Dr.hから「報告書が遅れているぞ、早くしたまえ」という無情な催促があった。
私は“世を忍ぶ仮の職務”で忙しいというのに…
やはり、機械と会話するような人種には温情というものが無いようだ。
こちらの事情などは考慮してくれぬ。
まぁ…そんなmad scientistだからこそ、私も信頼している訳だが。
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私は街を見下ろしていた。
眼下に広がる街は夕暮れ時の慌ただしさの中にある筈だが、
標高100m程の場所に立つ私の所には、少し冷たい風が届くだけだ。
ここは北摂某所、某山の中腹にある見晴らしのよいHairpin Corner。
麓の幼稚園が登山遠足に来たり、夜になれば
夜景を口実に下心を迸らせる若者達が訪れる、此の辺りではpopularなlocationだ。
私は、この
“昼と夜の交錯する刻” が好きだ。
僅か半時間程の間に世界はめまぐるしく色を変え、
その全ての瞬間が刹那的な美しさを放つ。
儚く消える幻の如く。
気付けば太陽は逝き、月の支配に置き換わる。
刹那的な美しさ。
我々の“マシン”もどこか似ていないか。
稼働し続ける以上、常にベストのコンディションを保ち続ける事は不可能に近い。
かといってハンガーの奥で眠らせていては、外面を磨いて輝かせたとしても内面は死んでいる。
外見が多少薄汚れていようとも、力強く疾るマシンは美しい。
稼働させてこそ、疾らせてこそのマシンだ。
疾れば確実に“終わり”へと近づくのに、
疾らなければ意味が無い。
いつか終わりはくる。
愛機もいつかは死ぬ。
その時。最期の時に振り返って己に問うのは
「精一杯生きたか?」ではないのだろうか。
自身は愛機と存分に疾ったか。
私はそう思う。
その時に悔いたくないから、私は “踏む” のかもしれない。
……あるいは。
Mr.Xは、その辺りも含んで私に“任せた”のではないか?と思えてきた。
Mr.Xは多忙だ。
この白い機体はあまり出撃の機会は無いと聞く。
「私はなかなか彼女の相手をしてやれなくてな…
すまないが、君に世話を頼む間、
彼女を色々な所へ連れて行って楽しませてやって欲しい。
私とは違う男の生き方を知るというのも、
ヲトナのladyになる為には必要な事かもしれんからな…」
そんな物語が頭に浮かんだ。
…冗談ではない。
クライアントに対して無礼極まりないではないか。
私はかぶりを振ると下世話なストーリーを記憶の隅へと追いやった。
“昼と夜の交錯する刻”とは言ったが、
正に時間帯のエアポケットに落ちたかのようで、他の通行車両が全く無い。
気を良くした私はこうしてしばし
厨二病の発作を装ってbreak timeに浸っているという訳だ。
…あくまで、
装って演じているだけだ。そこは間違えないで欲しい。
こういった場面では
Cigaretteでも燻らせていれば絵になるのだろうが、
生憎
私はタバコという物が大嫌いなのだ。
臭い。
その一言に尽きる。
健康被害のオマケまで付いてくる。
好んで摂取する者の…
…いや…
どこで“機関”が聴いているかわかったものではない。
不用意な発言は身を滅ぼす。
云いたい事も云えないこんな世の中じゃ
寒い時代と思わんか…
此処へ至るまでの小一時間、距離にして35km程を経て、
最初に感じた違和感は幾分薄れてきていた。
人間とは、慣れて学習して順応する生物だ。
段々とこの機体の動作感覚を掴んできたのだ。
そして、今回の“任務”最初にして最大の案件である“初期動作確認”について、特に異常は見受けられなかった。
異音・振動・直進等、差し当たって問題と思える箇所は無く、既にDr.hとMr.Xに報告済みだ。
その事が私に幾ばくかの心理的余裕を与えていた。
だからこそ、こんな俗世から離れた場所で
厨二病ごっこをしていられるのだ。
ふと足下の斜面に視線を落とす。
…そう…あの悲劇は何年前だったか…
ここでDownhillの“訓練”をしていた或る戦士が、
正にこのHairpin Cornerで、愛機と共に
『自由への飛翔』~Takeoff to Liberty~
を敢行し、
彼の魂の輝きが煌々と立ち昇っているのが麓から見えたそうだ。
人々はその時の光景を、畏怖を込めてこう呼ぶ…
『五月山の大文字』~Cross of a WOMBAT~
と…
少し風が冷たくなってきたのでマシンに戻る。
此処までは“初期動作確認”を最優先する為に、極めて“おしとやか”な走行に徹してきたが、
任務が次のsequenceに入った今、少し愉しませてもらうとしよう。
このまま尾根道を登って行けば、私の十年来のhome courceに繋がる。
“訓練”の場はそこだ。
私はスロットルペダルを無意味に一度煽ってから疾りだした。
