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2018年06月02日 イイね!

若い人たちと旧車

若い人たちと旧車


今の時代はイケてない。
とくにジドウシャはそうだと思う。

僕よりもっと若い人たちは、感性が鋭いからとっくに現実を見抜いている。

このところの時代社会を見ていると、若い人、エッジの立った人たちは
とっくに新車、新型製品に見放して、古いもの、つまり過去の「ナンバー」の
中より、面白いもの、エッジの立ったプロダクトを見分けて、その中から
現実の進行形の生活、場面。つまりリアルライフで使っていく、自分の
パーソナルライフを演出する「小道具」として使っていないか。


いま、
レコードだのファッションだの、カメラやあらゆる分野で「昭和レスペクト」が
起きている。僕も最初はただの“回顧趣味”かと、思っていたが実はそうでもない。

平成末期、2010年代後半の世の中が「つまらなさ過ぎる」から、あらゆる分野で、
「過去の(製品の)見直し」が起きている。


おじさんたちは、若者が使う
「エモい」という言葉を知っているだろうか。


野球選手のエモトではない(古っ)。
エモーション、エモーショナルなの、情動、感情に訴える部分で、
「これっ!」という反応があるものを、若者は求めてる、飢えているのである。

こんなしょーもない、予定調和な、平和社会に、楯突くのは、昔のように
反戦とか、反体制とか、要するに既存の価値観を否定して、レヴォリューション
することは、今は社会的に生きにくいし、抹殺されそうになる。

その代わり、21世紀のこのあたりから、前世紀の見直しや、面白そう探しが
始まって佳境になりつつある。





何でそうなったかを、今日は考えて行く。

まず現代のプロダクトを見て、なぜがっかりするかというと
コストが計算されすぎて、誰が見ても中身が薄いことにある。

そんな新車のプリウスも買えない私が言うのも、なんだが。

アクアを乗ってる人には悪いが、ジドウシャの夢って何だったのだろう。

名前からして水みたいに薄い。

音楽でも、80年代からコンピューター演奏技術が進んで、今度は再生機能が
人がやることが減り、環境変化の進展で、誰も苦労しなくなってしまった。

もう機械に詳しい男性にリスペクトは集まらないし、アタマの良い男性も
そこらへんのお姐ちゃんも大差が無い。

こんな素晴らしい平等社会は、ある意味で「愚民社会」ともいう。

これでは、と思う人も、流れには逆らえない。
私のように、社会と距離をとり、孤独に生きて行くことは可能だが、
それすらも、回り中気がつくと薄っぺらな文化だけになっていく。

もう、そういう時代に絶望して、死んで行った人も多い。(才能のこと)

しかし、天才と盆栽の間に、中間に生きる人もいるから、そこまで尖らずとも
まあまあ、やれる範囲で、オモシロイこともないだろうかというのが、
本ブログの趣旨なのである。






今日使った写真は、昨日探し出して来た、1974ー77年頃の
普通の日本の風景である。
小物に写っている国産車たちでも、今見ると随分個性があり面白い。

これがエモい車かどうかというのではなく、
その存在感がエモいかどうか、なのだと思う。

やっぱり今の時代に当たり前に生きていたら楽しくない。
人生ずーーーーーーーーっと、予定調和で行って、どんな結論(夢)が
待っているのであろう。

そこらへんのおかしさに気付いた人がもっと出てきて、平成より後の時代を
変えて行って欲しい。

若者と旧車というタイトルは、組み合わせが変わっているというより、
何か足りない栄養、今のメニューの食事を毎日繰り返していても、
死にはしないだろうが、これでいいのか? 世の中にはもっと美味しい?
珍奇なご馳走があるのかもしれない。

そんなことを、ようやく時代が気付き始めて、毎日見慣れた日常は、
せいぜい20年くらいの連続であり、それを昭和のミドルエイジまで遡れば、
日本も当時は「なかなかの」国だったことを、知り、ここに面白さを発見!

