私は世間から引退したい年になったが、うまくいっていない。
近所の立ち飲みに行くと、88歳の男性が一人で飲みに来られていた。
老いについて、最近はよく考える。
その男性の域に達するには、あと30年近くかかるが、
同世代や年齢の近い友人らに話すと、誰もがそんなに長生きは出来ない
だろうと悲観的である。
景気と社会の安定は、生まれ育った年齢と、シンクロ出来たり
出来なかったりする。
最近と言っても、もう30年近くになるが、バブル体験のある・なしはよく
話題になる。
それと1997年から始まった金融恐慌と、その後の就職氷河期、及び
デフレ社会の荒波は、バブルの終わりから続く物語として、随分日本人の
原体験や、考え方を悲観的なものにしたと思う。
私たちはそれでも90年代には、まだクルマの夢があったと思っているし、
2000年代の頭には、アメリカのITバブルと、パソコンの革新期であり
21世紀は、明るく開けるものと思っていた。
アジアを見ると通貨危機が起きたのが、97年。それから一時期は韓国と
インドネシア経済は、後退し、韓国はIMFの管理下に置かれた。
タイも何度か経済の行ったり戻ったリがあったが、
25年間くらいに、全く成長がなかったのは日本だけで、その間に
超高齢化社会の扉が開いてしまった。
最近、といっても平成の終わりに、何が日本を苦しめたのかとか
何が間違っていたかの、議論と論考をよく目にする。
私は、ホリエモンを有罪にしたライブドア事件の、フジテレビとか、
あの辺りに日本の一気交替、世代交替が出来なかったことの罪は大きいと思う。
今世間は、1970年代生まれから80年代生まれが、社会の中心だ。
60年代生まれはもう古いし、小説家のような職業なら似合う。
私はさらに上の1950年代の最後の1年に生まれている。だからさっさと
世間から、2009年に引退した。
全く働かないと言うつもりはないのだが、社会負担は結構大きい。
自動車の維持も、無理かなあと思うことが多いのだが、さすがに
日本の自動車保有者の負担はデカ過ぎると、経団連に近いトヨタの会長が
軽減措置を言い始めたが、10年遅かったと思う。
近いうちにリッターカーの税金は、軽自動車の少し上になる可能性が
出て来た。これは朗報だが、もう私は維持することを、半分諦めかけている。
21世紀はおそらくどんな時代か。
日本にとりここまでは、非常に不利な時代だった。
それは70ー80年代にヨーロッパの縮小や、アメリカの自動車産業の
行き詰まりの中で、日本は「一人勝ち」した。
当時は中国や韓国は競合するライバルではなかったからである。
その反動が今の日本を苦しめているし、70年代のヨーロッパが
社会主義圏のソ連の衛星国との軍事的な緊張もあり、伸び伸びと経済活動
できなかったことに似ているし、しかも構成年齢の高齢化が日本には
加わっている。
政治、経済、サイエンスや科学の教育部門、いずれも日本は制度劣化した。
集中するガバナンスを、規制緩和でやめて以来、国力の衰えも大きい。
私は通産省と貿易省の一体みたいな司令塔が必ずあった方が良いと思う。
政治改革が一向に起きようとする気配がないのも深刻だ。
それは今の自民党に人材が払底しているのに、ゾンビのように政権を
抱え込んでいるし、改憲とか、沖縄の基地問題とか、私から見ると
瑣末なテーマに、ものすごいエネルギーを費やしている。
沖縄の知事が反安倍のデニー氏になろうと、大きな視点でアメリカと
沖縄の問題を複眼的に見ればよい。
日本がやるべきことは、金融も土地制度も、みんな一度リセットして、
新しい会社、いや組織で再スタートするべき状態だと思う。
1945年に敗戦後、通貨の切り下げもやったりして、農地も取り上げて開放した。
地方の空家とかは一度取り上げるべきである。
国が全体管理して、新たな都市や、交通網の建設をし直してもよいし
2011年の震災の後の青写真は、もっと壮大にすべきだったのではないか。
個別な土地や都道府県の事情を、150年前までに遡り、維新は間違いだった
という主張はよく見かける。
ならば、恨み節よりもっとラジカルな人民の移住とか、新たな土地に
何を建てて作って行くかの方が大事だ。
1964年のオリンピックと新幹線は、日本の成功体験なら、同じことは同じ場所で
やらずに、リニアも東京ー名古屋ー大阪に引かずに
新しい新首都の建設でつくるなら、私は良い計画だと思う。
今の日本には私みたいな主張や考えが出て来ずに、個別対応みたいな
発想ばかりで、毎日時間が無駄にしている。
ここまで日本は、ダメになり遅れをとったのだから、もういい加減目覚めても良い。
目が覚めないのはなぜかと言うと、どんなにキツいキツい言っても
翌朝になると同じ会社に行き、同じ机で仕事を始めるからだ。
私個人は、とても弱くて悲観的だ。
しかし20歳30歳下の人が、同じ気持ちになっては気の毒である。
日本の社会は、抱える問題が多く、大変だが、やらなくてもよいことに
エネルギーを使い過ぎている。
高齢者の福祉が最たるものだし、もっと乱暴に扱えば良いのにと思う。
私ももうすぐその一人になるのだけれど、介護用品の設置みたいな福祉は
要らない。低年金でも、病院に行けるならそれで充分だと思う。
細かいこととか、うちの家がどうのみたいなことは、ここでは超越する。
日本が竦んでしまっているのは、国民全部が高齢者目線になり過ぎで
「優しい国家」を勘違いしているのではないか。
もちろん、細かーいことは後から考えて行こう。
その前に、やっておくこと、決断が出来ていない。
消費税の10%も上げなくてもよいのではないか。
取り上げる税収は、五月蝿い議論はこの段階ではしないが、
他に方法があるような気がする。
今答えは出せないが。
ここまで一気に書いて来たが、私はそんなに長く走り続ける気は無いし、
バトンを受け取って走り出すランナーを待っている。
とにかく日本は「日本病」ときっと外国から後の世にいわれる疾患に
かかっている。
それから元気になるには、思い切った首都の移転とか、飽和になった
東京中心の、なぜ人が集まるか。
それは1円でも賃金の高い給料を貰いたいだけの大衆心理である。
それをせずに済むこと=取り組みは最前提でやるべきだろう。
オフィスワークの非効率性も、日本みたいな「よく考えたらおかしい」
通勤制度も失くすべきである。
とにかく、生産性が最低で、なぜ遅れているかも考えずに
キャッシュレスにすれば良いとか決済の方法論ばかり言っている。
これは、考えたら判るが「後からついて行く」問題を先に言ってどうするのか。
文明開化が起きたから、郵便制度になったり、鉄道に乗って旅するようになった。
それと同じことで、先に郵便は反対とか、鉄道は来ない方が良い
今の日本人は、すごくメンタルを大事にし過ぎて、空と大地を見上げたり
見渡したり出来ていないだけに思う。
今日はここまで書いてみた。
参考記事