2024年04月20日
Posted at 2024/04/20 22:36:32 | |
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政府はいつも愚か | 日記
2024年04月19日
これ、事実だな。
いつも、思うが、勇気を奮い立たせようとしても、湧いてこなかったんだよな。
このコメントに共感した。
おれも、弱者男性・・・そう思っている。確かに思っている。
しかし、一方で、どでかいプライドもある。
おかしなシーソーだな。
どうにもならないか?
弱者男性なあ。
就職氷河期+後天性・進行性聴覚障害の俺も弱者だな。氷河期はともかく、障害があるってのはキツイわ。自分の力ではどうしようもないもの。
大学生の時の就活では希望の民間会社は全滅だった。4大行かせてもらって就職浪人として田舎に帰ることになって親にマジで申し訳なかった…。
勉強して公務員に何とかなれたが出世は全く出来ず。同期は管理職なのに。忸怩たる思いでメンタル保つだけでも精一杯だわ。頑張ったんだけどヒラ公務員にしかなれてない。
Posted at 2024/04/19 03:38:41 | |
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出口 | 日記
2024年04月19日
京都大学法学部
ま、いろいろ書きたいが時間もないので、
資料だけ。
京大(法)だと、そのゼミが人気を集めるのか。
だとすると、彼がいうように「同級生で経済的に困窮するものがいる」というのは言いえていると思おう。
また、自分は京大(法)だったら、生涯の友を得た可能性はあるなとも思う。
でも、可能性だけだな。
僕だって、ゼミで、監獄の誕生 も 人間不平等起源論 も ゼミでやったが親交は結べていないな。
中堅でプライドがないから実益を得ている、と言えるのだろうな。
京大、というプライドが実社会との距離を作るんだと思う。
もちろん、うまくやる奴はうまくやるのだけれど。
平野啓一郎
私の京都大学での恩師は、もう退任された西洋政治思想史の小野紀明先生で、京大に行って、色々と良いことはあったが、私にとっては、とにかく先生との出会いに尽きると思う。
恩師とはいっても私は学士に過ぎないので、大学院で日常的に先生の謦咳(けいがい)に接していた本当のお弟子さんたちとは違って、せいぜい、講義を聴き、ゼミでお世話になっただけである。しかし、卒業後、個人的におつきあいさせていただいていることも含めて、私にとっては文字通り、人生を変えた大きな存在だった。
みずからの軽率さを意識した恩師のひとこと
思い出話をし出すときりがないが、先生の講義に衝撃を受けて、これはなんとしてもと既にかなりの人気だったゼミに滑り込み、多分、二回目か三回目かのことだったと思う。その年の課題図書は、プラトンの『ソクラテスの弁明』とルソーの『孤独な散歩者の夢想』で、話題が「自然」観に及び、先生に意見を求められた時だった。
私は何も準備をしていなかったが、「自然というのは、いわば〈暴力〉だと思うんです。……」と、手短に思うところを語った。先生は最初、どういうことかなという表情をされていたが、最後まで聴き終えると、やっぱりそういうことかというふうに、何とも言えない〈苦微笑〉を湛えられて、「バタイユだな。」と一言だけ言われた。――そう、私はその当時、ジョルジュ・バタイユに凝っていて、『エロティシズム』の中に出てくるその自然についての一節を、特にバタイユの名も挙げずに、ほとんどそのままパラフレーズしていたのだった。私は決して、心にもなくそう言ったのではなく、事実、バタイユの思想に共感していたから口にしたのだったが、先生のその一言で、何とも言えず恥ずかしくなり、本当に、穴があったら入りたい気分だった。
Posted at 2024/04/19 03:28:51 | |
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出口 | 日記
2024年04月19日
ご連絡ありがとうございます。
4月8日付けの「第2学年(74期生)学校徴収金等について」につきましては、個別の
お知らせでなかったので、ご心配をお掛けいたしました。
情熱開放さまにつきましては、昨年度入学の際に PTA および日本スポーツ振興センター共済
に加入しない旨お聞ききしておりましたので、今年度2年時においても徴収しないように
既にシステムに入力しております。
お手数ですが4月の銀行からの口座振替の際にご確認ください。
よろしくお願いします。
ここまで馬鹿にするか?
