
今回は
レーシングマシンのお話です。
過去に、
グループC:プロトタイプ・スポーツカーと言われるカテゴリーが存在しました。
1981年、それまでグループ1~8まで数字でカテゴリー分けされていたものを
新たに統合、再編、グループA~E、N、Sと分類したもので、
グループCは、それまでのシルエットフォーミュラのグループ5、
オープンタイプのプロトタイプ・グループ6を統合した形のカテゴリーになります。
グループ6のマシンは、ポルシェ936、日本の童夢‐零・RLなどが有名です。
共に耐久レースなどで活躍、ル・マン24時間レースの華形マシンでした。
グループAは御存知、ツーリングカー、
グループBはかつて、ラリー選手権等に多く見られたマシンで、
1980年代前半に活躍したセリカなどが有名です。
このカテゴリー、詳しい話は別に機会にするとして、当然、グループCは、
ル・マンや、世界戦規模の耐久選手権:WSPCなどの耐久レースの主役になります。
簡単にマシンの特徴を言うと、
2座席のクローズド・ボディーを持つマシンで、、
左右にドア、ワイパー、サイドミラーを装着する事が義務付け、
夜間の耐久レースなどに備え、ヘッド、テールライトの装着が義務付けられています。
当初は、マシンは自社、他社製問わず、エンジンもターボ、ディーゼル、ロータリー等自由で、
レース距離によって、使用ガソリン量が決められるというものでした。
この後年々細かい規則が改正されて行きます。
1982年に海外で本格スタートし、
翌83年には、日本でも全日本グル―プC・選手権が開始します。
詳しい話はウィキペさんにお願いするとして、
世界戦で、いち早くグループCマシンを作り上げたのが、ポルシェでした。
ポルシェ956Cと言うマシンが有名ですが、デビューするといきなレースで連勝、
(もっともまだこの頃はポルシェしかいなかったらしいですが・・)
この世界プロトタイプカー・耐久選手権シリーズには、日本戦も含まれ、
毎年10月に「WEC IN JAPAN・富士1000キロ耐久」として開催されていますが、
これには日本勢も参戦しており、その関係で1983年からは、
グループ5・シルエットフォーミュラシリーズと並行して、
JSPC:全日本グループC・耐久選手権として、日本国内でレースが始まります。
当時は海外からポルシェ956Cを購入して走らせるチームも多かったですが、
日産や、トヨタも参戦。
83年当時はトヨタはトムス・チーム(現:トヨタ・チーム・トムス)での
一括参戦だったのに対し、
日産は、当時日産で参戦していた、星野 一義氏、長谷見 昌弘氏、柳田 春人氏の
其々のチームに資金援助、エンジン供給の形で
各チームで独自で多種多様なアプローチでマシンを製作するという、
パターンを取っています。
その為、日産勢はそれぞれのチームでアプローチが異なり、
星野さんのチー、インパルは、イギリスの、マシン製作会社、マーチ社からマシンを購入し、
日産エンジンを搭載、
柳田さんのチームセントラル20は、
日本のル・マン商会(現:チーム・ル・マン)の製作するマシンで、
長谷見さんのチーム、、ハセミ・モータースポーツは、
1982年のキャラミ9時間耐久に参戦した、スカイライン・RSターボ・キャラミ仕様を
製作時に参加していたル・マン商会による改造で、グループC規定に作り直し、
グループ5仕様の、スカイラインRS・シルエットと同じ・2100cc直4・ターボ・LZ20B型を
搭載した
、「スカイライン・ターボC」を製作します。
トップ画像がそのスカイラインターボCですが、ベースがキャラミ仕様なので、
別名、スカイライン・ターボC・キャラミ仕様と言われています。

