2011年10月13日
他の自動車メーカーの業績が回復基調にあるにもかかわらず、経済欄で、『不調』や『不振』との不名誉な見出しで始まるのが最近のホンダの記事。
V-TEC、赤バッチ、タイプR、鷹栖サーキット、熟練の手作業etc、それらを耳にしただけで胸が熱くなる世代でもあり、V6と直4(H22A)のスポーツV-TECを乗り継いだ私としては、日本一のエンジン屋のこのようなネガティブな記事は読むに忍びなく、新聞紙面を折りたたんだ時、約10年ほど前にあった、とあるホンダディーラーでのハートウォーミングなやり取りを思い出しましてしまいました。
それは、当時の愛車セイバーTypeSの整備をお願いしたときのこと。
その前に、ウルトラマイナー車につき、どのような車だったかを簡単に説明申し上げますと、
当時、FFのNSXと称されたスポーツグレード。
ゼロ四を14秒前半で走りきる専用の260psエンジンに5速セミAT、やり過ぎなぐらい固められた専用の足回りが奢られ、ストラットタワーバーとロアアームバーで締め上げられたボディは各部のスポット溶接によりさらに高剛性となり、仕上げは鷹栖サーキットで鍛えられたという、LサイズセダンとしてはM5の向こうを張る、異色の熱血グレードだったのですが、いかんせん、通好みが裏目に出て、発表直後からマイナー街道をV-TEC全開でひた走り、また、その完成度の高さも災いしてマフラー含めたアフターパーツは一切なかったという、自分好みに仕上げたい私としては、なんともイジり甲斐のない愛車でした。
とは言っても、FFのNSXは伊達ではなく、エンジンは一級品。
控えめな演出のサウンドもさることながら、SOHCとはとても信じがたい甘美な吹き上がりと速さは、NSXのATと高速で加速勝負をしても引けをとらないほどで、イジれないフラストレーションをなんとか昇華してはいましたが、やはりどこか物足りない。。。
そんな煩悶としていた時に、トリップメーターが10,000kmを刻んだ時点で、エアクリーナーの交換を当時出来たばかりの最寄りのディーラーに依頼いたしました。
もちろん、エアクリーナーも社外品はなく純正一択。
母店であろう広々とした清潔な店内と、てきぱきとしたスタッフさんと迅速な作業に感心することしきり。
そして、作業が終わった車を受け取りエンジンに火を入れた途端、車イジりを諦め、ほのぼのファミリーパパの鋳型に納まりかかっていた私の芯にも火が入ってしまう事態が起きたのです!!
キーを渡され、イグニッションを捻ると、「シュゴォォォォォ」という勇ましい吸気音とともに気持ちラフなアイドリング。
駐車場の出口から、アクセルを軽く踏み込むと、「キュキュキュ・・・」と、普段、この程度のアクセルワークでは決して出ない、前輪がアスファルトを掻き毟る音が。
さらに踏み込んでみると、明らかに別物の加速感が背中をシートバックに押し付け、「なんてこった!!」と感嘆の声が出るほど、血流が体中を駆け巡るのを感じてしまったのです。
踏めば踏むほど盛大な吸気音が車内に響き、窓を開けると一層その息吹は大きく歌いだし、また、V-TECの切り替えも、2段ロケットのようなはっきりとした段付きへと変化し、切り替え時には、キュッと前輪が泣くほどのトルク変動の後に訪れる高回転域は、まさに一気呵成の吹き上がり。
レーシングユニット顔負けの荒ぶる心臓部へと変貌した愛車に、「これがTypeSの真の姿だったのか!!」と興奮覚めやらない私は、敏感すぎるアクセルレスポンスと突き抜けるパワー感、そしてホンダミュージックとも言うべき豪快なインテークサウンドに痺れっ放しに。
しかし、ある日、その真の姿は、実は『暴走モード』だったことが判明したのです。
それは、この車を購入したディーラーに寄った時のこと。
担当のディーラーマンからの「お車調子はいかがですか?」と判で押したような挨拶の後、お決まりの愛車点検となった訳でして、その際、ピットに移動する私の車が発する吸気音に、「ええ音や~。」と惚れ惚れする私とは対照的に、首をかしげるメカニック達。
やがて点検が終わり、担当のディーラーマンと同席するチーフメカニックから聞かされた所見に、我が耳を疑ったのでした。
「え~と、お車見させていただきまして、大きな問題はなかったものの、、、、」
「ものの?」奥歯に物が挟まったような言い方に、その先をつい急いてしまう私。
「エアクリーナーボックスの金具が破損しておりまして、その、、、蓋が浮いてそこからエアを吸入しています。」
「は??」
