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kotaroのブログ一覧

2012年03月31日 イイね!

クルマの話を書かねばと

クルマの話を書かねばと








最近旅行記のあと、クルマそのものの話を書いていない。
その遠因は何だろうと考えてみる。
ガソリン価格の高騰もある。
しかしクルマなんて気分で乗ろうというモットーであったのに
気が付けばどっぷりここ、みんからの空気に浸かっている。
この空間が面白ければ、おっちょこちょいな日記も書く。
そうでなかったら。微妙な空気が伝染していないか。

昨年の大震災の影響が大きい。それは1年間くらいで何とかなる
レベルでない。だから「その後」をどう過ごし、どう生きていくかだけである。
最近は消費の気分というようなものまで、ありとあらゆるいろんな本が書かれている。
本を読むと賢くなるが人間が重くなる。
だから人間だけが鬱になる。
今の時代の機械やクルマなんて、半分くらいうつの人が設計して
作っていないか。
私がからっきし単純な、昔の機械に乗っているのはそういう訳だ。

最近ここで書いていると、限界みたいなことばかり
書いてしまう。
しかしそんなことは殆ど関係ない。人間なんて一瞬で価値観が
がらりと変わるものである。
偉大なもの、自分の過去の体験にない超越したものに出あったら
一瞬で宗旨替えをするものである。
以前の日本はそれがスーパーカーであったり、外国から来た
ミュージシャンであった。

今はリアルな体験で、感動することが少ない時代だ。
面白いもの、興味深いこと、会って驚くようなひと、
そういったものは小さな体験をこつこつ積み上げていく。
そうして自分自身のポテンシャルを上げていき、人の出来ないことをする。
なのにどうも、いきなりスーパーカーを買えば、自分がすごい人に
なったような錯覚に捕らわれていないか。
すごいのはクルマでなく中身の乗っている人間であって欲しい。
日本人がどんどん薄味になっているような気がしてならない。

そう言う訳で今年は攻撃攻勢の年度にしようと思う。
縮こまっていては何も出来ない。
明日からの4月、7日は六甲アズーリにエントリーしよう。
8日は高雄と丹波ワインにいって、15日は友人の開催する
米子のユーロカーイベントに正式にエントリーする。
前夜から入ることも検討する。
22日は新聞社時代のパーティーに出席しよう。
人と会い、話をして、情報を集め、自分に何が出来るか検討する。
そうして年輪を積み重ねていくことが、大人の使命ではないか。

            ◇

主観寄りでない、情報中心のメーリングリスト、【旧車ML共和国】は
こちらのページから加入できます。
〜1970年代80年代くらいまでの外車ファンのための、自由共和国です。
情報だけのメーリングリストですが、80名強が読んでおります。

入退会の資格は、旧い外車が好きであること。
あとは自由です。共和国と名乗ったのは、国籍を限定しなくいろんなクルマの
話題が欲しかったこと。日本車もオッケーです。

それでは皆様、良い週末を。

Posted at 2012/03/31 11:35:46 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年03月28日 イイね!

時は流れて

時は流れて




梅田(大阪)と東京は、時間の流れが、
比較的ついていけるように感じることもあるが、
いつもは時の流れが、停まったような
池田に住んでいて、生活をしている。





大阪駅前に春の夕刻に立つ。

旭屋書店が閉店していた。




42年間、働き者の大阪人の図書館として、暑い日も、寒い日も
雨の日も、風の日も、この本屋で本を買い求めれば、
何かの新しい情報と、世界への扉がここにあると思って、
信じていた。

時間の流れは容赦がない。
高校を出た人が働き始めた頃に出来たのなら、定年退職
ご苦労さんというものなのか。

いや、付近に群立するブックファースト、ジュンク堂といった
メガ書店の攻勢に耐えきれず、傷だらけの撃沈と言った方が
正しいだろう。建替えするというなら、仮店舗だってやれた
はずだから。
晩年はマッハ模型が撤退して、各階にあったレジも、2フロアに
1つになり、人件費を節減していた。

エスカレーターのある本屋さんとして、四半世紀前は時代の
トップであった、ナニワの自慢がまた消えた。これが時間の
流れと言うものであろうか。




昨夜はぶーちゃん(紺豚氏)と久しぶりに会合。

酔っぱらい紳士(わたしのこと)は、その前にお初天神でスタート。
ここの入り口にあるANという店で飲み始める。
常連氏と、少しアルコールが回って来た段階で話し始める。

ゼネコンの批判批評、流通界の実態、日本企業の資本が
いまや大きく米国(ユ◎ヤ金融資本)に乗っ取られたことなど、
この店の客は大人でありながら、大阪的な好戦的な手前くらいの
感覚で言いたい放題本音を言う。
久しぶりにサーベラス(ハゲタカファンド)の名前を聞いたのが
印象的であったなあ。

