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キューブコロコロのブログ一覧

2008年11月08日 イイね!

日産ワークス、チャンピォンなるか? スーパーGT最終戦が迫る!

今私が最も気になってわくわくしているのが、
「スーパーGT・2008」。

今年応援しているニスモをはじめ、日産勢がR35GTRを投入し、
活躍を見せています。

開幕戦の鈴鹿ではニスモの2台のGTRが1-2フィニッシュ、
続く第2銭、岡山国際サーキット(旧称:TIサーキット)でも、
開幕戦に続いて№23の、ザナヴィ・ニスモGTRが2連覇。

第3戦の富士は、トヨタの№38のSC430が優勝、
しかし第4戦の、マレーシア・セパンでは、去年に続いて、
今年も近藤真彦氏率いる、KONDOレーシングの
ナンバー24、ウッドワン・GTRが初優勝、

第5戦の富士では、ホンダ・ワークスの№18、TAKATA・NSXが優勝、
第6戦のポッカ・鈴鹿1000キロでは、長丁場を
星野一義氏率いる、№12、カルソニックGTRが制覇、

第7戦の茂木では、同じく日産勢の、長谷見 昌弘氏率いる
ハセミ・モータースポーツの、YMS・GTRが約13年ぶりの優勝、
そして、先の第8戦、オートポリスでは、
茂木でノーポイントに終わった№23、ザナヴィ・ニスモGTRが
ポール・トゥ・ウィンで、今季3勝目をマークし、

11月9日の最終戦、富士に臨みます。


現在ランキングトップで、チャンピォンに王手をかけているのが、
日産ワークスの№23、ザナヴィ・ニスモGTRですが、
2位につける№18、TAKATA・NSX、
3位につける№36、ペトロナス・トムス・トヨタSC430、
4位に同じトヨタで、№38、ZENT・セルモ・トヨタSC430、
5位につけている同じニスモの№22、モチュール・オーテックGTRまでが
シリーズタイトルを争う権利をもっています。

今までの勝ちパターンでいけば、実はニスモの23番に勝機がありと思います。

偶然ですが、2003年のGTでは、№23、ザナヴィ・ニスモGTRが
オートポリスでポイントを稼ぎ上位に食い込み、
次の最終戦の鈴鹿では、日産連合軍の体制で見事タイトルを獲りましたし、

2004年のGTでは、開幕戦で23番のザナヴィ・ニスモZが初優勝、
その後リタイアに見舞われるも、着実にポイントを稼ぎ、
オートポリスでは、見事2勝目を挙げ、
最終戦鈴鹿ではウェイトを120キロも積んだ状態で見事
シリーズタイトルを獲得しています。

さて、今回はどうなるか・・・?

ニスモは23番がランキングトップ、22番が5位で、
レース的には有利な仕掛けができます。

実は22号車は鈴鹿1000キロでは、レース中盤までトップを独走、
先のオートポリスでも、23番同様予選でもトップ争いをするほど
順調な仕上がりを見せています。

ただ、鈴鹿1000キロでは、リアカウルが半開きになって
無念のピットインでトップ争いから脱落、
オートポリスでは、ウィングの高さが規定違反で、
GT500クラスの最後尾からのスタートになるなど、
ツキに見放されていましたが、この22号車はタイトルを取るのが難しいので、
最終戦ではおそらく23番のサポートカーになるのではないかと思います。

また、最終戦の練習走行では、KONDOレーシングのGTR、
ホシノ・レーシングの、カルソニックGTRが
かなり順調な仕上がりを見せているので、もしかしたら、
今年、GTRのデビューイヤーを飾るため、日産連合軍で
23番をバックアップする可能性もあります。

