
数ヵ月前から首の左側がやたら凝って痛いのは、
読書のし過ぎじゃないのか((((;゜Д゜))) と思った今日この頃…
少なくとも、姿勢には気を付けようと。
頭を前傾させて支え続ける姿勢は首に過大な負担が掛かる。
本は読むはスマホは弄るわ、そらアカンわ。(´Д`)
ボストン・テラン 『音もなく少女は』 (2004)
原題『Woman』
原題と邦題の差が凄いがw
この邦題はなかなか洒落た良い仕事と思う。
デビュー作『神は銃弾』が強烈だったボストン・テランの通産4作目。個人的には2冊目のテラン。
相変わらず、パワフルな文章でグイグイ引っ張ってくれる。
どうもテランは、
“強い女性” のイメージに拘りというのか特別な想いがあるのだろう。
(本作の原題を見ればそのものズバリ)
『神は銃弾』に於いても、ワタクシが未読の2作目3作目に於いても、そして本作に於いても一貫して、
“逆境になぶられながらも、強く逞しく凛々しく生き抜く女” を何人も描いている。
それはどこか “男が生み出したこのろくでもない世界” への宣戦布告にも似ている。
本作の舞台は、テラン自身が育った世界そのままと思われる、1960~70年代のニューヨーク。
貧困家庭に生れた耳の聴こえない娘 イヴ。
暴君のような父親のもとでの生活から彼女を救ったのは、孤高の女フラン。
麻薬売買に手を染める父親に利用される日々の中、無音の世界で生きるイヴは、聾者ならではの才能を開花させる。
自らの、部分を、瞬間を、全てを直観的に切り取るそのセンスは、武器として、アイデンティティとして、彼女の生き方を変える。
イヴはシャッターを切る。引き金のように。
「女、姉妹、友達、母親」
「創造者、保護者、破壊者」
その全ての物語。
男は端役。
ストーリー自体はそんなに手の込んだモノではないのに、
圧倒的な躍動感、熱さ、力強さを感じさせ、清々しい感動を覚える。
ボストン・テランという作家、粗削りなのか鬼才なのか。
「人生の決定的瞬間も、カメラの決定的瞬間も少しも変わらない。捕まえなきゃ逃げられてしまうものよ」
ただ、デビュー作のインパクトには及ばない…
ヴィクトリア・エイヴヤード 『王の檻』 (2017)
原題『King's Cage』
レッドクイーン4部作の3。
シリーズものではなく、4冊で一つの物語なので、
単品で評価しても仕方ない&読む人は全部読むだろうからあーだこーだ批評するのも違うよねと思う。( ̄▽ ̄;)
作中での世界情勢が大きく動き、周辺国の思惑が交錯し、少年独裁王へのクーデターも起こる。
シナリオ脚本を学んだ著者らしく、(シリーズ1作目からそうだが)読者をヤキモキさせて読ませる手法が良くも悪くも。
すんなりと進まないストーリー展開は物語の躍動感という意味では確かに上手いのだが、キャラクターに感情移入していると「なんでそうなんねん」と怒りたくなる。
主要人物がティーンズなので、その “若さ” “未熟さ” “懐の浅さ” 故のもどかしい行動と言えばそうなのだが、「ここでこの二人を仲違いさせた方が後の話が面白くなるから」というような著者の計算が見えて、違和感がある場面もある。
たぶんラスト4作目の終わり方もすんなり綺麗にはいかんのだろうな…と思うと少し憂鬱になる。
でも読むけどねw
オースン・スコット・カード 『無伴奏ソナタ』 (1981)
原題『Unaccompanied Sonata』
『エンダーのゲーム』と表題作『無伴奏ソナタ』が、SFのみならず文学史に残る傑作短編集。
後に長編化もされ、数々のフォロワーとオマージュ作品を生んだデビュー短編『エンダーのゲーム』。
生まれたときから軍の管理下で教育され、訓練をゲームのようにこなしていた少年エンダー。優秀な成績により最年少で士官学校へ進むが、宇宙艦隊を指揮する戦闘シミュレーション訓練はよりハードに、しかも嫌がらせのような内容になっていく。
