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kotaroのブログ一覧

2012年04月21日 イイね!

雑誌NAVIはなぜなくなったのか

雑誌NAVIはなぜなくなったのか








2010年春の休刊から、もう2年になります。

雑誌NAVIが、二玄社というカーグラフィックを出している
出版社から創刊されたのは、1984年の初夏でした。
私が大学を出た翌年のことです。

実はここは書道関係の書籍が主な仕事の、地味な専業の
出版社だったのですが、1960年代前半の自動車雑誌がわずか
だった頃に、いろんな経緯からカーグラフィックを引き受ける
ことになりました。
それから20年が経ち、めきめきカーグラフィックは分厚い雑誌に
なりました。
広告がいっぱい付いたからです。

昔は編集と広告の仕事は、コミュニケーションのリレーションでも
水と油の、“階層分離”した仕事で、マスの仕事に入社しても
全く別部門に配属されたものでした。
今はどうなんだろうなあと、僕は思います。

ネットや、ウェブという仕事で、厳密な線引きや、「この情報は
『紐付き』(お金が後ろについている、作為的な情報であること)
だから、一般取材記事とは、扱いを別にしなくては」という
厳密な区別、もっというと弁別を行う必要や、僕らの頃のような
仕事のジレンマは、それ程無いのではないでしょうか。

1980年代の前半は、とにかく広告の踊った時代でした。
糸井重里や林真理子らの才能はコピーライターというカタカナ
職業への憧れとなり、電通とか博報堂といった名前だけ聞いたら
何の会社?という企業が、一番カッコ良い仕事のように、もて
囃されました。

この時代を駆け抜けた、同期の戦士たちとは、機会があれば
語ってみたいものです。僕は編集だけが、ジャーナリズムとも
思いませんし、優れた人はどんな仕事の中からでも、その本質が
見抜けていると思います。

さて、NAVIという雑誌は、カーグラフィック編集部の中でも、
小林彰太郎という抜きん出た才能の次に、優れた編集資質のある
大川悠を中心にして創刊されました。
高島鎮雄というディレッタントのお手本もおられますが、何か新しい
ものを創るなら、大川だろうなという、見解だったのだと思います。

それと、これだけCG本体に附いて来る広告が多いのは
きっと新しいウオンツが、自動車そのものの産業以外にあるの
だろうと、鋭い感覚の人たちは、読んでいました。
それが80年代の「何か生まれて来る」流れだったと思います。


2010年の春に、NAVIは突然休刊しました。事実上は廃刊で、また
時代が変われば、出すであろうかというのは、ファン心理です。
なぜNAVIは、まだ売れているのに、止めたのだろうか。
結構固定読者や、かつてのNAVI信奉者から、いろんな声も
出ましたし、ショックだったという反応も多いと思います。

実際の元編集部員であった小沢コージの手記を丁寧によむと
大川の跡を継いだ鈴木正文編集長時代のことが「事件」として
特にウイキなどでは書かれていますが、僕はマスコミでは当たり前
の出来事だと思います。あのフランスの核実験に対してフランス車
でデモをやるというハシャギは、殆どノリ、思い付きレベルに近いの
ですが(私もやりたかった^^;)、2012年の今から見ると、どうしても
醒めてしまうの感は否めません。

あの時の編集部員が二つに分かれたという事件(後で知りましたが)、
やっぱり居づらくなったのか、鈴木編集長が部下と新潮社のENGINE
創刊に行ってしまったことなどが、雑誌の活力を弱らせてしまったと
いう意見も、よく見掛けます。
しかし92年頃の湾岸戦争の時には、田中康夫らは、作家連盟として
「反対」の意思表示をしていました。その直後の鈴木の行動は、
「あり」じゃなかったかなあ、と僕は思うのです。
元アカとか、その辺の殴り書き(ウイキ)は、感情がこもっていますので
僕はウイキを読んで、プルプル来る人はアホやと思っています。

右や左のバイアスの話はやめましょう。
しかし凡庸な人ばかりが、次々と編集子(エディター)になって、
雑誌は面白くなくなりました。大川、鈴木時代の遺産で喰ってるなあ
というのは、僕ら読者にも判っていたし、徳大寺さんも「仕事だから」
と出て来ているが、編集部、編集室の空気(テンション)が下がってくると
惰性でやっているのも、疲れて来ます。
よく10年持ったなあと、僕は反対に思いました。