「ですので、エアクリーナーが着いていない状態と同じことに。」
「エアクリーナーないの?」
「お車行きましょうか。」とピット内へと同行し、愛車のエンジンルームを覗き込むと、止め具が脱落し、蓋がグラグラに浮いてエアクリーナーが見えた状態のものがあったのでした。
眠れるポテンシャル全開がまさかのマイナートラブルだったことに、呆然とエンジンルームを見つめる私。
「ということは、ここから何の抵抗もなくエアを思いっきり吸い込んでいたと。」
「はい。あのような音が出ていたのもこれが原因です。」
どうやら、最寄の別のディーラーでエアクリーナーを交換した際に破損してしまったらしいとのこと。
あの痺れる様なサウンドと加速は、整備不良によりエアを直入していたことが原因と判明。
早速、ディーラー間で連絡を取ってもらい、部品が入り次第、破損させたディーラーでCPUの異常含めた再整備を受ける段取りとなりました。
部品入庫の連絡を受け、そのディーラーに向かった私を、うやうやしく出迎えるのは、なんと本部の工場長。
年のころ40代後半、柔らかい笑顔と貫禄ある腹回りがいかにも温厚そうな雰囲気をかもし出しているも、ツナギを着ているところを見ると偉くなっても現場第一を貫き通す職人といったところ。
「誠に申し訳ありませんでした。」と深々と頭を下げる若いメカニックに、車を預けると、
工場長から「どこか変わったところはありませんか?」と声をかけられました。
「特に変わったところはありません。」
車が元にもどってしまうことに一抹の寂しさを感じる私。
「CPUは学習しますから、しばらく走っていただけると元通りです。」
「はあ、そうですか。」
こう、そっけなく答えると、工場長が少し声のボリュームを絞り、
「で、他に変わったところはありませんでしたか?」と私の耳元で意味ありげなことを聞いてくるではありませんか。
「ええ?他にですか??実は、、、、音が絶品で、まさにホンダミュージックでしたね。ものすごい気持ちのいい車になっていました。」
それを聞いた工場長はうれしそうな笑みを浮かべて、
「実は、うちのエンジン、特にNSXとかこのV6は結構、制限が掛けられていてですね、ポテンシャルはかなりのものを、、、」
「やはりそうですか!?」
「ただ制限だけを外せば良いものでもなく、エアがダイレクトに入るは勿論良くないことですが、、、、
え~となんのお話でしたっけ、、、そうそう、今回、お客様には大変申し訳ない気持ちで一杯でして、、、、、いや~そうですか、良い音出してましたか、ありがとうございます。あ、お車出来ました。」
ピット奥からすっかり牙を抜かれて大人しくなった愛車に乗り込むと、納車当時のジェントルな加速と控えめなサウンドに、祭りが終わって穏やかな日常が戻ったような寂寥感が胸の中を吹き抜けたのでした。
たまたま整備不良によってエンジンのポテンシャルを垣間見た私に、自身の立場に徹しつつも、申し訳なさより明らかに誇らしげな表情でうれしそうに語る工場長。
やがて、私はE36M3Limoへと乗り換え、以来、接点はありませんが、お偉いさんですら、こんな血潮が流れるメーカーですから、今、不調に苦しむ姿があったとしても、きっとワクワクするような車が出てくると思わさせてくれる10年ほど前のエピソードでした。
Posted at 2011/10/13 11:56:12 | |
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社会 | 日記
2011年10月10日
明日開催される、近所の歴史ある神社での秋の大祭。
その役員を今年一杯仰せつかったため、この3連休の初日からその準備に駆り出されております。
役員とは言っても、持ち回りにつき、その周期が十年以上ということもあって、再度、その役が来る頃には代替わりが進んで、ほとんどが未経験者ばかり。
おまけに、お神輿の組み立てやら祭壇の設営などなど、画像はおろかマニュアルもなく、口伝でしか申し送りがされていなかったことから、いろいろ試してみるも要領を得られず、結局、近所のお年寄りから知恵を借りて、なんとか明日の本番を迎えることができました。
古式ゆかしきお祭りとあって、どこをとっても格式と形式美の塊みたいなもの。
手順や道具、そして方角は、全体を一つの儀式として成り立たせる要素であって、欠かすことが出来ないものばかりですので、今年はその手順を画像をデジカメで時系列に撮影し、簡単なマニュアルとして残すことに。
そして、この3連休、東海地方に広がるのは、気持ちいいほどの秋の青空。