でも、ホンダにしても同じことが言えるわけで、
特にホンダには、今年調子の良かった、
№100・レイブリックNSXが控えています。

こちらもタイトルは難しいので、おそらく上に上がれば、
18番のサポート役になることは考えられます。

それは他のNSX勢にも同じことが言えるのですが・・・

特に富士との相性がいいトヨタ、ホンダにしてみれば、
最終戦はかなり有利です。

面白いのは、2003年~2005年まで、日産陣営にいた
井出有治選手が、今年はホンダ陣営でレイブリックNSXに乗っていて、
去年までニスモに在籍していた、リチャード・ライアン選手が、
今季は38番のZENT・セルモSC430で走っているんですから、

この二人はニスモのやり方を十分知っているわけで、
そういった意味では特に直接タイトル争いをしている
セルモのライアンにしてみれば大きな意味を持っている事になるかと思います。

まぁ、勝手な憶測で一人楽しんでいるんですが、
とくも、かくにも、9日の最終戦は大変気になるレースです。
2008年10月05日 イイね!

日産R30スカイライン・RSターボ・シルエット・Gr.5仕様

日産R30スカイライン・RSターボ・シルエット・Gr.5仕様


皆さん、こんにちは!

最近ネタ切れで逃避しまくっている?なべっちです。







さて、今日はクルマネタですが、私が今まで見てきて、ハートをキャッチされた
レーシングマシンの1台を書いてみようと思います。

今回紹介するのは、かつて日本のGCレースの前座レースとして
行われていた、「シルエット・フォーミュラ」シリーズ、
通称:「グループ5」レースのマシンで、
大人気を博した、

日産R30スカイライン・RSターボ・シルエットです。

まず、グループ5・シルエット。フォーミュラについてです。

FIA・国際規格で規定されていたカテゴリーの1つで、
市販スポーツカーをベースに作ることが前提で、
ルーフ部分、フロント、リア周りにはベースとなった
市販車のイメージを残すことが義務付けられているのが特徴で
エンジンも当然ベースとなるマシンのもの、または同一メーカーの物で
あることが前提になっているもので、
現在の「スーパー・GT」が最もこのシルエット・フォーミュラに
近いマシンではないかと思います。

海外では1976年ころから主流になり、ル・マン24時間レースや、
各国国内で行われる耐久レースの主役にもなって行くカテゴリーで、
日本でも1979年からこの「グループ5」規定のマシンによる
レースが盛んになって行きました。

もっとも、日本で独自に作られたマシンは少なく、
79年当時は、現トヨタ・チーム・トムスが走らせていた
グループ5仕様の「トヨタ・セリカLBターボ・シルエット」というマシンも
元々は77年にドイツ国内耐久選手権レースでデビューした
シュニッツァーチューンのトヨタ・セリカLBターボを購入したものでしたし、
多くのチームは海外からマシンを購入して参戦していたのが実情でした。

そんな中、日産は81年当時の110型シルビア、ガゼール・ハッチバックを
ベースにした、「シルビア・ターボ・シルエット」、
「ガゼール・ターボ・シルエット」を製作、
シルビアを星野一義選手率いる「インパル」、
ガゼールを柳田春人選手率いる「セントラル20」に託して
マシンを走らせていました。

この2台はマシン設計を由良卓也氏率いる「ムーン・クラフト」に製作を依頼、ルーフ・ヘッド、テール周りに市販車のイメージを残しつつ
ボディはFRP製、シャシーはパイプ、アルミパネルのセミ・モノコックという
レーシング仕様で、エンジンは日産のレース専用エンジン、
LZ20B型DOHC直4・ターボを搭載し、最高出力約570馬力を
誇っていたといわれています。

1982年、さらに日産シルエット軍団に加わったのが、
81年にデビューしたR30スカイラインをベースにした
シルエット・フォーミュラマシン、
「スカイライン・RSターボ・シルエット」です。

実はR30スカイラインに82年初頭、日産としては久々の
DOHCユニットを搭載する、RSがデビューしていました。

GTR以来のDOHCユニットを搭載するFJ20Eエンジンは
直4・ノンターボながら150馬力を絞り出すエンジンで、
まさにライバルのトヨタをも凌ぐスペックを持ち、
GTR復活か?とも言われたものの復活はならず、