●スカイライン・ターボシルエット・キャラミ仕様。
グループC仕様は規定に従って、全高を低くするためにルーフ部分がかなり切り詰められ、
リアには両端をボディ一体型としたウィングを装着。
マシンは市販車ベースのグループ5仕様ベース故、
唯一、海外でも国内でもグループCマシンでは
このスカイラインだけというフロントエンジン搭載車です。
ドライバーは長谷見 昌弘氏と、かつてのハコスカGTR使い、同じ追浜ワークスにいた
「トッペイ」事、都平 健二氏のコンビでした。
しかしながら、マシンの構造上熱が凄かったといわれ、その上、
トラブルなどで完走は一度もなく、思った結果は残せなかったといわれていますが、
人気はむしろ、ポルシェよりも凄かったといわれています。
翌1984年、ついにこのスカイラインではポルシェ勢に太刀打ちできないという事で、
長谷見さんも、本格的グループCカーを投入します。
マシンは、ル・マン商会のマシンで、LM04Cと言われるもので、
そこへ日産LZ20B型エンジン(後半はFJ20型)を搭載したマシン、
「LM04C日産・スカイライン・ターボC」をデビューさせます。

●LM04C日産・スカイライン・ターボC
スカイラインと言うのはもはやネーミングのみで、マシンは純粋な
グループCマシンです。
ドライバーは前年同様、長谷見さんと、都平さんですが、
シャシー剛性、エンジンの信頼性にかけ、結果は今ひとつでした。
翌85年になると、日産は今までの惨敗から挽回を図るべく、
Y30セド・グロ、Z31・フェアレディに搭載されるVG30ET型をベースに
アメリカのエレクトラ・モーティブでチューンされた、
VG30ET・V6・3000・ツインターボを開発、
それに見合うシャシーとして、日産は、イギリスのマーチ社製のマーチ85G、
イングランドのローラ社のシャシー、T810を投入し、
マーチ85Gは星野、長谷見さんの手に、ローラは柳田さんの手に託され、
長谷見さんのチームのマーチ85Gは、
マシン名を
「マーチ85G日産・スカイライン・ターボC」として
1985年のJSPC第3戦・富士500マイルより投入されます。

●画像は1985年・鈴鹿1000キロ。
一番先頭が、「マーチ85G日産・スカイライン・ターボC」です。
ドライバーは新たに和田 孝夫氏を迎え、長谷見さんとコンビを組みますが、
このマーチ85G日産はエンジンとシャシーのバランスが良かったのか、
デビュー2戦目の鈴鹿1000キロで初ポールポジションを獲得しています。
特に、10月に行われた、
「WEC IN JAPAN」・世界耐久選手権・最終戦・富士1000キロでは、
予選1日目、長谷見さんは、星野さんのマーチ85G日産と共に、
海外でも耐久の王者、と言われた、
ポルシェのメーカーチーム、ポルシェAGの
ポルシェ956Cの改良版、ワークス・ポルシェ962Cの2台をを抑え、
1-2位と、フロントローを獲得し、ワークスポルシェが2日目に
慌ててフロントローを取り返すという、パフォーマンスを見せつけました。
このレースは決勝日、豪雨で、海外勢が次々撤退、2時間に短縮された異例のレースになり、
残ったチームは殆ど日本勢と言うレース、星野さんのマーチ85G日産が
星野さん一人のドライブで走り切り優勝しています。
長谷見さんのスカイライン・タ―ボCは総合5位完走です。
翌年の86年からは、車名からスカイラインの名が外れ、
マーチ85G日産から、日産R85Vと登録名が変更され、スカイラインの名前は消えました。

●日産R85V(マーチ85G日産)
実は、グループCが全日本選手権で開始して以来、1985年まで
長谷見さんのチームだけでなく、
星野さんのチーム、柳田さんのチームのマシンにも市販車名が残されており、
星野さんは、当時グループ5で、シルビア・ターボシルエットを
駆っていたことから、マシン名に「シルビア・ターボC」が、
柳田さんのマシンには、「フェアレディZ・ターボC」と、
1985年までマシンに各ドライバーをイメージキャラクターとする市販車名が
マシン名に入っていましたが、結局のところ、マシンは全く別物でした。
しかし、星野さん、柳田さんもマシンは当初から純粋なグループCマシンであったので、
それを考えると、長谷見さんが83年に走らせていた、
「スカイライン・ターボC・キャラミ仕様」が車名とイメージがしっくり来る気がします。
でも、スカイラインと言う名前は、サーキットがよく似あう車名ですね(^^)