今回は新快速ネタ続編で行きます。
1979年に完成し、翌1980年の1月から営業運転を開始したのが、
3代目新快速・
国鉄117系です。
●3代目・新快速車両:
国鉄117系

●現在、湖西線で普通運用に入る、117系300番台で、
元は、福知山線仕様です。
前回の153系の所でも触れましたが、この117系は、
老朽化の進んでいた153系の置き換え用に製造された車両ですが、
この117系は、とても大きな特徴を持った車両でした。
以前にも117系については書いていて、被る部分があるかも知れませんが
ご容赦下さい(^^)
この車両は、何かと全国統一型による合理化を推し進める国鉄には珍しく、
国鉄末期状態にもかかわらず、京阪神地区の新快速専用車として、製造した新車で、
新快速としては、初の専用新造車両であること、
そして、国鉄で通勤車では初の転換クロスシートを装着していました。
当時、完全に京阪神の競合私鉄に利用客を奪われた国鉄が、危機感をやっと持ち始め、
新快速に値する阪急や京阪などの特急が、
すでに転換クロスシートを採用して、サービス向上を図っていたことから、
国鉄も京阪神用に、地域性に応じた車両を製造したのは珍しかったと思います。
塗装色は、京阪神を駆け抜けた、関西急電のイメージカラーである、
クリーム1号ベースに、ぶどう2号のストライプを装飾しており、
愛称と、ヘッドマークデザインを一般公募で募集して決定したことから、
国鉄・大阪鉄道管理局も、この117系での新快速に威信をかけて「いたと言えるでしょう。
車内は先に生まれ、九州に投入された、キハ66,67系に準ずる形を取っており、
急行型だった153系にあった、デッキも排除されました。
近郊型に設置されていた、トイレも1編成1両、
姫路側のクハに設置され、手洗いもトイレ内に装備するという
国鉄近郊型の伝統は守っていました。
シートはオール転換クロスで、台車には初期車の0番台には、
153系のコンセプトを受け継ぐべく、高速運転時の乗り心地を考慮して、
当時の通勤車に標準採用されていた、コイル式ばね台車ではなく、
特急や急行で実績のあった、ダイレクトマウント式空気ばね台車が採用さたのも、
当時の国鉄にしては、破格のサービスだったようです。
編成は初期車の0番台は、4M2Tcの6両編成とされました。
後になって、名古屋地区用の2M2Tの4両編成、
3M1T×2の、8両編成も加わってきます。
1979年に完成し、10月14日の鉄道記念日に、お披露目会が行われ、
翌年1980年の1月から新快速運用にはいり、153系の置き換えを開始、
約半年後の7月には、置き換えを完了します。
最初の頃は、珍しさで利用客が多かったそうですが、
置き換えが完了するころには、あまり利用客に恵まれなかったそうです。
1980年の10月にダイヤ改正が行われるも、新快速については
利用率が低迷しており、大きな変更はなかったそうですが、
運行ダイヤは、1975年改正時のものをそのまま世襲していて、
目立った改正が行われなかったこと、
国鉄はこの頃、毎年のように運賃値上げをしており、
同じ値上げでも私鉄勢は前後で国鉄程、差が少ない事や、
阪急や京阪なども、117系に準ずる転換クロス車を増備、
並行区間で117系と同じ様な車両が走る阪急や京阪などの京阪間は
完全に国鉄の負けだった事が、大きな要因の一つだったようです。
ただ、山陽電鉄、阪神電鉄のように、特急でもオールロング車の走る
阪神間では、運賃の差は設備費と割り切ってゆったりできる117系新快速の方が
需要はあったそうです。
この頃完全に赤字に追い込まれていた国鉄は、正に「酷鉄」状態になっており、
根本から国鉄を立て直すため1982年、国会では国鉄民営化の答申を総理大臣に提出、
国鉄民営化に動き始めました。
一方、この82年ころには、名古屋方面の東海地区の快速、普通運用にも、
若干改良を行った、この117系0番台を投入しています。
1985年3月には、遂に新大阪駅にも、新快速が停車。
大阪環状線で大阪に出て、新大阪で新幹線に乗る利用客には、
普通、快速、新快速の新大阪停車は大変便利という事で、
シャトル列車的な役割を果たしています。
しかも、京都~大阪間29分と言う今までのダイヤを維持しての新大阪停車は、
国鉄にとっては、かなりの英断だったようです。
そして、1986年、翌年のJR民営化を踏まえての、国鉄最後のダイヤ改正が行われます。
それに伴って、湖西線、山陽本線全線、東海道本線・米原~神戸間が
JR西日本管轄になることから、これらの地区を走り抜ける「新快速」を
JR西日本のエース列車として、位置づけ、
西明石停車を再開、西明石~姫路間を日中、15分ヘッドの1時間4本運転化により、
京都~姫路間の15分ヘッド運転の実現、
他に京阪神地区で18時~19時台の運転増発。
新快速は複々線では、上下線とも外側線走行を決定。
大阪~神戸間を約5分短縮。
更に湖西線方面はそれまで堅田どまりだった新快速を近江舞子まで延長、
草津方面は彦根まで延長し、増発するなど、
民営化後の運用をスムーズにすべく対応がなされます。
あと、この改正に伴い、前回の記事で触れた、国鉄時代に設定されていた、
西明石~以西と、草津以東のデイタイムの1時間保守運休も撤廃されることに
なりました。
増発に伴う車両増備として、117系100番台が増備されました。
シートがバケットタイプに変更され、台車は、ゴム付ボルスタレス台車に変更されました。
この後、1987年4月に国鉄が解体し、JRグループが発足、新快速は
JR西日本で走り続けることになりました。
JR民営化後のJR西日本の利用数は好調で、
主力車の新快速は、さらなる増便が望まれるものの、車両不足が顕著になり、
その為4代目にあたる、221系が次世代新快速車両として製造され、
1989年のダイヤ改正で投入され始めると、
117系も無改造で115キロまでスピードアップして221系との協調を保持するも、
221系が増備され始めると、221系がフラッグシップ・トレインとして新快速の顔になり、
1991年のダイヤ改正では、221系が新快速運用のメインになり、
120キロ走行での営業運転が開始されると、117系は運用を徐々に離脱、
夜遅いラッシュの無縁な時間帯の新快速運用や、
福知山線や山陽本線、関西線、紀勢線などに転出し、
快速や普通運用に入ります。
福知山線には、ラッシュ時の乗客定員確保の為に、
一部ロングシート化を行った、セミクロス仕様の300番台を投入しています。
1995年には、新快速の新型車、223系が加わり、
221系と共に、223系による新快速運転が開始されてもなお、
夜遅くの新快速運用には117系編成が1本残っていましたが、
223系でのオール新快速、130キロ運転開始が始まる前の、1999年5月で
新快速の定期運用から離脱して、新快速運用を終了しました。
今現在は、転出していった先で活躍していますが、
関西線などでは221系による置き換えで117系は姿を消しています。
福知山線は、2005年4月の尼崎脱線事故のあと、ATS設置により
117系が全車撤退し、現在は湖西線で普通運用に入っていますが、
2009年の4月には数本が臨時・新快速で走っていますし、
それより前の2004年10月14日の鉄道記念日の一環で、
117系が新快速運用に入った当時の、草津~姫路間を12両編成で、
「リバイバル・新快速」として、走っています。
117系は一部が115系3500番台と言う、115系の中間車化改造を受けたものもありますが、
たった1本でも、新快速としての運用は、かなり長く運用されていたようです。