しかし、GTとは一線を引くRS・・レーシング・スピリットとか、
レーシング・スポーツとかいろいろな意味を持つ略称としてのRSという
グレードは、明らかにスカイラインのホットモデルとしての存在をアピール、
エンブレムもGTR同様の赤バッジが奢られていました。

そのRSをベースに作られたRSターボシルエットは、1982年に登場、
エンジンは市販車のRSのFJ20Eエンジンベースではなく、
レース用のシルビア、ガゼールと同じLZ20B型・直4ターボでしたが、
遂に10年ぶりにスカイラインがサーキットに戻ってきた、
という事で大きな話題をさらいました。

このスカイラインはスカイラインとなじみの深い、長谷見 昌弘選手に託され、
ハセミモータースポーツからエントリーされていました。

ボディーカラーは赤と黒の2トーンカラーですが、実はこの頃の市販車のRSに
このカラーは設定されておらず、実は翌83年にデビューする、
RSターボのイメージカラーをレース仕様で先行的に採用するという
画期的なもので、これも話題の一つになっていました。

さらに、その83年にデビューする予定のRSターボへの技術の
フィードバックのために先行テスト的な面もこのRSターボ・シルエットは
持っていたともいわれています。

さて、デビューレースでは優勝を逃すも、次のレースでは
予選こそポールポジションの星野選手のシルビアの次の2番手でしたが、
スタート後にシルビアを抜き、
トップで観客のいるスタンド前ストレートに姿を現すと
観客達が総立ちでスカイラインに拍手を送る姿も見られ、
そのレースでは総合優勝を勝ち取りました。

ハンドルを握っていた長谷見さんは
「スタンドのファンの方達がスタンディング・オベーションで
 迎えてくれたのはとても感動しました」

とコメントを残したほど、スカイラインの復活を待ち望んでいた
ファンが多かったことを物語っています。

82年当時、シルビア、スカイラインに加え、ガゼールを走らせていた
「セントラル20」は、この年910型ブルーバードベースの
シルエットカーにスイッチ、

マフラーから吹き出るアフターファイヤーから、
「火を吹く日産シルエットトリオ」と言われ、国内シルエット・フォーミュラの
人気を独占していました。

さて、スカイラインは83年にマイナーチェンジを受け、
RSは鉄仮面といわれる独特のフロントマスクに変更されると、
同じくしてRSターボ・シルエットもフロントマスクを鉄仮面に変更するなど
改良を施されていきました。


さて、このスカイラインRSターボシルエットは82年8月に、国内仕様とは
別モノの仕様が製作されていました。

ヘッドライトは丸型4灯式で、ボンネット上のアウトレットインテーク、
リアウィング、ボディも国内仕様とは大きな違いがみられるものでした。

この仕様は日産が南アフリカのディーラーより要請され、
キャラミ9時間耐久レースに出場するために作られた
RSターボシルエット、通称:キャラミ仕様でした。

このマシンも国内仕様のRSターボシルエット同様のカラーリングを
していましたが、一番注目すべきはサスペンションで、
このサスペンションは翌年83年にデビューする市販仕様のRSターボと同じ
ユニットを採用していたことでした。

この後、耐久レースのマシンはFIAのカテゴリー変更で
新たに設けられたグループC、「プロトタイプカー」に移行するため、
グループ5仕様のマシンは姿を消すことになりますが、
このスカイラインRSターボ・キャラミ仕様をベースにCカー規定に
沿って製作されたスカイライン・ターボC、通称キャラミ仕様が
スカイラインの面影を残す最後のシルエットフォーミュラ仕様になりました。


スカイラインと言えばGTRが目立ちますが、GTR不在の期間、
サーキットを盛り上げたこのスカイラインRSターボ・シルエットは
私の思い出に強く残るマシンの1台です。




r30gr51.jpg
●83年に投入された、RSターボ・シルエット、
 「鉄仮面仕様」です。


r30rs.jpg
●わかりにくいですが、テールライトは市販のスカイラインRSと同じで、
 市販車と同じ「RS・DOHC・TURBO」のエンブレムも
 トランクに施されています。


r30rskyarami.jpg
●これはプラモデルのパッケージなんですが、
 もう1台のRSターボ・シルエット、通称:キャラミ仕様です。
2008年10月01日 イイね!

