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キューブコロコロのブログ一覧

2012年04月25日 イイね!

今日は・・・忘れてはいけない4月25日です。

今日は、4月25日、そう、この日は決して忘れてはいけない、
そして今後も語り継がれるべき出来事が起きてしまった日です。

忘れてはけない、2005年4月25日、
「JR西日本・宝塚・福知山線・尼崎脱線事故」が起きてしまった日です。

亡くなった方が107名、重軽傷を合わせて負傷された方約562名と、
JRとしてはもちろん、日本の鉄道事故史上でも
稀に見る大惨事になってしまいました。

あれから7年が経ち、今は普通に現場付近を列車が通っていますが、
今この時に、私なりに思った「JR西日本」の企業体質、
この事故の事について、私なりの考えを書いてみようと思います。

この記事はあくまで、私個人の意見なので、皆さんは違った考えを持たれると思いますが、
そのあたりはご理解いただけると幸いです。

今回の事故は、尼崎方面に走っていた、207系快速が、
遅延を取り戻そうとして、制限速度を大幅に上回る速度で
カーブに進入し、7両編成のうち、殆どの車両が脱線、
先頭車がそばのマンションに激突大破、後続車両も脱線大破、
運転士を含めて107名の方がお亡くなりになり、
562名の方が重軽傷を負われ、
激突されたマンションの住人の方も、転居をしなくてはならないというものでした。

実は当時、事故直後にこの現場に、後続の特急「北近畿」が接近していたそうですが、
事故を目撃していた近隣住民の方が、踏切の非常警報ボタンを押し、
停止した為に2次災害は防止できたことは、
近隣住民の型の、機転が功を奏し他と言えると思います。

この事故では、JR西日本の安全対策の甘さが指摘されました。

当時、この路線には、停止信号付近や制限速度を超えてオーバースピードになったとき、
警告を発したり、自動で列車を急停止させる、ATS、
そして、自動で列車を停止、または減速させるATCが設置されていなかったこと、
そして、スピード追求のあまり、過密ダイヤになっていて、
遅延に対する復旧、いわゆる帳尻合わせを出来る時間の余裕がなかったこと、
そして、遅延を生じた運転士に対して、教育とは名ばかりの、
まるで部下いじめと言うか、パワー・ハラスメントともいえるべき、
日勤教育と言う、非常に馬鹿げたことが日常化していたことが、
この事故を引き起こしたといっても過言ではないでしょう。

事件自体を見ると、運転士がオーバースピードで突っ込んで、
事故が起きたというので、まるで運転士が悪者扱いされていますが、
私から言えば、一番かわいそうなのは、ある意味この亡くなってしまった
運転士の方でもあると思います。

誰も好き好んで、当時の運転士がオーバースピードで走っていたとは思いません。
遅延は、運転士のミスもあるでしょうけど、乗降で無理にこけこみをやる
利用客のマナーの悪さも影響していますし
遅延を取り戻すのに必要な余裕が、ダイヤには組まれていなかったこと、
そして、上司のストレス発散ともいうべき日勤教育のおびえて、
追い詰められての行動だったのは、後の事故調査などから明らかになってきました。

この時、ATSや、ATCなどの保安装置が設置されていれば、
この様な大惨事は起きなかったのは、専門家の意見としてはもちろん、
素人目に見ても明白でした。

当時のJR西日本の安全対策の甘さが完全に影響していたのは
もう明白でした。

事故後、JR西日本は、安全対策や、企業体質を見直しますとか、
事故の被害者の方たちには、誠意を以って対応しますとか、宣言していました。

実際、復旧に際し、ATSの義務化により、ATSが設置され
スピード追求による過密ダイヤによる、乗降遅延などの発生時の防止のため、
営業速度は現状維持で、主要駅の乗降時間に余裕をももたせ、
更に、遅延が生じても、ある程度遅れの戻せる運転ダイヤ、
いわゆる「ゆとりダイヤ」が改正時に設定され、
運転士への精神的なストレスを減らす処置がとられました。