みたいなことになりつつあるのではないかと、感じている。

で、おじさんたちは、どうすればいいのかは、別の機会に考える。
今日は以上。











Posted at 2018/06/02 07:25:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年05月30日 イイね!

蒼い時間

蒼い時間

梅雨に入ったみたいで、朝から瀟瀟と雨が降っている。

昨日は曇りの一日ながら、蒸暑くて、
朝からトリプルバイトで働いているうちに、午後3時頃に気分が悪くなった。

1時間程の間に2回下痢を起こして、外回りだったので、トイレ確保が間一髪だった。

喫茶店に入り、涼んでいると寒くなり過ぎで、完全に体調がアウトにまたなった。

私は、自動車、オンボロ家ともにエアコンが無い。
だから暑さにも寒さにも大変弱い。
数年後には生きていないのではと、昨夏無職の時に家で失神しかけて思った。

こんな自然に流されるように生きているのは、お粗末なことだろうけれど
昔が好きなので、昔の人の命が短かかったことを思えば、よく生きられたものだ。

こんにちの社会は、何でも「克服せよ」と人は言う。
苦難や困難を乗り越えたり、文明の利器を多用して生きれば、人間は
何でも出来るようになった。と思う。

私は元々が、身体が弱かった。よく、子どもの頃は重い病気になった。
だから死への恐怖は、同年代の子どもとは違って敏感に、そして深刻にいつも
考えるようになっていった。

大人になってから大病をする人の、その後の反応をみていると、
私の性格のせいだろうが、滑稽なものを見ている気がする時がある。

空元気や、不健康自慢した人が、改心したように医者に従順になったり、
大きな子どもを見ているような感想が残る。





私は10年前に、サラリーマンを辞めていなければ、皆さんと同じように今でも
複数の車に乗って、趣味の維持を続けていたかもしれない。

それは遅かれ早かれ、自動車社会の展望として、面白かった時代それぞれ、
70年代、80年代、そして90年から2000年を越える頃に、思い出は残せた。

楽しきことは、純粋な面白さを発見し、研究し、自分に合うような開発をして行って
そこから普段の暮らしや生活に取り込んで行けるかに関わる。


クルマの趣味が花開いて行った時代から、咲いた頃。その後の流れを見て来た
者の言である。

それで、クルマの未来と、過去については、何度もいろいろな記事を書いて来た。
では、今のクルマについて、やれることはまだ残ってないだろうか。

私は新車を買うお金は持っていない。2010年頃は可能だった。
その頃、CR-Zが出て、昨年で7年で打ち切りになった。
またFT86が翌年くらいに出て来て、これは今も売っている。
しかしAE86のイメージを踏襲させる販売センスは、何も新しいレジェンドを生まなかった。
スバルのBRZも一瞬いいかと思いかけたが、今日のスバルのラインからは孤立していると思う。


スポーツカーは非常にニッチな乗り物の時代である。

マツダのロードスターは、4世代目くらいになり、最近はコンパクトなクーペが走っている。

今日的にクルマを楽しむことは、人に共感されることが少なくなった。
もうフェラーリや、ロールスロイスが走っていても、だれも振り向かないし、
まだそんなメーカーが現在にあったの?、と若い女性が思うかもしれない。




