
ブログ休止中も、自分自身への備忘録として読書感想文は(非公開設定で)チマチマ続けておりました。
半年間貯め込んだソレも
Openにしましたのでご興味がお有りでしたら見てやって下さいw
師走ってことで、なんかわからんけど妙に無駄に忙しく時間が無い。
薄い本を選んでなんとか2冊の体裁を保つ作戦(爆)。
ニコロ・マキャヴェリ 『君主論』 (1532)
時は15世紀末期から16世紀初頭。
イタリア・フィレンツェ、ロレンツォ・デ・メディチ政権下で官僚政治家として主に内政に携わったマキャヴェリ。
政争に巻き込まれ失職した後、小ロレンツォに宛てて編纂したとされる書。
本書マキャヴェリの『君主論』や、ルターの『九十五箇条のテーゼ』等に見られるリアリズム思想・合理主義の芽生えが宗教改革のキッカケになり、中世から近世への過渡期になっていく時代。
特に本書は当時としては異端とも言える政教分離の思想を含む為(生ぬるい道徳的な理想論ではなく、臨戦態勢での合理的な国家運営を説いた結果としてそうなっている)、出版直後からキリスト教の禁書指定を受けたり、一部の文言だけを拾って “悪徳の書” のレッテルを貼られ “マキャヴェリズム” という言葉が独り歩きしたりと、永きに渡って正当な評価を受けてこなかったと言える。
ステルスアクションゲーム『アサシンクリード』プレイヤーとしては、ロドリゴ・ボルジア(アレクサンデル6世)&チェーザレ・ボルジア親子がリアルタイムに登場する時代としてめちゃ入り込みやすい。
日本人としては「ふーん、そういうヤツがいたのねー」くらいでプレイしてましたが、ヨーロッパ圏の人にしたらあのボルジア親子を悪役として登場させるのは色々と話題になったんだろうなと。
予備知識の無い身でゲームをプレイしただけでも、父ロドリゴの強欲薄汚さと、息子チェーザレの隙の無い冷血漢っぷりは印象強く、指導者として見ればチェーザレは敵ながら天晴れと映る。
本書の、当時実際にボルジア親子と接したマキャヴェリ(外交官としてチェーザレと交渉にあたった経験有り)の言葉でそのイメージが更に固められる。
たかがゲーム、されどゲーム。歴史モノは侮ってはいけないですぞ?(何)
脱線しましたが。
現代の組織マネジメントに当てはめても頷ける部分が多く、ある意味世界最初のビジネス指南書かも?(笑)
リチャード・バック 『カモメのジョナサン』 (1970)
「クルマで走る人には通じる部分があるかもよ」と人から言われて、著名なタイトルでもあるので読んでみました。
なんだろうね、人によって色んなものを連想すると思う。
解説には『星の王子様』が引き合いに出されていますが、ワタクシの頭に最初に浮かんだのは『2001年宇宙の旅(シリーズ)』の “スターチャイルド” 。あるいはもっと広くに通じやすい例えを出すと『ガンダム(シリーズ)』 の “ニュータイプ” 。
既成概念を突き抜けた領域に至る、精神的な成長・昇華。
“飛ぶ” という事を純粋に追求した結果、副次的に色々な真理に気付き、違う領域へ至ったカモメ・ジョナサン。
本人にとっては単に “飛ぶ” 事を追求しただけのこと。
好きなこと・楽しいことを追求して得られた知識・技術を、同じ方向性の後輩に伝えて広めていく。
だが、残された世代はやがて “ジョナサンの教え” ではなく “ジョナサンそのもの” を神格化し崇め奉り、ジョナサンが追求した “飛ぶ” ことそのものは置き去られていく。
独り歩きするイメージ、形骸化する教え、よくある話ですわな。
世にある宗教の類いは全てそうだろうし、噂話も独り歩きして人を神にも悪魔にもする。
実際は神でも悪魔でもなく、ただ存在するだけだというのに。
悪魔ルシファーは、元は天使長ルシフェル。
物事や人物は、受け取る側が好きなようにイメージを歪曲させてでっちあげる。
表から見るか裏から見るか、上から見たら同じなのに。
キリストは存在からして架空だと思いますが、ガウタマ・シッダールタが生前、自分が崇め奉られ神格化されることを想像しただろうか?望んだだろうか?
確かに、走りの世界(特にお山)に置き換えても通じるものがある。
ただ “走る” 事が好きでお山に居る。最初はそれだけでもだんだん色んな要素が増えていき仲間が出来、つるんで走りもし、いつしか “群れてダベる” だけになる者も少なくない。
神格化とまでは言わなくとも、憧れや畏れの目で見られ色メガネが入る。
そこをラストシーンのジョナサンが痛快に打ち砕いてくれる。
このラストシーン(第4章)は発表当初は含まれておらず、今回手にした「完全版」で補完されたもの、だそうです。
確かに、第3章で終わっていたら物語の頂点で唐突に終わる為、正直深みがない。しかし寓話としてはその方が良いかもしれない。
個人的には第4章が一番のメインではないかなと思う。21世紀の日本で読むからそう思うのかもしれませんが。
小説と思って読んだらいけない。哲学の寓話かな?
どんなしがらみも規則も儀礼も、全て突き抜けて自由になれる。
アサシンの教義も同じですやん。
「赦されぬ事など無い」
2018年は、26タイトル35冊でした。
年50冊はなかなか遠い…
Posted at 2018/12/28 08:00:22 | |
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