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kotaroのブログ一覧

2013年04月26日 イイね!

2002年のゴールデンウイーク

2002年のゴールデンウイークまだ私が若くて元気だった頃、
その頃は4月の29日が天皇誕生日で、
平成に入ると「みどりの日」という
祝日になった。

平成の6年から始まったフィアットの祭典、
フィアットフェスタは、1999年を除いて、
毎年この、祝日に開かれていた。


1994−99年が、静岡県の御殿場近くの富士高原サーキットであった。

そして2000年から長野県伊那市の、スノーリゾート地を転用した
ラリーキッズ伊那というところで2009年まで開かれた。

今は群馬県の水上のスキー場で開かれている。

この2002年だけは、何の気まぐれか、850クーペでなく
当時所有していたローバー3500で、かなり勇気が要ったが
信州まで遠征することを決めた。
同行はなく、たった一人でである。

この頃はローバーは、オーバーヒート癖があり、
何度もラジエーターから盛大に、蒸気を噴き上げたり、
六甲山に冷や冷やしながら登ると、山上まで辿りつくのに神経を
使いまくり、今度は山から下りる時に、ブレーキがフェードしてしまい
全く効かなくなったことがあった。

今思い出しても、無茶をしたと思う。
下りはサイドブレーキと、エンブレなのだが、高価なオートマを
壊すと、自分の財力では直せないことも判っていたので、
とにかくダマシダマシ、滝のような汗を流しながら、芦屋まで
下りてきたこともあった。

それなのに、「遠乗りしよう」という気になったのは、前の持主が
岐阜在住の方で、若い頃は箱根まで、ローバーで家族旅行をしたと
いうことを聞いていたので、ロングツアラーならぬローバーが可哀相
と思ったこともある。




運転技倆も自信なく、当時はまる二日の休みも、月の途中には無かった。
ただこの年は、29日は完全に休みで、28日の昼から出られれば、
どこかに泊まろうという、覚悟だったのだと思う。
写真の宿は、岐阜県中津川市の苗木という温泉町だが、山の中の
1軒民宿であった。

到着したのは、夕暮れ時であったが、翌朝、仕事の疲れも抜けて
すっきりと晴れた朝から、周囲を散歩する気になった。
遠望に見える山が、恵那山である。






イワカガミであろうか。初めて見た花。



宿の方が、何も無い代わりに季節の花を植えられている。
仕事で疲れ切った心に、本当に優しく写った。



もう藤の花が咲いている。宿の裏は、北側が墓地なのだが、
すさまじい雰囲気の無い穏やかで日当りの良い場所なので
散歩していても、鬼気などは、全く感じられないお墓たちであった。



朝飯を食べて、宿を出発する。
伊那までは100キロもないと思うのだが、私は素直に行かない。
恵那山トンネルを外して、旧道で飯田に向かうのである。



おおおおっ、これは北恵那鉄道の廃線跡の鉄橋ではないか。
まだ撤去されずに残っていたとは。
これを見られただけでも、苗木に泊まって良かったと、一瞬得心した。



中津川駅の横を通り、中央西線の電車を一瞬見て、国道19号線に乗る。

そして次の宿場町の落合を過ぎると、旧中仙道に入り、馬籠、妻籠に
向かうのである。  有賀さつきの迷文句「1日じゅう山道」である。

私のパソコンは、さつき様の知性に合わせているので、「ありがとう」と入れると
当然「有賀党」と、変換する。



今の恵那山トンネルが出来て、30年近くになる。それまでは、木曽谷と
三信街道の伊那谷を直接結ぶ峠は、大平峠(飯田峠含む)と権兵衛峠しか
なかった。
権兵衛峠は、伊那の羽広温泉の奥から、1500mの坂を越えて、南木曽の
近くに出る急峻であったが、近年トンネルが出来て所要時間が、半分以下に
なった。



今回は、まず、難所の大平峠を登った。こちらが1200m級である。
オーバーヒートをさせぬよう、水温に再三気を遣ったが、途中何も
家や連絡できる所が無く、冷や冷やであったが、P6は頂上まで
登り切ってくれた。

