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キューブコロコロのブログ一覧

2020年02月25日 イイね!

最近のオートバイ

皆さん、こんにちは!

最近何かと平和ボケしている政治家達に呆れる日が続く今日この頃、
皆さん如何お過ごしでしょうか?

まぁ、自分の身は自分で守れ、という、教訓ですね。

さて、本日、所用で出かけて、国道を走っていたとき、
信号待ちで停車したときに、隣の右レーンに停車した1台のオートバイに
目が行きました。

そのバイクは、ホンダCBF125という、オートバイです。

最近は、125クラスのオートバイがかなり人気なようで、
何故こんなに人気なのかなぁ~と思う、頭の中がいまだに、
1980年代後半~90年代前半の、250や、400のレプリカ、
ネイキッド全盛期で
停止している私ですが、なかなかスタイリッシュなマシンです。

CBF125、エンジンに、ホンダご自慢の「PGM-F1」が
装備されているとか、高性能マシンになっていますね。

そういえば、スズキがGSX-R125というマシンを出していますが、
高性能なマシンが多いこと・・。

私の頃の125といえば・・

スタイルはオーソドックスで、エンジンも控えめな出力特性、
実用性を兼ね備えたオートバイが多かった気がします。



このオートバイ、スズキGS125Eというバイク、
結構長年製造されていたオートバイでして、

スタイルはカタナシリーズをイメージしていたといわれ、
「末っ子カタナ」なんて、言っていましたが、
エンジンも扱いやすく、乗りやすさから、
乗り手を選ばないというビギナー向けのマシンとしても
人気があったようです。

250㏄クラスも最近はもっぱら、単気筒、2気筒モデルが主流みたいで、
最近のホンダCBR250R、スズキGSX-R250は、
4気筒じゃないんですね(^^;)

CBR250Rは、ツインカムの単気筒、
GSX-R250に至っては、OHCの2気筒エンジン搭載という、
4気筒全盛期には考えられないユニットを搭載しています。

ただ、昔と違って、技術の進歩、エンジンのパーツ類が軽量化などが進み、
パワーも十分稼げるのと、経済性も考慮されているんだろうと思います。


●ホンダ初の250cc4気筒マシン、CBR250FOUR


●ヤマハ初の250cc4気筒マシン、FZ250フェーザー

思い起こせば約35年前、このマシンの出る約2~3年前、
スズキが既にGS250FWという、4気筒マシンを発表しており、
85年以降、250cc4気筒エンジン搭載車による競争が始まり、
レーサーレプリカ全盛期を迎えていくわけですが・・

CBR、GSX-Rというネームを聞くと、
どうしても4気筒エンジン車とイメージがいまだに抜けない、
オヤジの頭です(笑)
Posted at 2020/02/25 05:24:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 大好きなオートバイ達 | 日記
2016年09月12日 イイね!

前回の記事のライダーは・・

前回の記事のライダーは・・皆さん、こんにちは!

朝晩はかなり過ごしやすくなったものの、
昼間はまだ暑い今日この頃、
皆さん如何お過ごしでしょうか?





今回は前回の記事のWGP500に参戦したライダーの名前を答えを・・

まず・・




1983年に引退をした、「王様」の乗っていた、マルボロ・ヤマハYZR500(OW70)・83年型

はい、もう「王様」に愛称でピンとくる方も多いはず。

王様=キング。

このマシンのライダーは、ケニー・ロバーツです。
「キング・ケニー」とも言われたライダーですが、1983年、あるライダーにタイトルを
奪われ、この年を以ってWGPを引退しました。





1989年シーズン、ヤマハを引っ張っていた、
「バイクは公道で乗るものではない」という言葉を残したライダーの駆っていた、
ラッキーストライク・ヤマハYZR500(OW8A)

この名言は、有名ですね。
ライダーは、「ウェイン・レイニー」です。

彼の勝ちパターンは、先行逃げ切りという感じだったそうです。

ダンゴでバトルをするというのが殆どなかったそうで、
観客からすると、面白みに欠けるという事もあったようです。

当時のライバルは、スズキのケビン・シュワンツ。

シュワンツもまた、レイニーにバトルで勝つという事こそに価値があると
言っていたようでした。

レイニーは1990年~92年と、3年連続でタイトル獲得し、

93年も終盤でランキング2位にいたライバル、シュワンツとは差があり、
4連覇確実と言われていた矢先、第12戦のイタリアGPで、
ハイサイドを起こしたレイニーのマシンが転倒、
レイニー自身、第6頚椎損傷の重傷を負ってリタイア、
下半身不随になってもう2度とライダーとして活躍することが出来なくなってしまいました。