名優・ポール・ニューマン、逝く・・

名優・ポール・ニューマン、逝く・・皆さん、こんにちは。

もうすっかり機構も涼しくなり、秋の足音も間近に聞こえますが、如何お過ごしでしょうか?








さて、もう御存知の方も多いともいますが、先日、俳優の
ポール・ニューマン氏がお亡くなりになりました。


ポール・ニューマンと言えば、映画界のスターで、
数々の名作品に主演したことでも有名ですし、
事業を起こし、その利益を福祉活動に費やすなど、
社会貢献にも功績を残していたといわれますが、

やはりクルマ好きのみなさんには、カーレーサーとしての
存在がかなり大きいと思います。

かつては1978年だったか、79年だったか、覚えていませんが、
ポルシェ・935-78というマシンでル・マン24時間レースに出場、
総合2位で完走するなどの実績も残しているようです。

でも、アメリカでは、日産のマシーンを駆っていて、
アメリカのIMSAシリーズで日産車を走らせていた
ボブ・シャープ・レーシングの日産フェアレディZを
ドライブしていたこともあります。

確か、富士スピードウェイにも来日してレースで
フェアレディZを走らせていたと思います。

また、1981年にデビューした、日産スカイラインのR30型の
イメージキャラクターを務め、そのことから、

R30スカイラインのことを別名:ニューマン・スカイラインと
呼ぶマニアも多かったです。

私には映画俳優というよりも、カーレーサーのイメージが強いですが、
何がともあれ、一人の「大物」が世を去ってしまったのは間違いありません。

ポール・ニューマンの功績を称え、心からご冥福を祈りたいと思います。


130z.jpg

●ポール・ニューマンが1977年にアメリカのIMSAシリーズで
 ドライブしていた、当時のフェアレディZです。


Posted at 2008/10/01 08:15:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 想い出のレーシングマシン、レース | 音楽/映画/テレビ
2007年01月05日 イイね!

売られたケンカに挑んだ、日産ニスモ

売られたケンカに挑んだ、日産ニスモニスモ武勇伝・ニスモが本気を見せたレース:89年WSPC・ニュルブルクルリンク・500キロ耐久レース


昔読んだレースの裏側を書いたドキュメントで、日産にかんする面白い話があったので、書いて見ます。

かつて、グループC・プロトタイプスポーツカーと言われる、距離に応じて使用できるガソリン量がクラスごとに決められる、耐久レースが大人気でしたが、1982年にスタートして、1989年に一つの大きな規則変更がされました。

当時F1と比べてル・マンを除いて、1000キロや、800キロ等、長距離故に
人気が無かったWSPCはTV放映も少なく、
世界戦規模の全レースをつかさどる、FISA(国際自動車競技連盟)も、
盛り上げる為の対策を講じていました。

その結果、当時のFISA会長は、解決策として「長距離レースをやめて、
ル・マン以外は全て500キロのスプリントとする。」と発案しました。 

更に、WSPCのタイトルがかかったル・マン24時間レースも含め、
WSPCに出場するには全戦参加を義務付け、
欠場した場合はペナルティ料を課す規則までつけました。 
実はこれは、日本勢に対するあてつけだったとも言われています。

