灰色の空模様をそのまま落とし込んだような、蛍光灯を切った薄暗い店の中はランチタイムと呼べる時間が終わろうとしていた。
最後の一組が箸を置き、思い出したように窓の外を気怠げに眺めている。
一瞬とは言え、またあの雨の中をクルマまで走る事を思っているのだろう。
その最後の一組が出て行き、店の中は雨音と、油が切れてキィキィと悲しげな鳴き声をかすれさせる天井からぶら下がった扇風機と、どこからか入り込んだカメムシが時折飛ぶ時の硬質な羽音が微かに響くだけになった。
厨房は既に火が落ちて、奥の冷蔵庫の前で黄色いビール箱をひっくり返した上に大股で座ったコックが紫煙を燻らせながら新聞を読んでいる。
朝からの雨のせいか今日は客が少ない。
とはいえ、多い日でもここのテーブルの半分も埋まる事は無いけれど。と、重ねた食器を片付けながら女は自嘲した。
観光地の近くではあるが、中心からは離れた場所。
田舎の幹線道路沿いに立つ、よくある寂れたレストランだ。
高度経済成長のモータリゼーションの盛り上がりと共に、全国で一斉に立ち並んだ「ドライブイン」の成れの果て。
何十年も前には連日、街道を行くドライバー達で賑わっていたと聞く。
だが女がこの店で働くようになった頃には、既に時代に流された抜け殻のような今の状態だった。
しかし、同様の店の多くがもはや廃業している中、まだ細々とながら続いているのは良い事なのだろう。と思うようにしていた。
店の外でエンジンの始動音がした。さっきの最後の客だろう。
耳障りという程ではないが、普通の車に比べると大きな音だ。
反射的に視線が音の出所へ向いた。黒い平べったいクルマだった。
女は車の事はあまりわからない。自動車メーカーの名前など10個も言えないかもしれなかった。
だが、その車の顔(というか“鼻”)に付いていた大きなマークは知っていた。
ベンツだ。ガイシャの高級車だ。それ以上は知らない。
田舎の生活でそれ以上の情報は必要無かった。
女にとってはそれ以上の興味を誘うものでもなかった。
こういう場所で働いていればそう珍しいものでもない。平凡な日常の背景の一部でしかなかった。
既に頭の中では、今日の仕事がこのまま終わって少し早めに帰れるかどうかの皮算用が弾かれていた。
週末からの連休は少し忙しくなるかもしれない。今の内に少し楽をしてもバチは当たらないだろうと思った。
だが、どうやら今日はツイていないらしかった。
“黒い平べったいベンツ”が出て行った数分後に
入れ替わるように“白いずんぐりした車”が入ってきた。
女は内心舌打ちした。
“白いずんぐりした車”から男が一人降りてきた。
女は何かどこか損したような恨めしい気持ちで、新しいおしぼりを取り出し、
個人的な心情としては“招かれざる”と言えるその客が店のドアを開けて入ってくるのを、貼り付けたような愛想笑いで待ち受けようと視線を戻した。
しかし男はそこに居なかった。一瞬、虚を突かれて視線が泳いだ。
だがすぐに見つけた。
その男はなぜか道の向こう側に居た。傘も差さずにこの建物を見上げている。
手にしたカメラかスマホか、この距離では判別できないが、とにかく写真を撮っているようだった。
女は、網膜に映ったその映像が電気信号となって脳へ送られ、その映像に意味付けが成された瞬間、自分の中にささくれ立った感情が起こるのを感じた。
この寂れたレストランがそんなに珍しいか。
もしかしたら「田舎の潰れかけメシ屋マジヤバいww」なんて文章を添えて、今まさにネットに投稿しようとしているのかもしれない。
昨今はそういう“程度の低い”輩が多いと聞く。
ちょっと都会に住んでいるからと、こうやって田舎に来ては笑い者にしようとする。
そういう目をしている客も週に何人か程度は現れるので特別珍しいというわけでもなかったが、目の前でその振る舞いを見せられるとやはり心中穏やかではなかった。
記録写真の撮影に満足したのか、何喰わぬ顔でこちらへ渡ってくるその男の表情はサングラスに隠れて読めない。
そんな相手でも客は客である。今日の最後の仕事がこんな客かと思うと嫌気が差した。
だが、その男は遂に店には入って来なかった。
どうやら隣の自販機コーナーに入ったようだ。
まったく…紛らわしい所に車を停めて…と女は内心毒づいた。
しかし、隣の自販機コーナーも女の働く店が管理しているのだった。
そして、その自販機コーナーにはちょっとした秘密がある。
もしあの男が、その“秘密”を嗅ぎ付けて来たのだとしたら、あの行動にもいくぶん納得が行った。
女は胸騒ぎを覚え、レストランと自販機コーナーを隔てている「従業員専用」と書かれた木目の扉へ大股で、しかし音を立てぬようにつま先立ちで近付き、蝶番が嫌な音を立てぬように気をつけながら扉を少し開いて、隣の部屋の様子を窺った。
~ ~ ~ ~ ~
「ダルマ」と
「うどん」という僅かな手がかりから推測されるのは、
おそらく目標は飲食店であり、となると「ダルマ」が指すのは店名である可能性が高い。
そう結論づけた私はカーナビゲーションアプリという文明の利器を駆使し「ダルマ」という単語を近隣検索してみた。
Hitした。
…だが、どうだろう。
こんなに簡単に推測できる目標を J が指示するだろうか?
