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kotaroのブログ一覧

2013年01月14日 イイね!

80年代ドマイナーヘンタイ車愛好会

風邪を引いてしまった。
この所、ちょっと動き過ぎて、無理に外に出かけ過ぎたのか
喉が痛い。
まあ、いつもの手抜きですが、80年代マイナー車特集です。(うそ)



水野きみこ「私のモナミ」1982

当時某新島襄大学の近くに、モナミと言う名前のメシ屋があったことを思い出す。
京都の学生は、「ジャンボチキンカツ」を憶えているかな?
名古屋出身




河上幸恵(ゆきえ)「ブルーエトランゼ」1983

芦屋市出身 デビュー曲のイメージも、港町神戸の異人館と波止場の印象
個人的には80年代アイドル曲の中で、ベスト10の名曲と思う。
彼女は、事務所のオシも弱く、線も細かったので、後にスケ番刑事調のドラマで
ちょこっと脇役をして引退したのかなあ。生粋の芦屋のお嬢さん。




倉沢淳美「ピンクな瞳でタッチダウン」1987

これはスクロール中に知った。Bサイドの名曲だなと思う。
メロとコード進行、歌詞ともにグッド。アイドルらしく可愛らしい。
ご存知「わらべ」のかなえの女の子。





ちょっと中休みならぬ豆知識特集

堀越学園1986年卒業 3年D組
岡田由希子と本田美奈子以外に、松本友里が故人になっている。
こういうのを動画で作る人が今でもいるのが判るくらい、この卒業アルバムは
テレビ芸能マスコミで、よくとりあげられたものである。




ここから80年代後半デビュー組

里中茶美「魔法のビート」1989

元気いっぱいの南国ムスメ。
沖縄出身 弟は辺土名一茶。
アクターズスクールで後に事務員をしていたと言う伝説も。




吉田真里子「Roman」

アイドル時代の最後を飾る美形
90年代中期は、彼女たちにとり、時代は真冬であったが
震災後の世相のなか、けなげにネットにホームページを開設し
インディーズのアイドルとして活動していたことが忘れられない。

デラックスマガジンOREでデビュー 姫路市出身



小川範子「涙をたばねて」 1987デビュー

アイドル不毛時代に最も曲にめぐまれて、最も損をした女性と思う。
今聞いても、歌った曲はかなりレベルが高い。
あるときにふと、私はこの娘に山口百恵的な陰のある曲ばかりを
歌わせたスタッフの意図に、気が付いたような気がした。
似てないが似ているのである。
子役時代の名前は谷本しげみ。

それではおやすみ〜。

風邪引きのキミ、早くなおしてね。

お・ま・け



Posted at 2013/01/14 00:55:08 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 趣味
2013年01月10日 イイね!

様子見の新年

様子見の新年










今年が始まりました。
関西では、商売繁盛を祈る初戎の、10日が中日です。

その「えべっさん」のご利益、どうも関西では、神通力が落ちたのか、
最近の関西企業はボロボロです。
それでも、宵戎は、池田、本日は豊中服部にお参りしてきました。
今年は、大発会から、幸先良くと関係者は威勢よく行きたいことでしょう。

金曜日の11日が「残り福」の、最終日。市場も一週間の締め括りだけに、
この日が今年を吉凶を占う一日になりそうです。

関西人は、賑やかなことが、やたら好きなのか?例年「えべっさん」で
盛り上がるだけでなく、この後は18日19日は、西宮の門戸などの
厄神大祭なのですが、初詣から短い期間に3回子供たちが、夜店の誘惑に
晒されるのですから、余程享楽的に暮らしてきたのでしょう。


ところが1995(平成7)年の1月17日の夜明け前に、阪神大震災が起きて
から、兵庫県は鎮魂の日が近づくことが、年始の最大の宿題となりました。

先程も地名の出た門戸厄神に、当時はおりまして、わが家も裡災しました。
18年という長い年月が、過ぎて行きましたが、心に悲しみを覚えているのが、
体験者のウィンターシーズンです。

子供たちが、高校と大学受験を受け出す頃、短い命で消えていった幼い子
たちが、沢山いたことを必ず思い出してしまうのは、一生変わらないと思います。

私はカメラ好きで、あの年も、西宮神社のえべっさんに行って、通りがかりの
老若男女をたくさん写しています。
中にはその直後に亡くなられた人も、たくさん映っていたかもしれません。

あの頃は、バブル景気は終わってましたが、また好くなると皆、普通に思って
いました。私は震災が起きた瞬間に「これで終わった。とどめを刺された
日本経済は、長く沈むだろう」と、直感しました。

ボディブロウが、完全に効いて、日本経済がKOを受けるのは、2年後の97年
ですが、私はその間何をしたのか。
避難所生活の後は、100日間の疎開生活をして、嫁の実家の南大阪にいながら、
「助かったのだから好きなことをしよう」と、疎開中に現地で見かけたシトロエン
CXに、おおいに悩み、西宮に戻ると、すかさずGSを購入、年末にはGSを
売ってタルボ・サンバ・カブリオレに入れ替えました。

