二つ前のブログで、
>「速くなりたい」なら、
>一回それを忘れて、ドライブに出かけよう。
>夜中にひたすら下道で300kmくらいドライブしてくるとかサイコーですよ。
とかなんとか言いましたが、
ワタクシ自身、最近とんとそんな事しとらんなぁと思って、
ちょいと350kmほど走ってきました。(`・ω・´)w
やっぱほら、人に何か言うならまず自分が示さなければな!(`・∀・´)www
(しっかし、堀越峠より北へノーマルタイヤで行けるとは思わんかったw)
カンゼン下道ONLYで7時間。
まぁ~…、そんだけ走ってたらいろんな事考えますわな。( ̄▽ ̄;)
こないだの走行会からこっち、
俄然「人に何かを教える・伝えるスイッチ」が入ってしまっております。
誉められるとすぐチョーシに乗る子ですw σ(`・ω・´*)
ソンナコンナデ、…まーなんかエラそうにウダウダ書いていきますが、
所詮素人の言う事、話半分で聞いておくように。
鵜呑みにして苦情を言われても嫌だからねw♪
Soco'n'Toco YOLOshic!
例のブログの内容にしても、言外の要素が大量にありますしね。
全部語るほどお人好しではないです。(°∀°)ダハハハ
そこはやっぱり自分で気付いていかなきゃ意味がないと思うし。
ただ、
大事な事だから何度も言いますが(笑)、
ワタクシのやり方・スタイルが "ただ一つの正解" だなんて思っていないし、思ってほしくない。
全く違う走り方でも、結果的に同じ速さで走る人はいくらでもいる。
それぞれ自分に合ったスタイルを確立すればいい(あるいは、クルマの特性に因る部分もある)。
というか、クルマ選びだって結局そーいう事じゃない。
「あのクルマもそのクルマも○○サーキットを何秒で走る」
でも自分はこっちのクルマの方が好きだ、とか、そういう事ダヨネ。
もし、ワタクシの走り方が唯一無二の "正解" だったら、
「○○サーキットで何秒出すには、35GTRにドレコレソレのパーツを付けてタイヤはドレでコーイウ走り方をしないと
絶対無理です。他のクルマでは不可能です。」とか言ってるのと同じw
んなワケあるかぃw
ただ、
その
"速さ" という外箱の
中身の質というか、過程というか、味付けというか、それが人それぞれ違うワケで。
例えば、同じ速さ(A点からB点まで同じ所要時間)で走っても、
同乗者が疲れる(≒怖く感じる)運転とそうでない運転、とか。
助手席で寝てる人を起こさずにカッ飛ばす技術とか。
それはGの掛け方の違いだったりするワケですが。
ぶっちゃけ、高速の直線走ってるだけでもそーいう差は出る。
まぁ、そーいうような事ですよね。
どーも「速く走るには激しくワイルドに走らなきゃいけない」、
あるいは「激しくワイルドに走れば速い」という固定観念を持ってる人が多いような気がします。
「走り屋の走りは激しくて怖い」とかっていう世間的なイメージもありますよね。
そういうのに囚われて苛まれている人は、一度ワタクシの隣に乗ってみてください。
もしかしたら、そういう固定観念をブチ壊せるかもしれませんヨ。(°∀°)ダハハハ
敵を作るのを承知で敢えて言いますが、
「激しい走りは速くない」(事が多い)。
これもワタクシ、
前々から言っております。
ここでいう "激しい" とは、
外から見たビジュアル面というよりは、ドライバーの
運転操作や精神状態そのものですね。
ワタクシがバカの一つ覚えみたいに理想に掲げております
「無駄のない走り」。
「激しい走り」はどうしても
≒「雑な走り」になりがち。
(断言はしません。そうでない人もいると思います)
「雑」という事は =「無駄」がある。
ドッカーーーン!(°∀°)
で
ヒャッハーーー!(°∀°)
で
ドゥヲリャァァァ!(°∀°)
な走り方をしていると、
運転している本人はテンション上がって速く走れているように感じるんですよね。
でもさ。
プロドライバーがそんな走り方してると思います?(;´∀`)
もう一つワタクシが思うのは、
「人の運転を知ろう」
人類の歴史は、比較文化の歴史です(笑)。
自分と他人を
比較する事で多くの事に気付ける。
自分の "当たり前" は、果たして本当に "当たり前" なのか。
そこを疑う事が成長の入口ではないかと。
ワタクシが最近急にこんな話をよくするようになったのも、
ワタクシ自身は "当たり前" だと思ってやっている事が、
どうも他の人たちにはそうじゃないらしい? …てな事を自覚したからです。(;´∀`)
これは商売になるぞ?的なwww
怖い怖い(笑)。
いろんな人の走り方を知る、見る、乗る。
まぁ、要は、いろんな人の助手席に乗ろうね、っていう話ではあるんですが…
今回はちょっと違う切り口でいってみましょう。
例えば、子供の頃から日常的にバスに乗ってる人だと、
無意識のうちに
「二種免許運転手の走り方」を毎日体験していると言えます。
しかも、路線バスは大抵毎日違う運転手です。そして自分の乗る区間は毎日同じなワケです。
「同じ道」「違う運転」。比較するには理想的な条件です。
自分で運転しない子供でも(自分で運転しないからこそ?)"上手い運転" "下手な運転" はわかりますよね。
そんな生活を何年もやっていると膨大なパターンを体験できる。
これは結構バカにできない経験値になると思います。
逆に、
バスも乗らず、タクシーも乗らず、親の運転しか知らない子だと、
親が運転上手なら良いですが、この親が運転ヘタクソだと
もう悲劇ですww
ダメなパターンを繰り返し繰り返し学習し、他のパターンを知らないまま成長するわけですから、
その "ヘタクソな親の運転" がその子の中で "当たり前" の
"中央値" になってしまう。
…たぶん、この悲劇は、この世に溢れ返っている(爆)。
もはや社会悪。
自分より上手い人の隣に乗るのも勉強になりますが、
自分より下手な人の隣に乗るのも勉強になります。
ただ、何を以って「上手」「下手」を評価するのか。
その評価基準を自分の中で持つためには、比較するための複数の指標が必要ですよね。という話。
んが。
前々回のブログでも触れましたが、
その経験値は
あくまで蓄積であって、
その蓄積を自分の走りに変換できるか、お蔵入りさせたままになるか、は人それぞれだと思います。
例えれば、人の運転に乗るたびに毎日100円ずつ勝手に溜まっていってる預金口座があるんだけど、
その口座の存在に気付いていない人もいるし、気付いていても自分には必要ないと思っている人もいる。
一日100円でも1年で36,500円。小1から18歳で免許取るまで続けたら12年で438,300円ですよ!w
それは使わなきゃ損でしょ!(°Д°)www
経験とは財産です。(`・ω・´)
だから、"運転が上手くなりたい" ≒ "速くなりたい" なら、
一人で夜中あっちこっち走り回るのもまた大事ではあるけど、
いろんな運転を知るのも同じくらい大事だと思いますね。
で。もちろん。
"上手い運転" は繰り返し体験したいよね(笑)。
意識していなくても、体験が蓄積されてさえいれば、
いつか自分が "上手い運転をしたい" と思った時に、その100円貯金を下せばいいだけです。
…と、口で言うのは簡単www
必要なのは膨大な時間。(;´∀`)