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キューブコロコロのブログ一覧

2017年06月13日 イイね!

日石トラスト・ポルシェ962C

日石トラスト・ポルシェ962C皆さん、こんにちは!

梅雨に入ったのにすぐに中休み、
爽やかな風が心地よい今日この頃、
皆さん、如何お過ごしでしょうか?




私が好きな車両カテゴリーの一つが、1982年に始まって、
1992年に幕を下ろしたグループC・プロトタイプ・スポーツカーと言われるマシンです。

簡単に言えば2座席クローズドボディで、
ヘッドライト、テールライト、ウィンカ―、ワイパー、ドアなどを備えたマシンで、
エンジンの規制は初期の頃は無く、パワーなどに応じてクラス分けし、
走行距離に応じて使用燃料量が決められるというものでした。

まぁ、マシンについてはウィキペさんで調べてもらうとして、
そのグループCにいち早くマッチしたマシンを作ったのがポルシェで、
ポルシェ956Cというマシンをデビューさせ、
1982年のル・マンにデビューさせるといきなり総合優勝をさらいました。

ハイパフォーマンスを誇ったものポルシェ965Cは、ポルシェで製作され、
世界各国で行われたグループC規則のレース、
世界各国を転戦するWSPC・世界プロト耐久選手権などに参戦するチームに
いち早く供給され、
ポルシェのメーカーチームである、ポルシェワークスの手でもレースで
活躍していました。

日本でも83年にグループC規定の
「全日本プロトタイプ・スポーツカー耐久選手権」(以下:全日本グループC)が
本格的にスタートすると、

各チームでアプローチが異なりますが、

日産はエンジンは共通で、マシンは海外のレーシングマシン製作メーカーの
マシンに搭載して参戦、

マツダは独自でマシンを開発、

トヨタはトムスがエンジンやメカ関係を、
童夢がボディなどのエクステリアなどを手掛けた共同開発のマシンで
参戦するなどでしたが、

いち早くポルシェ956Cを登場させたのが、ノバ・エンジニアリングを通じて、
ポルシェを入手したトラスト・レーシング・チームで、
ル・マン仕様のロング・テールボディを持つマシンでの参戦でした。

ドライバーの1人には、ポルシェとかかわりの深いレーサー、
V(ヴァーン).シュパンを迎えるなど強力な体制を築きました。

1985年には改良型のポルシェ962Cが登場、

同年には早くも日本のチーム・アドバン・アルファ・ノバが、
最新モデルの962Cで、
全日本グループCに参戦してきました。

日本国内のチームでも、ポルシェの安定性から、
海外チームの中古マシンを購入するなど、
956C、962Cが混在する形ではありますが、

83年は1台の956Cでの参戦だったのが、86年には4台、

1987年になると、全日本グループCが新規定に移行、
それまで、ポルシェ956Cで参戦していたチームも
全車ポルシェ962Cにスイッチ、
ドイツの強豪、クレーマー・レーシングも全日本選手権に参戦して5台に増えています。

このとき、トラストレーシングチームが走らせたのが、
画像にもある、「日石トラスト・ポルシェ962C」というマシンです。



それまで、ヰセキ農機をメインスポンサーにしていたトラストが、
87年から日本石油をメインスポンサーに迎え、

当時日本石油が販売していたハイオク・ガソリン、「日石ダッシュレーサー100」の
イメージカラーをまとっていました。

ゼッケンも、ガソリン名にちなんで、№100をつけました。

100番と言えば、高橋国光選手が昔海外のオートバイのレースで
優勝した時のマシンのゼッケンが100で、そのイメージが強いですが、
それ以外のマシンでゼッケン100をつけていたのは、
この日石ポルシェの記憶が強いですね。

このカラーリングがまたかっこよかったのが印象的で、
お気に入りのマシンの1台になっていました。

最近、このマシンの模型が発売され、思わず購入してしまいましたが、
このボックスアートのマシンを見ると、やっぱり、カッコいいもんだぁな~と、
しみじみ思う今日この頃です。