頭の中で、来る途中でよぎった、阪急百貨店本館の竣工が遅れに
遅れていることが、ヒットする。あれも国際金融にもてあそばれた
末のことなのか、それともゼネコンが匙を投げた理由が他に
あるものなのか。名門阪急とて、いつ第二の旭屋になりかねない。
それ程大阪駅前の建設コンストラクションは、未来図が無いのである。

大阪のオフィスやマンションは、ガラガラ(需要)でも作らざるを得ない。
とくにJR西日本沿いに今集まっている沿線開発建築の集中は、
きっと遠い将来は「廃墟」(ルーイン)を作っているものになる、と言った、
70代でまだ世界中を飛び回っている謎の紳士(結構仲好し)の言葉が、
忘れられなく耳に残った(笑)。

さあ友がお待ちだ。次の店に行こう。
北浜へ足を急ぐ。旧三越の裏にある古いビルの一階にある
山猫という名の美しきバーが待っている。

「お待たせ」と先客のぶーちゃんに挨拶。
まさに久闊を叙するの再会を祝し、グラスを重ねる。

この店は、私のお気に入りで、前回来た時はちょうど、球界の名将、
西本監督の葬儀の日で、元近鉄の村田投手と、ヤクルト、近鉄、阪神で
活躍した往年の巧打者、永尾さんが来ていた。
酔った時の悪い癖で誰とでも話すのが私の性質。
「永尾さん、わしも九州じゃけ、しゃべってもよか?」と隣に席を取る。

この隠れた名店は、すごくいろんな所から客が来る。
いつぞやはフランスのパリから帰省中のマドモアゼル、ギャラリー
ラファイエットで活躍する前は、国際エアラインのアテンダントであった
美穂ちゃん(中山じゃないよ)と知り合った。その時のお友達が是非また
kotaroさんに会いたいというので、名刺を店に渡しておいた。
私の悪い癖は、酔っぱらい交友録であり、誰とでも友達になることなのである。

さあお腹が空いた。次はやっぱりGoZoだな。



ここは何と言っても、北浜・船場の住人、ぶーちゃんの縄張りである。
顔なじみと飲み食いに来るのとでは、店の雰囲気が違う。
あっという間に平らげたメニューと、オリーブオイルで煮た小海老の
スープの美味かったこと!。
パンのお代わりをもらって、昨日は久しぶりに美食した。
また来たくなる美味さというか、ゴゾを見直した。
私はやっぱりシェリー酒を飲んでいる。スパニッシュバルで。
きょうは来て良かったなあ。



ぶーちゃんとのハナシは、1軒目、2軒目のシークエンスだ。
大阪の橋本行政、そして胡散臭いひとたち。
僕らの家族も皆、大人の目をしている。
こんな文化財の幼稚園舎を持っている大阪市。
大阪に「カネにならんもの」は一つも要らないのか。

北浜の夜は冷えていくがアツい会話が残った。
さあ明日に備えて充電もした。
何が大阪なのか。何が町の力になるのか。
レベルのある見識持った市民が、経済活動し、旺盛に食べる生きる。


淀屋橋の雑踏にそうして私は独り、紛れていった。
Posted at 2012/03/28 07:13:35 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | グルメ/料理
2012年03月26日 イイね!

春景色

ムスメが高校を卒業しました。

進学の季節、私たちのころには、
受験という大きな、ハードルがあって、1年や2年の「足踏み」は
あたりまえでした。
(筆者も1浪君)

進学で、ちょっと学年に差のついた男女の、淡い恋心を
阪神間のアイドル時代の歌姫、ナンノが歌います。

ゆっくりと味わって下さい。
ビゴーのパン、アンリシャルパンティエの生クリームケーキ、
アイランドキャフェで食べた、ジェラートの味など
思い出しながら。






あの頃は、みんな若かったねと。



これはおまけ。
 芦屋のお嬢さんでした。
港町、神戸が輝いたあの頃。







Posted at 2012/03/26 22:53:34 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 音楽/映画/テレビ
2012年03月24日 イイね!

