んだ自動車には
あくせくした環境は似合わない。横には古いジャガーが2台鎮座していたので
さっそくそれを見に行く。






英国車というのは、ふつう、日本人だと旧ミニが入門という人が多い。
たまにメトロとかの114系で、味わったり、1960年代ならトライアンフにMG、
70年代の終わり頃は、日英が入れているMGBしか無かった。

そんな不毛の中でも、新東洋がジャガーXJ6をずっと入れてくれていた。
細々ではあるが、長く続いていて、最近は量よりも、質やファンを大事にする
ビジネスの方が「正しい」と思っている。

僕はだから、30代の頃にローバーP6が乗りたくて、堪らなくなり、新東洋ものの
V8 3500に38才の時に、うまく出会えて9年間乗り続けた。



古いジャガーの他にも、ご商売は、ディーノ系フェラーリやナロー中心の911系
ポルシェと言ったファンの多いクルマで、成り立っているのだろう。

岡山という所は、郡に強い町が多い。倉敷も僅かしか離れていないが、新倉敷に
新幹線を停車させて、いまは陸事もあるので、倉敷ナンバーも参加車両のなかに
散見することが、できた。
あとは津山市と、久世と勝山町が印象的だ。

喫茶店に逃げ込んで、涼んでいると、ミーティングの参加車が、続々と到着する。
やはり近年のシリーズが多いが、懐かしいXJ6や、評論家の観識を一変させた
ダブルシックスも登場する。

他にも周囲に好いクルマが集まって来て、さながら炎天下なのに駐車場は
車好きの花畑の観を呈するようになる。



これは117クーペなのだが、最終期の前のヘッドライトが角4灯に、変わる直前
の52、3年頃のモデルと思われる。砲弾型のバックミラーが、スクエアなタイプ
を残しており、これだけで、オリジナル度の高い個体だなあと、感心する。

ストックヤードの中には、黄色の角4灯時代のモデルが、置いてあったが、その
前の丸目量産型の後期のモデルだと思われる。

裏に回ってみると、SOHCのXCというグレードである。
XEとXGが、高級感が強かったので、中古で手を出した方は、大抵その2つに
行くのだが、そういう人は長く続かない。
ほんとうは、117と言うのは、上品に乗る車であって、威張れるクルマでない
ことは大抵の人が、乗ってがっかりするからである。古くさいメカニズムと、
保守的な、前衛のかけらが無いような、モータリングにである。





しかし117というのは、なかなかに無い個性であり、そのローグレードを長く
維持するというのは、私の850クーペにも通じる共感がある。

ご覧のように、117と言うプレートを希望ナンバー制度の無かった時代に取ら
れているが今の3桁で「117」をゲットして喜んでいる人と、年季の入り方が
全く違う。

これは、あまり使われていなかった頃の字光式で、おそらく普通のナンバーは
岡58や59に、行っていたかもしれない。「ろ」だけが字光式に、割り当てら
れていたのだが、桁が進まないので、55から56にようやく入った頃に、気が
付かれて117番目が回って来るのを、陸運事務所に、通いながら待たれていた
と思われるからである。


自己満足。そりゃ、その一言で片付けるのは簡単だが、クルマなんて、所詮
その延長だと言っても、過言ではない。新車当時の雰囲気に、出来るだけ
近づけたいから、ナンバー一つに腐心する。だから大事に乗り続けられる
個体というのは持って生まれた「運命」に守られているとも、言えるのである。




さて、参加の方々が揃い、いつの間にか正午近くになったので、クルマ談義
は一旦ブレークして、「豚カバ」のお店に入ることになった。
ほとんど朝から食欲が無いのだが、やっぱり冷房が入ると食欲を取り戻す。



全く持ってブタだの、カバだの、お店のメニューの量を見ていると、
バカ盛りだのって、岡山ってところは、言葉がきたないノが平気である。

岩井志摩子のぼっけぇきょうてぇ、言うとるのを想像するが、郷に入っては
郷に従えだ。岡山弁のジャガー乗りらの会話の環に飛び込んだ。

都会のジャガー乗りの印象は、ちょっと澄ませたところがある。
まあ大型シトロエン乗りに近いようなイメージだ。

だが噴水池のある中庭を眺めながら感じたのは、ジャガーは英国性の
カントリーボーイ(郷紳)も乗る車だから、こういった行動的な持主、
特に地方に於いて中長距離的な使い方をする方が、理に叶ってる
そう思うように、少し意識が変わって行った。



