• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2014年04月21日 イイね!

旅行最後の日 クラシックカーミーティングに参加して

旅行最後の日 クラシックカーミーティングに参加して今年の桜も、ほぼいってしまった。
そんな季節に、西日本を1200km走って
普通に暮らせれば、普通に走れれば、
あと何の憂いがあるだろうと思う。

自分の将来は判らない。先細りにも見えるし
これだけ動けるのなら、どこからか引き合いも
くるかもしれない。


それより、心身の健康が普通に維持できて、
歩けて、食べられて、頭で考えたことを行動に移し、
自由に旅が出来たら、こんな幸せなことはない。


米子の一夜は、同宿者があり、きいてみると昔から
存在を知っているマニアの方であった。
その人は横浜から長駆、山陰まで来られていると奇遇に驚いた。

前夜は少し飲み過ぎたので、頭が重い。

ユーロクラシックカーミーティング米子は、鳥取県米子市旗が崎にある
米子自動車学校の、市民祭みたいな行事の一環である。

米子と言うところは、鳥取県下の西の端に近い交通の要所で、
島根県の松江市の方が鳥取市より近い。
鉄道の管理局が国鉄時代にあり、今でもJR西の中堅支社がある。

鳥取県にはタクシーで有名なバス会社兼業の日本交通があり、
西側には日の丸自動車というバス路線が今でも会社を堅持している。
この舞台となった自動車学校は、教習所と名乗らず学校と言っているのが
面白い。
だから、クルマ好き達に取り、最終学歴は「自動車学校卒」なのかもしれない。



横浜からの来賓と主役の人と、私の3台が一番乗りして車を誘導する。
数はそんなに多くなく、30台以下だから楽だ。
1台、また1台と会場の端のイベントエリアに到着し、みんな運転教習時には
恐々だった、クランク部に車を寄せる。
イタリア車が多いが、イギリス車も少しいる。
70年代と80年代車が多いが、フェラーリ355のような90年代車もいる。

そう、「スーパーカーの来ない自動車イベント」と名付けたこの集まりも
今回は新しめのフェラーリとロータス・エスプリが並んだ。
ほかに新旧の911もいたので、決して非スーパーカー行事ではない。
しかし、癇高いサーキット系の空間に比べると、自動車関係の場所なのだが
停めたクルマの中で、昼寝でもしようかという穏やかな空気だ。
コース内に桜が咲いていることもあるのだろう。



参加車両も大人しいうえ、子供連れと奥さん同伴の参加者も多い。
周囲で子供の喜びそうな行事も開かれているし、賑わいを作り出すために
音楽イベントや食べ物のブースなどもたくさん出店している。

僕から見れば30−40代の頃、妻に休みを与えるために子供らを乗せて
サンデーイベントに参加するエンスーは、自分だけだったが、今はこういう
感覚がずいぶん普通になった。
まあ、クルマなんて自己が満足できれば買える範囲、なんだって良いんである。
それでどこかこういう軽めの非日常的な祝祭があればいい。
このイベントだって、最初から落としどころを練り込んで作った企画ではない。
参加する車両の範囲と、声かけ出来る人の繫がりと、僕らはそう変化を求めて
いないが、会場に偶然来た人たちが、珍しそうに覗き込むのが面白いのだろう。




震災の年は義援金のカンパ捻出のオークションもあったが、今年はフリマが
やりたい方はやられているくらいであった。
クルマを持っていると、大抵要らない部品や、入手したが不要になったり
そんなものが増えて来る。たまに捨て値で出して、新しい貰い手が着けば
それで良いじゃないか。