ちなみに当時の私は、当然携帯電話は持たない主義であったので
立往生したときは、全行程を諦めても良い覚悟である。



でも、飯田に下りて行く途中で、こんな精霊のいそうな滝に遭遇し
旅先でいつくたばっても、風景を見られたら満足としようと、思っていた。

会場には10時過ぎに到着。
面白そうな車両を適当に撮っているので、アトランダムに並べておく。
























しかしこの時に乗って行ったローバーの、後のオーナーもこの会場に
いたことの偶然にも、今思うと奇妙な符牒を感じる。

この時は彼は、こんな車に乗っていたのである。



帰路は、午後2時過ぎに、早めに会場を後にして、権兵衛峠を越えてみた。



5月近い、春の信濃路の風は爽やかであった。



そして木曽福島の旧市街を通り、中津川手前で、新しい道の駅
きりら坂下(よく、「きらり坂下」の誤植多し)で、早めの夕食にしたのだが
ここでローバーが、ついに不調を起こし、エンジンのセルモータが、
かちりとも動かなくなるトラブルが起きて、JAFを呼ぶにも、GWで2時間待ち。





しかしJAFのお兄さんが来て、二人で頭をひねったが、もう
どこかの宿に泊まることも覚悟して、2時間が経ち、エンジンが完全に
冷えたら、あら不思議と、セルが掛かったのである。



そうして西宮(当時)の我家には、夜の9時過ぎには着いたのである。

Posted at 2013/04/26 21:33:04 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ
2013年04月25日 イイね!

Today's diary

Today's diary少し考え込んでいましたが、今夜ももう終わりです。

いろんなことがありますが、今のような仕事も
家族も無いような状態から一日も早く抜け出して、
まあ乗りたい車を探してきて乗る。

私につける薬はこれだけでしょう。

これはちかくの駅前でみかけた私の好きな1台、
ヒュンダイTBです。

色がモノクロトーンでしか撮っていないのだけれど
綺麗なグリーンメタリックでした。



岡山ナンバーの何とレンタカー仕様。

でも欲しいなあ。
今夜はおしまい。
Posted at 2013/04/25 23:26:27 | トラックバック(0) | 街角の目撃車 | クルマ
2013年04月24日 イイね!

イングリッシュ・ジョーク

イングリッシュ・ジョーク英国が深刻な不景気な時代があり、そこに鉄の女
マーガレット・サッチャーが出て来たのが
1970年代の後半を過ぎた最後の年であった。

彼女が、今月の8日に亡くなり、あの頃のイギリスとは
どんな国であったか。

これについては、良い文章を二つ紹介する。



一つはタカ派、44Loveさんの「偉大な改革者」である。

https://minkara.carview.co.jp/userid/1095234/blog/29790331/



もう1つは、サッチャー否定派のある知人の「ケン・ローチのサッチャー“追悼”!?」
である。
http://www.kanshin.com/diary/12087355




まあ、44さん、ここはバトルのつもりでないので、ひとつ抑えてください(笑)。

サヨクのおじさんたちの咆哮にも、敵意むき出さないでね(^^;

案外、両方読むと、面白いと思う。
こういうのを、読み比べて欲しいと思う。今の日本人は、凄く考えることが
小さくて内向きが強い。それは、あんまり良いことではないと思う。

そのくせ、エンスーだとか、英国車通の風を吹かせるつもりくらいなら、
むしろ僕のこういう役に立たない記事を、読んで、ひと味違う英国車乗りを
ジョークのつもりで、実行して欲しい。

と言う訳で、70年代後半から、80年代の初めの頃の、英国は国内の混乱が酷くて、
自動車産業は、1968年にまずBMCに統合され、1975年には民族資本は国有化され
レイランドも合流し、BLMCになった。

当時の英国の労働党政府時代の、生産性の低さは、月曜日と金曜日に、ラインを
出たクルマは、まともに組み立てられていないので、買わない方が良いという
ジョークがまことしやかに流れていた。僕は79年にやっと大学に入り、同志社の
鉄研の中にも自動車好きはたくさんおり、CG誌やリーダイを読む先輩らと、
1年坊主でありながら、いつも議論を闘わせていた。

いまゆっくりと考えて、振り返ってみると、80年前後の英国車は、造形的にも
不細工な顔したのが多い。売ることばかりを意識した現代の美意識からすると、
とてもアグリーなのが多いのだけど、当時の、不貞腐れた社会情勢を反映している
ようで、微笑ましい。あたかも英国が発祥の、パンク音楽ムーブメントが乗り移った
かのようであった。返ってその辺りの素直さが可愛くも思えて来る。
併せて覚えておくと良いのだろう。


僕は21日の「チャオ」で、こんなモノを買ってしまった。



Dinkyのダイキャストトーイ、 Princess 2200HL Saloonである。
プリンセスというから、皆さん知っているのは、ヴァンデンプラ・プリンセス
通称ADO16シリーズであろう。

その後にオースチン・アレグロ系の「2代目ヴァンプラ」が出て、
最後に1975年に追加モデルと言う感じで、一回り大きなこの
ただの「プリンセス」1800/2200が最上級として登場するのである。
これも大きなFFのハイドラガスティックサスペンション車なのである。