先頭車にのっていて、運転席のそばにいると、
運転士の方も、運転中の確認呼応など、大きな声でやっているのが
聴こえる事もありますし。

また、職場環境の改善で、日勤教育なる、ある意味行きすぎた
教育もメスが入り、今ではちゃんとした教育現場が確保されているようです。

結果的にダイヤは事故前よりも多少遅いものになりましたが、
利用客からは、乗降にあわてなくて良いと、評価は良かったそうです。

話は戻しますが、今回の事故については、
本来は企業としてJR西日本が裁かれるべきなのですが、

しかし、今の法律上、企業全体の過失を問えないために、
最高責任者の社長を被疑者として立件するよりほかがない現状なので、
今回の裁判では、歴代社長の管理責任などが問われる形になっています。

日勤教育などのほか、安全対策に焦点が集まったこの裁判です。

日勤教育については、精神的、肉体的に苦痛を受けたとして、JRの運転士数人が
当時の上司や企業に対して、訴訟を起こし、勝訴しました。

でも、実際に現状はどうだったでしょうか?

日勤育の裁判で、JR西日本は
「私たちの主張が認められずに非常に残念です」とかコメントを発表したり、

前社長の、ATS設置に関する意識として、

「速度超過が起こり得るダイヤ設定で、ATSの設置は当然必要不可欠で
費用的にもそれほど高価ではないATSの設置しなかったのは、
以前は現場も経験し、当時社長だった、
前社長の安全対策の甘さと言うべきで、責任は重大だ」、
との検察の弁論に対し、

「当時の状況では、専門職の見地から見ても、ATSの必要は感じられなかったし、
法律上義務はなかったので必要とは思わなかった」などと、

結局のところ、あまり反省していない感じが見て取れてしまいます

事故後から今現在への、犠牲になられた方達や、そのご家族への対応も、
進展は多少見受けられるも、
今ひとつ、誠意を感じる事が出来ない部分もあります。

まぁ、前社長の責任と言っても、日勤教育などは現場サイドの話で
日本の大企業の欠点ともいえる縦割りの関係で、
社長には見えない話だったかもしれませんけど、

安全対策に関しては、正直意識の甘さが感じられます。


さて、JR西日本には、皆さん、どういうイメージがあるでしょうか?

私はJR西日本は正直、好きではありません。

と言っても、私が嫌いなのは、経営体質の話で、

現場などの一線で活躍されている、運転士さんや、車掌さんなど、
最前線の職員の方には好感が持てます。

よく、「ようつべ」で、撮影しているファンには、サービス精神を発揮していますし、
ミュージックホーンの依頼にも快諾している運転士さん達も多く、
そういう意味では、マナーのいいファンにはサービス精神が旺盛なようですね。

元々鉄道が好きな方が多くて、それで鉄道マンを目指しているんですから、
納得できます。

でも、企業体質にしては、どうしても、安全対策をおざなりにし、
利益追求やスピードアップに走り過ぎ、
そして、時には何をやりたいのか不可解なこともやる、
ある意味「迷」要素の大きい体質のイメージがあります。

しかし、そこには、JR西日本が抱える諸事情も多少は影響しているんですが、
次回は、そんなJR西日本の迷?な現実について、
そして、西日本が抱える諸事情について
思ったことを書いてみようと思います。

最後になりましたが、2005年4月25日、福知山線・尼崎脱線事故で、
お亡くなりになった方々、そのご遺族の方達には、心から深く御冥をお祈りします。

また、当時負傷された方々、
激突されたマンションから転居したかた、
何らかの被害を受けた方々には、心からお見舞い申し上げるとともに、
今なお後遺症や、PTSDに苦しんでおられる方達の、
1日も早い快復、あるいは、症状の軽減を願っています。

そして、もう2度とこんな悲惨な鉄道事故が起きない事を願います。
Posted at 2012/04/25 09:58:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道ネタ | 日記
2012年04月24日 イイね!

鉄道画像問題・その2♪・答え合わせ~(^^)

えっと、前回の画像問題の正解発表に行きたいと思います(^^)


では、

問題1:以下の画像はライト部分ですが、何系の車両のライト部分でしょう?

    1-2、1-3は、番台もどうぞ、ですが・・・

1-1



正解は、



ライト形状に特徴がありますので、お解り戴けた方も多かったと思います。

JR東海所属の、「(ワイドビュー)しなの」の、383系です。


続いて・・

1-2



正解は・・・



223系2000番台、または3000番台のヘッドライト部分、


1-3の



正解は・・・



223系6000番台、または、7000番台のヘッドライト部分です。


6000番台、7000番台の場合は、貫通扉の窓下に120キロ対応(221系性能)を
示す、オレンジのラインが入っているのが特徴です。

1-2の方は、うっかり、223系2500番台の、紀州路関空快速と
間違えそうになりますが、2000,3000番台の、東海道仕様を示す、
コーポレートカラーのブルーのストライプが、ライト上部に映っていますので、
2000番台、3000番台が正解です。


では、次の問題です。

問題2:以下の車内は、何系の車両でしょうか? 