今はブランド呼ばわりされることは、少しどころか、大分うっとうしい。
だから私が長くフィアットに乗ることを、初めて知った人は大抵新鮮に驚く。

また、通好みな的を射止めましたね、と言ってくれる人もいるが、嬉しいが
そんなに反応しない。


中古車は、思った以上に安いし、もう新品礼賛の時代ではない。

マンションや一戸建て家屋も「リノベーション物件」ブームの時代だ。

ただし中古車のリノベーションは無く「改造車」扱いになるので、余程慎重に
やらないと、振り向いても見られない。

だが、買ったユーザーが中古車をいじって遊ぶことが、復活しても良い。

中古車は、あまり堅苦しく売ってはいけないし、いい加減だからといって
万一訴えることも、悪質でなければ、勉強代だと思う方である。


素人の人が中古車業界に潜入することは、何度もブームが繰り返されたが、
最近はまた面白くなって来たのではないだろうか。

私がとても若い頃は、カーセンサー創成期で、全国相場は無かった頃だ。
「月刊中古車情報」という白黒中心の雑誌綴じの本が好きで端から読んでいた。

私は新車より元々、少し前の時代の車が好きで、「新しい物が最善」
といった新車ディーラーのセリフは、信じない方だった。



今日も結論の無いセンテンスになり申し訳ない。
しかし中古車の安いのを見つけてきて、工夫して乗って遊んでみるというのは
あるのかもしれない。

クルマ離れという言葉に対して、私は全く反発がないが、頭から思い込んでいる
若い人が、もしかしたらいるのなら、それは勿体ないと思う。


自動車がつまらなく見えるようになったのは、大人たちのせい。それと
そんな大人に育てられた、若い人に言いたいのは、「人の話なんて聞かなくてよい」
自分の眼で、面白いものを探してくる感覚だけは、身につけた方が良い。
それだけです。




Posted at 2018/05/30 15:41:17 | コメント(5) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年04月27日 イイね!

残り少なきクルマとの時間を楽しむためには

残り少なきクルマとの時間を楽しむためには

現代車のことを、といってもどこからが
現代車か判らないが、あまり批判する気もない。



ただ、最近「レコードを聴く」というイベントに参加して、
すこし気がついたことがあった。

その日は雨で、午前中外出し、家に夕方までいて、それから出かけるのが
億劫だった。
そこで濡れてもいいじゃん、とフィアットのエンジンに火を入れて
夜のハイウェイを、南に30キロ離れた町まで、車で走ってみた。

これがなかなかハマって、その後の行事も、初めは及び腰で参加したのだが
後の方はなかなか楽しめるような、気持ちに変われたのである。



稲垣潤一の「ドラマティックレイン」とか、「夏のクラクション」といったナンバーが
宿題のように、懸けられて、集まった仲間で聴きながら、感想や意見を述べたり。


私は30年以上ずっと“クーペ”に乗っていることなど。

今度は現代車のことを考えることについて。


現代は交通事故の死者が、往年の半分以下に激減した。
その理由は、自動車の台数も漸減傾向にあるが、安全性が非常に高水準に
なったこと。
そのお陰もあり、今は「荒っぽい運転」を見ることが、殆どなくなって、
驚いたり呆れたりしなくなってきた。