顔つきは、丸4灯の方は、少し同時代の、アルフェッタGTに似ていると思う。
でも最上級の2200HLは、プジョー504や304のような変形角2灯である。



ミニカーと雑貨を売りにきていた店の人に、床下に置いてる箱も見て
良いですかと、聞いて見つけたのが、当時モノの箱に入ったディンキーだ。

おお、このクソみたいなクルマは、幻のプリンセス。

こ、これください。というと店の人は、これを買うのですか??という
表情になり、勘定後、「まさかこれが売れるとは思いませんでした」
(京都恐るべし)と感想を、のたまわっていた。

ということで、今日のブログも大した内容はありません。
イッツア、ミュージックタイム。

サッチャーとその前後の時代を偲んで、
3連発。





最後は、いつものオチだな(爆



PAが非常にワルイが、これは武道館!

ぶーちゃんのローバーでこんどこれを聴こう。

それでは、また来週。

Posted at 2013/04/24 13:57:41 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ
2013年04月23日 イイね!

そんで以ってのポルシェ912<死んだ筈だよOh! Tommyさん>

そんで以ってのポルシェ912<死んだ筈だよOh! Tommyさん>友人のFujiiクンは、ブルースマンである。

彼のやっているお店にいくようになり、
かれこれ、10年以上になる。

大阪でソウル系の音楽をやっている人だったら、
東通りにあるサードストーンという
店の名前は、知られていると思う。


店のオーナーの彼が、古い車が好きで、ポルシェの912という車種に
乗っていることは、知っていたが、今まで実車を見たことが、無かった。

それは、彼は24時間働いているような男で、好きなことを形にする、
仕事にする人の典型で、休みが無いからだ。

先週の金曜日に、天満の天満繁盛亭で、桂しん吉の落語を見に行ってきた帰り、



ここでまた(注)であるが、桂しん吉というのは、人間国宝の桂米朝一門の
弟子で、若手の落語家である。

近年になり、鉄オタであることをカミングアウトして、嫁さんももらって、何とか
食って行けるようになり、鉄っちゃん落語家を売りにしている痛い人でもある。

なぜしん吉を知ったかというと、彼の友人のバンジョー弾きに、宮村群時クンと
いう大阪で5本の指に入るのではないかと、私が勝手に思っているミュージシャン
がいる。
私は群ちゃんとは、もっと昔から、ある縁があって知り合いになり、友だち
なのである。

群ちゃんとしん吉が、コンビを結成して「ぐんきち」なるバンドみたいな
パフォーマンスを、やりだしてから、しん吉の落語も行くようになったのである。

しん吉さんも、高座をピンでつとめるようになり、アトラクションでぐんきちの
パフォーマンスをやってくれたので、満足して帰路についた。


金曜日の夜も少し寒かった。
天神橋筋辺りには、群時クンの事務所のある店も、たまに開くのだが
仕事で繁盛亭に来ているのだから、そこは開いてないだろうし、近くにも
行きつけはあるのだが、自由な身空の今だから、サードストーンを覗い
たれという、気分になった。

ところが東通りのいつもの場所のある辺りに行くと、勝手が違っている。
あれ、閉店したのかな。でも、他に店を数軒経営する優秀な経営者で
あるから、移転したに違いないと、検索すると、やはりそうであった。

今度は堂山の、大東洋やボートピアの向かいのビルと言うから、
ジャズオントップのあるビルだろうと、見当をつけて行くと当たりで
あった。

店の中では狭いスペースで、太った黒人男性と、小太りの女性が
ソウルデュオを演っている真最中である。

「きょうはライブの日で…」、めざとくFujiiクンが私を見つけて、申しわけ
なさそうに言うが、いいよいいよと、ライブの途中から席に腰を下ろして
音楽と酒に浸ることにした。



kotaroさん、お久しぶりで。ところでクルマのことなんですけどね。
という話の相談を受けて、大分くたびれている個体らしい、彼の愛車の
912を一度を、私の行く工場で、見てもらおうということになった。

じゃ、月曜日のお昼12時に、阪急宝塚線の曽根駅前で、という約束をした。

私は10分前に到着。最近メンタルが大分普通に戻ったので、ちゃんと
動ける。そろそろ現れるかな、と思ったら空冷4発の懐かしい音を
させながら、これはまた傷んでいるなあという状態で、青の912がやってきた。



ところが修理工場まで走って行くと、今回はアポも入れていたのだが、
大将も出かけていて、息子さんも車検に出たままで、不在である。

私は連絡を入れており、12時から12時半の間に来ると言っていたのだが
これでは、彼に申し訳が立たない。
電話番の人が、あちこちに連絡入れて、30分もすると大将が戻って来ること
が分かった。