少し草臥れたパンダを売りたい方がおられたが、もう、その手は
18や20才くらいの若い人に乗ってもらった方が面白くはないか。
もちろん人の目的は、いろいろだが。

私の75は、アルファロメオの4台並んだ端に置かせてもらった。
隣のグリーンの1750セダンは、山陽・山陰のクルマ好きならご存じの
ダンツキ風ノルドに乗られるポスター主人の奥様である。
“つがい”で飼うなんて、昔のカーマガジンふうに表現すると、月並みだが
それが地方で実現できている、個性と価値観と、暮らしがあるということに
私は日本の成長と成熟を感じている。

最近はFacebookによく外国人からリクエストが来るのは、こういった内実を
私なりに外国に発信しているからである。
小国二ポンという謙遜か自虐か判らない態度は、私にはない。
傲岸でもない。
淡々と人の生き様と、自分の暮らしと、私たちの現実を客観視する。
それでこの国で、やっていけたらいいのではないか。

鉄道の町米子だから、こんな面白いものも会場を走っている。
後藤センター(鉄道車両工場)特製のサンライズ出雲号自走車である。



この電車寝台特急は、東京から今は岡山を経て、伯備線を上がり、
米子を経て出雲市まで走っている歴史ある列車だ。
こういうものは、有形無形で町の価値を上げる実は財産だと言うことを
米子の人は、少なくとも後藤工場に関係する鉄道マンは知っているのである。

子供たちがこれに親しんで、大きくなったらこういう「直通」列車に乗り
東京に勤めに行っても、故郷のことを時々思い出せば、それが「文化」という
故郷の薫陶なのである。

今の日本はスピードアップで、新幹線を採算無理して建設して、在来線は
ガタガタになり、3セク転換などで悲哀に満ちてしまう。急行特急停車駅も
崩壊して、駅前は寂れてしまう。
そう言う町から秀才や俊秀は、育たなくなり、学校のレベルも下がるだろう。

地方から上京列車に乗り出て来た僕は、何もノスタルジーを謳う訳ではない。
首都圏、中京圏、関西圏の3都市圏ばかりが栄えるでもない。
国内がバランスよく、釣り合えないと、最後は東京も棄てて、NYか上海に
移住しないと、やってられないことにもなりかねない。

そのための地方を考えるのは、地方を一度でも体験しないと、判らない。
大阪生まれの私の家人には、やっぱり見えていなかったような気がする。




昼下がりの空気は花曇りの春の午後となり、周囲のイベントも3時に終了。
私は主催者の方の娘さんと、いつまでも遊んでいたので、会場を引き上げるのは
最後の方に。デルタの方は横浜に。私は大阪に四日ぶりに戻る。



何も急ぐ用はないので、大山の見える方向に、アルファ75を走らせ、
途中から旧出雲街道を走ってゆく。





旧友と2台並べて満開の桜の下で、成年期を謳歌した思い出の新庄村を抜けて、
真庭の満開の桜並木の下を駆けて、姫新線の中国勝山駅まで走り抜ける。



かつては大阪から湯原温泉に向かう湯治客で賑わった駅も、今は直通もない。
しかし私はこの駅にある、すごくウマいうどん屋のじゃこ飯が、大の好物で、
米子のイベントに参加する度に、立ち寄って喰って行くのである。



旅の最後に贅沢をと、いつもはかけうどん+じゃこめしなのだが、
200円高いかきあげうどんを注文したら、写真のような巨大なかきあげが
ついていた。

さすがに完食すると、胃が一杯になり、落合から中国道に乗ったが、何度も
休憩しながら帰る羽目に成った。
それとかき揚げの味があったためにじゃこ飯のシンプルな味がほんの少し
削がれてしまったのが、残念であった。

次回からは素うどんに戻すか、かき揚げうどんだけにしよう。

家のある町にたどり着いたのはちょうど9時だった。
オドメーターは1200kmに10km余すのみ。今回もよく走ったが、
幸せな充実感は、食べて走って、無事に戻ってから、しみじみと思う物だと
痛感した。

アルファの方も、さすがに、点検にに出そうと思った。(完)


Posted at 2014/04/21 15:35:14 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年04月16日 イイね!