…厨二病の発作がまだ後を引いているようだ。
ここの尾根道を疾るのは久しぶりだった。
というのも、ここの道は戦士の“訓練”には多少不向きなのだ…
昼間は、孔球に興じる
Bourgeoisie ~ブルジョア爺~ 達が各々自慢のSaloonで優雅に
二速歩行し、
夜は、先にも述べたような“下心を迸らせる若者達”も多いのだが、実はもっと厄介な連中が居る。
孔球場の先へ行くと、昼間でも通行車両はほぼ無くなり、
獰猛な野生動物達
が路上を闊歩しているのだ…
ダムの辺りの猿はまだいい。
奴らは
轢く気で散らしに行くくらいで丁度良い。
この山に於ける 人類vs猿 の戦いの歴史は深い。
今でこそ我ら人類は奴らの勢力範囲を縮小する事に成功しているが、依然奴らは我々をナメ切っている。
未だに
“ポテチやたこ焼を持ってくる餌係”と思っている節がある。
温情は要らぬ。作戦名は
『轢殺 ~REKISATSU~』だ。
なぁに、当たった所でこちらのマシンに大した傷はつかぬよ。
問題は猿ではない。
Cervus ~ケルウス~ だ。
奴らは色々と厄介だ。
先ず当たったらこちらのマシンもタダでは済まない。
そして奴らは、殆ど“逃げない”上に動きが予想できない。
マシンが至近距離に迫っても、あの
何処を見ているか解らない“黒糖のど飴”のような目でこちらを一瞥し(ているのかどうかすら不明だが…)、ノソノソと動くだけだ。
“訓練”中、ブラインドコーナーを抜けた目の前に奴が居て、回避出来ずに相討ちになった戦士達は数多い…
運悪く相手が雄だった場合、あの悪魔的な角に因って、機体のアルミパネルに孔を穿たれたり、ウィンドシールドガラスを破砕される事になる…
幸い、この日は一頭の小鹿を見かけただけで、
何事もなく“訓練基地 ~Base~”へ辿り着くことができた。
此処も他車両の姿はほぼ皆無だ。
この地に集う“戦士達”は、主にこの“Base”から南側での“訓練”を好むようだが、
私は逆の北側を好む。minorityだ。
『0円』
それが、私のhome courseのコードネームだ。
ちなみに南側のコードネームは
『猿天』という。
…そう。
かつて…ほんの七~八年程前まで、此の地は
猿の惑星だった。
今私が居る“Base”ですらも、だ。
猿が我が物顔で闊歩する、猿の天国。
その歴史の名残がコードネームに今も残っている。
私は『猿天』を一往復だけすると、そのまま北の『0円』へ向かった。
一番疾り慣れたstageで“訓練”することが、
我が愛機
“昴GH型汎用機・改” と、
Mr.Xの
“昴GVB型戦闘機・改” の比較が明確にできると考えたからだ。
同時に私は、手元の
“DCCD”なる装置を確かめる事にした。
(DCCD:どっちも choiceできます コーナリング どっこいしょシステム)
私の機体は所詮汎用機。このような戦闘用装置は搭載されていない。
興味が無いと言えば嘘になる。
「AUTO -」「AUTO +」「MANUAL LOCK」
の順にそれぞれ一往復ずつ、合計三往復した。
ああ、ちなみにいずれのパターンも
VDCはOFFだ。
(VDC:ヴっ飛び ダイナミック コーナリングシステム)
私はハードボイルドな男だからな。補助装置など似合わない。
結果から言おう。
正 直 あ ま り わ か ら な い
所詮私は、
プロとは言え素人なのだ。
なんとなく、under steerであったし、
そこはかとなく、over steerであった。
「MANUAL LOCK」のまま車庫入れしたら駆動を切った瞬間転がりがパタッと止まったのは非常に効果が解り易かったが、
疾っている時には「駆動伝達の抵抗が大きいな…」というくらいしか感じ取れなかった。
所詮私は、プロとは言え素人なのだ。
大事な事だから二度言った。
さて、肝心のGVB型の性能に関してだが…
………いや、
…今この段階で結論を述べるのは尚早だな。
まだ報告書には先がある。
ともあれ。
第一日目の活動内容はこんなところだ。
“訓練”を終えてアジトへ戻る頃には、もうすっかり夜の闇が辺りを包んでいた。
この機体にはMr.Xのカスタマイズにより、計器が多く付けられている。
夜間はそれらが発光して、さながらイルミネーションのようだ。
私自身は必要最低限の情報をシンプルに表示させるスタイルが好みだが、
こういう趣も悪くないな、と内心思ってしまったのは最重要機密事項だ。
ウィンドシールドガラスに映り込むそのイルミネーションをぼんやりと眺めながら
もはや前照灯無しでも疾り切れる程に慣れ親しんだ帰路を、他車両の流れに乗って“おしとやかに”帰投した。
…此の時の私は知る由もなかった。
まさか翌日、あのような事件が待っていたとは…
『君は生き延びる事が出来るか!?』