コーヒーでも飲んでいようと言うので、茶店も良いが、緑地公園の中を
歩きませんかと、Fujiiクンがいう。
缶コーヒーを飲みながら、入り口付近の広場のベンチに腰掛けながら
雑談をして待つことにした。



この写真がその時の目の前のシーンである。月曜日の平日の12時台。
あと少しすると、野外音楽堂で「祝・春一番」が開かれる。



しかし30分待つと大将も戻ったので、工場に戻ると、大将は植木を
剪定していた。

こんにちは。ということで新客を紹介する。
これは…

ということで、大将は僕らが待つ間に、少しこのクルマの現状を見たようだが
何ぶん、簡単には答えられない状態のようだ。




「これ、直してホンマに乗りますのか?」
敢えてそう言う言葉を、避けて話してくれたが、ホンネの所は、そういう風にも
受け取れるように聞こえたのである。

さて、しばらく男3人で唸っていたのを、ショップの通信員である、
娘さんがさっそくレポートにしてくれていた。

あとでFujiiクンの口から、驚くべき事実が分かるひと言が出て来た。
これ、昭和42年登録の、国内ものだったのです。



ミツワのディーラー車だったのか。この1967年式のポルシェ912は。

だったら勿体ないよなあ。彼が手に入れて10年弱、故郷の淡路島で
半分隠していたとはいえ、雨と風に晒されて、すっかり傷んだ個体に
なってしまったのか。

それでもことある度に、クルマは動かした方が、いいよと私が説法したので
店の経営が安定した5年ほど前から、大阪市内で再び路上に復帰したのである。

車検証も確認した。まさかのディーラーもん。完全にレストアすると紺の豚さんの
計画中のあの話並みになるやろうと、板金屋のプロの大将が言う。
エンジンはそんなにかかりませんから、と。

僕もミツワのナロー912と知っていたら、もっと大切にしておくように、10年前から
声をかけるか、ボランティアを勝って出ただろうと思う。

まさかのミツワもの。その往年の塗装はシルバーで、白に塗られてさらに青に。
下張りの板金ツギハギは、そりゃ酷いモノの上に、雨ざらしではねえ、と
大将が困惑している。

あいや死んだ筈だよ、ミツワのお富み(912)さん。
生きていたとは、淡路の鳴門の渦も、知らぬ存ぜぬの、玄、やぁ〜だぁ〜な〜(嫌だな)

チョチョチョンチョンチョン。
あいや〜、運命は如何にぃ〜〜〜〜〜〜〜。。


,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,


参考までに下のリンク先に辿っていただければ、新車当時の写真が拝観できます。



Posted at 2013/04/23 15:41:14 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年04月22日 イイね!

すごいだろう考

すごいだろう考2013年4月の自動車イベントは
昨日の丹波ワイン「チャオ」でほぼ終了。

ことしは「さやま池まつり」が自動車見世がないらしい。
というので、参加できずは、富士ジャンボリーと
米子クラシックカーと、高雄の2回目の3つ。
エントリーは風邪を引いたチームヤマモトと昨日の
チャオで元を取り返したくらい。

競馬で言うとプラマイ、沈み気味だが楽しんでいる。


きょうは何を書こうかと言うと、自動車イベントの展示をするのを、
ちょっと控えようかと言う気になってきた。
コンテスト出場しても、私の愛車ではもっと「すごいだろう」みたいな
外観か、個体自体が、超稀少な車種の前では印象が霞みがちだと、最近
思うようになったからである。

要は祭りに参加しても、このクルマ自体がノリ切れていないと、感じている
からである。



最近は、本当にモーターカーのイベントが増えてきた。
イベントの考察については、随時書いているが、展示参加目的だと、
ある程度“時代に媚びない”といけない。

それを私は、由しとしないし、クルマの方も、ぶっきらぼうで外観、雰囲気
共に1970年代から1980年代のまま、加齢しただけの状態で、乗り続けて
いる。

稀に1000人に1人くらい、私のクルマの“そのまま感”を刺さってくれて
「すごいです」と言ってくれる人が、いるが、今日のイベントでは、埋没
することは、否めない。

それが「そろそろ潮時かな」と思った理由である。



私の解釈が間違っているのかもしれないが、米国を除いた諸外国では、
自動車と言うのは、ある程度オリジナリティー重視の筈である。

私の自動車は、オリジナルを重視して、塗装外観、内装に、最大限の
ポイントは「京55」時代のライセンスプレートを持続して、当時のまま
を、残すようにして乗り続けてきたことである。