レーシングマシンは、カラーリングによって、同じ車種でも
全然カッコ良さが違うので、面白い物です。

で、当時、こんなCMも流されていて、BGMが凄く気に入ってました。

ようつべで拾ってきた、1987年当時のCM集のなかにあったので、
貼り付けておきます。

再生画像は途中からのCMが表示されていますが、

一番最初のCMが、この日石トラスト・ポルシェが登場する
「日石ダッシュレーサー100」のCMです。



BGMは、ドボルザークの「新世界」をアレンジしていますが、
「ウィリアム・テル序曲」のアレンジ版の物もあります。

私は新世界の方が好きですww
2012年07月06日 イイね!

もはや名前だけ・・「日産スカイライン・ターボC」

もはや名前だけ・・「日産スカイライン・ターボC」今回は
レーシングマシンのお話です。






過去に、グループC:プロトタイプ・スポーツカーと言われるカテゴリーが存在しました。
1981年、それまでグループ1~8まで数字でカテゴリー分けされていたものを
新たに統合、再編、グループA~E、N、Sと分類したもので、
グループCは、それまでのシルエットフォーミュラのグループ5、
オープンタイプのプロトタイプ・グループ6を統合した形のカテゴリーになります。

グループ6のマシンは、ポルシェ936、日本の童夢‐零・RLなどが有名です。
共に耐久レースなどで活躍、ル・マン24時間レースの華形マシンでした。

グループAは御存知、ツーリングカー、
グループBはかつて、ラリー選手権等に多く見られたマシンで、
1980年代前半に活躍したセリカなどが有名です。

このカテゴリー、詳しい話は別に機会にするとして、当然、グループCは、
ル・マンや、世界戦規模の耐久選手権:WSPCなどの耐久レースの主役になります。

簡単にマシンの特徴を言うと、
2座席のクローズド・ボディーを持つマシンで、、
左右にドア、ワイパー、サイドミラーを装着する事が義務付け、
夜間の耐久レースなどに備え、ヘッド、テールライトの装着が義務付けられています。

当初は、マシンは自社、他社製問わず、エンジンもターボ、ディーゼル、ロータリー等自由で、
レース距離によって、使用ガソリン量が決められるというものでした。

この後年々細かい規則が改正されて行きます。

1982年に海外で本格スタートし、
翌83年には、日本でも全日本グル―プC・選手権が開始します。

詳しい話はウィキペさんにお願いするとして、
世界戦で、いち早くグループCマシンを作り上げたのが、ポルシェでした。

ポルシェ956Cと言うマシンが有名ですが、デビューするといきなレースで連勝、
(もっともまだこの頃はポルシェしかいなかったらしいですが・・)

この世界プロトタイプカー・耐久選手権シリーズには、日本戦も含まれ、
毎年10月に「WEC IN JAPAN・富士1000キロ耐久」として開催されていますが、
これには日本勢も参戦しており、その関係で1983年からは、
グループ5・シルエットフォーミュラシリーズと並行して、
JSPC:全日本グループC・耐久選手権として、日本国内でレースが始まります。

当時は海外からポルシェ956Cを購入して走らせるチームも多かったですが、
日産や、トヨタも参戦。

83年当時はトヨタはトムス・チーム(現:トヨタ・チーム・トムス)での
一括参戦だったのに対し、

日産は、当時日産で参戦していた、星野 一義氏、長谷見 昌弘氏、柳田 春人氏の
其々のチームに資金援助、エンジン供給の形で
各チームで独自で多種多様なアプローチでマシンを製作するという、
パターンを取っています。

その為、日産勢はそれぞれのチームでアプローチが異なり、
星野さんのチー、インパルは、イギリスの、マシン製作会社、マーチ社からマシンを購入し、
日産エンジンを搭載、

柳田さんのチームセントラル20は、
日本のル・マン商会(現:チーム・ル・マン)の製作するマシンで、

長谷見さんのチーム、、ハセミ・モータースポーツは、
1982年のキャラミ9時間耐久に参戦した、スカイライン・RSターボ・キャラミ仕様を
製作時に参加していたル・マン商会による改造で、グループC規定に作り直し、
グループ5仕様の、スカイラインRS・シルエットと同じ・2100cc直4・ターボ・LZ20B型を
搭載した、「スカイライン・ターボC」を製作します。