翌年には、香港とマカオに家族旅行、97年には、さらに家族が1人増えて、
年末には、ローバーP6も買い足したのかな。

震災の年の11月から99年までの5年間、FIATだけのツーリングイベントも、
開催しました。震災の時に、真っ先に駆けつけてくれた、愛知の熱心なフィアット
ファンが、以前からやりたいと言っていたのに呼応して、災禍が落ち着いたら、
関西発信のイベントとしてスタートいたしました。
目まぐるしく、反動期に動いたことで、私の30ー40代は、実り多く過ごすことが
出来ました。

1995年の阪神からもう直ぐ18年、2011年の大きな不幸から、今年は満2年を
迎えます。全員が全員、こんな無茶は出来ませんでしょうが、気持ちが凹みそう
な時は、思い切ってやりたかったことを我慢せずにヤッてみる。

それでも、こういう時代ですから、若くないと思う人は、様子見しながらで
良いと思います。
今年一年を送ってみて、やれそうなことは、やってみた方が、何十年も経って
後悔することより、私は風が吹き始めるのではないかと、思うのです。





Posted at 2013/01/10 12:13:01 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2013年01月08日 イイね!

きのうの記事を書いて思う

きのうの記事を書いて思う









わたしは活字を書いたり、原稿を整理して、見出しをつけると言う仕事を
長いこと続けていたのであるが、きょうも、昨日録音したレコード音源を聴いていて、
40年前のナレーションやレポーティングスタイル等を耳で聞きとりながら、いまの
私だったらどう起こして、加工して別表現に変換したら面白いだろうと考えていました。

一番考えさせられたのは、当時の人たちが懸命に「伝えようと」したこと。
これが、すごく面白いんだよね。
たぶん、当時は日本のモータースポーツなんて「10年史」だったのです。
その40年どころか20年前にも、影も形も無かったものを正確に「起きていること」
を言い表し、アクシデントまでその中に含まれていた。人物の死とかまでも。
40年後の僕らは、何をもがいているのだろう。と思いたくなるくらい
自由に生きられていませんよね。

風戸のインタビューを聞きながら、亡くなった方へのレクイエムも含めて、
(自分もいつかは死ぬかもしれないが)自由に生きてきて「これから何に
戦うのだろう」と言葉を結んでいるのが強く印象に残りました。
私の10才上くらいの風戸が、亡くなった年齢から30年近く生きて来て、
恥ずかしくなるような長い時間です。
当時のジャーナリストや、小林彰太郎らがやった仕事を、現在のほぼ同じ
ポジションにある者らが、超えられているかというと、たぶん出来てないと思う。

私は夕刊フジという、昭和44年(1969)に創刊した新聞に居てました。
即売紙というのは朝夕刊の一般誌に比べると、ガラは悪いが活気のある仕事で
売らないと負けるのです。売る売れるの毎日が勝負で、内容的には、はったりもあり
今の増すゴミと言われてもしようがない日もありましたが、早朝からテンション上げて
エンジン全開、部下も年上もおかまい無しにどなりつけて、最後は豪快に締めくくり
ジャストオンタイムに列車の発車を見送っていました。

印刷体制ロックオンのことを、降版といいます。ミスもたまにありますし、
始末書も何度か書きました。そのフラストレーションを超えるプレジャーがあれば
ああいう鉄火場の仕事は、いいな、と思います。
飲んだくれやろくでなしの集まる酒場で酔っぱらっていても、どこか正気が残っていて
その活力で、何台ものなんぎなクルマを平行して維持するパワーを持てたのでしょう。

活力の抜け切った今の私が、こんな文章を書くのも可笑しいものです。
1台の850クーペがずっと最後まで寄り沿ってくれていますが、今年はボルテージ
メーター0に近い状態でスタートしました。
昨日きゅうに風戸の記事を書きたくなったのは、みんから友達の良い刺激があったから
だと思います。

“オレンジ色の醜い奴”にいた頃も、創刊準備当時の伝説めいたエピソードや成功談に
触れ、それは乗り越えられないとジレンマも感じました。
今の時代ってどうなんだろう。
いつも考えるのですが、何か新しいことを始めようとすると、必ず足は引っぱられます。
しかし今の私は何をやっても失うものもないくらいプレーンだと気が付きました。
何かを始めるには良い状況なのでしょう。

そんな訳で、今年も松が開けて始まりましたが、いつも読んで下さっている皆様、
どうぞよろしくお願いいたします。
1月27日にはお台場のニューイヤーミーティングに参加の予定で愛車で上京します。
今年からフィアット850クラブ・ジャポネでエントリーいたしました。
それでは皆様、よい1年をスタートされてください。失礼いたします。








Posted at 2013/01/08 14:12:09 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2013年01月07日 イイね!