以前もアップしましたが、1989年のWGPに参戦した、
マルボロ・ヤマハYZR500(OW8A)。

ライダーは「王様」が引退を決意させたライダーで、押しがけがとても上手かったといわれ、
ヤマハとはイメージが合わない人でした。

このライダーは、「フレディ・スペンサー」です。

御存知の通り、スペンサーは、ホンダのワークス・ライダーとして有名で、
1983年、ホンダ・NS500で当時史上最年少でタイトルを獲得、
翌年は、彼自身も開発に携わり、彼の為に製作されたマシン、
ホンダNSR500がデビューしています。

押しがけがとてもうまく、スタートを切るのが上手かったといわれ、
某バイクアニメでは「押しがけ大将先輩」といわれていました(笑)

1984年は新型マシンのNSR500の不調に苦しみ、タイトルを逃すも、
1985年は500、250クラスにWエントリーして両クラスでタイトルを獲得。

翌86年も活躍が期待されましたが、開幕戦で右腕の故障を発症、リタイアして以降、
右腕故障が起因するリタイアなどが相次ぎ、戦線離脱をします。

87年は開幕戦で予選を数ラップ走っただけで右腕の故障が原因で決勝は出ず、
この後シリーズ中盤までレースに出ることはありませんでした。

88年はWGPにホンダから参戦予定も、開幕直前のテストで再び
右腕の不調が再発し、開幕直前にWGPを引退表明しました。

が、1年間、右腕の手術等の治療、リハビリを経て、
89年にWGP復帰を表明しました。

復帰先は、今までライバルとして戦ってきたヤマハ、「チーム・アゴスティーニ」の
マルボロ・ヤマハYZR500での参戦でしたが、
ブランクが響き、戦績も残せないまま、終盤にはチームを離脱しています。




こちらも以前アップした、1989年のWGP参戦マシンにして、チャンピォン・マシンの
ロスマンズ・ホンダNSR500・89年型です。

こちらのライダーもホンダとはイメージの合わないライダーで、
当時は話題になりました。

上のマルボロ・ヤマハYZR500(OW8A)のライダーとは昔から
ライバルとして有名で、タイトル争いを繰り広げていました。

このライダーは、「エディ・ローソン」です。

彼はアメリカ出身のライダーで、
AMAスーパーバイクシリーズにカワサキのKZ1000で参戦、
1981年、82年と2年連続でタイトルを獲得、それを記念して、
ライムグリーをまとった、Z1000R・ローソン・レプリカが市販されました。

1983年にWGP500に、チーム・アゴスティーニから、
マルボロ・ヤマハYZR500(OW70)で、ケニー・ロバーツの相棒という形で参戦開始。

当時、同じくホンダのワークスライダーとして活躍していた
フレディ・スペンサーとはAMA時代から同じアメリカの同郷ライダーの
ライバルとして有名でした。

参戦2年目にして、チャンピォンに輝くと、86年、88年と3度のタイトルをヤマハで獲得すると、
翌年の89年はそれまでライバルだった、ホンダに電撃移籍、大きな話題をさらいました。

詳細はまた今度にするとして、初のホンダのマシンに結果が出せず、
序盤はレイニーのヤマハYZR500に先行される形になりましたが、

徐々に結果を出し始めると、ポイント差でレイニーを追い上げ、
シュワンツ、レイニー、ローソンのタイトル争いとなり、

終盤でローソンがレイニーを逆転し、そのまま逃げ切り、ローソンにとってホンダ車では初、
自身は2年連続、4度目のWGPタイトルを獲得しています。

ローソンのホンダのマシンでの参戦はこの年限りで、
翌年は再びヤマハへ戻りますが、同じヤマハのレイニー達の前に
思うような成績を残す事は出来なかったようです。







上は、1985年に活躍した、ロスマンズ・ホンダNS500、
下は、1986年に活躍した、ロスマンズ・ホンダNSR500です。

このライダーは、鈴鹿8耐でも大活躍、2輪引退後も4輪のレースで活躍、
日本でもJGTCに参戦するなど、有名でした。

このライダーは、「ワイン・ガードナー」です。

ローソン、シュワンツ、レイニーと共に、4強と言われたライダーです。

また、鈴鹿8耐でも歴代2位の4勝を挙げて、8耐男とも呼ばれています。



ガードナーは21歳の頃、オーストラリア国内戦で走っていた時、
モリワキレーシングの森脇氏に才能を見いだされ、
サポートもあって本格的にレース活動を開始したようです。