岩国と防府

岩国と防府トップ画像をしばらくは、錦帯橋に変えた。




月曜の朝、デイサービスにいく叔母を見送り、基地の街を出発する。



時間を稼ごうと、高速に乗ろうと思うが、その前に岩国の名所の
錦帯橋の近くを通ってみようと、錦川に沿った川沿いの道に入ってみる。



梅がやっと満開である。
最近の岩国というと、弘兼憲史の漫画、島耕作であろうか。
路線バスの後部いっぱいに島の男前の顔が描かれているのに
後ろから付き合う羽目になり、苦笑する。
いつのまにか島耕作も山口県生まれになったらしい。



あんなに女性関係が奔放なのは、その昔の夜這いの風習でも
あったんじゃ、なかろうかと思われては、長州人は後ろ暗い(爆)。

岩国の殿様は、毛利の分家、吉川(きっかわ)である。
名君かどうかは、ひとの判断に任せるが、この錦帯橋が
江戸時代に出来て、何百年もの間に、知れ渡ることになる。

ただの木造の五連橋といっても、これだけの岩国を知られる
結果になったことは、後世の評価に値する。
すぐに結果を出そうとする、21世紀にもなっても拙速な社会だが
本当に大事なことは、思い切ったことが出来る人と、じっくり
考えて行動に移れることではないだろうか。
決して箱根級の名所や国際観光地でもない岩国に、いちばん
風光の良い地にこの橋を造ったという遊び心が、今に続いている
財産や観光資源なのである。作った当初から目論みがどのくらい
あったにしろ。

徳山(周南)の手前で高速を降りる。
出光石油の石油精製基地で、昭和30年代末から、40年代いっぱい、
おそらくは50年代、昭和の終わりまで、山口県下で一番、景気の
良かった街である。
山陽新幹線の駅も当初から設置され、父の出た柳井が新幹線が
通らなかったため、あっという間に寂れたのに対し、地の利に恵まれ
栄光の時間も長く続くと思われた。



山側の市街を一気に眺望する国道バイパスを通過する。
まだ高速道路も夢のような時代に、膨大な補助金と、企業からの
税収でこの道路が造られた日の、徳山市民の誇らし気な気持ちを
想像してみる。
栄光の徳山の名も捨て、周南市となったが、新参の新南陽以外は
隣の下松も、その隣の光も靡かずに中途半端な合併に終わった。

まだ駅の名は徳山のままだ。反対に長く親しんだ小郡の名を捨て
新山口になった小郡駅とともに、考えさせられる、改名ドラマの裏に
市民感情は、不在だったとは、言えないか。


古都、防府が近づいて来た。

山口県人に取り、押し込められたような山口、徳川にいびられて
追いやられた萩に比べ、古来からの良港であったこの街は
心の故郷のように明るい。新幹線の駅もないのに、いまでもくすまぬ
不思議な、佐波川の河口に開けた歴史豊かな周防の国府なのである。



道路脇にこんどは加藤鷹がこちらを見ている。
不自然なあの歯の白い人は、誰じゃろねーと、こどもやおババに
聞かれたら、加藤隼戦闘隊の関係者とでも答えておこう。
夜の撃墜王というポルノ小説も昔あったっけ。




防府市内に入った。今度はEDである。カリーナイーディーに3ナンバーなんか
あったっけと、不思議な気分だが、あるんだから、これはきっと
4Sの上に、2.4くらいのエンジンがあったのだろう。

島に着いて、橋を渡る。
幼い日から何度か訪れた母方の先祖の土地である。今年も彼岸桜は
咲いたかなあ。



桜は今年は5部咲きと遅い。春は名のみの向島小学校の寒桜。


何を隠そう、この小学校を作ったのは、私の母系の曾々祖父なのである。
学校の沿革史による。

その人の名はあと、ここの65番目に出てくる人である。



残念ながら、5年ぶりの訪問も、満開には出会えなかった。
それでも心あらば、名にし負え、桜の古木よ、春を伝えてと。



駐車場から、遠く眺める桜の木。この木を植えたのは卒業生だと
言われているが、言い伝えははっきりしない。
樹齢90年、その頃はまだ母の生まれた家屋敷が残っていたという。

そして祖父は鉄道省に勤める為に、この地を去り、屋敷を解体した。
もう誰も覚えていない、昭和の初めまでの物語。
昭和48年の年賀状の刷り終わったあとに、祖父は東京で他界。
叔父や伯母も皆亡くなり、最後の生き残りの母も、ものも言えない老女に
なってしまった。
歴史のことは誰も判らない。
ただ静かに古木の桜は、何かを知っているけれど、語らない。
それで良いのだろうと思う。



この島も近年は人口流出が進み、風情のある家屋敷に空家が目立つ
ようになってきた。


丘の上の遥かな斜面から海を見る。
母系の先祖の墓は、もっともっと上の高い所の日向の土地にある。
そこまで上がって、たまたま居られた男性に、墓の位置を聞いて
見つけることが出来た。



私は長らく母方の家系の古い歴史に浪漫を感じていた。
しかし今回の訪問に、「もういいよ」とそちらの墓が言っているように感じた。
たまにしか来ないのだし、私はやはり父系の方が本当の流れだ。

次の訪問は、何年後になるだろう。それは無いかもしれない。
ただ毎年、先祖の思い出の地で桜の古木が咲き、多くの人の
心を癒すのなら、それで良いのではないか。誰がここに来て、
どんな歴史が過去にあったとしても。

さらばと桜の樹に別れを告げて、私はさらに西の町に向かって
クルマのエンジンに火を入れた。


Posted at 2012/03/24 12:40:25 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2012年03月23日 イイね!

