
今月&来月で
クルマのメンテ(消耗品+車検)費用が60万超え…((( ;゚Д゚)))
火の車、Burning Wheel真っ盛り!
理想を言えば、更に冬シーズンまでにMTのOHもしたい…
どんだけぇー…(´Д`|||)
中野 信子 『メタル脳』 (2019)
フラッと寄った普段行かない本屋で、ぶらーっと店内を回っていたときに、一瞬目が捉えた「メタル脳」の文字。
「なんや今のはw」と探して、帯もろくに読まずに即購入w
ワタクシもMETAL歴かれこれ20年程。
そんなワタクシが “肌で感じていた感覚” を
見事に全て明文化してくれている!(笑)
「そうそう!あー、そう説明すればええんか!」という話の連続でありました。
・人間のネガティヴな部分を誤魔化さない、正直で真面目で正義でガチな音楽
・メタルは社会の欺瞞を見抜く
・「反社会的」ではなく「非社会的」
・“怒り” の代弁が自己評価をカバーしてくれる
・孤独を癒し、子供の心を守る
・メタルファンは自分と向き合う哲学的な人
メタラーならばどれも自分の経験として知っていて頷ける事。
でも④の自己評価云々は、漠然とモヤッと感じてはいたかもしれないけど、これで説明されて膝を打った。
社会に馴染めていないと感じていて、自己評価が低い人は、メタルと出会うと救われる可能性が高い。ワタクシ自身がそうだったし、この著者もそう。
「こういうネガティヴな感情をさらけ出して良いんだ」と。
哀しみと残虐さを併せ持ったエネルギーに癒される。
若干誤解を生みかねないが、大雑把な話をすれば、
メタルの対義語はポピュリズムかもしれない。
分かりやすい、紋切り型の、耳障りの良い都合の良い話に雰囲気で流される、烏合の衆。
対して、メタル脳は全ての物事を「それは本当なのか? 本物なのか?」と疑ってかかる。
なんとなく、とりあえず、それでいいや、を嫌う。
商品の宣伝文句、政治家の美辞麗句、綺麗事だけのアイドル。
メタルはそういった事を誤魔化さない、正直な音楽。
鵜呑みにせず、全ての物事の裏を取ろうとする。
(いつぞや、メタルバンドを題材にしたコメディ映画『デトロイト・メタル・シティ』がそこそこヒットしたが、メタラー界隈では冷ややかな評価だった。あれの主題歌は “非メタラーが、メタルっぽいモノを作った曲” 。そういう所も的確に見抜くのがメタラー。
逆に一見メタルの硬派な世界と対極にあるアイドルグループ、BABY METALが世界中のメタラーに大ヒットしたのは、“本職” が作曲と演奏を強力にサポートし(遊び心も盛り沢山)、SUの歌唱力&ステージングが “本物” であるからだろう)
社会から “弾かれた” 少数派である事に劣等感を抱きながら、逆にそれを誇る。
理解されたいが理解されたくない。
…走り屋の世界も似てるよねw
走りの世界でも “表面的” な人はすぐ降りていく。
残っていくのは “本質” を求める人。
かといって、走り屋なメタラーが多いかというと、そうでもない。そこは不思議。
でもこの本によると、外科医は手術中にHR/HMを流す人が多いんですってよ(笑)。
高学歴の人=思春期に多大なプレッシャーを感じていた人は不安傾向が強く、それをメタルのエネルギーで補っているという説。
甘いポップスや王道のクラシックでは力は湧かぬ。
(ワタクシ自身は父親の影響でクラシックも浴びるほど聴いていたし、ジャズも好き、ゲーム音楽も好き。けどポップスやアイドル音楽なんかは生理的に無理w)
クラム・ラーマン 『ロスト・アイデンティティ』 (2017)
原題『EAST OF HOUNSLOW』
原題の “ハウンズロウ” とは、英 ロンドンの郊外、非ヨーロッパ系(主に中東)移民が多く住む街。
ハウンズロウで生まれ育ったパキスタンルーツの主人公 ジェイこと ジャヴィド・カシームは、ムスリムでありながら(イスラム教が禁じる)ドラッグを売って小遣い稼ぎをし、酒も飲めば肉も食うイマドキの若者。
(この辺り、日本の葬式仏教と似たような感覚?)
彼が週1だけ顔を出しているモスクが差別主義者に荒らされた。ジャヴィドも憤り、モスクの片付けを率先して手伝うが、周囲のムスリム達の中で報復の意気が高まっていく事に違和感も覚える。
そんな時にドラッグ密売の容疑で逮捕されるが、司法取引としてMI5のエージェントとしてムスリムコミュニティの情報収集することを提示される。
数ヶ月の時間をかけイスラム過激派の中枢へと潜入したジャヴィドは、そこで無差別テロの計画を聞かされる。
最初は、形だけ・都合の良いときだけムスリムであることを持ち出し、気ままに生きていたジャヴィドが、
“ガチ” の連中と接するうちに、新たな視点で物事を見るようになり、イスラム教の本質的教義に素直に向き合いながら、ジハーディストの心理状態に一定の理解も抱くようになる。
それでも彼の価値観・良心・正義は流されず、テロ攻撃を阻止すべくジハーディスト達への潜入捜査を続ける。
本作の最大のポイントは、“センシティブな問題” について一方の視点からだけ捉えて語る事の愚かさを明確に主張している所。
ジャヴィドという1人の人物の目を通して、双方向の立場から切り込む。
一方で、ジハーディストの唱える(彼らの都合よく曲解した)イスラム教義に対して、“ふつーのムスリム” の立場から「否」を下すジャヴィドという構図も重要。
欺瞞だらけの皮肉にも切り込む。
イスラム原理主義と言いながら、テロ攻撃の直前に「集中力を高める為」にコカインを配布。それまで使ったことの無い素人が過剰接種して使い物にならなくなり、それを “元プロ” のジャヴィドが呆れる場面はシュールな笑い。
S・A・コスビー 『黒き荒野の果て』 (2020)
原題『BLACKTOP WASTELAND』
昔ながらのアメリカン強盗小説、を今の時代に合わせてブラッシュアップしたという感じ。
かつて強盗の逃亡用の車を運転していた男が家族のために堅気になり、自動車工場を営んでいたが資金が尽き、元の稼業で “バイト” をすることに。ところが組んだ仕事仲間がろくでなしで、更に窮地に追い込まれて泥沼に…
という、“旧き良き” とすら言えるシンプルなストーリー。
主人公ボーレガードが駆るプリムス・ダスターは、彼が12歳の時に行方不明になった、彼と同じ “闇の走り屋” であった父が遺したモノ。
このダスターが様々な事の象徴として効果的に描かれる。
冒頭で、違法賭けレース(ゼロヨン)のシーンがあり、走り好き人間にとっては掴みバッチリw
ドラテクの描写もリアルで、スピンターンの操作なども「あ…言語化するとそうなるか…( ゚д゚)」となかなか細かい内容。
まぁワタクシ、FRの曲芸テクは全然わからんけどwww
でも、そこでふと思った。
日本も峠という走り屋文化大国だけど、賭けレースってやらんよね。←
ドラッグレースみたいなハッキリ簡単に誰が見ても勝敗が分かりやすいのに比べて、峠は色々曖昧だし?
そもそも国民性の差?よーわからんけどw 掘り下げたら面白そうなテーマではある。
Posted at 2022/05/30 15:00:27 | |
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