ストレスが減ったとも思う。
反対に高ストレスなのは、一部の高齢者の、咄嗟に起きた状況トラブルではないか。

だから信じられない事故が起きたり、逆走に対処もできない。

私は旧い車が好きでずっと乗っているが、新しい現代車を、どう思うのかについて
目の敵みたいに思うのは、やめようと思うように変わって来た。

ただ大き過ぎる「壁」のようなのが前に入ると、速度を下げたり、間をあける
ことで対応している。




レコードを聴く音楽会が楽しかった理由は、複数ある。

年代の近い男性グループであり、趣味人の集まりであったことなど。

私が一番アナクロで変わった生き方だと思うのだが、もうこだわりの時代は過ぎて
好きなことを制約内で出来たら、残り時間の過ごし方なのだと、悟った。

雨の夜道を、私にお金があれば、安全な現代車で、有料高速を南下しただろう。

そこを1971年のフィアットで、無料の新御堂筋を箕面から大阪都心まで飛ばしていく。

この道は1970年の万博で作った道だから、クルマもふさわしい。

かかる音楽も小ボリュームで、カセットテープで古い音楽をかけていた。

これも進化がないと「批判」され続けたが、今はレコードと同じで、反対にエッジが
立って、今の音楽を聴くよりずっとオモシロイ。



音楽とか自動車産業というものは
成熟産業とよくいわれる。

その成長途上に起きたものは、同時代体験者にとり、最高に面白い経験であり
その後の人生観にも影響する部分がある。


楽しみというのは、反芻する味の記憶かもしれない。

だんだん、時代のメソッドが変わっていき、iPodや端末から圧縮された音楽情報が
こぼれて来るのを、受けるようになっているが、

レコードの溝が針を通し、何を塩化ビニールのディスクに込められた芸術や
青春文化論を語りたいのか、その背景にどんなテレビ・映画の映像が流れたなど、


これとクルマの関係は、似ているし、今ほど希薄ではなかったように思われる。

それは、情報数が、出元が限られており、固定された人口の若者比率が
そこに殺到したから「ああ聖子ちゃん」で、共通項認識だったのだろうと判る。


私たちの残り時間はあと、どのくらいだろう。
私は棄てきれなかったレコード類を、たまに取り出して、いつも一人で
聴いていたのを、たまには仲間と聴くのも好いなと思い、
夜の道を、北の寝ぐらに向かい、再びエンジンをかけて走り出した。
Posted at 2018/04/27 10:37:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年04月12日 イイね!

沖島への旅

沖島への旅晴れた火曜日の10日に、滋賀県に旅行した。
行き先は近江八幡市の沖島。琵琶湖に浮かんだ270人の人口を抱える小島だ。
朝11時に東海道線瀬田駅に集合と言われて、とても天気の良い休日(私にとっての)だったので、自動車を出すことにした。








最近の私のマイテーマは、平日遊びの活用である。これに準シニアのと冠詞が着いているようなイメージだろうか。

ここで電車で来た参加者と私が先に合流することになった。後で判ったが、全員で5名である。60代前半が3人、50代が私を含めて2人。平均年齢は61歳くらいであろう。


最初に立ち寄ったのは、集合の遅れと船の時間などで、琵琶湖岸にある古刹、長命寺になった。西国三十三カ所に当たる有名な寺らしい。











私はこのところ、日曜日の休日に旧車のイベントに全く行かなくなった。
行っても新しい発見や刺激は無いに等しいし、同じ循環の人間関係から得るものも
少ない。人生の残り時間も短くなってくると、卒車か、卒イベントになっても仕方が無い。


この参加者の方々は、知的な面でも面白く、民俗学のフィールドワークをされて
大学で講師をされている方の導きで、私は参加してみることになった。

これは他の集まりへの批判でないことを断っておくが、私も30代や40代の頃は
当時珍しかった自動車のイベントや、その後のオフ会の流れに馳せ参じた。

しかし還暦まで数年の今、私を満足させてくれるものは、教養とか文化だと思う。
この行事に、たまたま旧車に乗って行っただけであるが、同年代には大いに受けた。

そう言う意味で、非日常の一日ツアー、観光もあるが知的な集まりの、実際の
看板は、同好の志の写真撮影会である。



猫が駐車場に多い。昼食を食べていると、寄ってくる。




長命寺のボルボV70。 もう懐かしいクルマになってきた。





ブログを再開してから、いろんなことを書かせてもらったが、自動車趣味の現状は
見通しが暗い。その一つが、人材が入って来ないような、狭い文化意識にあると思う。
私はそこから先に、一歩距離を置くことにして、このところ、準シニアの遊び方。
平日活用法について、実践と考察を繰り返すことにした。


自動車の趣味というより、趣味車の活用は、そういう時のビジターの会話の話題くらいで良いではないか。



午後2時過ぎに沖島に渡る船に乗り込んだ。自動車は無料の駐車場に停めて置く。
そういう使い方なので、超エンスー車は乗っていけない。ランチアフラミニアでは、気が気で無いであろう。





15分ほどで淡水湖唯一の有人の離島に着いた。ここからが印象深く、記憶に残る休日になった。









島の概要は近江八幡市の市域に属するが、長い間に石切り場で栄えた島であり、
今は淡水湖漁業で暮らす場所である。島の中は昭和40年代後半のママの暮らしが残っていると言って良い。

別の所に解説的なことは書いてしまったので、興味が湧いた方は調べて欲しい。

午後5時まで島内を回っていろんな風景の写真撮影を行った。
この島の歴史と定期航路が開設して以来、何度も渡っている方の解説で
非常に興味深い話をいくつも聴けたことが、とても良かった。