レコードという記録

レコードという記録
富士スピードウェイに
伝説の30度バンクがあった頃、
来年で没後40年になる風戸裕の乗る
ポルシェ908Mk2の走行音を収めた
ドキュメンタリーのレコードが作られた。



このアルバムは、1974年6月2日の事故で
亡くなった後に発売されたものである。



ただし録音企画は、生前のもので、そういった
ニュアンスは、何も含まれていない。





もう一枚のレコードは、1969年から72年にかけて、やはり富士で録音された、
「レーシングサウンド・ダイナミックス」FISCO決死のコンペティション
というものである。



こちらは2枚組、4枚の盤面に、それぞれ1969年JAFグランプリ、
69年日本グランプリ、69年日本カンナム、1972年日本グランプリが
収められている。



それぞれをABCDサイドと呼ぼう。
Aには生沢徹のコルトフォーミュラーF2C(写真上段)のエキゾーストや、
ツーリングカーレースでのフェアレディ2000、ホンダS800らのリアルタイムの
音が入っている。

動画も見つけました。こちらからご覧下さい。



Bは、お馴染みのTN対決最終となったNISSAN R382の優勝した
日本グランプリである。しかしポルシェ917と川合稔の乗るトヨタ7
も忘れてはならない。



表紙写真のポルシェ917はこの時のゼッケン14で、ドライバーは、
デビット・パイパーである。





Cサイドは、日本カンナムレースと言う2年間だけ行われた、
7リッター級のモンスターマシンのレースである。

翌年に「Oh!モーレツ」の小川ローザと結婚して
直後に若い命を散らした川合稔が、トヨタ7で優勝した。




最後は1972年の日本グランプリ、コルトR39Bエンジンを積んだ
F2マシンの時代になる。



ウイナーはジョン・サーティースの乗るサーティースTS10 BDAである。



あとロータリー勢の台頭で、この年はGTRの連勝が終わった年だ。
ロータリー3羽カラス、RX3二台とRX2(カペラ)のヘアピン通過音、
240ZGの室内音など、70年代後半から80年代のトレンドを予感させる
音が録音されている。



最後の動画のコメントが正直で面白い。後の時代だが、フォーミュラより
ツーリングカー(ハコ)のレースが目当てであったと書いている。
私もフォーミュラーになって急速に興味を失った。市販車の延長であった
ツーリングカーレースは、当時ドッグファイトそのままで、暴走族や改造車の源流と
言っても外れていないだろう。

当時のレースに5万人観衆が集まって、交通事故死が昨年は4400人であったが、
1万人を超えていた時代。今の自殺死より遥かに社会問題となっていた。
しかし人間たちは元気であったし、大衆はもっと単純だったのかもしれない。
昔は鬱になるのはインテリだけだと決まっていた。

それからこういうレコードにお金を出して買ったということ。再現や体験を共有
するには、ただで何でも出来る今の時代は、返って好奇心や興味が弱くなる。
私は少子化の原因の一つは、好奇心の退行かと思う。私はそれと、お金を出すと
いう行為。ゲームやネットの課金みたいな方式より、買う行動を考えることは
人間に取り成長だと思う。歳とって死ぬまで続くと言って良い。

今日はこの2枚のレコードを聴いて、いろんなことを思った。みんからにも
こういうブログサイトもある。
風戸裕の亡くなった時の事故のことを、当時を回想したモータージャーナリスト
の記事である。
もし過去は封印された歴史であるならば、それを開封するのも、歴史研究だと思う。

このレコードに録音された30度バンクの音などは、ユーチューブが登場する以前は
ものすごく貴重なものであったと思い、私はつい買った。きょうはMDに録音した
ので、クルマの中なら聴くことができます。





Posted at 2013/01/07 14:08:47 | トラックバック(0) | クルマ
2013年01月06日 イイね!

2013年の乗り始め

2013年の乗り始め4日の昼過ぎに、調子の維持も兼ねて
850を小さな市内の中で走らせてみました。

昨日の記事に多くのコメント寄せられて、感激しています。
もう少し書き足したいこともあります。
本日は天気も良いので、その前に少し走って来たいと思います。

少々のお待ちを。



私の現在住む市で一番の高台にある住宅地に上がってみました。





芦屋とか、西宮の苦楽園なら、こういう山手の一番上は、超高級住宅地として
成立するのですが、宝塚も、西宮名塩の方も、現在はそれほど高い値段で
流通していないようです。ここも住人が減っています。

この眺望、大阪の摩天楼中心街も遠望できる素晴らしいロケーションなのに。
どなたか1億円くらい稼いで、我が市に移って来られませんか。



反対に駅から5分の昭和初期の私の長屋は数百万でした。
そこにずっと甘んじると言うと、他の住人に失礼ですが、付近は空き家だらけです。
これから猛烈に働いて、この山の上に数年間でも住んでみるか。
そんなことも考えさせられた、今年の初ドライブでした。

バブルは遠くになりにけり、と言っても、時代は繰り返すと言う
ことわざもあります。

Posted at 2013/01/06 11:55:14 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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