…罠の可能性がある。
だが今の状況では情報が少な過ぎて他に手掛かりは無い。
他に選択肢が無い以上Hitした地点に向かうしか無いが、何かしらのトラップがあると思った方が良さそうだ。
幸か不幸か、Hitした目標地点は近かった。一時間と掛からず到達できるだろう。
… J の狙いは何だ?
送信者は J を装っている別人である可能性も考えられる。
目標へのこの近さ。明らかに私の位置を把握した上で誘導しようとしている。
わからない…
私は心中の不安を拭うようにワイパーの動作を一段階早めた。
雨は降り続いている。
まして、今日の機体はいつもの愛機ではなく勝手が違うのだ。
昴 BS9型、通称 -遺産- 。
今日はこの新型機の評価試験の為に、夜明け前から極秘任務に当っていたのだ。
どこで情報が漏れたのだ…?
いや、だが今考えるべきはそんな過ぎた事ではない。
今現在の状況分析と、直近の事象へのシミュレーションに注力すべきだ。
しかし…冷静になればなるほど状況は悪い。
小回りの利かない大型機。土地勘の無い場所。悪天候。
チェックメイトだ…
これでは自分から狩られに行くようなものではないか。
私自身が -遺産- になるのは御免こうむりたい。
不意に、ブラインドコーナーの向こうから爆音と共に黒い影が躍り出た。
鼓動が一気に跳ね上がる。脳内に覚醒成分が分泌され、情景がスローモーションで見える。
脳が映像を処理するより早く、ソレが “アヴナイ車” である事を直観した。
今最も出会いたくなく、出会ってはいけない相手であると悟った。
ワイド&ローなシルエット、明らかにアフターパーツと見えるLED装飾灯を備えた威圧的なマスク、煌びやかな大径ホイールに薄いタイヤの組み合わせ、そして何よりとりわけ存在を主張し嫌でも目に入る大きな Silver Arrow Emblem 。
Mercedes-Benz R230 SL !
それもおそらく
65AMG。
万事休す。
罠だ。刺客だ。「オワタ\(^o^)/」だ。
こんなものが相手ではBS9型など、スズメバチに狙われた芋虫のようなもの。
私を消す為にこんな刺客を送り込んでくるとは…
過大な評価を頂戴しているということで名誉と受け取っておくか。
だが、私とてやすやすと殺られる気は無いさ。
左手の指先でパドルシフトを軽く一度引き上げる。
カコッと小気味よい音の後、低い唸りをあげリニアトロニックがその駆動比率を変動する。
チェーン式とはいえ所詮CVT。このダイレクト感の無さは、好き嫌いどうこうの話ではなく戦闘機としては問題外である。瞬発力のカケラも無い。
だが今は此れの性能に頼るしかない。
幸い相手は対向だ。サイドターンして追撃してくるにしてもコンマ数秒の内に広げられる相対距離は小さくない。
ましてやウェット路面。
最低限のロスでのスピンターンはもちろん、最適なトラクションでの加速にも相当の技量が問われる。刺客の操縦に綻びが出る事を祈った。
最初にして最大の突破口であるこの数コンマの間に、出来得る限りのマージンを得るべく右足を床まで踏み込むが、なんとも呑気な反応を見せるBS9型である。
「後ろから蹴り飛ばしたくなるような」という陳腐な形容詞が脳裏に浮かんだ。
黒いMercedes-Benz R230 SL と最も接近するその刹那に相手のコクピットを見やるも、薄いスモークを貼った相手のウィンドウと、私と刺客の間を隔てる二枚のガラスの表面に踊る水滴に阻まれ、相手の表情はおろかシルエットも定かではない。
一呼吸の間に後方へ流れ去る黒い影。
その黒い影に赤い光が灯り、影がいびつに形を変え、やがて二つの白い光りがこちらを向いて輝くその様を見届けようとサイドミラーを凝視した。
ミラーの中の影が小さくなってゆく程、それは私が生き残る可能性が大きくなっていく事を意味していた。
…おかしい。
一流の刺客であれば、スレ違うより前にいち早く追走体勢を取るべく反転動作に入る筈だ。
黒い影には遂に赤い光が灯る事なくミラーから消えた。
…なぜだ?