純粋な島というものは減ってきており、架橋が出来ると、島の暮らしは一変する。

この不便さをなぜ維持し続けているのかは、落武者の歴史も尾を引いているようだ。

私の不便な車で30年以上同じカーライフを維持していることと、島の暮らしが
古い民家中心で、コンビニどころか商店も島外に行かないと無いという禁欲ぶりが
どこか通底しているように共感出来た。




たとえば、旧車に乗る者が浮かれているのは、ヘンではないかと思ったりする。
「金が無いからずっと同じ車なんです」くらいの自制で、ひけらかさない。
集まる時は非合法の集会くらいのノリで、こっそり目立たずにやる。
だから代官山は私は恥ずかしい以前の、それすら感じない感覚のずれた行事だと
思っている。



旅の帰りは、同じ方面の隣の市に住む方を乗せて、名神〜新名神を新規開通区間を乗せてあげて走った。

この吃驚した島の一日が終わり、帰りの船を降りて、車で家まで帰るのに長い時間も
かからないという事実。
私のクルマが1971年製ということとか、その辺りのことも、行事を楽しむのに役立てたと思う。

Posted at 2018/04/12 06:28:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2018年03月20日 イイね!

日曜日

日曜日日曜日に久しぶりに下道を走り神戸に行ってみた。
今は2018年だし、昭和が終わって29年が経つ。
このクルマは昭和46年登録で、私は62年春から乗り続けている。




最近気持ちが耄碌しやすく、ちょっとのことで気持ちから先に挫ける。
それは生きて行くのに必要なお金が無くなったこととか、
親族の別れとか、よく孤独を感じる年齢になったことによる。



それを工夫して克服して、人は生きているのだが、何もかもがめんどうになると
生きるのが真っ先にしんどくなる。

どうしたらそうならずに済むのか。
そう言う時に私の場合はクルマがまだあったことを思い出す。

神戸には聴きたい講演会があったので、行ってみた。
いつもなら鉄道でいくのだが、今回は勘違いして、主催企業の流通基地に
行ってしまい、そこでとんちんかんに気がついた。

焦ったし、携帯電話は一瞬見失い、失くしたかと思い、パニックになりかけた。

ところが、遅れても良いやと、落ち着きを取り戻すのに、長年信頼している
愛車があることに気がつき、カーナビの行き先を変更して遅れて会場に着いた。



日曜日は、講演会で少し収穫があった。

講師の先生の話にも共感するところも多かったが、自分に足りないものや
その他の補足の講演も聞き、やはり何を目指すのか、考えてみようと思った。


帰りの足取りは決して重くなく、30キロ弱の道を再び、国道で戻った。




神戸市内を走っていると、着のママの姿で使われているちょっと前のジャガーが
道路脇に停まり、老夫婦が日曜の午後らしく、普段使いで乗っていた。

フロントのホイルのブレーキ粉は、私のフィアット同様構っていない。
高級車もこんな姿で使われているのは、緊張感がうんと少なく、好いなと思う。

この車と夫婦の過ごして来た長い時間は、よく似合っていると思うし
個人ユーザーのジャガーらしく、色も上品で個性的だ。
こういう人たちは見掛けと違った意味での「金持ち」かもしれない。
リセールバリューなんて、かけらも考えない昔からのこうべっコかもしれない。


私も長い時間、フィアットに乗り続けられたことは、何も計算せずに、
常にクルマを気持ち良く乗りたいだけの一心で乗って来た。


ホームタウンに夕方着いて、それから軽く飲み始めていると、
街バルに出演したバンドが店に入り、しゃべっているうちに興が乗り
即興のライブを再現してくれた。



こんな感じで日曜日が過ごせたのは、まだフィアットが私を乗せて走って
くれるからだと思った。

次に乗る時は、どんな物語が書けるのか。




Posted at 2018/03/20 16:01:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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