私が近年の自動車趣味に一つだけ警鐘を上げれば、目立ったもの勝ち
みたいな視線に、自己の研鑽や趣味に於ける、より透徹して行く深みと
いったものは、あまり無いように思われるのである。

以前はブログにこのような私見を書くと「人の趣味に何をしようと勝手だろう、
いちゃもんをつけるな!」と抗議して、去って行く人がいた。

それなら読まなきゃいいし、いちいち高説(になっていない)垂れる必要も
ないと、思った。

それにしても、日本の自動車趣味の世界は、世の好況不況と、比例せずに
独自の深化は進んで来ているように思われる。
しかし、敢えて言いたいのだが、僕はリアリティのない趣味は、趣味でないように
思われるのである。



そのことについて、たまには説明しよう。
まず、(新車)当時の日本を知っているか、想像することの必要がある。
後年の人間でも、「勉強」は、できる。古本や、当時の雑誌、今なら
ユーチューブで残された動画さえも見ることは出来るようになった。

理解は最初の段階はあくまで、知覚である。この時に「判った!」
とあまり得意になられない方が良い。認識と言うのは時には誤解する
ことも多いからである。

そこである程度、当時の時代状況が摑めたら、21世紀のこの日本、
極東の島国において、その車が走っていることが、「正しいか」どうか
反論、反芻してみる必要がある。

だから私は、この日本である程度のロータスエランや、アルピーヌルノー
A110がいることは、判るのだが、こんなに走っていていいのかな?
ましてみんなで(仲間で)つるむ、というのは、野暮ではないのかと、
時には思ってみる必要を、よく考えるのである。

これがリアリティの問題だ。
私の様に古くから趣味をしている人間は、現状を決して嘆いてばかりいる
訳ではない。むしろ昔より情報と、部品流通と、整備性、整備力のアップ
した、この21世紀ニッポンに感謝はしている。



私の昔の上司が、当時、「◎◎クン、君ねぇ、新聞作りと言うのは、
リアリチィが無いと駄目なんだよ、わかるかね?」と,20歳以上年上の
名部長は、朝から口から唾を飛ばしながら、部下たちに仕事の精神の
ことを説いていたのを思い出す。

たかが夕刊紙の1面作りにも、リアリティーが要るのである。今何年何月の
何日で、きょうはどんな事件が継続中で、どんな事件が解決したのかと。

趣味って、人間性とか時代性とか、阿呆みたいに乖離して良いものかと
僕は思うのである。
お金があるから、これくらいのことはしても良いだろうと、50代や60代で
役員や退職金を持った男性が、鴨になっている風景を僕は見掛ける。


最近の旧車の値上がり傾向は、ゴルフ会員権相場のようである。
GTーRや432でないハコスカや初代Zも、100万どころか、倍近くする
時代である。
ポルシェも356は2、300万でとても買えないゾーンになり、911の初期も
上がり、底値の頃は90万で良い個体を見掛けた930型も、いまは人気が
出だしたので安いものはなくなった。

ロータスエラン、アルピーヌA110、ルノー8ゴルディーニは、
最近の作られた人気の御三家のように、嬉しそうに乗られる方が
集まられるように、増えてきた。

嬉しさは大事な要素である。車に乗ることの意味の中でであり、その
華やかな輪に、“デビュー”することは、80年代半ば以降、この国の
クラシックな自動車世界の、最大引力として存在してきたと、私は思う。



さて、3桁のナンバーになって、ナンバープレートの存在価値や意味性が
うんと薄くなった。そのくせ公開の場では目線や恥部のように隠さなければ
ならない。
もうヒト桁は、1969年頃以前なので、入手も難しいし、二桁も20年近い
前の記憶になりつつある。

モーターイベント自体に、どんなナンバーで乗り付けても、違和感を言う人も
減ったし、簡単には、ちょっとした努力でも昔のナンバー車は、手に入らない
現状になってしまったこともあるだろう。

でもこれも僕は、一種のリアリチーの崩壊だと、個人的に思っている。
どんな車に、どんなナンバーで乗ってきても、イベント自体がフィクションと
思っているようだし、祝祭はバニティフェアで、歴史的連関は、あんまり関係
ないようである。

そんなところに、超リアルな車が置かれるのは、もしかしたら、浮いてしまう
ことなのかもしれない。


というよりは、ギャラリーも、クルマ芸人のようなゲスト解説者も、
その意味すら理解できていなかったとしたら、リアルな旧車を
フィクションの中に並べ続けることは、どうなんだろうな、と
思った次第である。


Posted at 2013/04/22 18:19:56 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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