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2025年10月09日 イイね!

50cc原付の廃止と元新潟鉄工の破綻

50cc原付の廃止と元新潟鉄工の破綻最近の出来事で、別々のことなのだが、結構大きな時代の変化に取り残されたような感想の残る話が2つ起きていたことを知って、自分の66年の人生を振り返りながら、時代とは?というテーマで考えていることについて書いてみる。




一つが、来年から50cc未満の原動機付き自転車=いわゆる原付がカテゴリー的に廃止となる。
平たくいうと日本の発明特許みたいな、超小型のガソリンエンジンのバイクが環境問題などで、作られなくなるというニュースで、大きくない話題であるが、ここまでこの分野がよく続いたことを思い返すことに至った。

もう近年の中国などでは小型のスクーターはほぼ電動で、ガソリンエンジンを用いたものは、作られていないことは知っていた。

それでも1990年代とかの東南アジアでは、日本製の小型バイクは、風景の一部のように輸出され、都会の賑やかな風景の象徴として、どこに行っても見ることが当たり前だった。





これらの写真は仕事でタイなどに行った時に写したものだが、日本の小型バイクの製造は、途上国などでは簡便な交通機関として取り入れられて、その大元は1950年代から70年代に日本国内で成功した2輪製造の技術の発展が、根本を支えていたと思う。



非常にこの50cc未満原付廃止の話題と、ニュースのフォローは歯切れが悪い。

というのも、原付のジャンルを125cc以下にすると言った、いかにもお役所的な小手先の解釈変更だけで、この「廃止する」立法行政に対する明確な説明、世間的なコンセンサスのかけらもない、踏み切りだから、私のように、いま、古いスーパーカブを愛用している人間には、取り残されたジャンルの意味の変更する理由。

これまでの、自動二輪小型等の説明はどうなってくるのか。
バイク乗りや、バイク好きに対する背信と諦めのような空気を非常に感じたからである。



もう2輪バイクが日本の産業から消えて行っても仕方がないという極端な空気さえ、私は感じてしまった。




もう一つの話題は、かつて国鉄私鉄の非電化鉄道の近代化を支えた鉄道車両メーカーだった新潟鉄工が、2000年代に経営が行き詰まり、鉄道部門の存続を図ってIHIの下で再興させた新潟トランシスという鉄道車両メーカーが、またも行き詰まって、親会社のIHIが譲渡先を探して売却。おそらくは紙屑並みの存在に陥っていたというニュースにも、ショックを受けた。

IHI「新潟トランシス売却」地方向け気動車や超低床電車など製造、前身は新潟鉄工




カット写真の大分交通から紀州に転じたキハ600型のような、戦後の無煙化の立役者の気動車から、この30年前にはJR東海の非電化区間高速運転化の象徴、キハ85系まで様々なディーゼル車両を製造して来た文字通りのトップ企業だった。
かつては。

しかしJR東海は更新時期の来たキハ85の代わりに、ハイブリッドエンジンのHC85を2023年に登場させて、新潟トランシスとの取引は無くなった。



HC85系はクモハやモハで、気動車ではない。形式名もパンタのない電車である。

この時に新潟トランシスの命運は決まったということに気がついていなかったことを後悔する。

さて今日のテーマとしていつまで内燃機関の動力車を、陸上と公道に存続し続けることができるだろうか。
鉄道のような公的な陸上運送部門では、もうディーゼルカーの新規需要はほぼ無くなったという事実に気がついて、この記事を書いている。



そんな21世紀の行方を考えていくと、日産の危機どころでなくトヨタ、ホンダもいつまでガソリンエンジンで会社が続くのか。

未来は大変危うい時代に、私のような市民も、大自動車メーカーで働く年収1000万以上の部長さんも、皮膚感覚として内燃企業がどのようにチョウとサナギの関係が変わっていかないと、あと10年も残り時間は無いように思えたのである。

石川島播磨重工といった日本の高度経済成長を支えた企業は、タービンの技術で世界的なシェアがあり、かつて1980年前後の自動車の「ターボブーム」を支えた会社だったことを覚えている人もいるだろう。