今日ここに連れて来て頂いた友人に感謝だが、彼は共食いのように
豚蒲焼き重を食べているので、私もサラダプラスのカレー味きしめんの
セットを食べることにした。

この間の、アルファ75を見に行った時の〆は、京都駅タカバシの
ラーメン炒飯の“コース”。
気が付けば私も大食いになり、この夏は3キロ太った。



食事のあとは、フレンドリーさも増したので、皆さんのクルマを
少しずつ仔細に見させて頂く。



決して乗りっ放し、工場に任せっぱなしのオーナー衆でなく、ここに来て
いる方々は、暇があったら自分の愛車を、時にはDIYで加工されるような、
自分の手を汚す“オイリーボーイ”であることに感心した。
英国車党は、こうでなくては。



主催の方のクーペ、今回一番気になったのかもしれない。
最後の方で友人にハンドルを預けられたので、助手席に乗り込ませて
いただく。



ほんの10分足らずのドライブだが、うーん、なんて贅沢な12気筒の
大型クーペ。友人の愛車であったフェラーリ456の官能世界とは違う。

ラグビーのサイドラインから、一気にタッチまで駆け上がって行くような
“馬で駆ける”秘めたる野蛮をもった貴族性を感じられずにいられなかった。
なかなか私には“12頭立ての馬車”は、飼い主にはなれないだろうが。


まだまだ名残は尽きないが、お盆の期間のラストサンデーということも
あり、早々に会場を後にした。
お会い出来た皆様、XJ−Sクーペの主催の方に、心よりお礼を申し上げる。


この後友人の淡雪のような色のジャガーは、こともなく大阪までの道を
「ぺろり」と完走してくれました。

200キロ以上のランには、好いものだが、せせこましい都会の道には
少し不憫なのかもしれない。
この後の“彼女”の人生に、幸多からん事を祈ります。




Posted at 2013/08/19 10:39:55 | コメント(6) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年08月03日 イイね!

アルファが来ました

アルファが来ました

今までに乗ったクルマの中でも、
一番地味なセダンかなと思います。

イタリアの箱型セダンて、アイコンにも古い
124セダンを使わせてもらっていますが、実に
味わい深い地味さなのだと思います。







この夏はあと1ヶ月です。

私は一つ歳をとり、一歩確実に夏を見送るような気持ちで
この人生の後の方の行方を、ぼうっと見て暮らしています。

ところで、最近考えていることですが、
ネットとリアルについてでも、ですが、
自分は何だろうと、精神的に病んでいる人は自分が判らなくなると
よく言いますが、私は、自分がみんなの共有物(シュア)されて生きていると
時々考えています。

残り後半の人生ですが、ロングバケーションをいま、流れる川のように
過ごしています。

家族や、親戚もいます。
友人もたくさんいます。
お誘いが、すぐにかかる友たちとは、たぶん、一緒にいるのが
楽しいからだろうと思います。




いままで断って来た付き合いを、ずいぶん広げて出かけて
行くようになりました。

もしかしたらロマンスがあるかもしれないが、女性たちとも
随分フラットに付き合えるようになりました。


これまで硬い生き方をしてたのが、変わったのは、
あの87年に、1台のイタリア車に出会ってからです。

ああなんて享楽的に過ごす時間が楽しいのだろうと。


まあもう、身を持ち崩すような、身分や財産は持っていません。

これからまた、物語を紡いでいけばよいのだなと、ほっとしつつも、
諦めると言うよりは、達観に近い感覚で、ミラからアルファに乗り換えました。


ちょっとだけ見てくれも、お洒落かな、と思うのですが、
このクルマ、地味過ぎて、通じてくれる人がいるのだろうか。

ということで、普段使いのイタリア車生活を続けていこうと思います。












Posted at 2013/08/03 05:52:59 | コメント(7) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年08月01日 イイね!

最後のドライブ

最後のドライブ一週間前の朝のことである。
明け方早くに目が覚めることは、よくあるが、
その日はどんよりした天気で、雨が降り出し
そうな気配だった。

今は毎朝早朝ドライブ出来そうな境遇だが、
平日朝の通勤の中に混じって、足手纏いは
いただけない。
しかし、まだ5時である。

ミラとお別れの日も近いので、熱帯夜で少し睡眠不足の身体を拭いて、
ミラのカギをポケットに入れて家を静かに出発した。

まずは176のバイパスに入り宝塚へ向かう。そのあたりから、細かい雨が
降ってきた。梅雨明けは、とっくに済んだはずだが、最近、この日本の
天気はおかしい。



宝塚市街を抜けて国道のまま、三田を目指すことにした。

赤坂峠というのが、頂点の名前だが、塩瀬や生瀬を越えて行く道と言った方が、
分かりが良い。

早朝だが前の軽トラが遅く、車線が減少した時に抜いた新しいミラが、
追いついてきた。

気が進まないので、脇道に入るふりして、先行させる。
その間雨はずっと降っていた。

三田に入る手前に、ジョイフルが開いていたのでひと休みをする。
客は若者が2組いた。入れ違いに年取った親子連れがいなくなったので、
私は普段来ていない客層なのだろう。