トップ画像がそのスカイラインターボCですが、ベースがキャラミ仕様なので、
別名、スカイライン・ターボC・キャラミ仕様と言われています。


●スカイライン・ターボシルエット・キャラミ仕様。

グループC仕様は規定に従って、全高を低くするためにルーフ部分がかなり切り詰められ、
リアには両端をボディ一体型としたウィングを装着。

マシンは市販車ベースのグループ5仕様ベース故、
唯一、海外でも国内でもグループCマシンでは
このスカイラインだけというフロントエンジン搭載車です。

ドライバーは長谷見 昌弘氏と、かつてのハコスカGTR使い、同じ追浜ワークスにいた
「トッペイ」事、都平 健二氏のコンビでした。

しかしながら、マシンの構造上熱が凄かったといわれ、その上、
トラブルなどで完走は一度もなく、思った結果は残せなかったといわれていますが、
人気はむしろ、ポルシェよりも凄かったといわれています。

翌1984年、ついにこのスカイラインではポルシェ勢に太刀打ちできないという事で、
長谷見さんも、本格的グループCカーを投入します。

マシンは、ル・マン商会のマシンで、LM04Cと言われるもので、
そこへ日産LZ20B型エンジン(後半はFJ20型)を搭載したマシン、
「LM04C日産・スカイライン・ターボC」をデビューさせます。


●LM04C日産・スカイライン・ターボC

スカイラインと言うのはもはやネーミングのみで、マシンは純粋な
グループCマシンです。

ドライバーは前年同様、長谷見さんと、都平さんですが、
シャシー剛性、エンジンの信頼性にかけ、結果は今ひとつでした。


翌85年になると、日産は今までの惨敗から挽回を図るべく、
Y30セド・グロ、Z31・フェアレディに搭載されるVG30ET型をベースに
アメリカのエレクトラ・モーティブでチューンされた、
VG30ET・V6・3000・ツインターボを開発、

それに見合うシャシーとして、日産は、イギリスのマーチ社製のマーチ85G、
イングランドのローラ社のシャシー、T810を投入し、

マーチ85Gは星野、長谷見さんの手に、ローラは柳田さんの手に託され、

長谷見さんのチームのマーチ85Gは、
マシン名を「マーチ85G日産・スカイライン・ターボC」として
1985年のJSPC第3戦・富士500マイルより投入されます。


●画像は1985年・鈴鹿1000キロ。
 一番先頭が、「マーチ85G日産・スカイライン・ターボC」です。

ドライバーは新たに和田 孝夫氏を迎え、長谷見さんとコンビを組みますが、
このマーチ85G日産はエンジンとシャシーのバランスが良かったのか、
デビュー2戦目の鈴鹿1000キロで初ポールポジションを獲得しています。

特に、10月に行われた、
「WEC IN JAPAN」・世界耐久選手権・最終戦・富士1000キロでは、
予選1日目、長谷見さんは、星野さんのマーチ85G日産と共に、
海外でも耐久の王者、と言われた、
ポルシェのメーカーチーム、ポルシェAGの
ポルシェ956Cの改良版、ワークス・ポルシェ962Cの2台をを抑え、
1-2位と、フロントローを獲得し、ワークスポルシェが2日目に
慌ててフロントローを取り返すという、パフォーマンスを見せつけました。

このレースは決勝日、豪雨で、海外勢が次々撤退、2時間に短縮された異例のレースになり、
残ったチームは殆ど日本勢と言うレース、星野さんのマーチ85G日産が
星野さん一人のドライブで走り切り優勝しています。

長谷見さんのスカイライン・タ―ボCは総合5位完走です。

翌年の86年からは、車名からスカイラインの名が外れ、
マーチ85G日産から、日産R85Vと登録名が変更され、スカイラインの名前は消えました。


●日産R85V(マーチ85G日産)