お祭りの役員は重責とは言え、このように高く晴れ上がった秋の快晴の下で、車イジリをしないで過ごなんてことは、私的に断じて許されないこと。
その作業の合間を縫って、M3を車庫から引っ張り出し、ちょいとプチメンテとリペアをしてみました。
まずは、エアコンフィルターの交換。
前回と同じくBOSHの活性炭入りのものを注文したはずなのに、構造が違うのはコストカットの影響なのかどうかは不明ですが、納車した時に交換して以来ですので、4年半と2万kmを過ごしたフィルターは相応の汚れ方です。

時に猛烈なイカ臭さを、また時にはほろ苦い思い出を濾しとってくれた、私のシークレットサービスとも言うべきフィルターにお別れを。
新しいフィルターにも、これから起こるであろう車内のバイオハザードや異臭騒動を、先代のようにどこにも漏らさずきっちり処分してくれることを期待。
お次は、もはや定番のこの部分。
去年も垂れ下がってきた際に、同じように大量の洗濯バサミでびっしり挟み込み、接着したここは、今年の猛暑を乗り切るも、その後の残暑を耐え抜く余力はなく、SASUKEのクリフハンガーのごとく、あえなく脱落しておりました。

でもって、再びスーパージョッキーの罰ゲーム状態のまま、放置すること15分。
今年は接着剤を変えたことが功を奏したのか、去年よりも圧着されているようでして、来年の夏は乗り切れそうな予感大です。
作業終了後、洗濯バサミを嫁に返却する際に目にしたのは、なんとも懐かしいポニーテールにした嫁の後姿!!
その途端、付き合いだした頃の熱い夏の日が猛烈に蘇り、「俺たち、あの頃の夏に戻れるのかな。」とつい口にしてしまうと、
「ニュートリノが解明されたら、一人で戻れば、いいんじゃない。」となんとも旬で冷たい切り返しが(涙)
え~、気を取り直して、、、最後は、M3の中に放置してあったレイヴァンが朽ち始めていたので、リペアに出していたのを引き取りに。

絶版になったモデルながら、幸いにも部品の在庫があったので、無事リペア完了。
長く使いたいのは、M3もこれも同じですので、直ると愛着も一入なのです。
こうして、お祭りの準備の合間に実施した、ちょこちょことしたメンテ&リペア。
明日のお祭りでは、お神輿を担ぐ、ちびっこ達の元気な声がこだますることでしょう。
そしてお祭りが終わった後、向かい合わなくてはいけないことが盛りだくさんだったりしまして、人生のリペアキットがどこかに置いてあったらいいのにと、見上げるほど高く抜けていく秋の空でした。
Posted at 2011/10/10 00:21:25 | |
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E46M3 | 日記
2011年10月05日
うちの近所にある激安中古車屋さん。
激安だけでなく、バス停がすぐ目の前にあるため、通勤や通学に加え、停車中のバスの中からも車両が目に入る好立地なことも手伝って、在庫の足も速く、目の前を通るたびに、新しい車両が入っていたりしています。
在庫車両も、常時20台程度が並べられ、SUVからミニバン、そして外国車までとバラエティ豊か。
開店した当初は、安くて良品を集めているのだろうと何気なく通り過ぎてはいたのですが、とある法則を見つけてしまったのです。
それ以来、お店の前を通るたびに、ある時は衝動を抑えるのに必死になり、またある時は、真剣に駐車場を考え、やがて、安堵と落胆を繰り返す精神状態の連続でして、、、、
最初、在庫車両の中に置いてあったのは、80スープラのSZ。
お値段は込みこみで50万円以下。
その時は「ふ~ん、懐かしい車置いてるなぁ。それにしても安くなったもんだ。」と、横目で見て通り過ぎるだけでした。
数日後、スープラの姿はなくなり、その後に入庫されていたのが、GTOツインターボの前期型。
お値段、またしても50万円以下。
「お、スープラ売れたんだ。しかし、これまたコアなの仕入れて。個人的には大歓迎だけど、売れるのか?」
と勝手な心配をするのも、なぜかざわつく胸の中。
しかし、そんな私の心配をよそに、GTOもその週末にはプライスカードの上に『売約済み』の文字がでかでかと貼られていたのでした。
「へえ~好きな人も居るんだね。」感心した反面、心の中を風が吹き抜けていく郷愁に似た感覚。
GTOと入れ替わるように入ってきたのが、なんと、Z32のNA&5MTの中期型。
私にとって、子供が出来て泣く泣く手放した思い出の1台。
突如、フラッシュバックする、嫁とこのZ32で過ごした若かりし頃の記憶。