正解は・・・



223系0番台の車内です。

厳密にいうと、クハ222系0番台の、初期車の、モケットシート交換車になります。

一番の目印は、トイレの大きさと、トイレの反対側の、BOXシートでして、

阪和快速の223系0番台、東海道仕様の223系1000番台はともにトイレが
同じ和式タイプで、反対側に座席があります。

トイレは223系の場合、大阪駅に入線時、西寄りのクハにしか設置されていませんので、
トイレのある車両はクハになります。

で、車内の色が関空快速のイメージカラーのブルーになっているので、
この画像の場合は、関空快速の223系0番台の車内である事が解ります。

シートは、225系5000番台と同じモケット仕様で、
東海道仕様の1000番、2000番台の一部も、225系0番と同じ色のブラウンの
モケットシートに交換されたものがあります。

なお、2500番台や、2000番台以降の車両は、
トイレがバリアフリー対応の、大型の洋式トイレになっており、
反対側にあったシートは車いすスペースの為に撤去されています。

最近は0番台の一部が、2500番台と同じバリアフリー工事を行い、
トイレも2500番と同じ大型の洋式タイプに改造されています。

余談ですが、問題画像の車両は、クハ222-8号車でした。



では、次の問題3ですが、以下の画像は、何線の何駅でしょうか?



ヒントとして、周囲は、こんな感じです。







正解は・・・「アサヒビール駅」!!

ではなくて(笑)、

JR京都線、「吹田駅」が正解です。

目印は、アサヒビールのロゴで、ここには、吹田工場があって、
毎年夏に行われる、吹田市民祭りでは、工場が一般公開され、
今は解りませんが、以前はビールやジュースが飲み放題と言う、イベントがありました。

で、御存知の通り、吹田機関区もあり、今は工事が行われていますが、
吹田貨物駅もあります。

本線とは別に貨物線が4本もありますね。

電気機関車がいろいろ通るのでヒント画像にこの日撮影したものを揚げてみました。

以前ここでも書きましたが、親父の実家がこの駅のすぐ近くで、
小さいころは亡き祖父と一緒に、線路沿いの道路から、
目の前を走るたくさんの列車や機関車など、見に行きました。

目の前が大阪方面への外側線で、目の前を特急やら
回送車が次々通過していくのが迫力ものでした。

画像の駅は、東海道線の上りホームから撮影したもので、
停車している207系は3番乗り場で、恐らく種別幕の
ラインの色から、神戸方面から来た、京都線の高槻行か、京都行と思います。

1,2は、大阪方面、3,4番ホームは京都方面で、
1,4番ホームは、特急や回送、新快速などが通過する、「列車線(外側線)」、
2,3番ホームは、普通、快速の通る、「電車線(内側線)」です。

