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2012年04月13日

「新快速」の足跡その5~時速130キロ通勤の時代へ・・JR西日本223系~

「新快速」の足跡その5~時速130キロ通勤の時代へ・・JR西日本223系~ 今回は、いよいよ、時速130キロの
通勤快速誕生、223系のお話です。









先の221系の所でも書きましたが、1995年の1月に発生した、
阪神・淡路大震災の関係で、並行私鉄よりもいち早く4月には復旧したJR西日本は、
その私鉄の利用客のカバーもすべく、各地の予備車もフル動員して、
輸送強化に努めました。

6月には阪急や阪神、山陽などの主要路線が復旧し、
徐々に落ち着きを取り戻しますが、
JR西日本は、この年の秋に、4月の輸送力増強ダイヤを殆ど
継承した形で、ダイヤ改正を計画していましたが、
そうなると、予備車を元に戻してしまうと、必然的に車両不足が必至となり、
新型車両の投入が必要になりました。

そこで、1994年、関空開港に合わせて登場していた、
223系0番台・関空快速をベースに、京阪神地区用に改良された、
223系1000番台が次期新快速、快速用車両として開発、製造されました。




●上:223系0番台・紀州路関空快速車
  中:223系1000番台・新快速・快速車
 下:223系1000番台側面(画像はシート更新車)

ベースは223系0番台で、VVVFインバーター搭載、外観こそ似ていますが、
細かい部分を見ると、かなり違いがあります。

まぁ、詳細はウィキペさんにリンクしてあるので、そちらを見て頂くとして、
一番の違いは、1000番台は京阪神を結ぶ新快速が前提なので、
関空快速の2:1の座席配列に対して、2:2の4人掛け転換クロスを装着、
ドア間の座席数も関空快速の6列に対して出入り口付近のスペースを稼ぐため
5列に減っていますが、その代わり、ドアそばの固定シート背面には補助席を設け、
221系並みの座席数を確保しています。

車体側面にはビートが入り、ヘッドライトも、フォグライトを備えた角型4灯式になっていますが、
将来の高速運転に備え、時速130キロ運転に対応しているのが
関空快速用と大きく違う部分です。

4両編成、8両編成が各4編成ずつ製造され、95年8月に完成、9月のダイヤ改正で
新快速運転に投入されますが、もっぱら、朝、夕の時間帯がメインで、
その時も車両不足から、221系との併結運転も行われていました。

翌年96年のダイヤ改正では、湖西線の新快速の終・始発が近江舞子から、
近江今津まで延長され、1986年以来取りやめられていた湖西線内の快速運転が復活、
山科、西大津、比叡山坂本、堅田に停車、近江舞子から先は各駅停車になり、
比良、志賀は通過になりました。

1997年のダイヤ改正では、大きな目玉が用意されていました。

学研都市線(旧:片町線)の終始発・京橋駅と、尼崎駅が大阪都心部地下で直通する、
東西線が開通ます。

これまで、学研都市線沿線の利用客が神戸方面に出るには、
一度大阪駅を経由しないといけなかったのが、一気に尼崎まで直通できるおかげで、
乗換えの手間もなくなり、さらに、新快速や福知山線とも接続しているので、
乗換えもスムーズになるというポイントが大きかったようです。

また、東西線の開通で、もはや飽和状態になっていた、大阪~尼崎間の旅客輸送に
余裕ができ、増発が難しかった、大阪~宝塚・福知山線方面の列車の増発も
可能になったのは大きなメリットでした。

同時に、新快速が、高槻、尼崎に終日停車になったのも大きな特徴でした。

高槻は、土日祝、平日のデイタイムは停車していましたが、
尼崎には快速すら停まらなかったのが、一気に快速、新快速が停車するという
稀に見る改正だったそうです。

新快速は尼崎で福知山方面への快速などと接続をすることで、
利便性が増大し、東西線の開通した尼崎駅は、アーバンネットワークの、
大きなアピールポイントになったようです。

223系1000番台も、更に合計92両まで増備が進み、デイタイムも
30分ヘッドで223系が新快速に充当されるようになったそうで、
これにより新快速運用から外れた221系はそのまま、快速へ転用、
結果日中の快速もオール221系になり、格段にグレードアップ化されます。

この様に223系や221系のJR形式の車両に混じって、
1日1往復ですが、早朝の新快速には117系の6両×2の12両編成も健在でした。
走る時間帯に速度が求められない事が幸いしていたようです。

この1997年のダイヤ改正では阪急や京阪もJRに合わせて改正を行い、
阪急は全列車高槻市に停車して、特急のタイムダウンを覚悟しても、
自社利用客の死守を図ります。

結果、急行から特急に移行した阪急の利用客の為に、
もはや2ドア車の特急では対応しきれなくなったため、3ドアのセミクロス・9000系も
投入されることになったそうです。

また、9月には京都駅ビルが開業、JRには直接影響はなかったものの、
京阪は利用客獲得の為に、特急にダブルデッカー車を投入するなど、
サービス面でのグレードアップを図っています。