WGP500のデビューは83年、ホンダのマシンで、第8戦のオランダGPでした。

84年シーズンは、当時ホンダが使用していたNS500よりも型落ちの
RS500というマシンでスポット参戦するも、YZR500、NS500などと
互角のバトルを繰り広げるなど関係者の注目をあび、

翌85年には実力が認められ、UKホンダから、セミワークス・ライダーとして本格参戦、
マシンは、画像にもある、ロスマンズ・ホンダNS500です。

優勝争いには加わらないまでも、ワークスのスペンサーのNSR500とも
互角のバトルを演じています。

翌86年には、遂にワークス入りを果たし、スペンサーと共に、画像のNSR500の86年型で
参戦します。

所が、スペンサーが先述の通り、開幕戦で右腕に故障を発症、
その後、戦線を離脱すると、ガードナーがワークスを背負う形になって行きます。

NSR500というマシンは、84年の登場から86年型まで、
全てスペンサーが開発に携わり、当時はスペンサーしか乗ることが許されなかった
フレディ・スペシャルと言われるマシンでした。

86年からはプライベーターにも供給され始めたマシンですが、
スペンサーのスタイルに合わせたマシンで、ガードナーにはかなり乗りにくかったようで、
86年はヤマハのローソンにタイトルを獲られるも、
ランキング2位につけ、着実にホンダのエースの座をモノにしていきます。

87年はマシン開発の主導権を取り、体制も整った中、
不調だったヤマハのローソンに代わり、
85年には同じホンダのマシンで走った、チーム・ラッキーストライク・ヤマハYZR500の
ランディ・マモラとタイトル争いを繰り広げ、安定の強さで初タイトルを獲りました。

1992年にWGP500を引退した後は4輪に転向、
自らチームを立ち上げてレースにも参戦、

1996年からはJGTCにトヨタ系のチーム・サードからスープラで参戦を開始すると、
2002年まで、クラフト、チーム・ル・マン、チーム・トムスから参戦。

1999年、2001年には1勝ずつしており、1998年にはル・マンにも参戦しています。

大変長くなりましたが、これにてお開きです。

お付き合い頂き、ありがとうございました。


Posted at 2016/09/19 14:10:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 大好きなオートバイ達 | 趣味
2016年08月30日 イイね!

懐かしのWGP500マシン

懐かしのWGP500マシン皆さん、こんにちは!

今年は台風が立て続けに東日本~北海道を直撃、
大雨被害が出ています。

太平洋高気圧と大陸の高気圧が押し合いへし合い状態で
今来ている台風10号は観測史上かなり稀な
コース取りをしている上、

西日本、大阪は沖縄よりも暑い、なかなか雨が降らない
猛暑日が続くという異常気象が続くこの頃、
皆さん如何お過ごしでしょうか・・?


今回も生存報告のみの形ですみません(>_<)

今月は出勤がかなり変則になっていた関係と、
バテのおかげで轟沈寸前でしたが(笑)、

やっと、新シフトにも慣れ、9月に入って暑さも少しひいてくれれば
落ち着きも取り戻せそうです。

まぁ、最近は昔夢中になったオートバイにも少し関心を出し始め、
高校時代に作ったバイクの模型なんぞを某オクで落としてみたりしています。

最近はハセガワという以前は飛行機、戦艦などの模型で有名だったメーカーさんが、
最近は自動車、オートバイのキットを積極的に展開しております。

あのころのライダーたちは今、第二の人生を歩んでおりますww




1983年に引退をした、「王様」の乗っていた、マルボロ・ヤマハYZR500(OW70)・83年型




1989年シーズン、ヤマハを引っ張っていた、
「バイクは公道で乗るものではない」という言葉を残したライダーの駆っていた、
ラッキーストライク・ヤマハYZR500(OW8A)