実は、グループCが全日本選手権で開始して以来、1985年まで
長谷見さんのチームだけでなく、

星野さんのチーム、柳田さんのチームのマシンにも市販車名が残されており、

星野さんは、当時グループ5で、シルビア・ターボシルエットを
駆っていたことから、マシン名に「シルビア・ターボC」が、

柳田さんのマシンには、「フェアレディZ・ターボC」と、
1985年までマシンに各ドライバーをイメージキャラクターとする市販車名が
マシン名に入っていましたが、結局のところ、マシンは全く別物でした。

しかし、星野さん、柳田さんもマシンは当初から純粋なグループCマシンであったので、
それを考えると、長谷見さんが83年に走らせていた、
「スカイライン・ターボC・キャラミ仕様」が車名とイメージがしっくり来る気がします。

でも、スカイラインと言う名前は、サーキットがよく似あう車名ですね(^^)


2009年02月27日 イイね!

不況の煽りはS-GTにも・・!ニスモ、1カー体制!

不況の煽りはS-GTにも・・!ニスモ、1カー体制!







えー、オートメッセの画像整理をしていて、
気になっていた、S-GTレースの
エントリー体制が、GTの公式HPで発表されていたので
みていたら、参加台数が

GT500クラス:14台、
GT300クラス:22台


という状態でありました。

不況の割には、去年と変わりない台数になっていますけど、
驚いたのは、

ニスモが1カー体制になっていたこと\(◎o◎)/!でした。

トヨタ、ホンダ勢は5台ずつと、去年と同じですが、
日産勢は1台減って、4台体制と、不況のあおりなのでしょうか?

ちょっと、台数的に不利かな?って気もしますが、
ここ最近は22号車、23号車ともガチでレースしていたので
1カーになってもあまり、影響は無いのかも知れません。

過去には日産勢で3台だけって事もありましたし。

日産勢は、ドライバー変更もないのですが、
ニスモのGTRは、今までずっと23号車のスポンサーだった
「XANAVI(ザナヴィ)」から、

22号車のメインスポンサーだった「モチュール・オーテック」が
メインスポーンサーになるようです。

で、残念だったのが、99年からずっとニスモで参戦してきた
ミハエル・クルム選手が参戦していないことです。

ニスモの顔として、欠かせない存在だったのに、
凄く残念です。

ただ、日産系のチームで、何かしらのレースに出てくれることを願っています。

その一方で、興味深かったのは、GT300クラスで、
去年シリーズタイトルを獲得した、46号車のMOLA・Zが、
星野一樹選手と、柳田真孝選手のコンビで
参戦することでした。

かつて日産の名ドライバーとして活躍した、
「日本一速い男」の星野一義氏と、「日産のZ使い」の柳田春人氏の
DNAを受け継ぐ2代目がコンビで参戦するのは
とても面白そうですね。

良き親友で、ライバルいでもある二人は、いい意味でお互いを
意識して、素晴らしいレースをしてくれることを期待します。

2009年もシリーズタイトルを、両クラス制覇を果たしてほしいですね!

あと・・余談ですが、ザナヴィのキャンギャルさんも
もう見れないって事でしょうか・・?

白に青を基調としたコスで、ミニでして、
結構カッコ良かったのに・・(そっちかぁーい!!)
ココを参照してくだしぃ)

スーパーGTのチームエントリー表(GT公式HP)はここ

ニスモのスーパーGTチーム体制はここ
2008年12月20日 イイね!

問題です。 この車達の共通点は・・?

皆さん、こんにちは。

今日は問題を出したいと思います。

下記に5台のレーシング・カーがありますが、
すべてある共通点があります。

その共通点とは何でしょうか?