それでも勝ち続けるエンダー。
連日の過酷な訓練に疲労が溜まり、疑問を感じ始めた時、彼我の戦力差1000:1の課題が与えられる。
諦めの心境と、当て付け染みた鬱憤晴らしで、ルールで禁じられている敵母星への特攻を指示するエンダー。
ルール違反で懲罰され、嫌な訓練から逃げられると思ったが…
あらすじは知っていたけど、ちゃんと読んだのは初めて。
いや…これは素晴らしい。話の流れに無駄が無く、不要な細部は語らず、テンポ良く読み進められ、そして全体的にはハッピーエンドなんだけど何か色々訴えかける読後感。
長編版も興味あるけど、この研ぎ澄まされたテンポの良さが損なわれていないか心配。
解説にもあるが、“リアリティ重視” ではないスタイルの作家。ブラッドベリやエリスンに通ずる、言わばおとぎ話タイプ。
概念的で哲学的な主題が多い。
表題作の『無伴奏ソナタ』もおとぎ話的な世界観だが、
“短編小説“ というジャンル…というか表現手段の括りに於いて、ここまで完璧に纏まったモノは今まで読んだ中には無い。教科書に採用するべきだ(笑)。
音楽を生み出す事を至上の喜びとする者がそれを禁じられたらどうするか。
色んな事柄に置き換えられる話。
外部から禁じられ世界から罰せられても、己の中にあるソレを抑える事はナンセンス。
己の魂に正直に貫けば、いずれその行いを評価してくれる者が現れる。
…ちょっと
『カモメのジョナサン』にも似た部分があるかもね。
Red13指定 必読図書
アンソニー・ホープ 『ゼンダ城の虜』 (1894, 1898)
原題『The Prisoner of ZENDA / Rupert of Hentzau』
古本屋で見つけてなんか面白そうと思って買ってみたら、
超有名な話だったのね。( ̄▽ ̄;)
19世紀、ヨーロッパの架空の王国《ルリタニア》を舞台に繰り広げられる、王位を巡る陰謀と王族の恋模様。
ルリタニア王と瓜二つの容姿の主人公 ルドルフ・ラッセンディルの “剣と恋” “義侠と騎士道” の物語。
舞台となる《ルリタニア》は、ドイツとチェコスロヴァキアの間に位置するとされる架空の王国で、
本作の多大な人気と影響で、英語に
Ruritanian という形容詞が生まれた程だとか…
本書は『ゼンダ城の虜』と、その続編というか第二部的な『ヘンツォ伯爵』を1冊にしたもの。
合わせて600頁弱なので、2作と言えども少し長めの長編小説くらい。
が、物語の進むテンポが良く、どちらの作品も主人公の回顧譚として語られるので、ある程度少し先の展開が予想できて安心して読み進められるという特徴がある。
「この男が後で裏切る」と先に小出しで語られたり、各章の見出しタイトルにも粗筋が上手く凝縮されている。
これを良いと見るか悪いと見るかは読む側の性格次第かなとも思うけど。
物語は、容姿がそっくりな主人公が王様と入れ替わるというもの。
止むを得ない成り行きで影武者を演じたら、当の王本人よりも “王様らしい” 立ち回りで、このままずっと入れ替わってしまったら良いのでは?と周囲が望む程に。
しかしルドルフ・ラッセンディル本人はあくまで自分は “代役” であり一時的に立ち回っているに過ぎない、という立場を貫く。
しかし、フラビア姫は本物の王よりもルドルフに惹かれ、またルドルフも自身の気持ちと葛藤する。
そこに王位簒奪を狙う王の弟や、姫の弱みを握って強請りを掛ける悪党貴族との駆け引きで何重にも交錯する陰謀。
最速の交通手段が汽車、最速の通信手段が電報の時代。
何時間もの情報のタイムラグで敵を追い、罠をしかけ、奇襲され、アナログな方法で計略を練る。そのもどかしさがまたスリリングな味に繋がるわけで。
何でも瞬間的に伝わる今のデジタル監視社会は息苦しいディストピアに思える。