
今回は、ベタなアイドルがブッ飛んだりダンサー付けたりと、アイドルの敷居の広さを感じた、不思議ちゃんです。
34 水谷麻里
1971年7月18日生 (46歳)
愛知県津島市出身
1986年、資生堂主催の『86 ミスヘアコロン・イメージガールコンテスト』でグランプリ。
1987年 『21世紀まで愛して』でアイドルデビュー。
当時はアイドル全盛で、どの番組にも何人ものアイドルが出演していた時代であり、その中で敢えて正統派のキャピキャピアイドルでデビュー。
緊張ぎみな硬い作り笑顔が、やけに素人っぽくて逆に可愛かったですね。
勿論唄はそれなりのセールスがあって、新人賞レースの常連でしたね。
ところがところが、1987年に入り大胆なイメージチェンジを図ります。
まず、シングル『春が来た』から、今までの大人しい清純系路線を棄て、元気系にスイッチ。
更に意味不明な歌詞に併せて『不思議ちゃん路線』をアピール。
キャラクターや唄風を完全に替えての挑戦に、当時のファンはついて行けたのでしょうか?(笑)
更に、その頃からバックダンサー(女性二人)を付けています。
『あしたの黄色をつかみ隊』
と言う、かなり意味不明なユニット名でした。
これは、松本伊代を代表として、アイドルが専属バックダンサーをつれて出演するスタイルで、これには色々な意図があります。
①曲が変わってもアイドルのイメージを継承する効果がある。
②センターのアイドル人気にあやかって、バックダンサーとして知名度を上げて、後々デビューさせる。
③アイドルとしてのキャラクターイメージを強く印象付けるアレンジ。
などの効果があります。
そのバックダンサーシステムは、現在のAKBを筆頭としたグループアイドルの研修生やアンダーメンバーとは全然違います。
現在のアイドルグループは、センターを中心に全てのメンバーを売り込む目的があります。
更に、グループの中には、ステージで目立つ事で個人をアピールして、自分を売り込むなんて事も出来ますし、事実そうしてグループ内で切磋琢磨させてます。
しかし、バックダンサーはあくまでセンターアイドルの引き立て役であり、決して前に出ることは許されません。
勿論、自分をアピールするなんて論外なポジションなんです。
水谷麻里ちゃんにバックダンサーを付けた本当の作戦意図は不明です。
しかし、彼女のイメージチェンジを効果的にアピールすることと、イメージチェンジにより逆に離れて行くファンを、バックダンサー人気で引き留めようとしていた節があります。
それはその後この『あしたの黄色をつかみ隊』が独立して、伝説のバックダンサーアイドル、
『パンプキン』
としてデビューしたことで立証出来ます。
今回はパンプキンの話は割愛しますが、バックダンサー出身のアイドルグループは意外に少ないです。
有名どころとしてはこのパンプキン以外に、前記の松本伊代のバックダンサーをしていた、
『麻生真美子&キャプテン (Be-2)』
位です。
・・・なので、プロデューサー側が裏で、将来のパンプキン作りに彼女を使った様に思えます。
話を戻します。
肝心な水谷麻里ちゃんは、唄である程度のセールスがあったためか、ドラマ・バラエティ等の出演は極端に少なかったですね。
その代わり、歌謡番組にはかなりの露出度がありました。
これも将来のパンプキンの知名度に影響したのかも知れません。
残念なのは、1987年中頃から、有名漫画家とのスキャンダルが発覚、次第に求心力が衰えて行き、
1990年結婚引退と、活躍が極端に短かった事です。
シングル8枚、アルバム5枚(ベスト2枚)
意外と多いですね。
シングル8枚中4枚が、オリコン10位以内にチャート。
殆どが不思議路線にスイッチした後だったことを考えると、イメージチェンジは成功だった様です。
唄は、とにかくぶっ飛びな歌詞にアップなテンポでやけにライトに聴こえます。
所謂不思議ちゃんです。
シングル『ポキチ ペキチ パキチ』なんて、全く意味わかりません(笑)
それを踏まえて彼女の不思議さを感じるのは楽しいです。
ちょっと違いますが、現在のキャリーぱみゅぱみゅに通じるイメージがありそうですね。
聴くか聴かないかはあなた次第!
80年B級アイドル度・・・88%
スキャンダルがなかったら、もう少し売れていかも知れませんね。
ヒット曲が4曲もあったのに、当時のイメージが薄いのは、色々やった割には本人のキャラクター自体が薄かった裏返しかも。
80年代の異種アイドルとしては貴重な存在です。
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Posted at
2018/04/10 09:54:12