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冷たい小雨の降る午後、私はそのマシンと対面した。
私の愛機と似て非なるその姿。
顔立ちはさほど変わらないが、筋肉質に盛り上がったボディラインが、力強くも艶かしい。
これと比べれば私の愛機など痩せ細った“もやしっ子”であろう。
なにより目をひくのが、後尾部に据え付けられた異形の
“アイロン台”である。
いったい誰がわざわざこのような場所でアイロンをかけるというのだろうか?
形状も平坦ではなく、およそ台や棚の役割は果たせそうにないのだが…
きっと私の知らない機能が隠されているのだろう。
先代 WRX STI 型式名 GVB
このマシンを三日間預かり、
“適切に管理する” 事が今回私に課せられた任務だ。
…勿論、このマシンは私の機体ではない。
依頼人の素性は明かせないが、……仮に
Mr.Xと呼ぶことにしよう。
そのMr.Xの機体だ。
ちなみに
Xはイクスと読んで欲しい。
なぜか?
…その方が
より厨二っぽい雰囲気が出て痛々しいからに決まっているだろう?
…あぁ、ここは笑っていいところだ。
わかりづらくてすまなかったな。
事の発端は、一週間程前にMr.Xから届いた暗号通信だった。
機密に触れない範囲でしかここでは明かせないが、その内容はこうだ。
『最近 “とある装置” を入手して、私の機体に装着したいのが…
世の商売人共は自前のルートを通した品物でないと扱いたがらない。困ったものだよ。
…どうだ、君の事だ。もう私の言わんとする所は察してくれたと思うが』
「一軒、心当たりがあります」
『フッ、素晴らしいな。話が早くて嬉しいよ』
「Dr.h(アッシュ)という男です。無名ですが信頼できます。
“装置”の取り扱いも問題ないかと」
『上出来だ』
数日後…
『Dr.hに暫く預けておく事になったのだが…
知っての通り私は多忙でね…
受け取りに行くときには全てのコンディションが整っている状態である方が助かる。
そこで、“装置”の初期動作確認を君に頼みたいのだが』
「承知しました。しかし、よろしいのですか?
私の“マシンの扱い方”は貴方もご存知の筈」
『ああ。“愉しんで”くれて構わんよ。
いくら君とて、他人の機体で無謀をするほど馬鹿でもあるまい。
つまりは陳腐な言葉で表現するところの、“信頼している”ということだよ。
それに…』
「それに?」
『万が一、“装置”に“何か”仕込まれている可能性も有るのでな。
毒見役だよ』
「フッ、貴方も人が悪い」
『私の機体を好きに扱って良いのだ。それくらいの代価は呑め。
あと…、万一この依頼中にアクシデントが起きたとしても、こちらからは手が出せない。
事が明るみに出ないのがベストだが、保険はかけておけ』
「仰せのままに」

私はMr.Xとの通信を閉じた後、一人ごちた。
「フッ…“信頼”…か」
私はDr.hを信頼して仕事を回し、
Mr.Xは私を信頼して依頼をくれた。
信頼関係とは…存外、心地よいものではないか。
ならば、それに応えねばなるまい。
私とて
“プロの素人” だ。
ズブの素人とは違う所を見せてやろう。
ズブとは違うのだよズブとは!
そして、冷たい小雨の降る午後、私はその機体と対面した。
私は、仕事に取りかかる前に、まずその機体を丹念に調べることにした。
“機関”によって盗聴器・GPS・C4爆弾等がどこかに取り付けられていても不思議ではない。
エンジンルーム、下回り、トランクの中、入念にチェックした。
エンジンルームで怪しいものを見つけた。
飼育ケースに入れられた禍々しい色のキノコだ…
無菌室の中で菌を育てるとは、なんともウィットでシュールではないか。
しかし一体誰が何の目的でエンジンルームに巨大なキノコを…?
Mr.Xはこの事を知っているのだろうか。
事前に届いた資料によると、この機体はコンピューターが書き換えられているそうだ。
どういうことだろうか。MacOS上でWindowsを起動させているということだろうか?
どうやらこの機体のOSは
“いーしーゆーてっく” というらしい。
よくわからないが多分高性能なのだろう。
下回りを覗き込んでみると、フロントパイプが黄金色に輝いている。
なんだこれは…
なるほど…一般人はまずこんな所は見ない。
貴金属を隠すにはうってつけなのだな。
このGVBと呼ばれる機体、本来は後ろの排気口が4本ある筈なのだが…
どういう訳かMr.Xのこの機体は、1本だけしか出ていない…
「大は小を兼ねる」と言うが、…逆は可能なのだろうか?
中も覗き込んでみたが、幸い
あんパンが詰められているような痕跡は無く安心した。
念の為、Mr.Xの私物類も全て降ろして、一時的に私の愛機に移しておいた。
私が逆に何かを仕掛ける立場ならば、こういった雑多な私物類の中に仕掛けるだろう。
仮に、車内で物が転がった拍子に爆弾の時限装置が起動する罠だとしたら…
“機関”が何処に罠を仕掛けているかわからない以上、不安要素は出来る限り排除すべきだ。
そして、私はいよいよそのドライヴィングシートに腰を下ろした。
勿論、任務用のグローブを着用して、だ。
クライアントの機体に私の手汗を滲ませるなど言語道断であるし、
今回の依頼は表立ったものではない。
私の指紋が車内から出れば面倒な事になるのは目に見えている。
自分の身は自分で守らねばならない。それが “プロの素人” の心得だ。
…しかし、このアイテムを使用する最大の理由は…
なにより、
“厨二っぽさ”を演出するのに絶大だからに他ならない。
…好きだろう?
ああ…
説明していなかったな。
今回Mr.Xが手に入れた “装置” とは、どうやら世間では
“しゃちょこー” と言われているらしい。
ハッキリ覚えていないので少し違うかもしれないが、まぁ…そんな感じの名で呼ばれているようだ。
そして、その“しゃちょこー”なる物は、装着してからしばらくは動作確認が必要ということのようだ。
私の任務は正にその初期動作確認。
異音や振動、前後左右での差異等、不具合が無いかを調べ、Dr.hに報告し、必要に応じて適切な対応をし、Mr.Xへの定時連絡を行う。
…安請け合いしてしまったが、プロとはいえ素人である私に勤まるのだろうか?
しかし、既に賽は投げられたのだ。私がやるしかないのだ。
遂に仕事に取りかかる瞬間が訪れた。
私は機体の走行距離を控えた。
僅か三日間だけではあるが、今この時よりこの機体のパイロットは私なのだ。
私の責任でこの機体を疾らせるのだ。
その始まりの記録である。
Dr.hからの期待の眼差しを受け、私はイグニッションスイッチを押した。
心地よい炸裂音が響く。排気口の見た目から予想した音よりも少し高い渇いた音だ。
そしていよいよギアを1stに滑り込ませ、クラッチをゆっくりと上げた。
微かにクラッチが駆動を伝え、その白い機体がスルスルと動き出す。
アクセルペダルの上に置いた右足に力を込め、スロットルをジワリと開ける。
その瞬間、私は戸惑った。ある種の衝撃を受けたのだ。
「なんだこれは…!?」
つづく!!