当時日本車勢は、世界戦には資金面から参戦が出来ず、
日本国内でのグループCカーレースに留まっていたした。

WSPCの1戦に、WEC・イン・ジャパン(富士1000キロ耐久)が含まれていて、
当時のFISAの規則ではスポット参戦も許可されていました。
これに全日本耐久選手権タイトルもかけられていたので、日本車、
日本チームもこのWEC、ル・マンにだけ参戦するケースが目立っていました。
 
そんな都合のいい時だけ顔を出す、日本車に対して
海外メーカーからは批判が出ていました。

同時に高技術で知られる日本車の実力をみたいという、
海外勢の思惑もあったのかもしれません。

この規則変更の為に、今まで10月に行なわれていたWECは廃止され(
全日本選手権のみがかけられ(富士1000キロは継続)、
WSPCの日本戦は、第1戦の鈴鹿戦に設定されました。
勿論、全日本選手権は外されています。

結局、当時ル・マンに出ていたニスモ、トヨタ・チーム・トムス、マツダ・スピードは
この規則に沿う形で全日本戦のほかに並行して海外戦に参戦する為の
海外部隊を設立しました。 

マツダは海外のチームにレース運営を委託、トムスはイギリスにトムスGBを、
ニスモはNME:ニスモヨーロッパを設立しました。

この時にNMEの代表になったのが日産から出向してきた日本人、
M氏という人物でした。

彼は体育会系で、部下のためなら身を張って守るタイプと、言われていました。
現場主義で、言うべき事には妥協をゆるさない性格だったとも、言われています。

この彼の存在が、やがては海外勢のなかでも一目をおかれる存在になる事件が
起こりました。 

89年のル・マンでは31年ぶりに復活した、ザウバー・メルセデスが復活優勝を
勝ち取り、WSPCでも連勝を記録するなど、意気揚々としていました。

そのル・マンの後に行われた、WSPCのドイツ(西ドイツ)・ニュルブルク・リンク・ラウンドでのお話です。

FISAの収益は、スポンサー料、エントリー料などでしたが、更にこの西ドイツラウンドでは、復活を成し遂げたザウバー・メルセデスの地元でのル・マン凱旋レースの、テレビ中継での演出を約束する話を、ザウバー・チームに持ちかけました。 

当然、ベンツも地元でのアピールにつながると言う事で、喜んで多額の寄付を行ったようです。 

これだけでもう十分な収益があったFISAですが、ここで欲を出したのがいけませんでした。 

当時バブルの絶頂にあった日本からも寄付を申し出ようとしました。

早速日本車勢にも申し出をしましたが、その切り出し方がいけませんでした。

ベンツのように演出を約束するというならまだしも、訳のわからない、賛助金と言う形で申し出をしたそうです。

すると、NMEのM氏は、このFISAの担当者に対して、

「カネを出せと言うなら、それなりの根拠と明細を示して欲しい。 必要費用を支払っているのに、その上訳の解らない名目の費用を出すほど私達はいい加減な会社ではない。」
と、担当者を追い返したそうです。

FISAの担当者は不服そうに帰り、そして地元のテレビ局のスタッフ一同に、よせばいいのに、こう言ったそうです。

「日産はカネを払っていないから、決勝では日産のマシンは映すな」と。

さて、その話を聞きつけたM氏は、烈火の如く怒り狂いました。

NMEは、ル・マンこそ決勝はリタイアしたものの、出来上がって僅か3ヶ月程度の余裕しかなかったにも拘らず、決勝ではトップを脅かす活躍を見せたマシン、日産R89Cに自信を持っていました。

r89c2.jpg
日本は元より、海外でも活躍した、日産R89C(画像は国内仕様)