瀬戸内の島

瀬戸内の島本籍地とは何であろう、と、今回の旅は考えた。




下関方面から高速に乗らず国道をひたすら広島方面へ。
前述の長沢湖畔で朝食を10時台に摂った後、私は正午過ぎに
山口県下にある山陽本線柳井駅前で、岩国から電車で来ている
叔母と落ち合った。

叔母は昭和3年の早生まれで、誕生日を迎えたばかり。
まだ頭も抜群に回転がよく「こーちゃん、ダイヤ改正で
時刻も変わっているから、注意してね」と今年のこの日からの
3.17春の列車時刻改正のことも、頭に叩き込んでいるのには
舌を巻いた。

オセロの中島問題でも、地元岩国の基地問題でも、ちゃんと
自分なりの考えを持っているから、会話が面白い。
私は、父方の血を引いていると思う時は、母系の趣味人や
工作好きとは別に、クールにモノを考える瞬間によく思う。

戦前にムラや一家の誉れのように旧国立大学に入ったが早く
他界した父の頭脳より近年は、大学は行けなかったが地方都市で
OLの生涯を送り、今でも抜群の回答力を出せる叔母の頭に
H家の秀才ぶりを感じることの方が多い。



山口県大島町安下庄(あげのしょう)。
本籍地はここではないが、車で対岸の島に渡り、周防大島をくるっと回ってみることにした。



昔の大島の中心地だったところである。
「アゲ」の庄というから、内海の物資の陸揚げ中継基地として、
江戸から明治にかけて栄えたところなのであろう。
私の先祖たちも、毎日海と向かい合って暮らしていたのか。
このように、干拓をして、水路を巡らせ、家屋敷をつくって
一家は富を蓄積していく。一族の繁栄を願いながら。

今は静かに過ぎ去った時代の記憶の片隅の中で、
何かを語ろうとしているだけなのかもしれない。



神社の鳥居は河に沿い、海に向かって建っている。
遠い時代に「神」が海の方角から来たことを物語る。
神とはどのような集団であったのだろう。




島の道に辻がある。
その辻に店が建ち、商いの営みがあった時代が続いていた。
この日は物故者があったようで、「忌中」の張り紙が
夕日を映してきらめいていた。
また一つの時代が去って行ったことなのであろう。



しばらく行くとここだけ現代のように有料温泉があった。
福山ナンバーのローバー75の横に、玩具のような
850スパイダーを停める。

入り江の向こうに島山が見える。
低気圧が通過して、雨雲が上がり、漁に出た男たちが
もう直ぐ帰ってくる。

私は先祖たちが観た、何百年も前からの風景を眺めながら
不便でも本籍地は動かすまい、お墓の土地も守って行こうと思った。

その夜は、岩国の叔母のマンションに泊めてもらいながら、
母と同い年の彼女の思い出話に付き合った。
あと時間がどれだけ残されているのか今は考えまい。




びっくりするような叔母が出して来た若い頃の写真を見ながら
ビールを飲み、青春の日々を、鑑賞する。
戦争の影大きく、結核で戦後次々と家族を亡くしても
遅れて来た『青春』を力一杯楽しんだ人生。
いち早くクルマの免許も取り、仕事のあとは仲間とドライブに行き
夏は毎日のように海で泳いだと言う。

叔母はずっと年上で、私の記憶にある姿は、本当ならこの写真の
時代も少し知っているのだが、あまりに幼過ぎたのだろう。

今夜はこの女(ひと)も恋に悩み、人知れず泣いたこともあったのか
なあと、初めて思った。
生涯独身になってしまったのは、いろいろな理由があったのだろう
けど、言わなくても良い。
免許も持たない3つ上の兄よりずっと活発な人生を選び、半世紀
ハンドルを握った貴女の血は、私に流れていたのだと、少し思った。

まだまだ、思い出を作る為に、自動車でどこまでも
走ろうではありませんか、元気でいる限り。













Posted at 2012/03/23 04:52:30 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域

プロフィール

「ビッグモーターから残クレアルファードまで http://cvw.jp/b/176891/48584333/
何シテル?   08/06 05:00
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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