850クーペの近況

旅行の記事を書いている途中ですが、
少し酷使したアルファロメオを入場させ
850をどんな状況か、久しぶりに見てきました。

板金は8割仕上がり、新たに見つかった穴や錆をもう一回
直す工程にかかる直前です。
その後は、再塗装、それから艤装ということになります。
さて、あとどのくらい待てば、復帰できるのでしょうか。

期待を暖めているところです。



Posted at 2014/04/16 22:25:04 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年03月16日 イイね!

イベントシーズンの始まり

イベントシーズンの始まり昨夜から、イベントの前夜祭で、
グリーンピア三木に泊まっています。

「ちっちゃいクルマ大集合」といい、
2000年頃より続いている春の兵庫県の
ローカルイベントです。

昨夜の食後の2次会は、私がギターを弾き、
歌を歌って貸し切りのロッジで騒いで、
高校の同窓会みたいなノリでした。

10年前のアルバムをみながら酒を酌み交わせば、半分現役から、
務めを終えかけた年代に移りつつあり、これからのテーマ探しが
出てきそうです。

私は相棒850がレストア途上にて、アルファ75も仰々しいと思って、
叔母からもらって5年になる年金アルトで来てみました。

華も無いし、イベントの主役に成れませんが、もう人を驚かすような
歌舞伎なクルマに乗ることも、その気が収まって来ました。

人様の珍しいクルマを拝見して、楽しく一日を過ごせれば充分かと。

それと50歳代での隠居志向の方って、増えているのですね。



私の身をもって体現中のテーマであり、体力の余裕を持ちながら
70歳以降の、生きる目標探しも要ります。

みんなが同じような、ワンパターン思考になっている時は、社会が
危険な方向にいく手前です。

ミドルからシニアに行く私たちが、知恵と手本を示しながら、
今年の春という絵巻を綴ってゆきたいと思いました。

ここに泊まったのは、1999年の、第1回カーグラフィック関西
読者イベントの前夜祭以来です。
その時には、派手な80年代のような着飾ったパーティーに出席して、
名刺交換会のノリでした。

カーグラスタッフと、会話したかったが、彼らはホテルと別の所に
泊まっており、取り巻きが厚く、相手にしてもらえなかった
記憶が残っています。

そのロッジに今夜は泊まり、ギターのエンターテイメントを披露する
という巡り合わせに、少々感慨深いものがありました。

イベントの観客動員のため、自宅から850クーペを出して、さらに
いったん三木‐西宮を往復して、ローバーP6まで運んで、2台供出
した功労も、全く人ゴミの騒ぎに評価されずに、祭は終わりました。

若気の至りの苦い思い出、カーグラフィックも二玄社を離れて、
人気のあったファセルに乗られる女性スタッフも亡くなり、大小林
彰太郎も鬼籍に入られましたが、私は“嗚呼15年”を感じております。


Posted at 2014/03/16 05:40:06 | トラックバック(1) | つれづれ日記 | クルマ
2014年03月03日 イイね!

28年目の近況

28年目の近況1987年3月3日
フィアット850クーペを京都の街角で見かけて
驚き感心しつつも、購入に迷いもあり
翌日に仕事場の近いVWビートルに乗る学校時代の
先輩に相談。2日後に仕事終わって一緒に見に行き
迷う私に「○クン、これは運命だよ!」とお尻を押されて
判をつくことを決意して、それから2週間後に
フィアットは私の愛車になりました。



当時27歳のサラリーマン5年目目前のころ、
よくこれを買ったなと、いう気持ちと感想が残ります。

前にも話したかもしれませんが、大学時代に京都の叡電元田中駅近くの
古本屋でカーグラフィックの「69年世界のスポーツカー特集」号という
古い雑誌を古本で買いました。