雨の朝は、明るくなってきた。ミラのホワイトボディが、清々しく感じる。

有馬から船坂峠を越えて、六甲山まで上がってみた。



このクルマと出会った頃は、仕事もクルマ趣味も煮詰まってしまい、
逃げ出したい感覚であった。

昨年の夏には、煮えながら、850クーペで、綾部を抜けて日本海まで
やけくそのドライブして、泳ぎに行ったことがある。



そんな時に、このクルマと出会った。
ロックな生き方が、出来ず飲んだくれてばかり居た。
街角で拾った楽器で、私は何を、弾きたかったのだろう。

叔母から、もらったアルトより、ずっと運転本位なミラには、
ドライブの楽しみがあった。
遠出にも、連れ出した。
私はささくれた感情を次第に癒されたのかもしれない。



このクルマを引き取りに行った夕方は、黒い雲が広がり、やがて雷鳴が轟き、
東大阪から池田まで、どしゃ降りの嵐の夜だった。

約1年のミラとの生活は、きっと忘れないだろうと思いました。


Posted at 2013/08/01 14:24:42 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年07月24日 イイね!

ハンガリーの旧車イベントVelodrom Millenáris

ハンガリーの旧車イベントVelodrom Millenáris最近フェイスブックを使い始めた。

私は、ネット巧者でないので、
ずいぶん、ビビリながらの遅まきの参入だが、
シェアというリンクのいじり方をしていると
ハンガリーのフィアット好きのおじさんから、
友だち申請が届いた。


「なりすまし」でもなさそうなので、請けてみた。
時々届くのは、車のホト(陰部じゃないよ、写真のこと)
ばかりなんだが、旧東欧圏というのは面白い。


そこでシェアした写真のうち、話題となったのがトップの1枚。
黒いX1/9が周回しているが、その中庭みたいなグラウンドに
並んでいる、旧車の、のどかなこと。
思わず「フォード・カプリⅡだ!」とゴールドの個体に
私は目を細めてしまった。

ところで、これは旧車イベントのようで、動画にも同じ
Velodrom Millenárisというタイトルがあるのをみつけて、
次第に気になるように、なってきた。

そこでコンピュータ検索してみると、ウイキコモンに一項がある。
どうやら、ベロドロムが自転車競技場のことで、これは元々、1890年代に
始まった自転車競技に、ちなんだサイクル(シクロ、ヴェロ)の
イベントでないかと、想像がつくようになった。



写真のバンクは、自転車用なのである。そこに2輪も4輪も集まり、
ご覧のような楽しいイベントを、たぶん年に1回、首都ブダペストの
競輪場でやっているようだ。



ハンガリーやチェコといった国々は、工業力が高い。

この少しコワい(笑)、完全盛装の女性の後ろに写っているのは、
何年か前に、お台場のニューイヤーミーティングで来ていた、
チェコのサイクルカー(外装が硬い布張り、飛行機みたい)だと思う。



ほう、こんな祭があるのかと、僕は楽しくなって来た。
ブダペストは通過の乗り換えだが、一瞬駅前に立ち寄った思い出もある。



いよいよユーチューブの、動画を見つけたので、日本の皆さんにも
公開することにしよう。

何と言ってもユルい。服装も遊びがてらだし、日本の様に、クラシックカーは
こうでなくてはの、コスプレ(ただし板に着いていない)レーシングウエアなど
一人も居ない。

もっとびっくりするのは、ヘルメットを被っている者が、4輪は全く居ないのである。
レース走行でなく、これは「お遊び」と、割り切っているのだろうか。




日本の25年くらい前の旧車イベント、富士ジャンボリーで、最後はオールカマー
自由にサーキットを走っている時は、こんな雰囲気だったように記憶する。

あの頃はフォードカプリや、BMW2000CSでも、オペル1900GTでも大いばりで
参加車を横に並べて、談義していたと思う。

だんだん珍し自慢になっていったのは、神戸のモンテミリアがバブルとシンクロ
して、レギュレーションだの、参加誓約書だの、年を追うごとに縛りがきつく
なったから。
この動画を見ると、がんじがらめになった今のイベントしか知らない、若い人が見たら、
コケそうな自由な空気が流れている。

それにしても、ムシ系とフェラーリのいないイベントって、のどかだなあ。

僕が850に乗り始めた頃って、うんと機会は少なかったけれど、日本も
こんな感じだったと、つい思い出してしまった。







Posted at 2013/07/24 16:04:25 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
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