新潟鉄工を再建して、内燃企業の名門を存続させることは、IHI的に内製部門として「あり」の発想だったと考えるが、迷走した新潟トランシスは評判を下げ続け、ついに親会社が離縁するに至ったと私は考える。

日本はものつくり、技術型企業の優秀さで1970−80年代はどの部門を取っても、世界の先端や最新の研究を無理なくこなせていた。

しかし1990年代以降は、冷戦が終わり、東ヨーロッパや東南アジアの諸国が、技術と製造業の主役をどんどん握っていった。

ニッポンは最初は工場の海外移転で、為替レートでのビハインドを乗り切れると思っていたが、国内消費と、国内産業の低迷が30年続いて、本当に錆びついた国家となった。




ここはみんカラのブログなので、内燃エンジン好きの最後の一人である私自身もこれから先は、もう見えないような気がしているし、今回の象徴的な2事例が大きな話題にもならないことに、「終わりの始まり」を痛切に感じてしまった。

ガソリン車、ガソリンバイクに乗り続けることは、そりゃあ楽しいよ。

でも私たちに許された時間は、最後の黄昏前の夕焼けだけなのである。
Posted at 2025/10/09 14:35:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2025年08月06日 イイね!

ビッグモーターから残クレアルファードまで



https://www.youtube.com/watch?v=ODmsg23HYoE&list=RDODmsg23HYoE&start_radio=1

今年の流行語にノミネートされそうな動画情報を昨日いきなり見てぶっ飛んだ。
ワロタ。
秀逸に出来ていて出来過ぎ。


これだけでポストしても受けるだろうと思ったが、いつものスタイルで
投稿記事を書いて行くことにする。


なんでアルファードがあんなに売れたのか、その実態を知らなかった。
実は残クレ、残価設定型クレジットというリーススタイルの巧妙なセールスで
クルマは長期ローンで売るより、買う以前、所有権登記移動も後回しにした
売り方で、「買った」気分になっているけれど、これはレンタカーでは
ありませんが、完全なあなたのクルマじゃありませんので、乗って運転するのは
自由ですが、値打ちの下がらない乗り方をしてください。

という巧妙な技法で、結局売った方のセールスディーラーに丸投げで、
TOYOTAはアルファードを言い方が悪いが、情弱に”バカスカ売って”
3兆円企業だの、ウハウハしてきた訳だ。

なんであんなにガラが悪い運転をする連中が、高額車に乗り回せてるのか、
そのカラクリが、1発で判った。




今年に入って、生成AIを利用した画像や動画が、使われ作られて、新ジャンルの
確立に近いが、この中でもイノセントな立場のディーラーのお姉ちゃんは
ジブリ顔で登場するので、毒が強い。笑ってしまう。

この内容コンテンツも、こんな連中は、ドンキに行って、休日は河川敷
バーベキューでゴミや焦げたコンロを放置する。子供は結構多くて、
全員キラキラネーム、と今の日本の何パーセントかを占める
「マイルドヤンキー」の生活実態を実にコケにしている。
40年前の金魂巻を見事に今に再現してると思う。





そこで何回も元に戻って思うのは、自動車の産業やビジネスは、財界のトップに
立とうとも、所詮は根っこの部分が、いい加減だったり、すぐに闇落ちしやすい
ダーティーな感覚が、100年経とうと、抜けきれないビジネスだと、気が付く。


その端的な出来事が、ちょっと前の今は「wecars」に姿を変えた、中古車販売
最大手の「ビッグモーター」事件であった。

ビッグモーターは過当な中古車ビジネスで短期間に成り上がった典型的な
急成長企業だったが、売る売らぬだけで稼げるのが、届かないと、
客の車を預かってるのを、故意にぶつけたり凹ませて、修理代と、保険損保まで
グルになって、金を引っ張って来てたという悪質さだ。


その損保屋の損保ジャパンから多くの人間をビッグモーターに出向させて
一緒になって、多くの顧客から預かっている保険金を、”運用”していた訳だから
業界の信用も地に堕ちたものである。

トップ企業の損保ジャパンが監査請求どころか取り付け騒ぎになる手前の
大醜聞だったので、緊急でビッグを解散させてwecarsに看板変えさせたのだから
自民党が献金をおそらく貰っていたなら、政治家が逮捕される疑獄事件になる前に
うやむやに事件を揉み消してしまった。