胸の中のざわつきがその存在感をいっそう際立たせ、なにかを訴えかけてくる。
しかも、お値段、お約束の50万円以下。
「俺にどうしろと言うんだ、、、、、」
そんな逡巡をしている間に、あっという間に、『商談中』のカードが立てられ、その次の日には『売却済み』へと入れ替わっていました。
私の胸の中に去来するのは、安堵と喪失感、そしてとある疑問。
『不人気のはずの古いクーペであるにもかかわらず、他の在庫車両と比べても異常に回転率がいいのは一体どうしたことだろう。』
そして、次の車が入ってきたとき、その謎を解明することが出来たのです。
その車とは、ST205のセリカGT-FOUR
当時、トヨタがラリーで勝つことを至上命題に、水冷式インタークーラー、スーパーストラットサスペンション、フロント4Pod、リア2Podキャリパーなどなど、莫大な開発費を注ぎ込んだ、バブルの産物ともいえる1台で、あの頃の車好きにとっては憧れのホットモデル。
肝心な成績は、レギュレーション違反やインプ、ランエボなどのライバルの台頭などもあって、パッとしませんでしたが、スキーに連れてってでおなじみの先々代、ラリーチャンプだった先代のイメージを踏襲し、過剰性能に加え、ガンダムチックなエクステリアに、実は私も一度は所有したいと思った一人。
並べられていた個体の色は黒、走行距離も9万kmとまだまだこれから。
お値段も安心の込みこみ50万円以下。
一目見たときから、熱量を伴って湧き上がってくる胸の中のざわめき。
ある日の夕方、とうとう、どうにもこらえきれなくなった私は、実車を見に行ってみると、そこには、会社帰りと思しき、2人のスーツ姿の男性の姿があったのです。
さらに到着したバスから降りてきた乗客の中から、立ち止まり、腕組みして眺める同世代のお父さんまでも現れ、ミニバン達を差し置いて最も注目される車両となった、GT-FOUR。
そうなのです、こうしたネオヒストリックJ'Sを目の前にして、同じざわめきを感じたのは私だけではなく、80年代、90年代のモータリゼーションを免許取立ての若い頃に体感し、今は家族を持ち、ファミリーカーで落ち着いたはずの、そんなお父さん達のハートに燻っていた残り火が、再び燃え上がらんとしているのでした。
しかも、在庫は1台きりのワンチャンス。
昔はフルローンでしか買えないほど高嶺の花だった価格も、お小遣いでなんとかやりくりできる程度。
「今しかない!!」
この店を訪れたお父さん方が、きっとそんな気持ちで、奥さんを説得し、憧れの1台を引き取っていかれたのでしょう。
件のGT-FOURも売り手が見つかったようで、早々に次の車にバトンタッチ。
次の車といっても、これまた通泣かせのランサーエボリューションのⅣ型でして、ほどなくしてマニアな誰かのお眼鏡に適い、もらわれていってしまいました。
今、店頭にはコンパクトカーやミニバンに混じってR33のGTS25tのタイプMが並べられています。
当時、日産がリニアチャージドコンセプトを掲げつつも結構ドッカンターボだった250psの直6FRマシン。
おまけに相変わらず激安ときているので、もう、絶対に印鑑を持って出歩けない(汗)
現在の自動車メーカーからは、決して出ないであろう、きらびやかな80~90年代のアイドル達。
少しくたびれたとはいえ、それがお小遣いに貯金を少し足した程度で手が届く値段となり、その中の1台をぽつんと並べることで、この界隈のお父さん達の胸の中に眠る甘酸っぱい憧憬をロックオンしては、まんまと射止めてしまう、まるで凄腕スナイパーのシモ・ヘイヘのような中古車屋さんでした。
もし、程度のいいZ31が並べられていたら、、、、、それは、もはや運命かも(滝汗)
Posted at 2011/10/05 14:35:53 | |
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My Life | 日記
2011年10月03日
漫画『美味しんぼ』でも、人の情に訴えかける最たるものは食であるとのとおり、時に、沈んでいた記憶をサルベージし、ノスタルジーを猛烈に刺激してやまないなんてご経験、誰もがあるかと存じます。
本日、画像の鉄板から立ち上る香気で、10代後半の頃の記憶までも香ばしく焦がされてしまいました。
~以下、回想~
長年の風雨にさらされ、換気扇から立ち上る油を含んだ蒸気がべったりと付着し、表も裏も黒ずんだ庇のビニール看板。
茶色いフィルムが貼られ、太陽光どころか、店内の明かりすらうかがい知れないガラス窓。