以前もアップしましたが、1989年のWGPに参戦した、
マルボロ・ヤマハYZR500(OW8A)。

ライダーは「王様」が引退を決意させたライダーで、押しがけがとても上手かったといわれ、
ヤマハとはイメージが合わない人でした。




こちらも以前アップした、1989年のWGP参戦マシンにして、チャンピォン・マシンの
ロスマンズ・ホンダNSR500・89年型です。

こちらのライダーもホンダとはイメージの合わないライダーで、
当時は話題になりました。

上のマルボロ・ヤマハYZR500(OW8A)のライダーとは昔から
ライバルとして有名で、タイトル争いを繰り広げていました。







上は、1985年に活躍した、ロスマンズ・ホンダNS500、
下は、1986年に活躍した、ロスマンズ・ホンダNSR500です。



このライダーは、鈴鹿8耐でも大活躍、2輪引退後も4輪のレースで活躍、
日本でもJGTCに参戦するなど、有名でした。

バイクの好きな方でしたら、これらのライダーが誰かすぐにお解りでしょうw

では、また9月に!

その頃にはみん友さんの所に出撃・ゲフンゲフン、お邪魔できそうです・・・
Posted at 2016/08/30 11:21:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 大好きなオートバイ達 | 日記
2016年01月24日 イイね!

おぉ、400。・・ホンダCB400FOUR

おぉ、400。・・ホンダCB400FOUR皆さん、こんにちは!

日本列島が猛寒波に見舞われ、
北陸~西日本の日本海側を中心に、暴風雪の影響が
予想される天気ですが、
皆さん如何お過ごしでしょうか?




何しろ九州や本州太平洋側でも積雪、沖縄でも最高気温が9℃の予想と、
ヘタすりゃ観測史上初めて一桁台の最高気温になろうかとしております。

各地で大雪や暴風雪の被害が出ている場所もありますので、
その地域にお住いのみん友さんが心配です。

被害が出無い事を祈ります。


さて、話は変わりまして、今回はオートバイネタで行きます。

今回紹介するのは、「ホンダ・ドリームCB400FOUR」、通称:ヨンフォアというオートバイです。

ただ、CB400FOURというオートバイは、1997年~2001年に製造されたものもありますが、
今回は、1974年~1977年に製造されたドリームCB400FOURというマシンのお話です。

このCB400FOURが生れる前に、ホンダには当時のフラッグシップマシン、
「ホンダ・ドリームCB750FOUR(K0)」というオートバイが存在していました。

当時のホンダの全技術を注入したといわれているマシンで、
「750(ナナハン)ライダー」というマンガで主人公が乗るマシンとして、
また、「ナナハン」という用語を確立したマシンとも言われているものですが、

ウィキペにも載っていますが、故・本田 宗一郎氏がこのCB750に乗ろうとしたところ、
周囲が「ヘルメット2個被らないと・・」と言って周囲が停めに入ったそうで、

本田氏は、「じゃぁ、俺にも載れるマシンを作れ!」という大号令のもと、
開発されたのが、「ドリームCB350FOUR」というマシンだったそうです。

当時は4気筒エンジンは珍しく、ホンダの4気筒モデルには、
ドリームというサブネームがつけられていました。

ホンダの4ストモデルのCBシリーズの4気筒モデルという事で
「ドリームCB」と言われていた4スト・4気筒モデルですが、

このドリームCB350FOUR、4気筒なので、
CB750同様、左右2本ずつの4本出しマフラーを装着していました。

当時のこのクラスは、2気筒エンジン車が主流で、
それらのマシンに比べて、CB350FOURは控えめな動力性能で
2気筒よりも遅い4気筒マシンと言われ、

同クラスのバイクよりもコストを抑えるつもりが
逆に4本出しマフラーなどのせいで高価になってしまい、
思ったよりも売れなく、ホンダはこのCB350の後継機を開発することになったそうです。

その後継機として、1974年に登場したのが、
「ホンダ・ドリームCB400FOUR」でした。

スタイルは当時のカフェ・レーサーをイメージしたもので、
ステップもやや後方に位置したタイプになり、
タンクカラーは当時としては珍しい1色塗りとされていました。

エンジンは、ドリームCB350FOURの物をベースにを408ccにスープアップしたものを搭載、
外観上の観点からCB350冷却フィンを増やす様にという、
本田宗一郎氏の意向が盛り込まれたものになっています。

