私が英国に暮らし始めた1990年、
英国はまだ改革の真っ最中でした・・
ちょうどサッチャーが首相から降り、後任のジョン・メージャーに交代する年でした。
1964年から79年まで15年間続いた労働党政権の間に、「揺りかごから墓場まで」の行きすぎた、
いわゆる「福祉政策」が、結局は英国の産業と労働者の競争力を奪い、国民は働かずにお金を
貰うことばかりを考えるようになり、いわゆる「英国病」と言われる重篤な病気に罹っていました。
サッチャーは、79年から90年まで11年の間、首相を務め、労働党時代に決められた数々のバラマキ政策を改め、国有化されていた企業を再度民営化し、労働者の平均よりも多くばら撒かれていた生活保護費の支給基準を見直し、真面目に働き税金を納めているものが馬鹿を見ないような国に直していきました。
私の友人たちは英国をはじめ欧州の若者が多かったのですが、働く賃金よりも生活保護で貰える金額の方が多いと、多くの若者は職探しもしていませんでした。いわゆる「働いては負けかな、と思っている。」状態です・・・(^^;
両親がギリシャ移民でFish & Chips屋を経営している友人がいましたが、彼女は、いつも、「英国の若者は怠け者だ。」と怒っていました。2,3日働きに来たら、「生活保護を貰った方が金額も多いし楽だから」と無断欠勤、無断退職してしまうそうです・・(^^;
また、当時はEU諸国から奨学金や生活保護目当ての若者が沢山英国に流入し、働きもせず、中には麻薬など犯罪の温床になって大きな問題となっていました。
私も、当時は友人の友人たちが開くパーティーなどに行ってみると、暗い会場の隅っこで、独自の匂いを漂わせながら独自の表情をしたそんな若者たちをよく目にしました・・(^^;
そういう他国の入国者たちに対して、サッチャーの後任になったジョン・メージャー首相は、「Enough is enough!(もううんざりだ!)」と国会で演説していました。「我々英国人は、何のために真面目に働いて税金を納めているのか? 他国から来た怠け者を喰わせるためか?」と。
当時、私は学生の後、英国の企業相手に働いておりましたので、英国の企業や労働者がいかに出鱈目で疲弊し、崩壊しているかを目の当たりにしていました。
サッチャー時代に大きく改革されたものの一つに、労働党の票稼ぎのために無理やり存続させていた、国内の粗悪で危険で高コストな炭鉱の閉鎖です。
私の住んでいた北部イングランド地方は、炭鉱を元にした産業革命の発展の地で、その後、数百年にわたって、もう競争力のない、粗悪な探鉱を維持してきました。
その炭鉱で取れた質の悪い石炭で火力発電を行い、そこから出る汚染された空気は北欧の森に酸性雨を降らせ、ノルウェイやフィンランドの森を軒並み枯らせていると大きな問題になっていました。(いまのどこかの国に似ていますね・・(^^;;)
その炭鉱を閉鎖したことにより、多くの炭鉱労働者が失業していしまいましたが、それにより、今回のサッチャーの葬儀でも、「サッチャー死んでざまあみろ」「サッチャー地獄に落ちろ」と30年たっても産業構造について行けなかった労働者の子孫が恨んで憂さを晴らしているようです。
一度甘やかされた政策でぬるま湯につけられてしまうと、人間、何十年たっても進歩しようとしない人たちが出てくるようです・・ (今の日本のマスゴミは、元Coal Miners=Miners(炭鉱労働者)の意味も分からずに、「鉱山関係者がサッチャーに恨みを持っています」と訳してニュースにしていましたが、エネルギー政策の転換で炭鉱が閉鎖された労働者の子孫が怒っている、ということも分からずに、ボケまくったニュースを流しているなんて、中身も理解しないで、改革派のサッチャーを批判できれば何でもいいのでしょうか?)
また、サッチャーが評価されるのは、「鉄の女」としての国防の重要性を実行したことです。
ゴルバチョフ、レーガン時代(日本は中曽根総理)に、冷戦を終結させる手助けをし、また不法に軍事占領されたフォークランド諸島を、反対する労働党の議員を無視して強行し、成功させたことです。
サッチャー、メイジャー時代は、ソビエト共産党に影響された英国労働党が15年に渡って破壊し続けた英国の文化、経済、産業を立て直す18年間でした。
某国と某国の影響を受けた某政権に破壊された日本の文化、経済、産業を立て直すには何年かかるのでしょうか・・
F1の表彰台で有名な曲ですね。(^^)
F1のコンストラクターの大半は英国籍ですから・・(^^;
サッチャー現役時代の、日本の絶頂期と英国の英雄が活躍した伝説のグランプリの場面です。
ここは車のブログですから・・
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Posted at
2019/11/23 19:38:36