話が前後しますが、97年2月には、阪神・梅田~山陽・姫路間の直通特急も登場、
停車駅の多さから、約1時間半もかかるものでしたが、JRが通らない高砂市、
姫路市・飾磨沿線の利用客が確保され、それなりの効果はあったようです。

一方、日中の約半数が223系化された新快速ですが、
早朝時間帯の新快速の223系化、時速130キロ運転は利用客からも
多く望まれる事になりました。

その結果、98年下期から223系の製造が再び再開されることになりましたが、
新快速運用だけでなく、関空・紀州路快速の増強、113系の老朽化による置き換えも
同時に迫っていたため、短期間で車両を増備する必要があったようです。

そこで、223系1000番台をベースに、仕様を見直し、製造されたのが、
223系2000番台でした。


●223系2000番台

1000番台のスペックを維持し、大量生産、コストミニマムが前提の223系2000番台は、
近畿車両、川崎重工で製造されましたが、
生産コスト削減の為、1000番台から可能な限り不要な設備の撤去、または変更を行い、
車体の製造技法も、JR東日本の209系と同様、ある程度製造会社独自の技法が認められ、
223系2000番台の車体は近畿車両のコルゲート法、
川崎重工のツーシート法で外観には微妙に製造技法の違いがみられます。

1000番台にあった、車体側面のビードが無くなっており、
ヘッドライトも尾灯が内蔵されたユニットに変更。

1000番台にあったドアの戸袋も廃止され、窓も一部が、上部のみ内側に折れ込んだり
できる窓を一部設置以外はすべて固定式の1枚窓になっています。

列車種別番号表示機も、1000番台のデジタル表示から、
2000番台以降は、マグサイン式に変更されています。

運転台もユニット化され、両車端部正面は将来、
JR西日本のお家芸?ともいえる魔改造・・ゲフン、ゲフン、
中間車→先頭車化、先頭車→中間車化改造が簡単に出来るよう、
車端部正面部分のみ、別パーツで車体にボルト締めするなどの方法が採られています。
また、将来の転用を見越して、床面高さが1m30cm位まで下げられています。

トイレはバリアフリー化され、1000番台の和式から大きな室内空間の洋式に変更、
トイレ向かいのシートは撤去されてこちらもバリアフリー化されています。

2000番台は、電動車にモーターが4基搭載されるのが基本ですが、
初期車の一部のモハ222系と、クモハ223系全車には3基搭載車も用意され、
こちらは3000番台で区分されています。

なお、関空快速用の223系2500番台も、大量生産、コストミニマムが求められ、
2000番台と同時期に製造されたもので、座席配列や、走行性能等を除けば、
基本的には2000番台と同じ車体を持っています。

1999年の1月に2000番台の第1編成が完成、3月29日から新快速運用に入り
同年5月に、ある程度2000番台の増備が完了すると、京阪神、関空快速、阪和快速を
メインにしたダイヤ改正が行われ、
日中の新快速はほぼ223系1000番台、2000番台が充当されました。

同時に、朝のラッシュ時に223系で運転される新快速は草津~西明石間で
時速130キロ運転も開始されたそうですが、実際には日中の120キロ運転時よりも
さほど変わらなかったようです。

これは時間帯で列車が多くて、実際に130キロも出せる区間がまだ少なかったからだそうです。

また、この5月の改正で早朝1本残っていた、12両編成の117系が新快速の運用を離脱し、
1980年からの長きにわたる新快速運転を終了しました。

この間も223系2000番台の増備が進み、2000年4月のダイヤ改正では
遂に新快速が全車223系になり、
同時に米原~姫路間で終日時速130キロ運転が開始され、
新快速にとっても、JRにとっても、大きなダイヤ改正になりました。

この頃、在来線で時速130キロ運転をしていたのは、
1989年に、「スーパーひたち」が130キロ運転を開始して、
JR各社の特急がそれ以来行っていたものの、
通勤車である新快速が、時速130キロで終日運転を行うのは
当時でも日本初のことで、
この結果、所用時間は大阪~姫路間を約57分で、大阪~京都間は約27分、
米原~姫路間は約2時間16分という驚異的な時間で、
殆どの区間を130キロで運転をしていることになります。

この結果、153系時代から、京都駅で伝統になっていた、毎時0、15、30、45分発と言う
新快速のラウンドナンバーは発展的解消を遂げることになりました。

こうなると、もう並行私鉄の阪急や京阪はスピードで太刀打ちできなくなり、
今までの競争から抜本的な見直しを迫られることになりました。

いくらJRよりも安い運賃でも、
京阪神を直通する新快速の利用客の奪還には至らず、
京阪は特急の停車駅を見直して、沿線住民の利用客確保に走り、
阪急は、特急の停車駅増加に伴うスピードダウンにより、
特急や急行の増便を決行し、結果車両不足でロングシート車までも特急に
使用する始末になり、利用客には不評を買う事になります。

一方、2000年のダイヤ改正で、時速130キロ運転の新快速の完成を見たJRは、
以降も、アーバンネットワーク内で改正を行うものの、
新快速に関してさほど大きな改正は行っていませんが、