おそらくあの事件の最終シナリオは安倍政権時代の裏側で起きていたのではないか。




それにしても、私は自動車好きだと自分でも思うが、販売や商売の裏側は
非常に複雑で巧妙にユーザーのお金を巻き上げるシステムが常に発達し続けている。

私が新車を一度も買ったことがないのは、単に貧乏で金が無いからと笑って
貰って構わないが、中古を自分の責任で買って、直して乗る方が
よほど精神衛生に良いのではと思ってしまった。




Posted at 2025/08/06 05:00:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2025年07月30日 イイね!

変わり行く年に〜2025〜

変わり行く年に〜2025〜ホンダが割り切った軽のEVを出して来て、運転台周りの風景に液晶の大型パネルを廃し、最初のフィアットパンダみたいで良いと思った。

余計な説明やモノは要らないと思う。

自動車の世界だけでなくシンプル、ああシンプルという言葉も政治の世界ではよく批判されるが、運転したいという訴求力だと思う。

安全装置とかいっぱい付け出してから、自動車は車検に通りにくくなった。

インジケータが一つ点いただけで走る車に不能を出すと言った。

そんな時代に生きてしまうと、本当に前と将来が見えにくい。

大きな未来に向かって生まれた筈なのに、点灯警告灯が一つ点いただけで
人生がストップしたり、前進がそこでストップしてしまう。




10日ぶりにブログを書くが、今は自民党の総裁を引き摺り下ろして
選挙で負けたから、慣例の辞任を要求しているその段階。

選挙の有権者も賢くなり、言ってるのは敗因の裏金議員が平気で言ってる。
「どの口が言う」レベルだから、石破辞めるなのシュプレヒコール。

躍進した政党の参政党が危険だ。カルトだ。健康食品だと騒ぐ連中。

しかしここまで政治が後退したのは、誰も何もしてこなくて、
自動車の安全インジケータばかり磨いていたからではないのか。




大元で制度設計をしているのは国のトップの官僚らだ。

将来に税収不足が出るのは予測する。団塊世代が高齢者に突入する40年前に
消費税方式を導入して、彼らの福祉費、介護保険制度まで作り上げた見事な
頭脳は、いま、日本が30年以上、不況で消費経済が低迷する元凶を作ったこと
それを決して認めない。

日本はバブルの後に、出口の見えないデフレ経済の社会に長く迷い込んだ。


物価が上がらないから低賃金や賃金の上昇がなくてもやっていける
”耐性の強い”国民が生まれた。
初任給は30年殆ど上昇をしなかった。

これって、官僚と政治家たちのミスだろうと、私は10年以上前から言っている。

官僚はミスをしない。無謬神話で自分達が常に正しいと思っている。

左翼のインテリゲンチアさんたちも、庶民はバカで愚民といつも大衆は
扇動されやすい。一握りのインテリこそがまともだ、のような議論ばかりして
30年殆ど社会はまともに変わらなかった。


こんな記事を書くと、右寄りで危ない。こういう人物は日本を再び戦争に
引き摺り込むというレッテル貼りも、もういい加減誰もが飽きて来ている。


僕はレフトの左派の勢力は、体制の批判のためには必要を認める。

ただし方法論や論述展開で、古過ぎる。もっと21世紀の実情にあった
社会活動の展開の仕方に変えていかないと、金科玉条みたいに、熟語の連発
じゃあ、誰も着いていかない。




たぶんいま、選挙の結果が出て10日経った。
今年という年は、庶民の本音はとても苦しい。
けれど大きな声を出して騒ぐという行為は、日本人社会では「変なヤツ」
呼ばわりされそうでとても言い難い。

それでもやっぱり今言い出さないと、官僚や自分達が正しいと言ってる人たちは
いつまで経っても間違いを認めないから、この先はもっと苦しくなる。

あの馬鹿な前の農水相が、何回も政治努力しているを繰り返すが、コメはちっとも
下がらずに上がり続けて、小泉Jr.に交代させられて、荒っぽいがアメリカ産が
どさーっと入り込んでやっと上昇にストップがかかった。

今の社会の高い所に立って見ていると、そんな状況の中で2025年の夏がうねって
いるみたいに感じる。

暑中お見舞いを申し上げます。


Posted at 2025/07/30 07:43:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2025年04月29日 イイね!