日産フリークならまずわかる?もんだいですよ(^_^)v~♪


r33gtr 98.jpg
●ペンズオイル・ニスモGTR・98年仕様
(R33スカイライン・98年JGTC出場車)

r34gtr 99.jpg
●ペンズオイル・ニスモGTR・99年仕様
(R34スカイライン・99年JGTC出場車)

r34gtr 03.jpg
●ザナヴィ・ニスモGTR・03年仕様
(R34スカイライン・03年JGTC出場車)

33z 04.jpg
●ザナヴィ・ニスモZ・04年仕様
(Z33・フェアレディZ・04年JGTC出場車)

r35gtr 08.jpg
●ザナヴィ・ニスモGTR・08年仕様
(R35GTR・08年S-GT出場車)

さて、このマシン達の共通点を皆さん考えてみてくださいね

・・?全部日産車じゃね?って?

それはそうなんですが、そのほかで・・

では♪
2008年11月09日 イイね!

祝! ニスモGTR、タイトル獲得!

祝! ニスモGTR、タイトル獲得!







皆さん、こんにちは!

今日、S-GT最終戦が富士スピードウェイで行われ、

優勝は№12、カルソニックGTR、
2位には終盤追い上げて来た。№38のZENT・セルモSC430、
3位には今季初のお立ち台、チーム・ル・マンの№6、エネオスSC430
という結果になりました。

一方タイトル争いをしていた18号車、TAKATA・NSX、
36号車、ペトロナス・トムスのSC430が序盤でタイムロスを喫し、
タイトル争いから脱落、一方ランキングトップにいた
23号車、ザナヴィ・ニスモGTRもレース終盤ペースが上がらず、

36号車が7位、23号車が9位、18号車が12位?で
レースを終えました。

ランキング2位にいた18号車はノー・ポイント、
3位にいた36号車はレース前のポイント差が23号車とは15点で、
今回のレースは23号車がノーポイントの場合、優勝ならチャンピオン、
2位でも同点で36号車が上位完走が多いのでこの場合規定により
上位完走の多い36号車がチャンピォン確定だったのかな?

23号車は3回優勝しているんですが、他のレースは36号車よりも
順位が下だったので・・

でも、序盤で脱落してしまい、7位完走のためニスモに及ばずでした。

しかし、怖かったのがランキング4位で23号車とは17点差だった
38号車の終盤恐ろしい追い上げで、
もしも23号車がノーポイントで、38号車が優勝なら
38号車の逆転チャンピオンが確定でした。

しかし、優勝を飾ったのがトップ独走を見せた
12号車、カルソニックGTRで、見事今季2勝目を飾りました。


一方、23号車は序盤から調子を上げられず、
しかも80キロのウェイトハンディをもっていたのも災いして
順位を上げられず、一時は10位以下に落ちていましたが
終盤追い上げで9位完走を果たし、1点を加算して
75点でレースを終えています。

でも、12号車の優勝で38号車は2位となり、3点差で
ザナヴィ・ニスモGTRが逃げ切り、見事GTRデビュー・イヤーを
04年以来のチャンピォン奪還を果たしました。

ホントに怖かった38号車の追い上げは、予選15位からのスター度だったのに、ファステスト・ラップを刻みながら2位に食い込んできたことでしょうか。

でも、ついにトヨタのホームコースでGTRが優勝し、
しかもタイトルを決めたことは、
きっと、カルロス・ゴーン社長も大喜びでしょうね。

しかも、GT300クラスも、確かフェアレディZがタイトルを決めて
両クラス、日産が制覇ですし。

GT300は、2003年にZが獲って以来だったような・・?

まぁ、何がともあれ、12号車のカルソニックGTRは嬉しい2勝目、
そして23号車の援護射撃を見事果たした形で
2008年のS-GTは最高の締めくくりを迎えました。

この図式、2003年、2004年の23号車チャンピォン獲得の時と同じで
最終戦までタイトル争いがもつれて、しかもこの時も最終戦の優勝車が
12号車の、カルソニックだったのは、本当に面白いです。

では、最後に12号車、23号車のGTR、

優勝&タイトル獲得おめでとう!! \(^o^)/


さぁ、今から、QUEENの「WE ARE THA CHAMPION」を
独り独唱・・(さみしい・・)

プロフィール

「最近の自動車プラモは、結構内容が濃い・・(^^)」
何シテル?   05/08 08:36
クルマ、オートバイ、鉄道、模型が好きです(^^)
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