ミッションは当時としては珍しい6速が用意され、
マフラーも4into1タイプの集合管とされ、よりレーシーさが増していますが、
これは低コストの一環としての装備でした。

排気量は408ccで、この頃はまだ、免許制度が改正前で、
普通自動車や軽自動車免許にもれなくついてくる、限定なしの2輪免許で乗れるものでした。

当時のカタログのキャッチコピーに、

「おぉ、400。 お前は風だ」というものが与えられましたが、

このフレーズは、暴走行為を連想させるという、
警察からの指摘を受け、後に、

「おぉ、400。 お前が好きだ」というものに改められたのは有名な話です。

登場翌年の1975年、免許制度が改正され、
自動2輪免許は、普通自動車免許から独立し、

大型、中型、小型と3段階に区分されるようになり、
このCB400FOURは、408ccという事で、
大型自動2輪免許がないと乗れなくなってしまいました。

そこで、マイナーチェンジを行い、
ショートストローク化したエンジンは総排気量を398ccとし、
中型免許でも乗れるようにディチューンされ、同時に日本国内専用モデルをFOUR-Ⅰ、

海外向けにアップハンドルとした仕様をFOUR-Ⅱとして販売していました。

ただ、当時はまだ400ccクラスは2気筒エンジン車が主流だったため、
1977年に登場したホンダCB400T・ホークⅡにバトンタッチ、
約3年ほどの短命でCB400FOURは姿を消してしまいました。

しかし、当時は中型免許で乗れる4気筒マシンという事で人気があり、
中古市場でも新車価格よりも高い価格がつくという状況だったそうです。

数年前に、このヨンフォアが走っているのを見たことがります。

そのマシンはあちこち手が加えられた改造車でしたが、
スタイルは今見ても色あせないものであり、
存在感が半端無いオートバイでした。


●ホンダドリームCB400FOUR・カスタム(2015年・大阪オートメッセ)








Posted at 2016/01/24 08:52:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 大好きなオートバイ達 | クルマ
2014年10月25日 イイね!

あまりに不人気だった・・カワサキGPZ250R

あまりに不人気だった・・カワサキGPZ250R皆さん、こんにちは!

昼夜の寒暖差が大きい今日この頃、
皆さん如何お過ごしでしょうか?






今回は久々にオートバイネタで行こうかと思います。

最近のオートバイには殆ど関心が無くなってしまったんですが、
私が学生時代は個性あふれるオートバイ達がmバブルに合わせて
これでもか!と言わんばかりにあふれていました。

最近は、125ccクラスのビッグスクーターが人気ですが、
そんな中、カワサキの250ccのオートバイ、
「カワサキ・ニンジャ250R(ninja)」が大人気らしいですね。

「ninja」とは、カワサキのオートバイのなんと言えばいいんでしょう?

ninjaと言えば、海外ではカワサキのオートバイの愛称でおなじみ、
日本でも「ninja」と言えば、カワサキのオートバイで、
4サイクルエンジンを搭載したマシンにつけられている愛称みたいな感じでしょうか?

ともかく、ninjaと言えばカワサキのオートバイというのが
バイク好きにはおなじみですね。

話がそれましたが、今回紹介するオートバイは、現在人気のninja250のルーツともいえる?

オートバイかもしれません。

今回紹介するオートバイ、カワサキGPZ250Rと言うトートバイは、
1985年12月にカワサキから発売されたオートバイです。

で、私が中免をとって初めて乗ったオートバイでした。



当時カワサキには、4サイクルエンジン搭載車に、
GPZシリーズがあり、空冷モデルにはGPZ-Fシリーズ、
水冷モデルには、GPZ-Rシリーズがオーバーナナハン、ナナハン、400ccなどに
それぞれ存在していました。


1984年にデビューした、カワサキ伝統の空冷DOHC2バルブ・並列4気筒いエンジン搭載の
カワサキGPZ400Fと言うオートバイで、

同じスタイルを持つ、750cc、1100cc、750ターボモデルがありました。


同じく1984年ころにデビューし、海外仕様に900cc、国内仕様に750ccが用意された、
カワサキGPZ900Rです。

こちらは、新開発の水冷DOHC4バルブ・並列4気筒エンジンを搭載していました。
900Rの方は2000年代前半まで製造されていた大人気モデルで、
特に映画「トップ・ガン」で、主演のトム・クルーズが役の上で愛車として乗っていたのが
このGPZ900Rで、滑走路をかっ飛ばすシーンは有名ですが、
この映画の人気も後押しして海外や日本でも爆発的な人気を収めたマシンです。