一区切り

一区切り30年ぶりくらいに自動車雑誌の取材を受けました。

個人的にはニュースなんだと思います。
打診が来て、私でいいのか?と思ったくらいです。

取材は4月3週の月曜日で、その後事実確認のやりとりをして、もうゲラまで見て
へえーっと感心しました。

私の長い趣味人人生の、総まとめ。一区切りのイベントだったのかもしれません。

最近60代中盤から後半に向かう私は、色々と時代の針が進んで、自分のことを
時代が追い付いて、評価や認められるようなケースが、徐々に出ていることを
感じています。



SNSのあるところで、やりとりだけしている若い方(と思ってる)が
私の自動車遍歴を見て、地味な欧州車をピックアップしてきた
一つも目立とうというクルマの無い私のキャリアにびっくりして、
そういった知られないクルマ世界まで、最近の若い人は興味の触手を
広げていることにも気づきました。

もちろん私も嬉しいですが、国産車の世界が10年以上落ち込んで
新車の性能向上で、車が勢いで売れた時代は遠い過去になり、国産車から
外国車。現代の車が面白いのが少なく、過去のプロダクトの欧州車の良さとか
そういったものに、やっと目を向けられる時代が来ていると思います。

地味な欧州車こそ味があると思うようになったのは、大学時代に、周囲が
新車のターボだ、ツインカムだ、という時代に、ちょっと大人の感覚と
見識の高い「カーグラフィック」という高級な自動車雑誌に、世界の扉を
開かれた友人先輩らがいました。
私には編集長の小林彰太郎信者にしか見えなかったのは、へそまがりだったからです。

そこでどっちも、なんかなりたくなかった私は、独自の道を、洋書雑誌店に
売っていた、英国の「motor」「Autocar」といった地味なスタンド売りの雑誌を
読むことで、やっと本来の自動車というものは、主観的なインプレッション記事を
読むのでなく、こういった性能や室内長の比較から始めるものだと気がつきます。



記事を書きかけて10日以上止まってしまいました。

27日には大阪の羽曳野で行われたイベントに久しぶりに出ています。




Posted at 2025/05/10 03:55:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2025年03月25日 イイね!

技術系企業の悩み

技術系企業の悩み今はテック企業という言い方もあるが、日本の会社には世界を舞台に通用した会社も多くあった。

中でもソニーの存在は日本が産んだ世界に通用する(した)スター企業だったと歴史を振り返る。

ソニーはテープレコーダー技術で、世界に飛び出して、映像を記録する装置の方式で、ベータ規格を押し出してその優位性を謳い、VHS方式と雌雄を決する戦いに長く挑んでいたことを、覚えている人はいるだろう。

最近、ソニーはMDミニディスクから、完全に撤退を決めた。
私は2000年頃からデッキを買って、カセットデッキの代わりによく録音して、自動車の中で再生するのにちょうど良いと思い、実は最近、自動車の音源をMDデッキに戻した。

レコードや、カセットテープの音をMDに録音し、自分の好みのやや旧い
音源を聴くのにちょうど良い。

しかしこのMDで聴いている音楽ソースを、年配の人が再生装置で聴きたいというと
CDに入れ直したりしないといけない。MDは普及しなかったから、そこは一つの
障壁である。

さらにパソコンで取り込むのに、実はMDはWindows系の昔のパソコンだけが
対応で、Mac派の私は今頃になって、付属ソフトの不対応に驚いて呆れた。

おそらく想像だが、MDは出た時は優位性のある方式であったが、どうやらApple社のiTuneの出現を快く思っていなかったように思える。

パソコンの普及の30年間で、最初の頃の単機能からアプリケーションの発想が広がって、写真や音楽をこの箱に取り込めるように変わっていき、今はインターネットを介在して、音楽や動画、写真を世界に発信できるように変わっていった。