フェアレディSRやいすゞ117クーペのオリジナル。
こういった今で言う旧車が好きで、いつか買おうと思っていた。
117ハンドメイドの中古は、京都いすゞでも2台くらい売っており、
1台は安い(19万くらい)けどぼろぼろでした。

ランサー、セリカで国産のやや古いクルマは学習というより懲りており
出来た頃の堀井トレーディングでも安いアルファも売ってましたが
手強いイメージが強かった。

それでもやっぱり古いクルマに乗りたいという願望。
それと京55ナンバーが残っているというのにひかれました。

初めてクルマと出会った日、家に帰って参考書はあるのかと思ったら
くだんの雑誌に一発で写真と記事が載っていた。
こんな偶然がなければ、私も未知の外車の中古車には、手を出さなかった
と思います。

先の一緒に見聞した先輩には、このことを話しており「運命だよ」と
いう後押しは、同じマニア体質を共有する人ならではの、「決断一瞬、
後悔一生」のマニア勘だと思います。



それからの27年の星霜は、ベストカー誌上で半分は話していると思います。

いろんなことを、人間はやりたいと思っても、中々行動できません。
実はその2年前に、ボクはサラリーマンの味気なさと限界も感じて、
毎週、仕事が終わってから夜に2日、音楽学校に通っていました。

学生時代は、例の先輩のいた鉄道好きのサークルに行って、すぐに溶け込め
歓迎されましたが、本当は音楽がやりたかったのでした。
ただ、実演に自信が無く、門を叩こうと迷って第2希望の鉄道サークルを
のぞいた所、メジャーなSLや特急列車でなく、廃線跡や廃車体、古い
地方私鉄の好きな先輩に、捕まって、入部させられたのです。

でも4年間がすごく幸せで、他のサークルに目移りする時間がありません
でした。
人生は、この年になっても2毛作は、ありだと思います。

社会人になってすぐ、自動二輪の中型の免許を取りに行きました。
返納しなかった学生生協の割引を活用して、安くとれました。

音楽学校は、個人レッスンのローカルでなく、キーボードマガジンに載っている
レベルの高い所を見比べて、京都に関西校のあったアン・スクールオブ
ミュージックに入り、高度な音楽理論もきちんと学びました。
実技は、自信がありませんが、理論はいつもトップで解答できています。



適当に生きているようでも、やりたいことはやってみることが大切です。

夜学でジャズ理論とアレンジメントを学んでいた1年は、学費が60万かかり
頭金をのぞいても毎月の支払いで、給料貰って半月もしないうちに赤信号
が点きそうな状態。クルマを乗らなかったのはこの時のことですが、
やがて大型キーボード類を運ぶのに、クルマが要ると判断して、タダのクルマは
ないかと、口コミで後輩の自宅の庭にセリカLBが転がっており譲り受けたと
いうわけです。

ミュージシャンや音楽家に25歳の時には、とても資金が続かずなれないと思い
学校は1年で“卒業”しました。
それでもいろんな音楽を聴きながら、加古隆が主宰する学校で学んだことは
伊達でなく、コード展開や進行の妙は聴いていても、いつも気になり
この音はどのルートと照らし合わせているんだろうと、品詞分解しながら
聴く癖がついています。


さて、今日で850の連続滞空時間は、28年目に入ります。
昨年夏より、豊中市の修理工場に入れて本格的な再生作業に入りました。

かなりの時間がかかることを覚悟していたのですが、雑誌に載るという
“ハプニング”もあり、不可能と思われたドアのヒンジ部や、ヘッドライト周りの
台座も、ご覧の通りに見事な再生です。











この近況を、しばらく工場に行っていなかったのですが、工場の家族従業員
の娘さんが、ブログに上げていることを思い出して、久しぶりに見て
びっくりするとともに、大変勇気とエネルギーを貰い、喜んでいるところです。