私が小さいころは、普通電車が103系全盛で、吹田止まりの列車もありました。

また、新快速は153系と、117系の頃で、この頃は快速と同じ
内側線を通っていたのを覚えています。

機関区もあり、貨物列車も多く停まっていて、
この頃はコンテナ車に混じって、2軸車もまだ全盛でした。

機関車もDD51、EF66が多く、コンテナ車は、EF66が引っ張っていました。

今は道路と敷地内の柵が波板で遮断されていて、道路からは見えにくかったです。

駅周辺の風景もすっかり変わってしまいっていました。

答えの中には、列車番号、行先まで書いてくださった方もいました。

ただ、機関車の向きが東京方面なので、一度調べておきます。

では、最後の問題です。


問題4:次の車両の形式はなんでしょうか? 正確な形式番号(例:サハ○○系-●●番台等)を
     お願いします、ですが、



正解は・・・・



網干所属の、223系6000番台の、クモハ223系7000番台が正解です。

見事、正解された方がいました。


先ほども出ましたが、223系6000番台は、最高速度を120キロに改造したもので、
221系との併結運転が可能になっています。

最高速度130キロの2000番台をベースにしているため、
間違いを防ぐため、正面貫通扉の窓下、乗務員室ドアの下に
オレンジのラインが入っているのが特徴です。

2000番台ベースなので、区別するために4000番を足して6000番台としています。

223系6000番台の詳しい説明はコチラを見て頂くとして、
問題の画像の説明に入ります。

223系6000番台には、兵庫県の網干総合車両所所属のものと、
大阪の宮原総合運転所所属の2種類がありますが、

見た目に同じようで、使用目的、機器性能などが大きく異なっています。

網干所属の223系6000番台は、2000番台の初期車を改造しており、
宮原所属の6000番台は、5次、6次車が改造されています。

223系2000番台は、電動車は1両に4個のモーターを搭載するのが基本ですが、
実際には、モーターを1個減らして、1両のみ3個搭載としても問題なかったため、
初期車には、一部の中間車のモハ222系と、
京都、敦賀寄りの運転台付電動車、クモハ223系全車は3基モーター車となっており、
普通の4基モーター車の2000番台と区別するために1000を足した
3000番台として区分しています。

網干所属の6000番は、この初期車ベースなので、番台番号に120キロ性能の区分番号
4000を足して、6000番台、

3基モーター車の一部中間電動車、クモハ223系全車は7000番台として
区別されています。

一方、大阪の宮原所属車は、改良されてきた5次車、6次車をベースにしており、
3基モーター車は初期車のみで廃止され、

電動車は全車4基モーター車となっているので、
番台番号もすべて6000番台で区分されています。

網干車と、宮原車は機器性能が大きく違いますが、便宜上
同じ120キロ性能に改造されているので、6000番になっています。
221系との併結も可能なのは、どちらも同じです。

網干車は、京阪神の普通、快速用、
宮原車は、当初、おおさか東線で使用されていましたが、
今は撤退して、福知山、丹波路快速用として使用されています。

詳細はコチラを見て頂くとして、画像を見て頂きましょう。

オレンジラインがあるので、6000番台なのは解ります。

ただ、種別幕を見て頂くと、姫路方面を走る関係でブルーのラインの入った快速で、
行先も「網干」になっています。

また、ライトを見て頂くと解りますが、赤い尾灯が光っていますね。

つまり、この車両は最後尾車両になり、神戸、姫路方面・網干行の快速という事から、
網干所属の223系6000番台の編成で、
網干に向かって最後尾になっている車両→この車両はクモハ223系という事が解り、
網干所属の223系6000番台のクモハ223、つまり、
クモハ223系7000番台であることが解ります。

この画像は大阪駅で撮影し、この223系6000番台の前には、
221系が連結されていました。

他に、宮原車と網干車の223系6000番台の大きな違いとして、
電動車のパンタグラフが、網干車は1基、
宮原車は2基の、ダブル・パンタになっています。

以上で答え合わせはおしまいです。

次回は・・・気が向いたらやります(^^)




Posted at 2012/04/24 16:04:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鉄道ネタ | 趣味
2012年04月19日 イイね!

鉄道画像問題・その2♪

今回、鉄道画像問題・第2弾を考えてみました。

前回はかなり難しかったので、今回はかなり簡単にしてみました。

では、出発進行!!

問題1:以下の画像はライト部分ですが、何系の車両のライト部分でしょう?

    1-2、1-3は、番台もどうぞ。

1-1




1-2




1-3





問題2:以下の車内は、何系の車両でしょうか? 




問題3:以下の画像は、何線の何駅でしょうか?



ヒントとして、周囲は、こんな感じです。








問題4:次の車両の形式はなんでしょうか? 正確な形式番号(例:サハ○○系-●●番台等)を
     お願いします。



これも、画像をよく見ると、判別要素が結構あるので、そう難しくないと思います。


では!
Posted at 2012/04/19 16:35:05 | コメント(8) | トラックバック(0) | 鉄道ネタ | 趣味
2012年04月13日 イイね!