そういう時代の移り変わりの中で、パソコンはWindows系とMac系の併立が悩ましかった時代もあったが、今では穏やかに共生できているように思える。


そのパソコンが社会を変える以前の1980年代にソニーはウオークマンで社会を変えてしまった。
今から見ればアナログ方式のカセットテープを小型の再生装置で、持ち歩けるようにしただけのものだったが、瞬く間にこれは世界の人の心を掴んだ。

私はあれを嫌って最初から持たなかった一人である。偏屈でなんでもアンチだった。

ソニーの80年代の成功は、80年代後半にアメリカの大手の映像産業の本体まで買収できるくらいの時価総額になり、あの頃の日本は凄い力を蓄えていた。

その日本は40年弱でこれほど冴えない状況になった話は前回書いた。

私はこんな今、もしソニーがiTuneを受け入れて、MDにも簡単にデジタルインターフェースしていたら、今でも世界のAppleショップの横にソニー製品が並んでいて、MDはCDより先に廃れずに済んだのでは、それか、次のステージの機器をソニーが共同開発したかもしれないと思った。ここは個人的な頭の想像で、テック系にもっと詳しい人は即座に否定されても構わない。

ソニーはmoraという日本独自の音楽サービスを始めて、何年維持しただろう。

私はもうMac愛用者になっていたので2000年代はソニーから離れた。
最初のプロバイダーはSo-netにするくらいソニーが好きだった。
だがCEOが技術系の人物から変わって、会社の体臭が「あれっ」と違ってきて、
当時は命の次に大事だったメールアドレスとホームページのうち、ホームページの
URLを利用者殺到でいきなり桁数字変更されてしまった。

今から見るとその程度のことであるが、私は年賀状の印刷も終えていたので
厳重に抗議した。回答が出るまで何回もメールで、いかがなものかと問い糺し
結局So-netを解約した。
その頃のCEOは最近亡くなった出井氏でGEのジャックウエルチを参考にしたのか
ソニーが保険代理業、続いて今も続けてる銀行業と言っても店舗を持たない
金融業に参入したから「あれー」そんなことよりも本体の電器の新製品や
ソニーレコードの方は?という裏切られた気分の方が強かった。



テック系企業は大半がアメリカ。後は中国という今の世界地図。台湾も頑張ってる。
日本はトランジスタ技術、次のIC、その次のLSI時代まで、もの凄く躍進を続けた。

80年代の優位から、ここまで転落した原因や理由は、いろんな記事と本を読んだ。

アメリカがソ連の崩壊で、東西対立が終わる前に、次は日本をやっつける国の方針に
なって、そこからの国際競争社会の変化。これは当たっている。
しかし武力で侵攻されたり、イラクやアフガンのようなことは無かった。

日本は技術力ともの作りで、戦後のカメラからテレビ、オーディオ、そして自動車と
何でも一時期は優位に立てたが、次の時代をゼロから考える力が乏しかったように思える。

日産がブルーバードP510と、初代のフェアレディ240Zを出した頃、特に後者は、当時のスポーツカー、ジャガーEタイプ、それと高価なポルシェ911(901)に比べて、驚くような廉価で高性能で、品質が良く壊れなかった。


ここまで書いてきて日本は凡庸なのか悩む。
ジョブズのようなゼロから家庭用パソコンに挑むとか、携帯電話の次、今は当たり前のスマホという日本語になったガジェットとか、それに近かったのがウオークマンだが、プリミティブな機械である。
私はあと、オートフォーカスのカメラも「日本的発想」と小馬鹿にして手を出さなかった。目先目的過ぎるのである。

その最初に出したMDがなぜ好きかというと、カセットテープに近い使用感と
CDの盤面傷が起きないから、私はアナログな自動車運転が得意なので、非常に
マッチングが良いと今も見直して、思った。
最近は老後になり時間もたっぷりあるので、レコードを日常的に聴いて録音し
クルマでも聴いている。

日本は世界をリードするようなテック国家になれなかったのは、当然のような気がするが、私のような好奇心型の人間のために、中間的なメディア方式の維持や、開発を継続して欲しい。自分は技術者になれなかったが、子供の頃から模型工作、今でも家庭内の機械を修理や日常的にやっている。
日本が立ち直るのは、少年とかの好奇心の涵養じゃないか。数十年かかるけれど
そう思う。

Posted at 2025/03/25 04:20:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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