28年の愛車ライフにも、思い出はいっぱいあります。

15年の付き合いになる、紺の豚さんが日記に書いていることを、ご存じの
方もいるかもしれませんが、私たちの共通の付き合いの、長い友人が最近
急逝されました。

悔やんでも帰って来ない日々。



当時の私が主催したイベントの記念写真を掲載して、彼の魂を偲び追悼
したいと思います。


私は、ここまで来れたことは、自動車の友たち、愛車を整備し、心骨砕いて
クルマを維持してくれる工場スタッフ。それから理解してくれた家族たち。
こうやってストーリーとして読んでくれる皆さんまで含めて、支えられて
きたのだと、理解いたします。

まだまだ、走ることを止める訳にはいけないだろうと、新しく生まれ変わり
つつある我が愛車に思いを込めて、万感の28年目を迎えている明け方です。

Posted at 2014/03/03 01:29:32 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年02月15日 イイね!

ボルボ144とモデル撮影会

ボルボ144とモデル撮影会日本列島が氷に包まれたバレンタインの日、
私はある約束を守って寒い中、弁天町にある
昔の埠頭ターミナル跡に、来てたたずんでいた。




この寒い中、どんな用事があったのか。

実は私の傍に、熱心に仕事をする一組の男女があった。

彼はフォトグラファーで、彼女は被写体のモデルである。





といっても、彼らは特別な存在ではない。

「ファッション写真の撮影に、一度旧いクルマを使ってみては」

1年前に知り合った後に、私があるとき、そんな提案をした。

思いつきに近いが、ファッションビジネスに近い位置にいる彼は
廃墟系の映像クリエーターとその時、名乗っていた。
アイデアは面白いと思うが、それだけで実績も多くなければ
食って行くのは容易なことでない。

私は、何か足りないと思うが、見込みが少しでもあれば「投資」する。
エンジェル投資家みたいな潤沢な資金はないが、アイデアと経験・人脈は
豊富だ。

私が会社を辞めてまでして、やりたかったことは、そこだ。

人を育てる手助けをする。50にもなり、あくせくといらいらと、
ストレス病にまでなって、給料取りにしがみつく必要は、あるのか。
何度問答したか判らないが、結論は、後悔はどちらが大きいか。

やらないより、やってから、考えたらいいじゃないか。結果はすぐに
出ないだろうけれど、私と言う「存在」が無二のものと思うなら、
賭けてみたっていいのではないか。自分にである。



言い出したものの、こういうことが形になったのは、まだわずかだが
この日に至るまで、やはり曲折があった。

オーダーが来たのは1ヶ月前。しかし私の愛車はいまレストア中で
撮影に使えない。そこで友人に、元愛車でもあるローバーを
1日貸してもらえないかと、打診したが、このクルマも2月は整備ドック
入りということがわかった。

万策尽きたか。そんなことでは自分の能力が無いのに、安易に提案する
ことさえおかしい。そうだ、彼に相談するかと思ったのが、以前記事に
したボルボ365を見に行った、大阪のゼロカートラブル氏である。



ここで宣伝はしない。彼の扱うクルマは、趣味性を反映した特殊なクルマ
屋である。性能やクオリティ保証の販売業というより、骨董業や故買に
近いような性質かもしれないが、私の相談に「いいですよ」と返事が来た。

一度カメラマン氏を連れて行って紹介するから、若い者同士で
投合して欲しい。それが私の半歩先の希望である。

お膳立ては無事に出来て、貸してもらえる車両は、在庫中一番の年代物、
70年代中期のボルボ144、撮影は2月14日に決まった。



報酬は殆どない。私をのぞいて、みんな若いから、頑張っていい仕事に
なると良い。私の満足感が満たされれば、時価計算の報酬の代わりである。

いや、前からクラシックカーを使った場面や演出を、やってみたかった。
自分の車を、自分でナルに演じきる人は、いないことはない。
しかしそれは、何の目的成果も生み出さず。社会性も薄い。