「新快速」の足跡その5~時速130キロ通勤の時代へ・・JR西日本223系~

「新快速」の足跡その5~時速130キロ通勤の時代へ・・JR西日本223系~今回は、いよいよ、時速130キロの
通勤快速誕生、223系のお話です。









先の221系の所でも書きましたが、1995年の1月に発生した、
阪神・淡路大震災の関係で、並行私鉄よりもいち早く4月には復旧したJR西日本は、
その私鉄の利用客のカバーもすべく、各地の予備車もフル動員して、
輸送強化に努めました。

6月には阪急や阪神、山陽などの主要路線が復旧し、
徐々に落ち着きを取り戻しますが、
JR西日本は、この年の秋に、4月の輸送力増強ダイヤを殆ど
継承した形で、ダイヤ改正を計画していましたが、
そうなると、予備車を元に戻してしまうと、必然的に車両不足が必至となり、
新型車両の投入が必要になりました。

そこで、1994年、関空開港に合わせて登場していた、
223系0番台・関空快速をベースに、京阪神地区用に改良された、
223系1000番台が次期新快速、快速用車両として開発、製造されました。




●上:223系0番台・紀州路関空快速車
  中:223系1000番台・新快速・快速車
 下:223系1000番台側面(画像はシート更新車)

ベースは223系0番台で、VVVFインバーター搭載、外観こそ似ていますが、
細かい部分を見ると、かなり違いがあります。

まぁ、詳細はウィキペさんにリンクしてあるので、そちらを見て頂くとして、
一番の違いは、1000番台は京阪神を結ぶ新快速が前提なので、
関空快速の2:1の座席配列に対して、2:2の4人掛け転換クロスを装着、
ドア間の座席数も関空快速の6列に対して出入り口付近のスペースを稼ぐため
5列に減っていますが、その代わり、ドアそばの固定シート背面には補助席を設け、
221系並みの座席数を確保しています。

車体側面にはビートが入り、ヘッドライトも、フォグライトを備えた角型4灯式になっていますが、
将来の高速運転に備え、時速130キロ運転に対応しているのが
関空快速用と大きく違う部分です。

4両編成、8両編成が各4編成ずつ製造され、95年8月に完成、9月のダイヤ改正で
新快速運転に投入されますが、もっぱら、朝、夕の時間帯がメインで、
その時も車両不足から、221系との併結運転も行われていました。

翌年96年のダイヤ改正では、湖西線の新快速の終・始発が近江舞子から、
近江今津まで延長され、1986年以来取りやめられていた湖西線内の快速運転が復活、
山科、西大津、比叡山坂本、堅田に停車、近江舞子から先は各駅停車になり、
比良、志賀は通過になりました。

1997年のダイヤ改正では、大きな目玉が用意されていました。

学研都市線(旧:片町線)の終始発・京橋駅と、尼崎駅が大阪都心部地下で直通する、
東西線が開通ます。

これまで、学研都市線沿線の利用客が神戸方面に出るには、
一度大阪駅を経由しないといけなかったのが、一気に尼崎まで直通できるおかげで、
乗換えの手間もなくなり、さらに、新快速や福知山線とも接続しているので、
乗換えもスムーズになるというポイントが大きかったようです。

また、東西線の開通で、もはや飽和状態になっていた、大阪~尼崎間の旅客輸送に
余裕ができ、増発が難しかった、大阪~宝塚・福知山線方面の列車の増発も
可能になったのは大きなメリットでした。

同時に、新快速が、高槻、尼崎に終日停車になったのも大きな特徴でした。

高槻は、土日祝、平日のデイタイムは停車していましたが、
尼崎には快速すら停まらなかったのが、一気に快速、新快速が停車するという
稀に見る改正だったそうです。

新快速は尼崎で福知山方面への快速などと接続をすることで、
利便性が増大し、東西線の開通した尼崎駅は、アーバンネットワークの、
大きなアピールポイントになったようです。

223系1000番台も、更に合計92両まで増備が進み、デイタイムも
30分ヘッドで223系が新快速に充当されるようになったそうで、
これにより新快速運用から外れた221系はそのまま、快速へ転用、
結果日中の快速もオール221系になり、格段にグレードアップ化されます。

この様に223系や221系のJR形式の車両に混じって、
1日1往復ですが、早朝の新快速には117系の6両×2の12両編成も健在でした。
走る時間帯に速度が求められない事が幸いしていたようです。

この1997年のダイヤ改正では阪急や京阪もJRに合わせて改正を行い、
阪急は全列車高槻市に停車して、特急のタイムダウンを覚悟しても、
自社利用客の死守を図ります。

結果、急行から特急に移行した阪急の利用客の為に、
もはや2ドア車の特急では対応しきれなくなったため、3ドアのセミクロス・9000系も
投入されることになったそうです。

また、9月には京都駅ビルが開業、JRには直接影響はなかったものの、
京阪は利用客獲得の為に、特急にダブルデッカー車を投入するなど、
サービス面でのグレードアップを図っています。