雑誌は創りたいから作る、作りたい人がいるから、出すのであって
90年代のバブル(懐収入の増加)で、高価な生活を維持する為に
媒体(いやな言葉ですが広告用語です。いまは「メディア」といいます)
を出し続けるというのは、知らしたいことがあって、本をつくるのとは
全く逆で、まさに本末転倒です。
今の日本が退屈で、面白くなくなったのは、贅沢な生活を維持する為に
働くのが、「当たり前」になってしまったからなのでは、ないでしょうか。


さて、ここからが、新しい(笑)、僕の独自論です。
NAVIはなぜ、止めてしまったのか。もう少しリニューアルすれば
何とか続いたのではないか、という現実論的な意見に反論しましょう。


あれは、廃刊休刊でなく、「解散」なんです。バンドやセッションと同じ。
つまり、その昔の「はっぴいえんど」や「ティンパンアレー」と同じように
考えてみてください。
細野や大滝に当たるのが、鈴木や大川氏であって、小沢コージのような
若い才能も、顔を出しております。
古くは松本葉が、初期の大貫妙子のようにいてましたが、松本は
3代目編集長の小川文夫の姉妹の友達ではなかったかな。

外部のスタッフ、寄稿者というのは、セッションのひとりひとりのプレーヤーです。
楽器の代わりの才能を持つ。
その辺のところを理解出来なく、サラリーマン的や、ネットの文字だけを見て
判断する人たちが、あまりにもつまらない解釈をし過ぎています。これは
現代の弊害です。頭だけでもの事を考えていては駄目です。日本のいちばん
行き詰まっている原因の一つでしょう。

もっともっと、もの事は、遊び感覚的に捉えないと、良いものは生まれません。
NAVIはね、良い音を出していたバンドだったのです。
「ええ感じ」というのは白熱のセッションがヒートアップして、お金を払って
見に行った観衆も場の空気に包まれて、このライブっていくらだっけ?というのを
忘れさせるような、恍惚感のときを指すのです。

だから、もうこの辺で、止めようか、という「天の声」は痛いくらい判りました。
カッコ悪くなっちゃうくらいなら、解散した方が「伝説」になる。
そんな感じの幕引きだったなあ、と僕は感じたのでした。

ちくしょう、なんて東京的な発想なんだ! 当時の僕は舌を打ちました。
あれから2年が経ちます。もう皆、NAVIのことなど、あったことすら忘れているでしょう。
それで良いのです。
自動車に乗ること自体が、どういじっても「クール」になりにくいなら
ゴリゴリの特化した趣味や、知識オタクに走るのも一つですが、
私も「エンスー」という言葉に感じられた、本来の義のエンスージアストを
揶揄った80年代的な諧謔感、上滑りな快走感が好きでした。

この感覚、今の20代、30代前半の方には、チョット判りにくいかもしれません。
僕のブログを読みながら、面白いコメントをいただければ、幸いです。









Posted at 2012/04/21 04:27:44 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年04月15日 イイね!

米子の朝

米子の朝昨日の夜に、山道を越えて走ってきました。
今日は天気も晴れが一日続きそうです。

旅先の宿で朝を迎えるのは、人生何100回以上あるかわかりませんが、清々しいものです。

こんなふうにやり直しの朝が、迎えられたら(笑)。

新しい出会いと素晴らしきホリデーに、感謝致しましょう!

それでは、行って来ます。
Posted at 2012/04/15 06:25:44 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年03月28日 イイね!