1985年、日本で新たに発売されたGPZ-Rシリーズの400cc、600cc版です。
GPZ400Rは、中免ライダーに爆発的な支持を受け、大人気モデルになりました。
エンジンは水冷DOHC4バルブ・並列4気筒です。

で、250ccクラスにもGPZ250というオートバイがありました。


1984年に登場していた、GPZ-Fシリーズの末弟モデルとして同年に登場しました。

画像は85年のカラーリング変更モデルですが、
エンジンは1970年代後半に登場した、Z250FTというモデルに搭載されていた
空冷OHC2バルブ並列2気筒を継承、
チェーン駆動ではなくベルトドライブを採用した初心者にも扱いやすいマシンでしたが、
流石にエンジンは旧さを隠せませんでした。

ライバルでは、1983年、スズキが250ccクラスでは初の4気筒モデルとなる、
GF250FWと言うマシンを投入していました。



この後1985年にはこのエンジンを継承したニューモデル、GF250をデビューさせています。

更にホンダは1982年に水冷DOHC4バルブ・V型2気筒エンジンを搭載した
VT250Fと言うマシンをデビューさせていましたし、



更にヤマハは1985年に水冷DOHC4バルブ・並列4気筒エンジンを搭載した
FZ250・フェーザーをデビューさせ、4スト250ccでは当時最強の45馬力を達成していました。




その中でカワサキはGPZ250の後継機ともいえる、GPZ-Rシリーズの末弟モデルとして、
1985年12月にデビューさせたのが先述のGPZ250Rでした。

スズキや、ヤマハが4気筒モデルを投入していた中、

当時のカワサキ技術陣は、
「クォーター(250cc)において、最も優れたトータルパフォーマンスを
追求できるユニットは、ツイン」と結論付けて開発した、と言われる新ユニットは、
水冷DOHC4バルブ・並列2気筒、いわゆるパラレル・ツインでしたが、
結構な高回転型で最高出力は43馬力/13000rpmを達成、
最大トルクも2.4kg-m/11000rpmと十分なパフォーマンスでした。

このGPZ250R、タンクが赤、黒、シルバー、白の4色に対し、
シートが赤、黒、黄色、白の4色が用意され、
購入者の好みで最大16通りの組合せが選択できるようになっていました。

しかし、見ての通り、スタイルがあまりにも奇抜過ぎたのが災いして、
このGPZは、不人気車になってしまったようです。

フロントマスクは、一連のGPZ-Rシリーズの面影を持っていますが、
スタイルは・・・テールエンドがまるでバッタのようでしたww


私が学生時代、250ccのバイクを購入しようと行きつけのオートバイ店に出向いたとき、
中古で17万円のスズキGS250FWがあったんですが、集合マフラーに換装されており
そこそこ走行距離も行っていた中、

お買い得品で展示されていたのがこの赤・黒のGPZ250Rでした。



1987年、カワサキは新たにGPXシリーズを展開、
末弟モデルにあたる250ccには、このGPZ250Rのエンジンを改良し、
45馬力にアップしたエンジンを搭載したGPX250Rがラインナップされて
たちまち大人気を得ていました。



このスタイルを観れば、GPZ250Rが不人気なってしまったのも仕方ないでしょう・・・

価格も新車価格でGPZが45万なのに対し、GPXは47万と
さほど差もなかったのですから・・

でも、当時の私には、財布の事情もありましたし、新車で39万というこのGPZは
魅力でしたし、この奇抜で不人気?なマシンが愛おしく思え、購入を決意ました。

いざ実際に乗ってみた感想ですが・・

エンジンはとても、中・低速重視のギア比なんでしょうか?
トルクが効いていて発進がとてもやりやすいエンジンで、
坂道でも2速で余裕で発進できるほど。

流石に高速巡航はきつく、しんどかったのを覚えています。

実際、高速道路で当時ホンダの最新2ストモデルだった、NSR250と言うバイクに
簡単にチギられました。

ただ、このバイクはシティ・コミューターというコンセプトがあったようで、
街乗りメインで考えれば十分すぎる性能だったと思いますし、
確かメーターは15000rpmまでは刻まれていたので、
高回転型エンジンだったのかな?って気がします。