刺客ではなかったのか?
そんな馬鹿な。あれほどまでに禍々しい瘴気を放つ機体が一般市民であるなどと…
いや、私を油断させる為のfakeかもしれぬ…
しかし、訝しみが消えぬ心とは裏腹に、私の躰は緊張の糸が切れてだらしなくシートに沈んでいた。
安堵とも自嘲とも思える乾いた笑いが無意識に漏れ、アクセルペダルを踏み込んでいた右足が脱力した。
~ ~ ~ ~ ~
約束の地で私を待ち受けていたのは
『昭和の衝撃』だった。
ナビゲーションが示す地点に「ダルマ」は在った。
『昭和』の空気満載のこのフォントはむしろ斬新にすら見える。
「本当に営業しているのか?」と思わせる薄暗さ。
そのただならぬ雰囲気に気圧され、ひとまず遠巻きに偵察することにした。
…しまった…あんな場所に機体を停めては中から丸見えではないか…
Mercedes-Benz R230 SL との戦闘で気力を使い果たし、考えが回らなかったようだ。
こんなことでは“プロの素人”失格ではないか。このミスが命取りにならなければ良いが。
しかし、外観を観察しただけでは中の様子は読み取れない。
やはり潜入するしかないのだろうか。
意を決して踏み込んだ「ダルマ」の中は、人影が無いにも関わらず騒々しかった。
周囲の壁に並んだヴィデオゲーム、スロットマシン、クレーンゲーム等が自己主張する音が重なり合った喧騒だ。
『昭和』臭著しい、荒いドットの麻雀ゲーム。“いかがわしい機能”を搭載した仕様かどうかが重要だが、確かめる気にはならなかった。
既に“使用”された形跡があったからだ。
そして私は見つけた。
「うどん」を。
J が指示した目標はこれに違いあるまい。
恥ずかしげもなく筐体全面に『昭和』感を押し出し、あまつさえ公然と対価を要求するとはなんと傍若無人な Vending machine だろうか。
もう少し慎みというものを持ってほしいものだ。
だが今はそんな個人的な感情に惑わされているような時ではない。
これは任務だ。最優先指令だ。そして今正に私の目の前に最終目標が在る。
仕方あるまい、私とてプロフェッショナルだ。貴様の要求する対価を呉れてやろうではないか。
「べ…べつに、アンタの為じゃないんだからねっ」
…どこかで変な声が聞こえた気がした。
私は “自分の財布” を取り出して250Yen分の硬貨を探った。
なんということだ。この SHO-WA Vending machine め、領収証ボタンが無いではないか。
これでは J に経費の請求が出来ない。
さては J め、全てわかった上で私を嵌めたのか。やはりあの男は信用ならんな。
…む
10Yen足りない…
Ohhh!! Fxxk'n bitch!!
この SHO-WA Vending machine め、1000Yen Bill を don't accept だと!?
こんな融通の利かない PONKOTSU machine 今すぐ破壊してやる!!
私が衝動的に “獲物” を掴もうと、上着の下に潜ませたホルスターに右手を伸ばした瞬間、
奥の扉が開いて店員と思しき女が不安げに顔を覗かせた。
私は上着の内側に右手を入れたまま静止した。
この女、…出来る。
自信無さげの小心な使用人を装って申し訳無さそうにおずおずとしているが、冷たい視線で私の動きを縫い付けている。
それに、状況に介入したこの的確なタイミング。偶然にしては出来過ぎている。
ここは下手に動いてはいけない。女の出方を待つしかない。
「あのぅ…そちらに、両替機がありますので…」
あくまで私を “客” として扱ってまだ泳がそうという事か…
その一言だけ告げると女は扉の向こうへ消えた。
ふむ。監視されているのは明白だが、“客” 扱いされている内は安全だろう。
そう判断した私は、女が言った両替機の正面に立った。
…どう見ても
『昭和のゲームセンターにある両替機』だった。
もはや監視されている事などどうでもよくなるくらい脱力した。
何かに打ちのめされた私は、もはや作業的に Vending machine に250Yenを投入し、
27秒よりは短い時間で出て来た “最終ターゲット” と対峙した。
蒲鉾キレテナーイ
だが、意外に、案外、予想より美味かった。
この文章はフィクションです。
ー 解説 ー
このドライブインダルマは、その筋では「自販機の聖地」として有名。
このうどん自販機は「川鉄自販機」という物で、1970年台から稼働しており、
2015年現在、営業稼働しているのは全国でここだけだそうです。
…なーんて知った風に説明してますが、
「宮津行ってるならダルマ行っとかな」と、じょじょから言われて今回初めて知ったんですけどね(笑)。
詳しい情報は
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