時は流れて

時は流れて




梅田(大阪)と東京は、時間の流れが、
比較的ついていけるように感じることもあるが、
いつもは時の流れが、停まったような
池田に住んでいて、生活をしている。





大阪駅前に春の夕刻に立つ。

旭屋書店が閉店していた。




42年間、働き者の大阪人の図書館として、暑い日も、寒い日も
雨の日も、風の日も、この本屋で本を買い求めれば、
何かの新しい情報と、世界への扉がここにあると思って、
信じていた。

時間の流れは容赦がない。
高校を出た人が働き始めた頃に出来たのなら、定年退職
ご苦労さんというものなのか。

いや、付近に群立するブックファースト、ジュンク堂といった
メガ書店の攻勢に耐えきれず、傷だらけの撃沈と言った方が
正しいだろう。建替えするというなら、仮店舗だってやれた
はずだから。
晩年はマッハ模型が撤退して、各階にあったレジも、2フロアに
1つになり、人件費を節減していた。

エスカレーターのある本屋さんとして、四半世紀前は時代の
トップであった、ナニワの自慢がまた消えた。これが時間の
流れと言うものであろうか。




昨夜はぶーちゃん(紺豚氏)と久しぶりに会合。

酔っぱらい紳士(わたしのこと)は、その前にお初天神でスタート。
ここの入り口にあるANという店で飲み始める。
常連氏と、少しアルコールが回って来た段階で話し始める。

ゼネコンの批判批評、流通界の実態、日本企業の資本が
いまや大きく米国(ユ◎ヤ金融資本)に乗っ取られたことなど、
この店の客は大人でありながら、大阪的な好戦的な手前くらいの
感覚で言いたい放題本音を言う。
久しぶりにサーベラス(ハゲタカファンド)の名前を聞いたのが
印象的であったなあ。

頭の中で、来る途中でよぎった、阪急百貨店本館の竣工が遅れに
遅れていることが、ヒットする。あれも国際金融にもてあそばれた
末のことなのか、それともゼネコンが匙を投げた理由が他に
あるものなのか。名門阪急とて、いつ第二の旭屋になりかねない。
それ程大阪駅前の建設コンストラクションは、未来図が無いのである。

大阪のオフィスやマンションは、ガラガラ(需要)でも作らざるを得ない。
とくにJR西日本沿いに今集まっている沿線開発建築の集中は、
きっと遠い将来は「廃墟」(ルーイン)を作っているものになる、と言った、
70代でまだ世界中を飛び回っている謎の紳士(結構仲好し)の言葉が、
忘れられなく耳に残った(笑)。

さあ友がお待ちだ。次の店に行こう。
北浜へ足を急ぐ。旧三越の裏にある古いビルの一階にある
山猫という名の美しきバーが待っている。

「お待たせ」と先客のぶーちゃんに挨拶。
まさに久闊を叙するの再会を祝し、グラスを重ねる。

この店は、私のお気に入りで、前回来た時はちょうど、球界の名将、
西本監督の葬儀の日で、元近鉄の村田投手と、ヤクルト、近鉄、阪神で
活躍した往年の巧打者、永尾さんが来ていた。
酔った時の悪い癖で誰とでも話すのが私の性質。
「永尾さん、わしも九州じゃけ、しゃべってもよか?」と隣に席を取る。

この隠れた名店は、すごくいろんな所から客が来る。
いつぞやはフランスのパリから帰省中のマドモアゼル、ギャラリー
ラファイエットで活躍する前は、国際エアラインのアテンダントであった
美穂ちゃん(中山じゃないよ)と知り合った。その時のお友達が是非また
kotaroさんに会いたいというので、名刺を店に渡しておいた。
私の悪い癖は、酔っぱらい交友録であり、誰とでも友達になることなのである。

さあお腹が空いた。次はやっぱりGoZoだな。



ここは何と言っても、北浜・船場の住人、ぶーちゃんの縄張りである。
顔なじみと飲み食いに来るのとでは、店の雰囲気が違う。
あっという間に平らげたメニューと、オリーブオイルで煮た小海老の
スープの美味かったこと!。
パンのお代わりをもらって、昨日は久しぶりに美食した。
また来たくなる美味さというか、ゴゾを見直した。
私はやっぱりシェリー酒を飲んでいる。スパニッシュバルで。
きょうは来て良かったなあ。



ぶーちゃんとのハナシは、1軒目、2軒目のシークエンスだ。
大阪の橋本行政、そして胡散臭いひとたち。
僕らの家族も皆、大人の目をしている。
こんな文化財の幼稚園舎を持っている大阪市。
大阪に「カネにならんもの」は一つも要らないのか。

北浜の夜は冷えていくがアツい会話が残った。
さあ明日に備えて充電もした。
何が大阪なのか。何が町の力になるのか。
レベルのある見識持った市民が、経済活動し、旺盛に食べる生きる。


淀屋橋の雑踏にそうして私は独り、紛れていった。
Posted at 2012/03/28 07:13:35 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | グルメ/料理
2012年03月09日 イイね!