回転する黄色のパトランプが、かろうじて営業していることを知らせているだけ。
手の触れるところだけピカピカの真鍮の取手を掴み、重い木製の格子戸をグッと開けると、カウベルが頭上でカラコロと涼しげな音を立てたのと同時に、入れたてのコーヒーの香気と壁に染み込んだニコチンの残り香が生暖かい塊となって出迎えてくれた。
昼間なのに仄暗い店内には、ところどころ暖色系の照明が灯り、目が慣れてくると、意外と奥行きのあることが分かる。
そして、10セットほどしか置かれていないテーブルの手前のひとつから、こちらに一瞥をくれたのは、したり顔をしてタバコを吹かす、常連と思しき初老の男だった。
紫煙の立ち込める彼の指定席を横切り、目指すは5番のテーブル席。
4人掛けのフェイクレザーのソファーに腰掛けているのは、学生服姿の3人の男子学生で、その詰襟の校章は、近所の公立高校のもの。
空いているところに腰掛け、お冷を持ってきた年配の女性に、「ナポリタン」と告げると、「お前、またかよ。」と、わざとらしく白い歯を見せて笑う、クラスメートのHが対面にいた。
「またかって、悪いかよ。」噛み付く私。
「だって俺達、今日はミートソースだし、なぁ。」スパゲティ程度で勝ち誇った顔をするのは、サッカー部のK。
「だってもなにも、ここは、ナポリタンかミートソースしかねえじゃねえか。」あきれた私が学生服の上着を脱いで、テーブル横の上着掛けに預けた。
すると、店内のFMラジオから、「ここでリスナーからのリクエスト♪BOφWYのニューシングルをどうぞ~
鏡のー中のぉ、、、マァリオネットォォォ!!!、、、イエイ♪」
巻き舌のDJの曲紹介と同時に、印象的でメロディアスなリフが流れ出し、その途端、僕らのテーブルではエアギター大会が始まった。
やがて、ギターソロに突入し、全員が布袋寅泰となった僕らの前には、ジュージューと音を立てる鉄板の上でグルグルとらせん状に盛られた、3個のミートソースと1つのナポリタンが運ばれてきて、僕らの興奮は最高潮に達したのだった。
~回想ここまで~
お昼、無性に食べたくなって、ふと立ち寄った喫茶店で注文したのがこの『鉄板スパゲティ』
シズリングする鉄板に敷き詰められた卵とトマトソースが良く絡んだパスタを、熱々のままほおばると、高校生の頃、連れ達とよく通った、学校から程近くの路地裏にある古ぼけた喫茶店での記憶が蘇ってきたのでした。
まだ授業が半ドンだった土曜の昼、誰かのバイト代が入ったり、パチンコで大勝ちしたり、ただなんとなくだったりでその喫茶店にに集まっていたあの頃。
近くに、CoCo壱番屋やマックもあったのですが、とにかく、ご馳走だったのは、ここの鉄板スパゲティ。
恋のこと、部活のこと、バンドのこと、受験のことなどなど、思春期特有の青臭い悩みを、ただ思うがままぶつけ合い、だべりあった5番テーブル。
パスタとコーヒーのセットで500円という破格の値段と、雑多な湿り気を含んだ心地よい雰囲気に、つい長居をしてしまい、店を出る頃には、髪の毛から足の先まで、タバコやらコーヒーやらなにかのにおいが付着し、少し大人になった気がした反面、どこに居たのかすぐにバレてしまうのが玉に瑕。
今では、名古屋のスパゲティといえば、あんかけスパが代表格のように言われていますが、実は名古屋の老舗喫茶店での定番スパは、この鉄板スパなのです。
種類は、基本、「ナポリタン(イタリアン)」と「ミートソース」の2種類だけ。
高校卒業後、数回ほど、そこに集まったぐらいで、次第に疎遠になっていき、マスターが寄る年波に勝てず閉店したと、人づてに聞いたのは、10年前のこと。
憧れのあの娘を、誰がこの喫茶店でデートできるか、競い合った仲間達との懐かしい場所。
そして、それを実現させることはもう誰も叶わなくなってしまいました。
鉄板スパに粉チーズとタバスコ少々を振り掛け、立ち上るノスタルジーの香気を深々と吸い込むと、憧れだったあの娘に、無性にメールがしたい気持ちが湧き上がり、「今日のお昼、こんなの食べたよ。」と画像を送信した後、ほどなくして届くのは、
「美味しそう~今度、連れてって。」とのかわいらしい返事。
その憧れだったあの娘は今、、、二人の子供と1匹の犬と一緒に、今夜も私の帰りを出迎えてくれるのでした(照汗)
今日は、、、いや(汗)、、今日も寄り道しないで帰ろっと。
Posted at 2011/10/03 17:10:15 | |
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My Life | 日記