当時ライバルと言われたホンダのVT250、スズキのGF250とは
煽られても余裕で喰いついていきましたし、
ツインエンジンでは十分すぎるスペックだったと思います。

普通にスタンドを立てていれば、お尻が跳ね上がるバッタのようなスタイルですが、
実際に乗って走行していると、リアは沈み込んでそれなりのスタイルで、
結構カッコ良かったです。

そして、シート高がとても低く両足が地面に着くどころか、
バイクを挟んで両足立ちが出来るほどで、
取り回しも楽で、
身長の低い女性の方にも扱いやすいだろうなぁ、と思いました。

大学時代、夜学だった関係で、たまにオートバイで行ったこともあったんですが、
そこに、同じGPZに乗っている学生さんがいたようですが、
リアのデザインが気に入らなかったのか、カウルを自作したのか、
はたまた売っていたのか、カスタマイズしていてようです。

それはそれでアリでしたが、自分はあえてオリジナル重視でしたので手を加えませんでした。

ただ、欠点はこのデザインゆえの貧粗なタンデムシート、
荷物がそれほど載せられないゆえに遠出ができない、
そして、大雨に降られるとなぜか雨水が電装系に悪さをして、
たまに、エンジンが走行中に停まってしまうという現象がたまに起きる事でした。

このオートバイは自分が限定解除して、大型を購入した後、
親父が中免を持っていたので親父に譲り、トータル約7年乗ったあと、
専門学校時代の友人にタダで譲りました。


で、このGPZ250Rで新開発された、水冷DOHC4バルブ・並列2気筒のユニットは、
この後GPX250、ZZ-R250に引き継がれ、排ガス規制に対応したのちに
現在のニンジャ250に引き継がれている点を見れば、GPZ250Rがそのルーツに
なっているのかもしれませんね(笑)


最後になりますが、カワサキは、流行にとらわれない、独特の個性を持っています。

このGPZ250Rがデビューした1985年頃は、レーサーレプリカと言われる、
実際にレースで使用されているマシンの技術、スタイルをそのまま
市販車にフィードバックする、レーサー・レプリカ・モデルが大人気になっていて、
400ccクラスでは、すでにヤマハとスズキがレプリカモデルを発表、
1986年には、ホンダも400ccクラスにレプリカモデルを投入、
更に250ccクラスにもスズキ、ヤマハに続いて、4気筒モデルを投入しました。

1987年には、カワサキを除く3社が大型クラスから250cc、原付クラスに至るまで
レーサーレプリカを投入していましたが、
カワサキは全くレプリカモデルを投入していませんでした。

250ccクラスに4ストエンジンで4気筒モデルを投入するのは1988年の事で、
しかも、これがカワサキ初の本格的レーサーレプリカになる、
カワサキZRXシリーズでした。

このカワサキの個性こそ、今でも根強い人気を持つ
カワサキなのかもしれないですね。
Posted at 2014/10/25 03:01:13 | コメント(3) | トラックバック(0) | 大好きなオートバイ達 | クルマ

プロフィール

「最近の自動車プラモは、結構内容が濃い・・(^^)」
何シテル?   05/08 08:36
クルマ、オートバイ、鉄道、模型が好きです(^^)
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2024/11/11 16:12:01
トヨタ博物館の新しい車両。 
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2024/08/26 07:52:57
2008年3月納車の『Z11キューブ・ミュージックルーム』とついにお別れ! 
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2024/06/13 12:03:03

愛車一覧

スズキ ソリオハイブリッド スズキ ソリオハイブリッド
前に乗っていたプレオ号の後継車で、2023年末に購入を決定しました。日常の使い勝手、自分 ...
スバル プレオ プレオ号 (スバル プレオ)
デザイン、外観に惹かれて購入。 装備もバンながら充分過ぎるこの車、 バンなのに、CVT ...
日産 キューブ コロ助号 (日産 キューブ)
我が家に来て早3年が経つ、Z11キューブ・コロ助です。 小さいながらも室内空間の広さは素 ...
その他 その他 その他 その他
JR西日本・223系・京阪神~北陸地区・新快速、快速普通、関空紀州路・丹波路快速用の高速 ...
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