関西人 イン トーキョー

44Loveさんの「イングリッシュマン イン ニューヨーク」の
記事にいたく感激しまして、先ほどまでこの曲をコピーしていました。



ギターコードはこんな感じ、
Em A Bm Em A Bm
G A Bm G A Bmと、

しかし、アイムア エイリアン、アイム リーガル エイリアンと
繰り返し歌っているうちに、
なんか他の人は演っていないかと見て行くと
山崎まさよしが、半分ふざけてて、こんな熱演を発見、



ヴォイスがいいね!

しかしトドメはこれだ!
スティング本人もこのユーモアを理解したのか!?



後半の4バース、本物ならシンバルのドラミングが船出を思わせるあたりに
ヨシモトのテーマが!(泣き)

♪うぉーお、ほんまにエイリアン、ちょっとちゃうエイリアン、というのが
絵入餡に聴こえてしまう。


こっちが元になった大真面目の、オリジナルPVです。



おちゃらけにしてごめんなさい。

44Loveさんの文学と旅を思わす格調高い記事はここに。

うぉーお、みんな大阪にしてやる、みんなヨシモトにしてやる、
粉モンとぉ、うどんとたこ焼きしか、ありまへん、
うぉーお、おばちゃんは、あめちゃんもってるー、
どぎつい化粧して、ヒョウ柄シャツ着て、カツカツ歩いてるー

ハイ皆さんご一緒に。。。。。Orz


しりまへん。





Posted at 2012/03/09 23:21:25 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 音楽/映画/テレビ
2012年02月10日 イイね!

頑張れ若者。

頑張れ若者。










雨の降り始めた夜のこと、
石油ストーブの灯油も乏しくなったので、
850クーペに灯油缶積み夜のスタンドを訪問した。

こんな時間に、セルフのスタンドに寄ることは珍しく
一番近くにある有人スタンドも、もう閉まっていて、
国道まで出て愛車をしばらく走らせて辷り込むと、
ダークグリーンのミニが見えた。

「おや?」と思ったのは、
その旧ミニが見えるところにクルマを置いたのだが
何だか様子が変なようなのである。

こんな寒い夜なのに、クルマから若いカップルが降りていて
車の傍に立っている。

私の方は次いでだから、ガスも補給し、セルフスタンドゆえ、
灯油を持参のポリタンクに詰め終わると、もう一度ミニの方を見た。

いつの間にか積車がやってきてミニを積み込み始めている。
ああそうか。
この古いクルマ(といっても私の車よりは遥かに年式は新しいが)は
ここまでやってきて力尽き、動かなくなったのか、
スタンドでエンジンを切ったら、どうにもかからなく
なったかの、どちらかであろう。

もうすっかり積み込まれた愛車から離れた
若いといっても30歳くらいのふたりは、スタンド脇の土手の前に立ち、
今度は私の車を遠くから、(二つの意味で)羨ましそうに
見つめている。

悪いなあ、オイラの車は、今夜は絶好調なもので。
若いお二人さん。クルマ好きなカップルと見受けたが、
こんなことは、私も若い頃はしょっ中あった。
それでも、この小さな車に長く乗り続けて、
今もこうして夜のスタンドまで、やってきている。

願わくばミニに手を焼いても、簡単に諦めずに乗り続けて欲しい。
それが、ベテランからの一番の願いだ。
オイラの車を眩しく見た今夜のように、その車も輝く時が来る。

いつかは、助手席に乗る女(ひと)のお腹に、
新しい命が宿ることがあるかもしれない。
修理代がかかっても、その日まで好きな車を、
乗り続けて欲しい。

頑張れ若い二人。
車は、人の人生も乗せて、
今夜も走っている。



Posted at 2012/02/10 05:31:58 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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