内心を吐露する。
本音である。
本音をさらけ出す相手がいない。
いやさらけ出したぞ、当事者に。
さくら連絡網は、生徒にも案内される。
これしか学校とのやり取り方法がないにも関わらず。
生徒には知らせないで、親と学校がやり取りする方法がないといううのに、
大阪府教育委員会は、それでいいというのだから
お笑い草だ。
教員の業務改善にために、ね。
大阪府教育員会教育長の公印もある文書にもかかわらず、不正の事実を記載したものをそのまま渡すという行為が全く理解できませんでした。問題点を二つ上げます。
①個別具体に対応できない教育現場を垣間見ました。
②社会に適応する生徒を育成のご様子ですが、機械的な作業を行っているだけだとわかります。一般社会でこのようなことをすれば、問題になるのは明らかです。一枚一枚手作業で折り畳み、封筒に入れたと思われますが、抜き出して修正をするということが可能だったと考えます。
その配慮がなかった原因を考えますと、とても残念なことですが、日本スポーツ振興センターの保険制度をやPTAを否定している、その理由まで考えて頂けているとは到底思えません。「一人の親のわがまま」と捉えているのではないでしょうか。私のしていることが全く無駄な行為だと思いました。社会の在り方について意見をするということが。
過去にも繰り返し書いていますが、偏差値で単純化して言うものおかしな話ですが、40~60のボリュームゾーンは、この程度なのでしょうか。そうなのでしょう。だから社会がまともにならない。いつもそう思っています。クリティカルシンキング、それは権力を持つ側には都合が悪いので教育をしません。なぜ欧州ではそうではないのか、外部社会を見ない日本人(それ以外の権威主義的な社会も同様ですが)にはわからないことでしょう。
NHK朝ドラの『虎と翼』には大変興味を惹かれ、韓非子で検索しましたら、こういうのがでてきました。いつの世もこの通りです。
『つまり,知的な面での愚民と経済の面での弱民とは,君主の支配が容易なので,国家主義の歓迎するところである,という。』
全文は以下の通りです。
韓非子 (かんびし)
Hán Fēi zǐ
中国,戦国末の思想家韓非(?-前234?)の言説を集めた書。20巻55編。すべてが韓非の自著ではなく,後学のものも含まれているが,孤憤・説難(ぜいなん)・和氏(かし)・姦劫弑臣(かんきようししん)・五蠹(ごと)・顕学の諸篇はもっとも真に近い。秦の始皇帝は孤憤・五蠹の篇を読んで,いたく感激し,この人に会って交際を結ぶことができたら,死んでも思い残すことはない,と漏らしたという。《韓非子》では,人民は支配と搾取の対象であり,君主に奉仕すべきものとされる。〈君主と人民の利害は相反する〉として,この観点から,厳格な法で人民を規制すべきを説くが,そのいわゆる法治主義は,法と術と勢の三者を強調する。君主たる者は臣下を統御しうる勢を利用し,客観的な法と,胸中にかくす術とを兼ね用いれば,臣下を自由自在に操縦することができる。その際には,賞と罰の二柄(にへい)が有効な要具となる。
その法治主義は法の権威を確保するために,いっさいの批判を封ずる。現在の法を批判する者は,多くの場合先王の法をもちきたって,両者を対置して論評する。韓非にとってまず抹殺さるべきは先王の法であった。先王主義を否定する論拠は,顕学篇に詳しい。
法治の妨害者として五蠹をあげ,その撲滅をはかる。蠹は木を食う虫で,五蠹は,五種の社会を害する者の意。その第1は,学者-道徳を唱えて法を批判し,無用の弁説をもてあそぶ。第2は,言談者-デリケートな国際関係を利用して,詭弁を弄し君主をまどわす。第3は,俠客-私の節義のために法禁を犯し,然諾を重んじて死を軽んずる。第4は,君主の側近。第5は,商工業者。保護育成すべきものとして,軍人と農民をあげる。それは国力の増強に直接寄与し,知能が低く単純なので,権威に弱く御しやすい。つまり,知的な面での愚民と経済の面での弱民とは,君主の支配が容易なので,国家主義の歓迎するところである,という。
執筆者:日原 利国
Posted at 2024/04/19 02:57:20 | |
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わたしがおしえてあげるわよ | 日記
2024年04月18日
朝ドラがいい。
法学生だった頃を懐かしんで、かつ今の不甲斐なさにビンタをされる。 この邂逅は、郷愁と を呼び覚ます。
吃音者、弱者としての自分
法学士としての自負
知識を盾にしつつ、社会から逃げ出した自責
この世界で
権威主義国家は、何をか言わんや
法治国家においてすら
法の理想が尊重されたことがあろうか?
如何に、法体系の理念を現実化するか
わたし個人レベルでも
Niveaux mondiales でも
Que
朝礼を待つ間に書きました
Posted at 2024/04/19 02:55:05 | |
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出口 | 日記