2002年3月には、草津始終着の新快速を野洲まで延長、
2003年秋には、芦屋駅に新快速終日停車、
2007年には、姫路止まりの新快速のうち、
1時間に1本は播州赤穂まで始終着延長などの改正を行います。

大阪から約100キロも離れた播州赤穂、長浜、近江今津などの観光都市へ、
新快速が最低、1時間1本は確保される形になります。

本当なら、L特急がやってもおかしくないこのような高速ダイヤを
特急料金なしの新快速が実現したおかげで、青春18きっぷの利用期間中は、
その切符を利用する中年層の利用客で新快速が満席状態になったこともあったそうです。

2000年3月に、223系2000番台の製造は一度完了していますが、
2003年に2000番台の2次車の製造が再開されます。
これは、国鉄113系の置き換えや、快速投入が目的だったそうです。

余談ですが、この2000番台の増備は、
最終的に2008年7月の7次車までが製造されており、
(6次車は、福知山快速や、221系との併結を見込んだ120キロ対応に
 6000番台に改造されたグループ)、
223系の車両では大多数の割合を占めているそうです。

このように時間短縮、速達輸送に必死になっていたJR西日本ですが、
しかし、そのつけを払わされるというべき、最悪の出来事が起きてしまいます。

2007年4月25日、死者約100名、重軽傷者約420名という、
JR化後、日本でも最悪の鉄道事故と言われた、福知山・宝塚線・尼崎脱線事故でした。

この事故の事は私もいろいろ思う事はありますが、また別の機会にするとして、
JR西日本は、過密ダイヤ、運転士に過度にストレスや緊張を強いるダイヤ、勤務体制、
安全対策などが指摘されることになり、
福知山線に未設置だったATS-Pの設置等で復旧は6月になります。

この事故後初のダイヤ改正になる2006年3月のダイヤ改正では、
運転士に不要な緊張とストレスを強いての事故防止等を見込んで、
各列車とも、最高速度は変えないものの、乗降時の遅延などで生じる
2分前後のタイムロスを修正できるゆとりを持たせたダイヤに変更され、

常に遅延が慢性化していた新快速も、
この改正で時速130キロ運転は維持するも、遅延の調整が可能なゆとりダイヤが設定され、
221系時代の新快速に近い水準までもどされたそうですが、
利用客からは、乗降にあわてなくて済むという事で、
この改正は好評だったそうです。

また、京都駅の、新快速のラウンドナンバーも、
このダイヤ改正で再び復活を果たしていました。

このような出来事もありましたが、2006年9月、記念すべき出来事が起きます。

湖西線・永原~近江塩津間、北陸本線長浜~敦賀間の、直流電化工事が完了、
これにより、京阪神から、敦賀まで東海道米原経由、湖西線経由、
どちらでも直通運転が可能になったおかげで、新快速の敦賀始終着が実現します。

2006年10月のダイヤ改正で、これまで1時間2本設定されていた
米原経由の長浜始終着のうちの1本が近江塩津に延長、
湖西線経由の近江今津始終着が、そのまま敦賀まで延長される形になり、

1時間1本は長浜・近江今津~近江塩津間、
近江塩津~敦賀間の新快速が確保され、
西の上郡、播州赤穂~北の敦賀までの、新快速ネットワークが完成。

下り列車には1本だけですが、米原経由で、敦賀から播州赤穂までの約275キロを
走破する、新快速も登場することになります。

ただ、この区間で速達運転をするのは、米原経由が姫路~米原間、
湖西線経由が姫路~近江舞子間だけで、それ以外は各駅停車になっています。

また、沿線住民の利用状況から、長浜・近江今津~敦賀間は、4両編成とされました。

JR東海でも、一部の313系の快速か、新快速が、時速130キロ運転を実施しているようですが、
終日、長距離を時速130キロの爆走運転を実施し、
上郡・播州赤穂~京阪神~敦賀という、長距離を走り、
その上、特急料金なしで、特急並みの転換クロスシートによる快適な通勤が約束された
JR西日本の「新快速」は、今現在、JRではもちろん、全国の鉄道においても、
大変珍しい通勤車と言えるに違いありません。

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しかし、この「新快速」、まだまだ次のステップへ進んでいきます。
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Posted at 2012/04/13 09:37:06

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この記事へのコメント

2012年4月13日 21:31
一気に逆転を払ったツケは大きかったですねー。

まさか福知山線で120km/h出してるなんて、そんなことしなくても阪急の宝塚線は飛ばさないのに・・ネ
コメントへの返答
2012年4月14日 8:49
ども!

実は、ここまでスピードや時間短縮を
追求しすぎたのは、私鉄競合の前に、
一概には言えませんけど、
関西人特有の、せっかちさが
多少ならずとも影響していると思います。

福知山線は実際120キロ出しているかは
不明ですが、投入された6000番台は
性能自体、221系と併結する
223系6000番台と同じ120キロ対応車なんです。

ここにも、JRvs阪急の図式が・・・

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何シテル?   05/08 08:36
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