話が前後しますが、97年2月には、阪神・梅田~山陽・姫路間の直通特急も登場、
停車駅の多さから、約1時間半もかかるものでしたが、JRが通らない高砂市、
姫路市・飾磨沿線の利用客が確保され、それなりの効果はあったようです。

一方、日中の約半数が223系化された新快速ですが、
早朝時間帯の新快速の223系化、時速130キロ運転は利用客からも
多く望まれる事になりました。

その結果、98年下期から223系の製造が再び再開されることになりましたが、
新快速運用だけでなく、関空・紀州路快速の増強、113系の老朽化による置き換えも
同時に迫っていたため、短期間で車両を増備する必要があったようです。

そこで、223系1000番台をベースに、仕様を見直し、製造されたのが、
223系2000番台でした。


●223系2000番台

1000番台のスペックを維持し、大量生産、コストミニマムが前提の223系2000番台は、
近畿車両、川崎重工で製造されましたが、
生産コスト削減の為、1000番台から可能な限り不要な設備の撤去、または変更を行い、
車体の製造技法も、JR東日本の209系と同様、ある程度製造会社独自の技法が認められ、
223系2000番台の車体は近畿車両のコルゲート法、
川崎重工のツーシート法で外観には微妙に製造技法の違いがみられます。

1000番台にあった、車体側面のビードが無くなっており、
ヘッドライトも尾灯が内蔵されたユニットに変更。

1000番台にあったドアの戸袋も廃止され、窓も一部が、上部のみ内側に折れ込んだり
できる窓を一部設置以外はすべて固定式の1枚窓になっています。

列車種別番号表示機も、1000番台のデジタル表示から、
2000番台以降は、マグサイン式に変更されています。

運転台もユニット化され、両車端部正面は将来、
JR西日本のお家芸?ともいえる魔改造・・ゲフン、ゲフン、
中間車→先頭車化、先頭車→中間車化改造が簡単に出来るよう、
車端部正面部分のみ、別パーツで車体にボルト締めするなどの方法が採られています。
また、将来の転用を見越して、床面高さが1m30cm位まで下げられています。

トイレはバリアフリー化され、1000番台の和式から大きな室内空間の洋式に変更、
トイレ向かいのシートは撤去されてこちらもバリアフリー化されています。

2000番台は、電動車にモーターが4基搭載されるのが基本ですが、
初期車の一部のモハ222系と、クモハ223系全車には3基搭載車も用意され、
こちらは3000番台で区分されています。

なお、関空快速用の223系2500番台も、大量生産、コストミニマムが求められ、
2000番台と同時期に製造されたもので、座席配列や、走行性能等を除けば、
基本的には2000番台と同じ車体を持っています。

1999年の1月に2000番台の第1編成が完成、3月29日から新快速運用に入り
同年5月に、ある程度2000番台の増備が完了すると、京阪神、関空快速、阪和快速を
メインにしたダイヤ改正が行われ、
日中の新快速はほぼ223系1000番台、2000番台が充当されました。

同時に、朝のラッシュ時に223系で運転される新快速は草津~西明石間で
時速130キロ運転も開始されたそうですが、実際には日中の120キロ運転時よりも
さほど変わらなかったようです。

これは時間帯で列車が多くて、実際に130キロも出せる区間がまだ少なかったからだそうです。

また、この5月の改正で早朝1本残っていた、12両編成の117系が新快速の運用を離脱し、
1980年からの長きにわたる新快速運転を終了しました。

この間も223系2000番台の増備が進み、2000年4月のダイヤ改正では
遂に新快速が全車223系になり、
同時に米原~姫路間で終日時速130キロ運転が開始され、
新快速にとっても、JRにとっても、大きなダイヤ改正になりました。

この頃、在来線で時速130キロ運転をしていたのは、
1989年に、「スーパーひたち」が130キロ運転を開始して、
JR各社の特急がそれ以来行っていたものの、
通勤車である新快速が、時速130キロで終日運転を行うのは
当時でも日本初のことで、
この結果、所用時間は大阪~姫路間を約57分で、大阪~京都間は約27分、
米原~姫路間は約2時間16分という驚異的な時間で、
殆どの区間を130キロで運転をしていることになります。

この結果、153系時代から、京都駅で伝統になっていた、毎時0、15、30、45分発と言う
新快速のラウンドナンバーは発展的解消を遂げることになりました。

こうなると、もう並行私鉄の阪急や京阪はスピードで太刀打ちできなくなり、
今までの競争から抜本的な見直しを迫られることになりました。

いくらJRよりも安い運賃でも、
京阪神を直通する新快速の利用客の奪還には至らず、
京阪は特急の停車駅を見直して、沿線住民の利用客確保に走り、
阪急は、特急の停車駅増加に伴うスピードダウンにより、
特急や急行の増便を決行し、結果車両不足でロングシート車までも特急に
使用する始末になり、利用客には不評を買う事になります。

一方、2000年のダイヤ改正で、時速130キロ運転の新快速の完成を見たJRは、
以降も、アーバンネットワーク内で改正を行うものの、
新快速に関してさほど大きな改正は行っていませんが、

2002年3月には、草津始終着の新快速を野洲まで延長、
2003年秋には、芦屋駅に新快速終日停車、
2007年には、姫路止まりの新快速のうち、
1時間に1本は播州赤穂まで始終着延長などの改正を行います。

大阪から約100キロも離れた播州赤穂、長浜、近江今津などの観光都市へ、
新快速が最低、1時間1本は確保される形になります。

本当なら、L特急がやってもおかしくないこのような高速ダイヤを
特急料金なしの新快速が実現したおかげで、青春18きっぷの利用期間中は、
その切符を利用する中年層の利用客で新快速が満席状態になったこともあったそうです。

2000年3月に、223系2000番台の製造は一度完了していますが、
2003年に2000番台の2次車の製造が再開されます。
これは、国鉄113系の置き換えや、快速投入が目的だったそうです。

余談ですが、この2000番台の増備は、
最終的に2008年7月の7次車までが製造されており、
(6次車は、福知山快速や、221系との併結を見込んだ120キロ対応に
 6000番台に改造されたグループ)、
223系の車両では大多数の割合を占めているそうです。

このように時間短縮、速達輸送に必死になっていたJR西日本ですが、
しかし、そのつけを払わされるというべき、最悪の出来事が起きてしまいます。

2007年4月25日、死者約100名、重軽傷者約420名という、
JR化後、日本でも最悪の鉄道事故と言われた、福知山・宝塚線・尼崎脱線事故でした。

この事故の事は私もいろいろ思う事はありますが、また別の機会にするとして、
JR西日本は、過密ダイヤ、運転士に過度にストレスや緊張を強いるダイヤ、勤務体制、
安全対策などが指摘されることになり、
福知山線に未設置だったATS-Pの設置等で復旧は6月になります。

この事故後初のダイヤ改正になる2006年3月のダイヤ改正では、
運転士に不要な緊張とストレスを強いての事故防止等を見込んで、
各列車とも、最高速度は変えないものの、乗降時の遅延などで生じる
2分前後のタイムロスを修正できるゆとりを持たせたダイヤに変更され、

常に遅延が慢性化していた新快速も、
この改正で時速130キロ運転は維持するも、遅延の調整が可能なゆとりダイヤが設定され、
221系時代の新快速に近い水準までもどされたそうですが、
利用客からは、乗降にあわてなくて済むという事で、
この改正は好評だったそうです。

また、京都駅の、新快速のラウンドナンバーも、
このダイヤ改正で再び復活を果たしていました。

このような出来事もありましたが、2006年9月、記念すべき出来事が起きます。

湖西線・永原~近江塩津間、北陸本線長浜~敦賀間の、直流電化工事が完了、
これにより、京阪神から、敦賀まで東海道米原経由、湖西線経由、
どちらでも直通運転が可能になったおかげで、新快速の敦賀始終着が実現します。

2006年10月のダイヤ改正で、これまで1時間2本設定されていた
米原経由の長浜始終着のうちの1本が近江塩津に延長、
湖西線経由の近江今津始終着が、そのまま敦賀まで延長される形になり、

1時間1本は長浜・近江今津~近江塩津間、
近江塩津~敦賀間の新快速が確保され、
西の上郡、播州赤穂~北の敦賀までの、新快速ネットワークが完成。

下り列車には1本だけですが、米原経由で、敦賀から播州赤穂までの約275キロを
走破する、新快速も登場することになります。

ただ、この区間で速達運転をするのは、米原経由が姫路~米原間、
湖西線経由が姫路~近江舞子間だけで、それ以外は各駅停車になっています。

また、沿線住民の利用状況から、長浜・近江今津~敦賀間は、4両編成とされました。

JR東海でも、一部の313系の快速か、新快速が、時速130キロ運転を実施しているようですが、
終日、長距離を時速130キロの爆走運転を実施し、
上郡・播州赤穂~京阪神~敦賀という、長距離を走り、
その上、特急料金なしで、特急並みの転換クロスシートによる快適な通勤が約束された
JR西日本の「新快速」は、今現在、JRではもちろん、全国の鉄道においても、
大変珍しい通勤車と言えるに違いありません。

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しかし、この「新快速」、まだまだ次のステップへ進んでいきます。
Posted at 2012/04/13 09:37:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄道ネタ | 趣味
2012年04月11日 イイね!

蒸気機関車

蒸気機関車ここ最近、火曜日も出勤だったんですが、
やっと、元のシフト勤務に戻ったので、気が少し楽になりました。






さて、今朝早朝、NHK大阪総合の、放送休止中のフィラーというか、
間つなぎと言うか、映像集を流していたのを見ていたんですが、
今回は、蒸気機関車(SL)のある風景を、
昭和35年代~昭和47年代の間の全国のSLが走っている映像を流していました。


●大阪市・交通科学館に静体保存されている、C62‐26号機です。


たまに、こんな映像を流していますが、
今回は、関西本線、北陸本線、山陽本線、呉線、伯備線、山陰本線などの
SLが活躍していた時代の風景を流していたので、興味深く見ていました。

わたしが生まれても、しばらく走っていたようですが、
実際にナマで、SLが走っているのを見たことは一度も見たことはありませんでした。

私が好きな、「デゴイチ」事、D51C62や、C57C59D52等、
いろいろな機関車が、貨車や、客車を牽引している様子が、
いっぱい放映されていました。

関西本線でもSLが走っているシーン、カラー映像なんで、
本当に最近までSLは現役で走っていたんだなぁ、と、
感慨深い物がありました。

ある1シーンでは、SLが最後の化粧直し、と銘打って、
SLが客車を牽引し終わった後なのか、
引き込み線にゆっくり戻っているときに、その横を、キハ82系ディーゼル特急が
凄いスピードで通過していくシーンは、時代の流れを感じました。

もっとも、架線も映っていたんで、もう電車も普通に走っていたんだと思いますが・・

エネルギー資源や、大気汚染などの公害や、環境問題が厳しく言われるようになった時代に、
石炭バカ食い、大気汚染に火を注ぐような存在のSLでしたら、
消えゆくのは致し方ない部分はありますね。

また、山陽本線の、「瀬野八越え」のシーンでは、SLが牽引している客車を、
峠越えの前に、停車駅で補完機として待機していたD52が客車の最後尾に連結されて、
サンドイッチで瀬野八越えをした後、
走行中の状態で補完機のD52が切り離されるシーンは、
今ではまず考えられないなぁ、と思いました。

また、単線区間では、SLを、貨車や客車の最後尾に連結、
牽引して、逆走?しているようなシーンも放映されていました。

SLは、この時逆走状態なので、
機関士さんか、助手の人が後方を見ているシーンも映っていました。

どうりで、石炭車にも、ヘッドライトや、尾灯、形式プレートが装着されていたんですね。

客車時代の急行「安芸」や、「かもめ」なども映っていましたし、
今とは違う、なにか風情のあるのんびりした風景が新鮮でした。

余部鉄橋をわたるSLのシーンでは、
SLが通過する、すぐそばの線路脇で、
普通に人が橋から景色を眺めているのが映っていました。

当時は、橋を人も歩けたんですね。


私は、D51が好きでした。

トップの画像は、大阪環状線・弁天町駅にある、交通科学館に静体保存されている、
D51の初期車、2号機、通称ナメクジ型ですが、

私は、煙突後ろの、給水温めタンクが、線路と平行になってる、
初期車のナメクジ型よりも、
タンクが枕木と平行(車体とは垂直)に設置された、標準型が、お気に入りでした。

今でも、あちこちでSLは走っていますが、
山口で走っている、C571号機の牽引する、「やまぐち号」は、
日本でも唯一定期運用される列車なんでしたっけ・・?
今や高速車両の多い中で、昔の風情を残しているSLは、
今後も可能な限り走り続けてほしいですね。
Posted at 2012/04/11 21:39:30 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鉄道ネタ | 趣味

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何シテル?   05/08 08:36
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