特にニュルでのテスト走行でも好調さを見せ、ガソリンも、決勝では十分に規定量の範囲内で、ベンツをくだして優勝できる計算でした。

しかし、FISAが売って来たケンカに、真っ向から立ち向かう決意をしたM氏はNMEの現場監督を含め、チームクルー、ドライバーに理由を打ち明け、

「いいか、明日のレースは何が何でもぶっ潰してくれ!!」と、

ある計画を指示しました。 スタッフは理由を聞いて喜んで賛成したそうです。

さて、決勝日の話です。ニュルには地元の英雄、ベンツの凱旋レースを見ようと多くのファンが詰め掛けていました。

テレビ中継も大々的に行なわれ、ベンツの演出の準備は整っていました。
そして、いよいよ決勝のスタートです。 

予選こそジャガーに先行を赦したベンツですが、僅か数週でジャガーを抜き去ると、2台のベンツは1-2体制でレースをリードして行きます。 
ここまではザウバー、FISAの思惑通りでした。

すると、ベンツやジャガー、ポルシェなどの後方からとんでもない速さで、順位を上げてくる、1台のマシンがいました。 

ナンバー23をつけた、ニスモ・ヨーロッパの、日産R89Cでした。 

とてつもないオーバーペースで、ベンツを走らせるザウバーはもとより、他のチームも日産の異常なペースにあれでは決勝は完走不能だ、一時のパフォーマンスだろう、と思っていたようです。

しかし、ペースを一向に落とさない日産R89Cは、ジャガーを抜き去り、ベンツがトップに立った僅か2,3周後には、そのベンツさえ、抜き去ってしまいました。 

実は、M氏の指示は、「いいか、明日の決勝はガス欠になっても、リタイアしてもいい!
全速全開走行でトップに立って、レースをぶっ潰してくれ!」、と言う物だったのです。 
普段燃費の為にペースの調節を強いられるドライバーもこの時ばかりは大喜びで、アクセル全開走行だったそうです。

しかもベンツを抜き去って先頭に立った日産は、ペースを落とすどころかペースを上げてベンツを引き離しにかかりました。
 
この時あってはならない事態にザウバーはパニックだったと言います。 そして困ったのは地元のテレビ局でした。

FISAからあれだけ映すなと言われていた日産車がトップなので、
映さないわけにもいかず、結果日産車はビタ1文払う事無く、
テレビで大映りになっていました。

一方、ベンツの凱旋レースを見に来た地元の西ドイツのファンは意外にも、英雄をやっつけている悪役の日産のレースに大喜びでした。 

結局、日産は終盤リタイアしました。

言うまでも無く、規定で使用できるガソリンを全て使い切ってしまってのガス欠でした。

このレースは、ザウバー・メルセデス・ベンツの優勝で幕は降りましたが、ザウバーはプライドをズタズタにされました。 

しかも日産は、ビタ1文も出すことなくテレビに大映りになり、FISAのメンツを潰す事に成功しました。 

リタイアしましたが、NMEのスタッフは誰も悔しがる事は無く、気分爽快という感じであったそうです。

FISAは次のイギリス・ドニントンパーク戦でNMEに、謝罪をしたそうです。

同時にNMEは、M氏と共に海外勢からも一目を置かれる存在になりましまた。

89年は日産はザウバー・メルセデスとタイトル争いをしましたが一歩及ばず、ザウバにタイトルを持って行かれました。 

翌90年、ザウバーは新型のC11をデビューさせ、90年もWSPCのタイトルを奪取し、2連覇を果たしました。

この後、M氏はNMEを去り、ニスモは91年から始まる新規定のマシンの開発の為にWSPC、ル・マン参戦を休止します。

しかし、その後WSPCへの参戦は完全に中止、更に92年いっぱいでWSPC自体が無くなり、NMEも解散する事になりました。

実は、当時ザウバー・メルセデスの監督だった方がこんなコメントを残していました。

「89年のドイツ戦で、とてもプライドを傷つけられました。しかし、あの悔しさがあったからこそ、90年用の、ニューマシンの開発に着手し、90年もシリーズタイトルを取る事ができました。 本当に日産には感謝しています。」と。

プロフィール

「最近の自動車プラモは、結構内容が濃い・・(^^)」
何シテル?   05/08 08:36
クルマ、オートバイ、鉄道、模型が好きです(^^)
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