私が参考に考えたのは、今は無きNAVIでやっていた、Photoストーリー
であった。

篠山紀信だったと記憶するが、ヴィンテージな車と旬の話題の美女を
組み合わせて、数ページの贅沢な企画が、何年か続いて載せられていた。

でもあれはつまらなかったなあと、後でケチ付けるのは本意でないが
毎号買うたびに、不満の残る企画であった。



今思うと、キシンの有名ネームにおんぶした、安易な企画で、クルマ愛の
薄い内容であったと思う。



今回の提案の実現は、ノリは業界だが、みんな素人である。
しかし、有名カメラマン、有名モデル、ピカピカの業者から借りた
ヴィンテージカーの組み合わせで、時流な雑誌媒体の何が面白くなかった
のかは、判っている。馴れ合いの緊張感の無さである。

「撮影は午後から。場所は弁天町の加藤汽船ビルの前です」
そう言われたが、ゼロカー氏の事務所まで取りに行く日は、朝から
関西も大雪になった。
朝、クリエーター氏から「やはり今日やります」の再確認の電話はとって
いたが、気が少々重かった。大事な売り物の車だし、傷つけてはいけない。
最悪は私のアルファ75でも22年前の“年代物”だし、と思って高速に乗った。

湊町で下りようとすると、堺線が積雪で通行止め。湊町出口もビルにカーブ
するスロープの脇はシャーベット状態だ。やれやれ。


事務所に30分遅れて到着して、キーを受け取り、144の運転席に座る。
「何じゃこの車は」の第一印象。
苦労しながら狭い路地をぶつけないように抜けて、子供の下校の列にも
ヒヤヒヤするが、ブレーキは効いてくれるもの、ノンアシストのハンドルは
戦車のように重くて曲がらない。



加藤汽船ビルがまた、判らなくて、築港まで行き過ぎて、弁天町と判り
弁天町駅付近まで戻るが、旧埠頭を知っておらずにまごつき、1時間近い
遅れで、ようやく撮影現場に到着した。
車も、なにこれ〜と、モデルさんが呆れるような、おんぼろオーラが
漂っている。



でも、そこから2時間の撮影は、日没前まで順調であった。
さんざん寒い中、待たせたのだが、私が余計に走り回ったおかげで
ボルボ144の室内は温もっており、寒い車外の撮影と室内空間のシーンを
交互に繰り返したので、凍えなかったようだ。

サービスでこういうショットも、つけておこう。
車内でモデルさんが、どういうポーズになっているか判るかな。



ということで、今回の初試みは、上場の滑り出しであったかもしれない。
自己満足に終わったかは、これから写真撮影者の仕事、モデル嬢の成長、
そして車両を提供してくれた彼の、ビジネスに良い影響があることを
願っている。
実はこの車両は嫁ぎ先も決まった所で、新購入者も了解の上で
貸し出していただいたと、聞いております。



旧い車を乗ることは、何のメリットがあるのか。
そんなメリットなど追いかけないと、開き直るやり方もあるだろう。
しかし僕は、いろんな特性と文化としての評価をしてやりたい。

まだまだこの段階で、満足して終わってしまっては、僕は「ただ働き」
だけである。
しかしこういう組み合わせた、複合の仕事がやれたということ。
今後もあり得るかもしれないし、いろんな評価が軌道に乗れば、成功報酬も
出て来ることは、ありうると思う。

今回は、私は仲介と運転手役を務めたゼネラルプロデューサーである。
こういった試みをやりながら、面白い話が飛び込んでこないか。
そういったきっかけになれば、旧車乗りを長く続けているのも
少しは社会のお役に立てそうである。

ご協力いただいた方々に心より感謝の気持ちを込めて、この記事の
終わりにいたしたい。どうも、ありがとうございました。







Posted at 2014/02/15 14:57:36 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
345 6789
10111213141516
17181920212223
2425 2627282930
31      

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation